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42:新しい国へ

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 各領地からの報告を受け、それに対する皇帝からの質疑と提案が行われる。報告が終わると、現在進んでいる鉄道事業の進捗、今後の予定が共有される。ひとしきり予定されていた事案が終わったところで、アビエルが口火を切る。

「各領主の皆には新しい取り組みの中でとてもよく成果を上げてもらっていると思う。急な変化に戸惑ったこともあるだろう。皆の尽力に深く感謝する」

 その言葉に皆がこうべを垂れる。

「私が帝国の中を大きく7つに分けたことには理由がある。帝国は大きくなりすぎた。帝都の皇宮からこの巨大な帝国を恒久的に平和に維持することは難しい。だから皆にそれぞれの目の届く範囲を守ってもらいたいと思ったのだ。皆、とても優秀なので予想以上にうまくいっていると感じる。皆が自分たちの領地を運営している姿から私自身も学びを得たこともがいくつもある。皆も、自分の国を統べるのは予想以上に大変だ、と思われただろう。きっと私の苦労がよくわかったのではないかな」

 アビエルが笑ってそう言ったので、テーブルの面々もつられて笑いが漏れた。

「時代によって、一つの大きな国を王が統べることが平和をもたらす時もあれば、いくつかの小さな国として細かなところに目が配れることが必要な時もあるのだ。そして帝国は今、後者の在り方を必要としている。ここに集まる領主の皆に提案がある。皆それぞれが自分の領地を国として管理し、皆で手を取り合って、帝国を小さな国の集合体に変えていけないだろうか」

 話に聞き入っていた領主たちが、皆一様に言葉の意味をうまく理解できずにいるようだった。アビエルはあえて先を続けず、今の言葉を反芻はんすうする時間を取った。領主たちの奥の椅子で同様に話を聞いていた大臣たちが、どういうことだ?というようにざわざわとし始める。

 じっとアビエルの言葉の意味を考えていた、ニコラスが声を上げた。

「陛下、それは、我々にそれぞれの領地で国王になれ、ということですか?」

 その発言にさらにざわつきが激しくなる。

「国王になって欲しいわけではないのだが、国主になって欲しいという意味では同意だ。今の領地を国にして欲しいのだ。そしてこの帝国全体を小さな国の集合体にしたい。その中では私自身もこの帝都周辺の領土の国主となって皆と同じ立場になるということだ。7つの国でそれぞれの自治を行い、かつ7つ全てをまとめた国の集合体として足並みをそろえた国家を作りたいのだ。共和国家を」

 アビエルの最後の一言に皆が静まりかえる。前年に譲位を受けクレイン領の領主となったばかりのゴドリックがごくりと唾を飲み込んで言葉を発した。

「陛下、それは‥‥それは、この国が帝国ではなくなる、ということですか」

 アビエルが、ゆっくりと立ち上がってテーブルに手をつく。

「ゴドリック、その通りだ。私はこの国を共和国に変えたいのだ。皆とともに作るに国にしたい」

 会議室は先ほどのざわめきが嘘のように静まり返っていた。

「この大きな国をたった一人の皇帝と一部の貴族が中央で統べているというのは、あまりにいびつだとずっと考えてきた。辺境領への訪問や幹線道路を通すための調査を通して、各地を見ることでその思いはさらに強くなった。皆も自分の領地の決めごとを、それらを見ることのできない中央にゆだねることに口惜しく感じたことがあるのではないか」

 アビエルの張りのある声が、静かな会議室に染み入るように響く。

「この国はすでに完成している。このままの治世を続けていけばいつかは衰退がはじまる。私はこの国を、ここに暮らす人たちをこの先もずっと平穏な生活が送れるようにしたいのだ。その為に皆にこの提案についての賛否を伺いたい。もちろん、今でなくていい。次の会議は2か月後だ。それまでにそれぞれの意見をまとめておいて欲しい。レオニー、書類を皆に配ってくれ」

 レオノーラは、文官たちに手元の書類を渡し、各人の前に配ってもらった。

「今、お配りしている書類には、陛下がお考えになる各国で足並みを揃えたいと考える事柄です。税収、懲罰などを含めた共通規範になります。現在の各領からの徴収税額や帝国の法と大きく変わりません。書いてある内容についてご不明な点は、私がお答えできる範囲で対応いたします。複雑な内容については次回の会議でまとめて回答します。ご領地にお戻りになってゆっくりご覧いただければと思い一覧にいたしました」

 皆が配られた書類を食い入るように見入っている。それを見てアビエルがレオノーラと目を合わせた。そしてそれを合図とするように、会議の終了を宣言した。

「この話はできるだけ外へは流さず、次の会議まで胸に持っていて欲しい。とはいえ、人の口には戸は立てられないだろうが‥‥まぁ、皆を信用しているよ。急な話でさぞ混乱もしているだろうから、今日はここまでだ。いつものように、急を要する案件はいつでも連絡をしてくれ、次の会議を待たなくてもいい。では、解散しよう」

 アビエルが席を立ち、部屋を出る。レオノーラも机の上の書類をまとめ、後に続こうと腰を上げた時、目の前に大きな体が立ちふさがった。ペイトン将軍が怒気をはらんだ目でレオノーラを見下ろしていた。

「これはおまえの差し金か」

 低く脅すような声で、今にも首元を掴んで持ち上げられそうな空気が漂う。レオノーラは将軍の目を見据えて、その空気に飲まれてひるまぬよう背筋を伸ばす。

「ペイトン将軍様、おっしゃっておられることの意味が私にはよくわかりません。私ごときが陛下に何を進言できるというのでしょうか」

 反論されたことでペイトンはさらに怒りを募らせたようだ。

「黙って陛下をお支えしているだけならば、と放っておいたのが良くなかったようだ。このようなことになるとは。この下賤げせんな汚い魔女が!」

 こぶしが震えているのが見えたが、さすがにここでは振り上げられないとわかっているようだ。

「ペイトン、この件での異論は私が受ける。彼女の提案ではない。これは私の考えだ。間違えるな」

 いつの間にかアビエルが戻ってきて、レオノーラの前に立ってペイトンと対峙した。

「陛下、このようなことは承服いたしかねます。きっと後悔なさいますぞ」

 ペイトンはそう言うと足早に去って行った。目の前のアビエルの背中から怒りが漏れ出ている。

「陛下、私は執務に戻ろうと思いますが、よろしいでしょうか」

 その声に我に返ったように振り向いてレオノーラの顔を探るように見る。

「あぁ、そうだな。私も執務室に戻るよ」

 前を歩くアビエルに従うように執務室に向かう。背後の会議室のざわめきが遠くなり、執務室の重い扉を開けて閉めるとそれらは聞こえなくなった。

 アビエルが大きなため息をついてソファに座る。

「なんだか、どっと疲れたわね。朝からずっと緊張していたから。でも、領主の皆さんの反応はそれほど悪くないのではないかしら」

 ソファに沈むように座っているアビエルの気持ちを軽くしようと努めて明るい声を出す。お茶を入れて目の前においてもアビエルはまだ俯いて目を閉じている。

「少しソファで横になられたら如何ですか?」

 そっと肩に手を置いて、労わるように声をかけると、アビエルが顔を上げてじっとレオノーラを見つめる。

「レオニー‥‥辺境領のルグレンの所へしばらく行くのはどうだ?」

 急な提案に言葉を無くす。旅行?視察?なんだろう。

「とりあえず、混乱が収まるまで、半年か、1年か‥‥」

 レオノーラは目を細めて、その意図に気づく。

「アビエル、私を追いやろうとしているの?」

 硬い口調で返す。アビエルの真剣な表情を苛立ちを込めた眼差しで見つめ返す。

「ここまで一緒に来たのに、今になって私を追いやって、それは私を守ろうというつもりなの?」

 アビエルはしばらく固い表情のレオノーラと見つめ合ったあと、目をそらして眉間に皺を寄せた。

「いや‥‥すまない、そうだな。くだらないことを言った。だが、私は‥‥」

 額に手をおき擦ると、目を閉じて苦し気に眉間の皺を深くする。

「おまえがこうやって非難に晒されるたびに苦しくて、どうしようもなくなる」

 レオノーラはアビエルの言葉を聞いて、しばらく沈黙した後、静かに声をかけた。

「私を守ろうとしてくれているのは分かるわ。でも、今さら離れても、何も解決しないわ」

 アビエルは再びレオノーラを見つめ、その眼差しの強い決意を感じ取って、困った顔をする。

「わかっている。わかってるんだ。おまえは強い。十分に戦える。弱いのは私だ」

 うなだれたまま、手のひらを膝の上で開き、じっと見つめている。

「非難され、恫喝され、攻撃されるべきは私なのに、どうしておまえがそれを受けるのか。そうさせているのは自分だと思うと、私はおまえを愛する資格も、おまえから愛される資格もないと感じる」

 膝の上のアビエルの手が震えている。

「しかも、こんな弱い自分をおまえに見せて、縋って、甘えて、傍におこうとする。卑怯で卑屈で小さい人間だ」

 レオノーラはうなだれているアビエルの前に膝をついてその体を抱きしめた。そして、まるで子どもをあやすように背中を撫でながら、耳元で静かに語り掛ける。

「私を非難し、恫喝し、攻撃したのはペイトン将軍で、あなたじゃないでしょう?私はあなたに愛されて幸せだし、私があなたを愛するのに誰かの許可はいらないわ。もちろんあなたにも許可なんて取らないわ」

 抱きしめたアビエルのこめかみに唇を押しつけて、優しく言葉を続ける。

「あなたが私に泣き言を言わなくても、私はあなたの傍から離れないし、どこへも行く気はないの。それに‥‥歴代一有能で隙が無いと言われている皇帝を宥められるなんて、ちょっといい気分だし」

 アビエルがレオノーラの腰に手を巻き付けて体を引き寄せる。

「私が‥‥私が、こんな立場でなくて、おまえと一緒に居られたら、どれほど憂いなく日々を過ごせただろうな。今頃、どんな毎日を過ごしていただろうか。考えてもしょうがないが、思わずにはいられないんだ」

「アビエル…アビエル…」

 レオノーラは小さく何度も名前を呟くと、彼の美しい髪をいて、いい子いい子をするように頭をなでた。

「ねぇ、あなたが皇太子でなかったら、私はあなたと出会わなかったし、こんな幸せを知ることもなかったの。学びを得ることも、海の向こうへ行くことも無かったでしょうね。あなたがどれほど苦しい思いをして今の立場に立っているか、私にはわかってる。でも、私はあなたがここにいて、一緒に生きていてくれることが嬉しいの。愛してるわ、アビエル」

 アビエルは、さらに強くレオノーラを抱きしめてその肩に額をおいた。レオノーラには彼が静かに泣いているのがわかった。しばらく抱き合って互いの存在に慰められながら気持ちを落ちつけていく。

「やっぱりレオニーは魔女だな」

 アビエルがレオノーラのシャツに額を押し付けたまま、ふっと笑って言う。

「傾国の?」

「いや、救いの」

「だから、そういうのは女神じゃないの?」

 以前にも同じやりとりをしたことを思い出して笑ってしまう。

「可愛い、可愛い、私の魔女だ。私に魔法をかけて、こんな私を幸せ者だと思わせてくれる。生きる力をくれる」

 そう言って顔を上げると、レオノーラに深い口づけをする。唇を離すと、柔らかい笑みを浮かべてレオノーラを愛おしそうに見つめる。

「ずっと、この魔法を解かないでくれ」

 レオノーラは、軽く唇を寄せたままクスクスと笑う。

「魔女のレオニーさんは、魔法のかけ方は知ってるけど、解き方は知らないの」

 執務室の向こうから、謁見の申し出が来ていることを告げる侍従の声がした。抱きしめ合っていた手をほどき、最後に軽く口づけしたあと、アビエルが普段どおりの表情を作るのを見て、レオノーラは、自分の執務室へと戻った。
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