私、不運なんです!?

あかし瑞穂

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4)専属秘書に、なりました

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「聞いたわよ、異動の話。一体どういう事、寿さん!?」
「……私にも判りません。副社長にお聞き下さい」
朝っぱらから目を吊り上げた秘書室の面々に迫られて、私はげんなりしながら答えた。机の上で書類の整理をしている手は止めなかったけど。
「んまっ、一番できそこないの秘書のくせに、生意気なっ!!」
私は一番いきり立っている二年先輩の佐々木ささき真由香まゆかに目を向けた。軽いウェーブのかかった黒髪に、つんとした表情。いつ見てもペルシャ猫を思い出すような美人だ。確か、あの加藤さんと同期で……なにかときそい合ってた仲、だと聞いている。
「突然言われたので本当に、私はなにも知らないんです。……ですから、詳しくは副社長に」
――と言った瞬間、佐々木さんの手が動いた。ばしっという音と共に、書類があたりに散る。
「せいぜいこびでも売って、恥をかくがいいわ。どうせ副社長の気まぐれでしょうから……『社内一不運な女』が、どんなものだか試したいんだわ、きっと。『社内一強運の男』って有名な副社長の事だから」
「……」
『強運の男』って通り名も、イタイわよねえ……私は心の中で溜息をつき、床に落ちた書類を拾い始めた。
「まあまあ、佐々木さん。どうせ、この子の事だから、なにかやらかして即お役御免やくごめんになるわよ」
……はい、それをせつに願ってますが。
「そうよ……副社長の専属秘書に一番ふさわしいのは、主任である佐々木さんですもの」
秘書室所属の一般秘書が、各部署の部長や専属秘書の手伝いを持ち回りでおこなっているのに対し、専属秘書は特定の役員直属の秘書だ。役員側から能力を見込まれて引き立てられる事が多く、秘書の中でもエリート扱いされている。だから、みそっかすの私が取り立てられた……となったら、皆様のプライドは傷付くわよねえ……
「えっと……あと一枚……」
入り口付近まで飛ばされた書類を拾っていた私の視界に、ぴかぴかに磨かれた黒の革靴が入ってきた。
「なに、床にいつくばってるんだ? 寿」
頭の上から落ちてきたあきれたような声に、私は顔を上げた。
「は、い?」
じっとこちらを見下ろす……するどい視線。慌てて立ち上がろうとして、右のヒールがずるりとすべった。
「きゃ……!」
尻餅しりもちをつきそうになった私の腰に、がしっと力強い腕が回された。そのままぐいっと身体を引き寄せられて……副社長の広い胸に、もたれかかる格好になる!?
「相変わらずだな、お前は。もっと足元を確認しろ」
「ははははは、はいっ!」
はーなーしーてーっ!! 胸に片手を当てて、距離を取ろうとしても……何故なぜか放してくれない。スーツ越しに温もりを感じ、いたたまれない気持ちになる。秘書の皆さまから、殺気さっきがめらめらと立ち上っているのを感じ、背筋がぞぞっと寒くなった。
「……失礼ですが、副社長。寿さんが副社長の専属秘書になるというお話は……本当でしょうか?」
一歩前に出て、にっこりと微笑む佐々木さんに副社長が向き直る。ようやく解放された私は、一、二歩後ろに下がって距離を置いた。
「ああ。さっそく今日から副社長室に来てもらう。秘書室の君達には、迷惑をかける事になるが、こちらも急ぎでね」
ひくり、と佐々木さんの口元が引きった。だから言ったじゃない、私の意思じゃないって。こほん、とせき払いをした佐々木さんが、改めて副社長を問いただす。
「その……本当に、寿さんで間違いございませんの? 少々言いづらいのですが……彼女の能力では、専属秘書など……」
佐々木さんはわざとらしく、私にあわれむような視線を送ってくる。ちょっとそれ、うっとうしいんですが。私はふう、と溜息をつき、自分の席に戻ろうとした。
――がし。
「へ?」
なんですか、この左腕をがっちりつかんでいる手は!? 思わず振り払おうとした瞬間、ぐいっと引っ張られた。
「あ、あの!?」
どうして、副社長の右隣にいるんですか、私!? しかもホールドされた左手が痛いんですけど!? 体格差あるんですから、力加減して下さいよっ!
「……寿、という名の秘書が他にいるのか?」
副社長の冷たく低い声が秘書室に響いた。佐々木さんは一瞬言葉に詰まったが、持ち直して答える。
「いいえ、寿さんは一人しか……」
「なら、こいつだ。間違いないから、さっさと準備させるように。ああ、それから」
口元だけ微笑んだ副社長のオーラが……黒かった。
「こいつはもう、俺の管理下にある。余計な手出しはするな」
ぴき、と秘書室全体に、ひびが入った音がした。
「て、手出しだなんて、そんな……ほほほ」
青い顔で誤魔化ごまかす佐々木さんをじろりとにらんだ副社長が、そのまま私をにらみつける。
「さっさと支度したくしろ。三十分後に副社長室に来い。鹿波かなみに連絡してある」
「……はい、判りました」
しぶしぶ返事をすると、さらに副社長のオーラが黒さを増した。
「……逃げたら承知しないからな。判ったか?」
あまりの気迫に圧倒され、思わずこくこくと首を縦に振ってしまった私だった。

***

恐る恐る訪れた副社長室隣の専属秘書室では、にこにこと感じのよい五十代後半ぐらいの女性が私を出迎えてくれた。ゆるいパーマに丸眼鏡をかけた姿は、まるでアメリカのカントリードラマに出てくる、ふくよかで人のいいおばさんみたいだった。
「あら、あなたが寿さんね。私、副社長専属秘書の鹿波雅子まさこです。……まあまあ、噂通り可愛らしいお嬢さんだこと!」
「こ、寿幸子です。よろしくお願いします」
う、噂ってなんですか!? しかも可愛らしいって!? ……聞き慣れないセリフに、頬が熱くなるのを感じる。私と同じくらい小柄な鹿波さんは、ふふふと優しく笑った。
「副社長、とても心配していらしたのよ? ほら、突然の引き抜きでここへ配属になったでしょう? 秘書室でなにか言われたりしてないかって」
「……え」
私は鹿波さんをまじまじと見てしまった。嘘を言っているような感じではない。いや、でも。
(あの副社長が……私の事を心配?)
大体さっきだって、私を思い切りにらんでなかったっけ!? あれが心配してる人の態度なのだろうか。いや、とてもそうは思えない。
(きっと鹿波さん、拡大解釈してるのよね……)
確か社長の古くからの知り合いで、副社長や専務を子供の頃から知ってるって聞いた事がある。鹿波さんにとっては、あんな副社長でも子供みたいに可愛く見えてるんだろう、きっと。
紺色のスーツ姿の彼女の背筋はぴしっと伸びている。親しみやすくおっとりしたタイプに見えるけれど、鹿波さんは気難しい副社長のフォローを一手に引き受けている、凄腕の秘書だ。
鹿波さんは、にこにこと話を続ける。
「私も、もうじき定年でしょう? だからそろそろ仕事を引きがないといけないの。でも……」
はあ、と重い溜息が鹿波さんの口かられた。
「なかなか適材がいなくて。副社長は仕事に厳しいし……自分に色目を使う秘書なんていらんっておっしゃるし。その条件を満たす秘書って、あなたしかいなかったのよ、寿さん」
私は目を丸くした。条件を満たす……って。
「で、でも……その、鹿波さんもご存知の通り、私はよく皆さんにご迷惑をかけてて……」
「あら、寿さんがたずさわった案件って、皆成功してるのよ? それに、あなたは勤務態度も真面目まじめで誠実だわ。おまけに……」
くすくす笑う鹿波さんは、とても可愛らしい。
「あの副社長になびかない秘書、ですものね。とても貴重な人材だわ、あなたは」
「は、あ……」
なびくもなびかないも……。いつもいつも、なにかとにらみつけられてるこの状況では、なびきようがないというか。うーんと考え込んだ私を見て、あらあら、と鹿波さんがつぶやく。
「意外と不器用なのね」
「意外もなにも、私の不器用さは有名で……」
きょとんと鹿波さんを見る私に、彼女はぷっと噴き出した。
「まあ、いいわ。私が口出しする事でもないしね……では」
鹿波さんの表情が、きりりとした敏腕秘書のものに変わる。
「今から業務内容を説明するわね。荷物はこの机に置いて、こちらに来て頂戴ちょうだい
「はい!」
私は指示された通りに荷物を置き、メモとペンを取り出して、鹿波さんのそばに行った。

***

「まず、この副社長の秘書室の説明をするわね」
通常、役員の専用部屋は一つで、秘書と同室になるけど……社長と副社長だけは、秘書専用の部屋があるんだよね。鹿波さんは入り口の右側に二つ並ぶ机を指差した。机の上には、書類を置くB4サイズの赤い箱と黒いノートパソコンが置かれていた。入り口に近い方が、私の席らしい。
「こちらが、私達専属秘書の席ね。机の隣にある棚に、各部署から依頼がきた書類を入れてもらうの」
机の奥には、コートも掛けられるロッカーが二つ。よくある灰色じゃなくて、木目っぽい模様になってる。そういえば、この部屋自体も濃いめの色合いの木目調だよね。高級感溢れてる……
窓際には白いテーブルとモスグリーンの二人掛けのソファが置かれ「こちらで、副社長の仕事が終わるのを待っていただく事もあるのよ」と鹿波さんが説明してくれた。
入り口の左側には小さなカウンターがあって、その上のコーヒーメーカーがこぽこぽいっている。その後ろの壁には、これまた木目調の食器棚とミニキッチン。
「お客様がいらして飲み物を出す時は、カウンターの後ろの食器棚のものを使ってね。副社長はコーヒー派だから、コーヒーは切らさないように。お客様によっては、紅茶や日本茶を望まれる方もいるから、各種茶葉も食器棚に入ってるわ」
「はい」
……で。秘書机の正面、キッチンコーナー横の壁の中央に、重厚な造りの扉がある。ここが副社長室への扉だよね。
「今、副社長は外出されているけれど、室内を見てもいいと許可頂いてるから」
かちゃり、と鹿波さんが金色のドアノブを回した。重そうな扉が、ゆっくりと開く。鹿波さんに続いて、私は初めて副社長室に足を踏み入れた。
「うわ……」
思わず声がれた。濃い茶色で重厚感のある部屋。ドアの正面奥にでんと鎮座ちんざしているのが、副社長の机だよね。つややかでどっしりした印象の机に、黒の革張りの椅子。机の上は綺麗に整頓されていて、多分処理中と思われる書類も、いくつかに分類されて縦置きの箱に入っていた。
鹿波さんが悪戯いたずらっぽく言う。
「副社長はご自身で整理整頓される方だから、私が机を片づけるという事はほとんどないわ。……社長はお仕事中、書類の山が次々できて、よく雪崩なだれを起こしていたけれどね」
そうか、鹿波さんは、元々社長秘書だっけ。副社長が専務から昇進した時に、副社長付きになったんだった。
机の後ろの壁に、備え付けっぽいクローゼットとガラス戸付きの本棚。本棚には、ファイルがぎっしりと並んでいた。部屋の中央の応接セットも、黒の革張りソファで高級そうだなあ……さすが副社長室。入り口の右手にある窓からは、高層ビル群が見える。グリーン地に茶色の模様のカーテンも、高級感がただよう。窓際に置かれた、みきがくねくねと編まれたパキラの葉は、濃い緑色で元気そうだった。
「観葉植物の水やりも、忘れないでね。朝出社したら、副社長室と秘書室を簡単にお掃除するついでにやっているの」
窓の反対側にある、副社長室から直接廊下に出るドアは普段使われてないんだとか。必ず秘書を通してから面会、って事よね。
(……あ)
ふと思いついて、私は鹿波さんに言ってみた。
「あ、あの鹿波さん。その掃除……私にさせていただけませんか?」
「まあ、寿さんが?」
鹿波さんが目を丸くする。私は「ええ」とうなずいた。
「まだまだ業務を私一人でこなすのは難しいと思いますが、お掃除ならできますから! 秘書室でも掃除係でしたし!」
鹿波さんは私の目をじっと見た後、くすりと笑った。
「そう。それだったら、お願いしようかしら。じゃあ、掃除道具の場所を説明するわ」
「はい!」
(よし! 頑張ろう!)
私と鹿波さんは、ふたたび副社長専属秘書室へと戻っていった。

***

鹿波さんによる懇切丁寧な業務説明が一通り終わった後、まだ残っていた業務をこなすために私は秘書室へと逆戻り。針のムシロの上で作業して、やっと帰れる~と一階玄関ロビーに降りたら……
「あれ?」
帰宅する女子社員がちらちら見てる、背の高い、綿のジャケットにジーンズ姿の男性は――
「幸人?」
呼びかけると、ガラスの自動ドア近くに立っていた幸人が私の方を向いた。てててっと駆け寄る私を、幸人はじっと見ている。弟は……姉の私が言うのもなんだけど、かっこ良かった。足長いよね~こうやって見ると。
「どうしたの?」
「ああ……姉貴が上手くやってるか、ちょっと気になって」
……あ。私が愚痴ぐちこぼしたから、気にしてくれてたんだ。私はにっこりと笑って言った。
「ありがと、幸人。うん、大丈夫……なんとかなりそうだよ」
鹿波さんは親切だったし。副社長は……相変わらず鉄仮面で、じろりとにらまれたけど。でも、どやされる事なく今日は終わったし。
「今日、実家に戻ってこいよ。姉貴の好物、こしらえてやるから」
「え、本当!」
幸人は、お料理が抜群に上手なのだ。絶対に、いいお婿むこさんになると思う。うわー、なににしよう……と思ってたら、背筋がぶわっと寒くなった。

「……寿?」
私の背後に視線をやった幸人の表情が、さっと硬くなる。恐る恐る振り向くと……トレンチコートを着て、黒いビジネスバッグを持った長身の鉄仮面が、そこにいた。
(うわわわっ!)
眼光するどいっ! な、なんか……機嫌悪そう? 副社長の背後から立ち上るダークオーラに、思わずぶるっと身体が震えた。
「ふ、副社長……お疲れ様です」
どもりながらもお辞儀じぎをした私をじろり、とにらんだ副社長の視線は……そのまま隣の幸人に移った。幸人も目付きがするどくて……なんかいつもと違う……?
(ななな、なんでこの二人、にらみあってるのーっ!)
……コワイ。長身の美形同士がにらみあってるのって、とっても怖いっ! ブリザードが吹き荒れるこの状況を打破しようと、私は慌てて言葉をいだ。
「あ、あの……私の弟です。幸人、こちらは鳳副社長。私の上司よ」
幸人が息を呑み、副社長は一瞬、目を見開いた。
「弟……?」
「鳳……副社長?」
幸人はほんの少しを置いた後、抑揚よくようのない口調で言った。
「義理の弟の寿幸人です。姉がいつもお世話になっております」
深々とお辞儀じぎした幸人を見る副社長の顔は……なんだか引きっているような気がした。私が童顔だから、姉弟に見えないんだ、きっと。
「鳳貴史だ。こちらこそお姉さんには、いつも世話になっている」
会釈えしゃくした後、副社長が私を見下ろして言った。
「明日から、頼んだぞ。鹿波の手助けをしてやって欲しい」
「はい、判りました。では、お先に失礼致します」
ぺこりともう一度頭を下げ、幸人と一緒に自動ドアをくぐった。背中に、焼けつくような視線を感じながら……
(怖くて、振り返れない……)
きっと、あれだ。振り返ったら、石になるんだ。幸人の左腕をぎゅっとつかんだまま、私は足早にその場を離れた。

「さっきの男が……姉貴が言ってた……」
幸人がぼそっとつぶやく。私は幸人を見上げ、「うん……」とうなずいた。
「仕事ができて、すごい人なんだけど……なんか、苦手なのよね。ずっとにらんでくるし……」
それにしても副社長は、なんであそこにいたんだろう。車通勤しているそうだから、副社長室から地下の駐車場に直行した方が早いのに。ぶつぶつと文句を言っていた私は、幸人の様子がおかしい事に気が付いた。
「……幸人? どうしたの?」
正面を向いたままの幸人は、けわしい表情で、どこか遠い目をしていた。
「あいつ……」
「幸人ってば!」
はっとしたように、幸人が私の方を見た。もう幸人の雰囲気はいつも通りに戻っていて、私はほっと溜息をついた。
「……幸人も疲れてるんじゃないの? 新作作りで無理してない?」
幸人がふっと微笑み、ぐしゃぐしゃと私の頭をかき回した。「もう!」と抗議すると、幸人はからからと笑って言う。
「俺は大丈夫……ほら、行くぞ」
「う、うん」
急に大股歩きになった幸人にあわせて、小走りで後を追いかけた私は……その時、副社長の視線がずっと私達を追いかけていた事に、気が付かなかった。
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