85 / 161
Ⅲ
4:神を信じる人々
しおりを挟む
グレゴールが悲惨な死を遂げた事件を受けて、『神聖皇派』は危険分子として、多くが捕らえられ公開処分された。アビエルは、この毒虫たちを徹底的に駆除したいと常々考えていた。しかし、長く仕える高位貴族の中には皇室信望者が多い。上澄みだけを排除しても、根源を絶たないといくらでも湧いてくる。何か決定的に根源を叩く理由が欲しかった。
できればレオノーラを側近として自分の近くに置きたい。しかし、グレゴールの件を考えると、皇宮内に巣食うこれらの脅威を排除しない限り、何が起こるかわからず、踏み切れなかった。アビエルが一向に皇太子妃を決めないことも、皇室信望者たちが不穏な動きを見せる理由の一つだった。
夜会の度に、大臣たちは自分の縁続きの娘を次々と紹介してきた。アビエルがレオノーラを気に入っているということを受け、娘たちの体をコルセットで細く絞り、髪を黒く染めるなど、様々な画策をする。アビエルはどの娘にも等しくダンスを求め、にこやかに対応し、その容姿を賛辞したが、その後に自らアプローチすることはなかった。
業を煮やしたアーノルド宰相が、不敬を承知で諫言をお許しください、と言い出した。
「殿下、結婚は形だけでも良いのです。殿下の御子であれば、妃となった者が養育すれば、それは皇太子となります。このままでは、臣下も国民も、殿下が今進めておられる帝国の発展を次に誰が引き継ぐのかと不安に感じます。どうか、妃を迎えることを真剣にお考えください 」
アビエルは執務机の書類に目を通しながら、顔を上げることなく答えた。
「そうだな、実に不敬だし、不愉快だな。何度も言っているだろう。今は国政に集中したいのだ。それに私は妃を迎えることに興味がない。女性に興味がないと公言しておいてもいいぞ 」
アーノルド宰相は、ぐっと顎を引いて抑えた声で続けた。
「あの者に子を産ませても良いのです。そのことを外には漏らさず処理いたしましょう。妃となる者も、それを決して口外せず、我が子として育てます。殿下の御子が帝国を繋いでいくことに違いはありません 」
アビエルは手を止め、顔を上げずに静かな声でアーノルド宰相に問い返した。
「あの者とは、誰のことだ?」
アーノルド宰相は息を飲み、返答を渋った。
「誰のことを言っているのか、と聞いている 」
アビエルの声が厳しさを増す。アーノルド宰相は止めていた息を吐き、唾を飲み込んでようやく答えた。
「殿下にはお分かりでしょう。レオノーラ=ヘバンテスのことです。あれならば、殿下のお眼鏡にかなうのでしょう?ただ‥‥あれは皇太子妃にはなれません。次の皇太子の母親として公にすることもできません。そこはご理解いただきたい。そのための妃選びなのです」
アビエルは、レオノーラを「あの者」や「あれ」と呼ばれることに激しい怒りを覚えた。彼が言うことすべてに納得できなかった。だが、ここで怒りをあらわにすれば彼女の立場はさらに悪くなるだろう。
「アーノルド宰相。繰り返し言うが、私は女性に興味がないのだ。結婚にも、子どもにもな。今はとにかく国のことに集中したい。後継者についてはいずれ考える。今はその話をしないでくれないか 」
そう言って再び書類に目を落とし、サインを続けた。アーノルド宰相はそれ以上言及できず、「大変、失礼いたしました」と詫びて出て行った。
アーノルド宰相が出て行ってしばらくして、アビエルは自分の手元でペンが折れていることに気づいた。拳に力が入りすぎて折ってしまったのだ。溢れたインクで書類を汚さないように、近くにあった紙で壊れたペンを包み、手を拭った。『次の皇太子・・・・そんなものはこの国にもういらない』さっきの宰相の言葉を思い返しながら、アビエルの心はさらに固まった。
できればレオノーラを側近として自分の近くに置きたい。しかし、グレゴールの件を考えると、皇宮内に巣食うこれらの脅威を排除しない限り、何が起こるかわからず、踏み切れなかった。アビエルが一向に皇太子妃を決めないことも、皇室信望者たちが不穏な動きを見せる理由の一つだった。
夜会の度に、大臣たちは自分の縁続きの娘を次々と紹介してきた。アビエルがレオノーラを気に入っているということを受け、娘たちの体をコルセットで細く絞り、髪を黒く染めるなど、様々な画策をする。アビエルはどの娘にも等しくダンスを求め、にこやかに対応し、その容姿を賛辞したが、その後に自らアプローチすることはなかった。
業を煮やしたアーノルド宰相が、不敬を承知で諫言をお許しください、と言い出した。
「殿下、結婚は形だけでも良いのです。殿下の御子であれば、妃となった者が養育すれば、それは皇太子となります。このままでは、臣下も国民も、殿下が今進めておられる帝国の発展を次に誰が引き継ぐのかと不安に感じます。どうか、妃を迎えることを真剣にお考えください 」
アビエルは執務机の書類に目を通しながら、顔を上げることなく答えた。
「そうだな、実に不敬だし、不愉快だな。何度も言っているだろう。今は国政に集中したいのだ。それに私は妃を迎えることに興味がない。女性に興味がないと公言しておいてもいいぞ 」
アーノルド宰相は、ぐっと顎を引いて抑えた声で続けた。
「あの者に子を産ませても良いのです。そのことを外には漏らさず処理いたしましょう。妃となる者も、それを決して口外せず、我が子として育てます。殿下の御子が帝国を繋いでいくことに違いはありません 」
アビエルは手を止め、顔を上げずに静かな声でアーノルド宰相に問い返した。
「あの者とは、誰のことだ?」
アーノルド宰相は息を飲み、返答を渋った。
「誰のことを言っているのか、と聞いている 」
アビエルの声が厳しさを増す。アーノルド宰相は止めていた息を吐き、唾を飲み込んでようやく答えた。
「殿下にはお分かりでしょう。レオノーラ=ヘバンテスのことです。あれならば、殿下のお眼鏡にかなうのでしょう?ただ‥‥あれは皇太子妃にはなれません。次の皇太子の母親として公にすることもできません。そこはご理解いただきたい。そのための妃選びなのです」
アビエルは、レオノーラを「あの者」や「あれ」と呼ばれることに激しい怒りを覚えた。彼が言うことすべてに納得できなかった。だが、ここで怒りをあらわにすれば彼女の立場はさらに悪くなるだろう。
「アーノルド宰相。繰り返し言うが、私は女性に興味がないのだ。結婚にも、子どもにもな。今はとにかく国のことに集中したい。後継者についてはいずれ考える。今はその話をしないでくれないか 」
そう言って再び書類に目を落とし、サインを続けた。アーノルド宰相はそれ以上言及できず、「大変、失礼いたしました」と詫びて出て行った。
アーノルド宰相が出て行ってしばらくして、アビエルは自分の手元でペンが折れていることに気づいた。拳に力が入りすぎて折ってしまったのだ。溢れたインクで書類を汚さないように、近くにあった紙で壊れたペンを包み、手を拭った。『次の皇太子・・・・そんなものはこの国にもういらない』さっきの宰相の言葉を思い返しながら、アビエルの心はさらに固まった。
10
お気に入りに追加
25
あなたにおすすめの小説
嫌われ女騎士は塩対応だった堅物騎士様と蜜愛中! 愚者の花道
Canaan
恋愛
旧題:愚者の花道
周囲からの風当たりは強いが、逞しく生きている平民あがりの女騎士ヘザー。ある時、とんでもない痴態を高慢エリート男ヒューイに目撃されてしまう。しかも、新しい配属先には自分の上官としてそのヒューイがいた……。
女子力低い残念ヒロインが、超感じ悪い堅物男の調子をだんだん狂わせていくお話。
※シリーズ「愚者たちの物語 その2」※
上司は初恋の幼馴染です~社内での秘め事は控えめに~
けもこ
恋愛
高辻綾香はホテルグループの秘書課で働いている。先輩の退職に伴って、その後の仕事を引き継ぎ、専務秘書となったが、その専務は自分の幼馴染だった。
秘めた思いを抱えながら、オフィスで毎日ドキドキしながら過ごしていると、彼がアメリカ時代に一緒に暮らしていたという女性が現れ、心中は穏やかではない。
グイグイと距離を縮めようとする幼馴染に自分の思いをどうしていいかわからない日々。
初恋こじらせオフィスラブ
エリート警察官の溺愛は甘く切ない
日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。
両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
男装騎士はエリート騎士団長から離れられません!
Canaan
恋愛
女性騎士で伯爵令嬢のテレサは配置換えで騎士団長となった陰険エリート魔術師・エリオットに反発心を抱いていた。剣で戦わない団長なんてありえない! そんなテレサだったが、ある日、魔法薬の事故でエリオットから一定以上の距離をとろうとすると、淫らな気分に襲われる体質になってしまい!? 目の前で発情する彼女を見たエリオットは仕方なく『治療』をはじめるが、男だと思い込んでいたテレサが女性だと気が付き……。インテリ騎士の硬い指先が、火照った肌を滑る。誰にも触れられたことのない場所を優しくほぐされると、身体はとろとろに蕩けてしまって――。二十四時間離れられない二人の恋の行く末は?
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる