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2:亡命前夜1

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 学院から帝都に戻って、レオノーラはフロレンティア付きの皇宮騎士になった。

「レオ様といつも一緒にいられるなんて、こんな心強いことはないですわ 」

 これから自分の身に起こることを考えて、神経質になってしまいがちなフロレンティアにとって、いつもレオノーラがそばにいることは、何よりの支えだった。

 レオノーラは、彼女の護衛につくようになって、フロレンティアがいつも明るく無邪気なわけではないことを知った。特に父であるグレゴール宰相の前では、じっと押し黙ったまま身を固くしているようだった。

 夜会に出る際も、交流会で見せたような楽しげな様子は一切なく、うっすらと笑みを浮かべたまま、誰かから話しかけられるのを待っているのだった。こんな生活をいられるとしたら、それはたまらない気持ちにもなるだろう、とあの日の朝の彼女の心中しんちゅうを思いやる。

 玉座近くで笑みを浮かべて座っているフロレンティアのかたわらに立ち、前を向いたまま、声をかけた。

「フロレンティア様、あそこのテラス近くに立っているご夫人を見てください 」

 そう声をかけられてフロレンティアが驚いたように顔を振り向けた。従者が夜会中に皇太子妃に勝手に話しかけるなどマナー違反だ。

「フロレンティア様、そのままお顔を前に向けて私の声だけを聞いていてください 」

 フロレンティアは慌てて前を向き直った。

「あの貴婦人は、斜め奥の男性と仲良くしたいのです。ほら、ジリジリと近寄っているでしょう?あともう少ししたら気を失うので、見ていてください。3、2、1……ほらね 」

 レオノーラが予測したように、貴婦人は、ヨロっと眩暈めまいを起こしたようにして男性の背中に向かって倒れかかった。背後から女性にしなだれかかられた男性は、驚いて女性を抱き起こす。女性は扇子で口元を隠しながら、何やら言っている。おそらく「暑くて気分が……」とかなんとか。男性が支えながら椅子のある方へ彼女を連れて行く。貴婦人のたくらみは成功したかに見えたが、男性は、女性を椅子に座らせた後、会場にいた給仕に何やら声をかけ、さっさとどこかへ行ってしまった。

「あぁ、残念。失敗でしたね。あ、もう椅子から立って次を探しに行くようですね。ご気分はもう大丈夫みたいですよ 」

 レオノーラの解説に、フロレンティアが扇子で口元を隠しながら笑いをこらえている。

「貴婦人の狩りにも、鍛錬が必要なのですね。実に勉強になります 」

 たまらずフロレンティアが顔全体を扇子で覆って、笑い始めた。

 レオノーラの反対側に立っていた侍女が慌てて「お嬢様、どうされましたか?ご気分でもお悪いのですか?」と声をかけた。プルプルと笑いをこらえて肩を振るわせるフロレンティアを見て慌てている侍女に、

「会場が蒸しているので、お嬢様はお疲れになられたのではないでしょうか? 殿下がお許しくださるならば、控えの間にお戻りになられた方が良いかと思いますが 」

 レオノーラがそう声をかけた。侍女は慌ててホールの奥の方で誰かと歓談しているアビエルの方へ向かって行った。

「レオ様、本当にお人が悪いわ。もう、プフッ、狩りだなんて、本当に‥‥」

 フロレンティアは扇子を顔からはずせなくなってしまった。レオノーラは前を向いたまま、表情を変えずに、侍女がなんとかアビエルに話しかけようと、背後で来賓との会話の切れ目を探している様子を見ていた。

「うーん、ドロシーさんはどうしてアビエル様の背後から声をかけようとしているのでしょうかね。お客様の後ろに立って会話の切れ目をお待ちになれば、自然と目に入りますのに。令嬢の控えめな姿勢は時として、非合理的ですね 」

 侍女のドロシーがなんとかアビエルに声をかけようと、彼の背後でピョコピョコとしている姿が目に入り、その滑稽さに、また、フロレンティアが肩を震わせ始めた。

 来客がアビエルの背後に怪訝けげんな視線を向けたので、ようやくドロシーはアビエルに声をかけることができた。侍女の言葉を聞いて、アビエルがこちらに視線を向け、来賓に何事か告げて、向かって来る。

 白を基調とした生地に金糸の刺繍と縁取りのある豪奢な儀礼服に身を包み、颯爽と歩くアビエルはまさしく「王子さま」であった。レオノーラと互いに視線が合う。熱のこもった目でこちらを見ながらアビエルが向かってくる。誰のところへ向かっているのかわからなくなるほどじっと見つめるので、たまらなくなり視線を逸らす。

「フロレンティア、具合が悪いのか? もう、控えの間に戻っていいと思うぞ 」

 その声を正面を向いたまま聞く。フロレンティアが扇子越しに、礼を言って席を立ったので、それに従って控えの間に向かう。目の端に名残惜しげなアビエルの視線がチラリと映った。

 これ以降も夜会の付き添いの際は、フロレンティアが楽しめるように、会場の人間観察を面白おかしく話し続けた。フロレンティアはこれがいたくお気に召したようで、侍女が控えの間から出て行った際には、

「もう、レオ様、おもしろすぎますわ。私、夜会がこんなに楽しいなんて。今夜の、あの、ブッ、伯爵様のカツラ……ククク……もうダメ。お腹がよじれそう 」

 とレオノーラの腕にすがりついて笑い転げた。

「喜んでいただけて何よりです 」

 その、ふざけたようなかしこまった返事にさらに笑いが止まらなくなったようだ。

「もう、お人が悪すぎますわね。あぁ、お腹が痛い。顔が熱いです。皇宮に居てこんなに楽しいなんて、本当にレオ様のおかげですわ 」

 扇子で顔をあおぎながら、楽しそうに笑い続けた。レオノーラもフロレンティアを笑顔にすることができて嬉しかった。

「フロレンティア様は、笑っておられる時が一番素敵ですよ 」

 その言葉にフロレンティアは、顔を赤くして照れた様子を見せた。

・・・・・・

 こうした日常の裏で、フロレンティアの亡命の準備がアビエル主導のもと着々と進んでいた。レオノーラは「ヘレナ=ノルヴァント」という偽名を使い、サイモンとの書簡のやりとりやこちら側の手続きを請け負った。

 フロレンティアの帝国内での個人資産は公爵が管理しているため、それを移すことはできない。そこで、アビエルが自身の個人資産の一部を持ち出し、西共和国でフロレンティア名義の資産として登録することにした。その際の代理人としてサイモンが動いてくれた。向こうで生活をする基盤となる不動産の購入も行い、多少の贅沢をしても、生活をしていけるくらいのものは準備ができつつあった。

 また、それらと並行して婚儀の準備も進んでいた。フロレンティアは、執務室で招待客のリストを見ながら、席次について、世話係から説明を受けていた。

「この後、ウェディングドレスの仮縫いの打ち合わせがありますので、お隣の衣装部屋へ参りましょう」

 お茶を持ってきた侍女長がフロレンティアにそう声をかけた。

 帝国の技術のすいを集めた皇太子妃のウェディングドレスは、素晴らしいものだった。身頃の胸元にはルート湖で採れた淡水の真珠が縫い込まれ、大きく広がったドレスの裾には銀糸の刺繍で細かく帝国の薔薇の模様が施されていた。長く続く後ろのドレープには絹のシフォンレースが幾重にも重ねられていた。

「まぁ、本当に素晴らしいですわ 」

 侍女たちやお針子たちが、仮縫いされたドレスをまとったフロレンティアを見てため息をついた。

「来月、宝飾品の細かい細工を確認しに、フロレンティア様はホールセンへ行かれるのでしょう?このドレスに、ベールとティアラ、ネックレスをおつけになったらどれほどにお美しいでしょう 」

 皆がそれを想像して、口々に結婚式が素晴らしいものになるに違いない、と賞賛した。

「世界中から集めた宝石の中から、ご自分の妃が好むものを選んでもらおうなどと、殿下は本当に心からフロレンティア様を大事に思っておられるのですね。お嬢様は、お幸せですわね  」

 侍女長がフロレンティアを喜ばせようと、満面の笑顔でそう告げる。皆が、ほぅ、とため息を漏らす。

 来月、アビエルが懇意こんいにしているホールセンの宝石商のところに様々な石が届く。その中からフロレンティアが気に入った石をティアラの飾りに利用する予定なのだ。

『一生に一度のことなのだから、わが妃が納得のいくものを身に着けてもらいたい 』

 皇太子がそう宣言して、集められるだけの最高級のものを用意するように命じ、さらに、集めた石をすべて帝都に持ってくるのは無理だから、フロレンティアがホールセンに見に行くと良い、ということになった。

「ホールセンに行くのも初めてだから、とても楽しみだわ 」

 フロレンティアはそう控え目にほほ笑んで、レオノーラの方を見遣みやった。レオノーラは安心させるように、にっこりとほほ笑み返した。

 公爵邸までフロレンティアを送り届けた後、皇室の馬車に先に帰ってもらい、郵便を受け取りに行く。路地裏で羽織っていたマントを裏返して着直し、深くフードをかぶり直す。

「ヘレナ・ノルヴァント宛の郵便は届いてないか?」

 そう局員に尋ね、書類のぎっしり詰まった封筒を受け取る。局員に礼を言って、封筒を服の内ポケットにしっかりと納める。

 送り主は「ノーラン=アシム」。サイモン=アナンだ。タウンハウスの一角にある小さな庶民用のアパートメントの下の階の部屋に向かう。そこは、「ヘレナ」が借りている部屋。

 亡命をするにあたり、フロレンティアがバスケス家の娘であるという証明やいくつの時に婚約が決まり、いつ公示されたか。婚約を破棄した女性がこの国で過去にどのような扱いを受けて来たかがわかる書類などが整理されている。

 向こうでの受け入れは、人道支援団体が中心となって、女性の権利を守る支援運動として扱われる。望まない結婚、性差別、身分差別、帝国内ではいまだに残るこの問題に意義をていし、これに抵抗して出国したフロレンティアを保護する流れとなる。

 サイモンとは、西共和国が帝国から貴人の誘拐や拉致だと反発されないように、どのような書類が必要かを綿密にやりとりしている。送られてきた郵便物の中には、西共和国へ入国後、フロレンティアがどのような扱いになるのかが記されていた。サイモンも頑張って動いてくれている。

『どうか、上手くいきますように』

 祈るように、書類をたたみ、そっと作業机の下の大きなカギ付きの箱の中へしまった。
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