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2章 強さを求めて1 3人の日々
062 ※閑話 変わる街並み (改)
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「ニーナ。ティムル。明日、改めて3人でマグエルを散策してみない?」
突然のダンの提案に首を傾げてしまう。
私はマグエルにずっと住んでいたし、ダンとニーナちゃんもマグエルでの生活にすっかり馴染んでいる。今さらマグエルを歩いて回っても仕方ないんじゃないかしら?
……それに私、あまりこの街に良い思い出がないのよねぇ。
「俺の我が侭だと思って、明日1日付き合ってくれたら嬉しいよ。今までもニーナと2人で、新しく訪れる街をゆっくり見て回ってきたんだ」
ま、ひと言で言えばデートだね。
そう言って私に片目を瞑ってみせるダン。
「せっかくティムルとも一緒になったんだし、まずはデートから始めてみない? 今まで俺とニーナでしたこと、ちゃんとティムルともしていきたくてさ」
デート。ダンと、デート……?
大好きなダンと、愛するダンと一緒に、マグエルの街を歩き回る……?
頭の中で反芻し、その意味が飲み込めるとなんだか緊張してきちゃう。
デートなんてしたことない。どんな顔をして、どんな話をして、どんな場所に行けばいいのかしら?
急にそんな事言われても困ってしまうわよ、ダンっ。
「ティムル。余計なこと考えなくていいの。一緒に同じ時間を過ごすだけで、とっても楽しいんだよ」
「ニーナちゃん?」
「貴女もすぐに私のことを羨ましいなんて思わなくなるよ。ダンは私にしてくれたこと、ティムルにもちゃあんと全部してくれるからね」
ニーナちゃんが私の手を握りながら諭すように語り掛けてくる。その表情は優しげで、まるで娘を見守る母親を思わせる。
って、逆ぅ! 32にもなって、16のニーナちゃんに励まされてどうするのよっ。
「やったことないことが分からないなんて当たり前なの。でも構えなくてだいじょぶ。私達がティムルと一緒に過ごしたいだけだから。これから色んな場所で、色んな事をしようよ。ずっと一緒に3人で、ね?」
二、ニーナちゃん、本当に16歳……? 母性とか包容力とか、女性としての器が違いすぎない……?
「ダンの特別に……、誰かの特別になれた女って、多分無敵なの。ティムルにもすぐ分かるよ。ティムルももうダンの特別な女性なんだからね」
私がダンの特別な女性。そうはっきりとニーナちゃんが言葉にする。その言葉を聞いて、私の顔が熱くなっていくのが分かった。
ああもう! そんなにはっきり言葉にされたら、どうしても意識しちゃうじゃないのっ。
嬉しい。胸の奥から熱が広がるみたい。だけど嬉しいけど恥ずかしい。恥ずかしくて堪らない。
もうっ、とてもダンの顔が見れそうにないじゃない。明日のデートだって、まだ心の準備が出来てないのに。……ってそうそうデートよっ。デートなのよっ!
デートって、恋人同士がするアレよね? 私ってダンの恋人でいいの?
でもダンの方から誘ってきたんだし、私も恋人だと思っていいのかしら……、ってなにを夢見てるのティムル。32にもなってデートなんかで小娘みたいにはしゃいでどうするのよっ。
ああもうほんっと落ち着きなさいよ私っ! まったく、明日は何処に行こうかしらねっ。
「俺の女が俺の女に俺の事を惚気るのを、2人の間に挟まれて聞かされる俺の身にもなって? ってティムル、全然聞いてないね?」
ああっ! 私って奴隷になったばかりでおめかしも出来ないじゃないっ! ジジイの趣味で着飾らされても楽しくもなんとも無かったのに、なんで今更になって服のことなんか気になっちゃうのよぉっ!
ああもうっ、1着くらい商会からくすねてこられないかしらっ!?
「俺とのデートなんかをそんなに喜んでくれて嬉しいよ。全部始めからやり直そうな。男との触れ合い方も、マグエルでの生活も、全部ね」
え? ダン、今何か言ったかしら? ごめん、ちょっと聞いてなかったの。もう1度言ってくれない?
大したことじゃないから気にするな? ってそんなこと言われたら余計気になるじゃない、教えなさいよーっ。
詰め寄る私を両腕で捕まえたダンは、明日のデート楽しみだね、と優しげに囁いてくれたのだった。
翌朝、デートの日。
私が目を覚ますと、もうニーナちゃんとダンが朝のキスをしていた。
ニーナちゃんのキスを見ていると、若さの持つエネルギーみたいなものに圧倒されてしまいそう。
ニーナちゃんがダンに全てを捧げているのは今さらの話だけど、それでも朝のキスはニーナちゃんにとって特別なんでしょうね。
情熱的どころじゃない。必死に、追いすがるように、まるで助けを求めるかのようなキス。普段の甘い雰囲気からは想像も出来ない、焦燥感すら漂うほどの、まるで祈りのようなキス。
満足してダンを解放するころには、もういつものニーナちゃん、いつもの2人の穏やかな雰囲気。
きっとこのキスの事は誰も知らない。私にだけ見せてくれた、2人の秘密。
そしてダンは休む間もなく私にもキスをしてくれる。
ダンは私には、ニーナちゃんとしているような貪るように情熱的な動きはしてこない。私に好意を伝えるのが目的みたいに、包み込むように甘やかすように優しく舌を抱きしめてくれる。
一方的に欲望のはけ口にされ続けてきた私に、情欲を感じさせない、ただ愛情だけに満たされたキスをしてくるの。
これをされるともうダメ。全身が甘く痺れて、思考がトロトロに溶かされちゃう。優しく心を丸裸にされちゃうの。
私の世界はダンから伝わる愛情だけで満たされて、貴方のことしか考えられなくなっちゃうの……。
なんだか今日のキスはいつもより長い。これからデートだから、いつもより甘やかしてくれたのかしら?
いつもよりも長いキスを終えたら、みんなで身支度を整える。
……寝室から1歩出たら、私達は奴隷と主人。恋人でも夫婦でもない。
酷いよダン。貴方のことしか考えられない、ダンで私の心を満たしてから奴隷として振舞わなきゃいけないなんて。こんなの酷すぎるわよ、もうっ。
いつも通り、仕事に向かうリーチェをみんなで見送って、さぁここからいよいよデートの時間。
うう、き、緊張するわねっ……。
「今日は特に目的も無いから適当に歩いて回ろうよ」
隣りで笑うダンの笑顔がまともに見れない。
はぁ……、せめてもう少しおめかししたかったなぁ。
「あ、ティムルの着替えとか全然無いし、まずは買い物でもしよっか。俺たちなら荷物は持ち歩いても邪魔にならないでしょ」
まるで私の心を読み取ったかのダンの言葉に、私の胸がドキンと高鳴る。
んもーっ! どうして貴方っていっつもそうなのよーっ! そんなことされたらいつまで経っても貴方の顔がまともに見られないじゃないのっ!
「お金にもそんなに余裕ないから、そうだなぁ……。ニーナは上下1着、ティムルは上下2着ずつ、下着は必要だと思う数よりちょっと多めに買っておこうか」
普通なら賠償金としてリーチェに支払われてもいいはずの私の財産は、婚姻破棄をされた時点で全て商会に没収されちゃったのよねぇ。
今となっては商会から受け取ったものなんて何も要らないのだけど、そのせいで2人に金銭的な負担を強いているのは申し訳ないわ……。
「ニーナ。ティムルが遠慮しないようにしっかり買わせてあげてね」
「分かりました。しっかり買わせてみせますね。私の分もありがとうございますご主人様」
あーもう! 私の心の中を読むのやめてよーっ! そんなことされたらニーナちゃんみたいに素直にお礼を言うことも出来ないじゃないのーっ!
「それとご提案なのですけど、ご主人様の服も私とティムルで1着選ばせてもらえませんか?」
「ああ、それは助かるよ。こっちの服とか殆ど分かんないしね」
あら? ダンはあまり服に興味は無いのかしら? でもこっちの服って言ったから、元の世界では服装に気を使っていたのかもしれないけど。
「それじゃニーナ、予算内に収まるようにお願いね」
ニーナちゃんにこの場を任せて、ダンはさっさと待合スペースに移動して腰を下ろしちゃった。ダンと一緒に見て回りたかったんだけどなぁ。
少し不満に思いながらダンを見送り、1人店内を物色する。
間違いなく奴隷になったはずなのに、自分の服を自分で選んでいるなんて、なんだか少し不思議な気分ね。
煌びやかな衣装にも憧れるけど……。ここはやっぱり実用性重視よね、奴隷なんだから。
自分の分の衣装を選び終わり、これからダンの衣装を物色しようとしていた私に、ニーナちゃんがこんな提案をしてきた。
「ティムル。勝負です。ご主人様の衣装は別々に選んで、どっちがいいかご主人様に選んでもらいましょう」
悪戯っぽい笑みを浮かべながら、私に宣戦布告をしてくるニーナちゃん。
負けても何もないけれど、買ったらダンに自分の選んだを着てもらえる……。その光景を想像してなんだか顔が火照ってきた。
うん、やってやろうじゃないのっ。負けないわよニーナちゃんっ!
さぁダンにはどんな服が似合うのかしら?
私はどんな服をダンに着て欲しい?
ダンは別にスタイルが良いわけじゃないから、全身のシルエットを協調するような衣装は似合わないわよね? それに戦闘をこなすことも考えないと。動きにくい服を選ぶわけにはいかないわ。
色んな服を手にとってはそれを着ているダンを想像し、いややっぱりこれじゃないと違う服に手を伸ばす。
ああもう、商売も勝負も決断力が大事でしょっ。そろそろ決めなきゃ他のところを回る時間がなくなっちゃうわっ。
でもやっぱりさっきの服のほうが……。あー、もうっ。ぜんっぜん決められないじゃないっ!
「あれ? ティムルさんじゃないですか。来てたんだったら教えてくださいよーっ」
突然の声に、思わず服を選ぶ手が止まってしまった。
私を呼ぶ声に視線を返すと、この店の店長である女性が愛想よく笑っていた。
「それで、本日はどういったご用件ですか?」
彼女の対応は一般客に対するものではなく、大商人の妻に対する丁寧なものだった。
そっか。私がシュパイン商会から捨てられて奴隷になったって話は、まだマグエルではあまり広まってないみたいね。
どう対応すべきかしら……? なんて一瞬でもそんなことを考えた自分が馬鹿らしいわ。
私はもうシュパイン商会会長夫人でもないし、今はダンの奴隷になったんだ。どう見せるべきだとか、これは隠すべきだとか、そんな商売人の思考はもう必要ないのに。
「この度はご挨拶が遅れて申し訳ありませんでした」
「え? ティムルさん、どうしちゃったんですか?」
格上の相手だと思っている私からの謙った態度に、店長の女性は困惑を隠しきれない様子で首を傾げている。
「諸事情により私はシュパイン商会を離れ、今はあちらの男性の奴隷としてお仕えさせて頂いております。これからはシュパイン商会の者ではなく、1人の顧客として扱ってくださいますようお願い申し上げます」
奴隷らしい慎ましい態度を意識しながら、深々と頭を下げて事情を説明する。
私の言葉を聞いた相手は、始めは困惑、次に同情、そして最後に憐れみの表情を浮かべる。
この女、シュパイン商会に捨てられちゃったんだ。
憐れみの宿った彼女の瞳は雄弁にそう語っていた。
私が奴隷と知った彼女は急に仕事を思い出し、業務に戻っていった。
以前の私なら彼女の態度を失礼だと感じ、憤っていたかもしれない。だけど今はなんとも思わなかった。去っていった彼女を見送って、私はダンの服選びを再開する。
シュパイン商会に捨てられたのは事実だから、今さらそんなものを突きつけられても、はいそうですねとしか思えない。
シュパイン商会で過ごしていた長い時間よりも、今3人でいる時間のほうがとっても楽しくて愛おしい。だから憐れむより羨んで欲しいくらいよ。
「んもー、どっちかなんて選べる訳ないでしょ? どっちも買うよ、まったく」
私とニーナちゃんが選んだ服を両方受け取って、渋々2着分の会計を済ませるダン。
「ねぇニーナ。俺がこうするって分かっててやったよね?」
ダンの問いにニコニコと笑顔だけを返すニーナちゃん。会計を済ませたダンは、そんなニーナちゃんと私を一緒に抱きしめてくれた。
私とニーナちゃんの勝負の結果は、勝者が2人になっただけだった。
長くマグエルで商売を営んできた私は、服屋を出た後も至る所で声をかけられてしまう。
その度に、私はこの男性の奴隷です。この男性の所有物です。私はダンの女です。とマグエル中に報告して回る羽目になった。
うん。すっごい楽しい!
私はダンの女ですと何を憚ることなく口にする。口にすればするほど、私はダンの物なんだと嬉しくなっちゃう。
私が奴隷になったと知って踏み込んでこようとする男がいると、すかさずダンが間に入って男の視線を遮ってくれる。
「悪いねお兄さん。ティムルは俺の女なんだ。気安く近付かないでくれるかな?」
ダンも私の事を自分の女だって言ってくれる。
嬉しい。嬉しすぎて幸せすぎるわよーっ。
ダンに買ってもらったお菓子を食べながら、大好きなダンとニーナちゃんと一緒に3人でマグエルを歩く。それだけなのにすっごく楽しいっ。
買ってもらったお菓子のせいで口の中から甘さが広がって、心の底まで甘さで満たされちゃうみたいだわぁ……。
「ねぇニーナ。今のティムルを見て俺の奴隷だって思ってくれる人、いると思う?」
「いえご主人様。ティムルを責めるのはあまりにも可哀想ですよ。ティムルが甘々のめろめろのふわふわ状態になっちゃったの、全部ご主人様のせいですからね?」
楽しいなぁ。本当に楽しい。デートってこんなに楽しいものなんだっ?
好きな人と一緒に街を歩くだけなのに、なんでこんなに楽しいんだろうっ?
マグエルがこんなに素敵な街だなんて、1度だって思ったことなかったのになぁ。家への道を3人で歩きながら、もう次のデートでは何処に行きたいか考えてる私がいるの。
自分の変わりように笑っちゃうわ。昨日の私は、マグエルなんて見て回っても仕方ないって思ってなかったっけ?
17年間も住んでるくせに今さら過ぎて笑っちゃうけど……。
マグエルのこと、少し好きになれそうな気がするわ。
突然のダンの提案に首を傾げてしまう。
私はマグエルにずっと住んでいたし、ダンとニーナちゃんもマグエルでの生活にすっかり馴染んでいる。今さらマグエルを歩いて回っても仕方ないんじゃないかしら?
……それに私、あまりこの街に良い思い出がないのよねぇ。
「俺の我が侭だと思って、明日1日付き合ってくれたら嬉しいよ。今までもニーナと2人で、新しく訪れる街をゆっくり見て回ってきたんだ」
ま、ひと言で言えばデートだね。
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「せっかくティムルとも一緒になったんだし、まずはデートから始めてみない? 今まで俺とニーナでしたこと、ちゃんとティムルともしていきたくてさ」
デート。ダンと、デート……?
大好きなダンと、愛するダンと一緒に、マグエルの街を歩き回る……?
頭の中で反芻し、その意味が飲み込めるとなんだか緊張してきちゃう。
デートなんてしたことない。どんな顔をして、どんな話をして、どんな場所に行けばいいのかしら?
急にそんな事言われても困ってしまうわよ、ダンっ。
「ティムル。余計なこと考えなくていいの。一緒に同じ時間を過ごすだけで、とっても楽しいんだよ」
「ニーナちゃん?」
「貴女もすぐに私のことを羨ましいなんて思わなくなるよ。ダンは私にしてくれたこと、ティムルにもちゃあんと全部してくれるからね」
ニーナちゃんが私の手を握りながら諭すように語り掛けてくる。その表情は優しげで、まるで娘を見守る母親を思わせる。
って、逆ぅ! 32にもなって、16のニーナちゃんに励まされてどうするのよっ。
「やったことないことが分からないなんて当たり前なの。でも構えなくてだいじょぶ。私達がティムルと一緒に過ごしたいだけだから。これから色んな場所で、色んな事をしようよ。ずっと一緒に3人で、ね?」
二、ニーナちゃん、本当に16歳……? 母性とか包容力とか、女性としての器が違いすぎない……?
「ダンの特別に……、誰かの特別になれた女って、多分無敵なの。ティムルにもすぐ分かるよ。ティムルももうダンの特別な女性なんだからね」
私がダンの特別な女性。そうはっきりとニーナちゃんが言葉にする。その言葉を聞いて、私の顔が熱くなっていくのが分かった。
ああもう! そんなにはっきり言葉にされたら、どうしても意識しちゃうじゃないのっ。
嬉しい。胸の奥から熱が広がるみたい。だけど嬉しいけど恥ずかしい。恥ずかしくて堪らない。
もうっ、とてもダンの顔が見れそうにないじゃない。明日のデートだって、まだ心の準備が出来てないのに。……ってそうそうデートよっ。デートなのよっ!
デートって、恋人同士がするアレよね? 私ってダンの恋人でいいの?
でもダンの方から誘ってきたんだし、私も恋人だと思っていいのかしら……、ってなにを夢見てるのティムル。32にもなってデートなんかで小娘みたいにはしゃいでどうするのよっ。
ああもうほんっと落ち着きなさいよ私っ! まったく、明日は何処に行こうかしらねっ。
「俺の女が俺の女に俺の事を惚気るのを、2人の間に挟まれて聞かされる俺の身にもなって? ってティムル、全然聞いてないね?」
ああっ! 私って奴隷になったばかりでおめかしも出来ないじゃないっ! ジジイの趣味で着飾らされても楽しくもなんとも無かったのに、なんで今更になって服のことなんか気になっちゃうのよぉっ!
ああもうっ、1着くらい商会からくすねてこられないかしらっ!?
「俺とのデートなんかをそんなに喜んでくれて嬉しいよ。全部始めからやり直そうな。男との触れ合い方も、マグエルでの生活も、全部ね」
え? ダン、今何か言ったかしら? ごめん、ちょっと聞いてなかったの。もう1度言ってくれない?
大したことじゃないから気にするな? ってそんなこと言われたら余計気になるじゃない、教えなさいよーっ。
詰め寄る私を両腕で捕まえたダンは、明日のデート楽しみだね、と優しげに囁いてくれたのだった。
翌朝、デートの日。
私が目を覚ますと、もうニーナちゃんとダンが朝のキスをしていた。
ニーナちゃんのキスを見ていると、若さの持つエネルギーみたいなものに圧倒されてしまいそう。
ニーナちゃんがダンに全てを捧げているのは今さらの話だけど、それでも朝のキスはニーナちゃんにとって特別なんでしょうね。
情熱的どころじゃない。必死に、追いすがるように、まるで助けを求めるかのようなキス。普段の甘い雰囲気からは想像も出来ない、焦燥感すら漂うほどの、まるで祈りのようなキス。
満足してダンを解放するころには、もういつものニーナちゃん、いつもの2人の穏やかな雰囲気。
きっとこのキスの事は誰も知らない。私にだけ見せてくれた、2人の秘密。
そしてダンは休む間もなく私にもキスをしてくれる。
ダンは私には、ニーナちゃんとしているような貪るように情熱的な動きはしてこない。私に好意を伝えるのが目的みたいに、包み込むように甘やかすように優しく舌を抱きしめてくれる。
一方的に欲望のはけ口にされ続けてきた私に、情欲を感じさせない、ただ愛情だけに満たされたキスをしてくるの。
これをされるともうダメ。全身が甘く痺れて、思考がトロトロに溶かされちゃう。優しく心を丸裸にされちゃうの。
私の世界はダンから伝わる愛情だけで満たされて、貴方のことしか考えられなくなっちゃうの……。
なんだか今日のキスはいつもより長い。これからデートだから、いつもより甘やかしてくれたのかしら?
いつもよりも長いキスを終えたら、みんなで身支度を整える。
……寝室から1歩出たら、私達は奴隷と主人。恋人でも夫婦でもない。
酷いよダン。貴方のことしか考えられない、ダンで私の心を満たしてから奴隷として振舞わなきゃいけないなんて。こんなの酷すぎるわよ、もうっ。
いつも通り、仕事に向かうリーチェをみんなで見送って、さぁここからいよいよデートの時間。
うう、き、緊張するわねっ……。
「今日は特に目的も無いから適当に歩いて回ろうよ」
隣りで笑うダンの笑顔がまともに見れない。
はぁ……、せめてもう少しおめかししたかったなぁ。
「あ、ティムルの着替えとか全然無いし、まずは買い物でもしよっか。俺たちなら荷物は持ち歩いても邪魔にならないでしょ」
まるで私の心を読み取ったかのダンの言葉に、私の胸がドキンと高鳴る。
んもーっ! どうして貴方っていっつもそうなのよーっ! そんなことされたらいつまで経っても貴方の顔がまともに見られないじゃないのっ!
「お金にもそんなに余裕ないから、そうだなぁ……。ニーナは上下1着、ティムルは上下2着ずつ、下着は必要だと思う数よりちょっと多めに買っておこうか」
普通なら賠償金としてリーチェに支払われてもいいはずの私の財産は、婚姻破棄をされた時点で全て商会に没収されちゃったのよねぇ。
今となっては商会から受け取ったものなんて何も要らないのだけど、そのせいで2人に金銭的な負担を強いているのは申し訳ないわ……。
「ニーナ。ティムルが遠慮しないようにしっかり買わせてあげてね」
「分かりました。しっかり買わせてみせますね。私の分もありがとうございますご主人様」
あーもう! 私の心の中を読むのやめてよーっ! そんなことされたらニーナちゃんみたいに素直にお礼を言うことも出来ないじゃないのーっ!
「それとご提案なのですけど、ご主人様の服も私とティムルで1着選ばせてもらえませんか?」
「ああ、それは助かるよ。こっちの服とか殆ど分かんないしね」
あら? ダンはあまり服に興味は無いのかしら? でもこっちの服って言ったから、元の世界では服装に気を使っていたのかもしれないけど。
「それじゃニーナ、予算内に収まるようにお願いね」
ニーナちゃんにこの場を任せて、ダンはさっさと待合スペースに移動して腰を下ろしちゃった。ダンと一緒に見て回りたかったんだけどなぁ。
少し不満に思いながらダンを見送り、1人店内を物色する。
間違いなく奴隷になったはずなのに、自分の服を自分で選んでいるなんて、なんだか少し不思議な気分ね。
煌びやかな衣装にも憧れるけど……。ここはやっぱり実用性重視よね、奴隷なんだから。
自分の分の衣装を選び終わり、これからダンの衣装を物色しようとしていた私に、ニーナちゃんがこんな提案をしてきた。
「ティムル。勝負です。ご主人様の衣装は別々に選んで、どっちがいいかご主人様に選んでもらいましょう」
悪戯っぽい笑みを浮かべながら、私に宣戦布告をしてくるニーナちゃん。
負けても何もないけれど、買ったらダンに自分の選んだを着てもらえる……。その光景を想像してなんだか顔が火照ってきた。
うん、やってやろうじゃないのっ。負けないわよニーナちゃんっ!
さぁダンにはどんな服が似合うのかしら?
私はどんな服をダンに着て欲しい?
ダンは別にスタイルが良いわけじゃないから、全身のシルエットを協調するような衣装は似合わないわよね? それに戦闘をこなすことも考えないと。動きにくい服を選ぶわけにはいかないわ。
色んな服を手にとってはそれを着ているダンを想像し、いややっぱりこれじゃないと違う服に手を伸ばす。
ああもう、商売も勝負も決断力が大事でしょっ。そろそろ決めなきゃ他のところを回る時間がなくなっちゃうわっ。
でもやっぱりさっきの服のほうが……。あー、もうっ。ぜんっぜん決められないじゃないっ!
「あれ? ティムルさんじゃないですか。来てたんだったら教えてくださいよーっ」
突然の声に、思わず服を選ぶ手が止まってしまった。
私を呼ぶ声に視線を返すと、この店の店長である女性が愛想よく笑っていた。
「それで、本日はどういったご用件ですか?」
彼女の対応は一般客に対するものではなく、大商人の妻に対する丁寧なものだった。
そっか。私がシュパイン商会から捨てられて奴隷になったって話は、まだマグエルではあまり広まってないみたいね。
どう対応すべきかしら……? なんて一瞬でもそんなことを考えた自分が馬鹿らしいわ。
私はもうシュパイン商会会長夫人でもないし、今はダンの奴隷になったんだ。どう見せるべきだとか、これは隠すべきだとか、そんな商売人の思考はもう必要ないのに。
「この度はご挨拶が遅れて申し訳ありませんでした」
「え? ティムルさん、どうしちゃったんですか?」
格上の相手だと思っている私からの謙った態度に、店長の女性は困惑を隠しきれない様子で首を傾げている。
「諸事情により私はシュパイン商会を離れ、今はあちらの男性の奴隷としてお仕えさせて頂いております。これからはシュパイン商会の者ではなく、1人の顧客として扱ってくださいますようお願い申し上げます」
奴隷らしい慎ましい態度を意識しながら、深々と頭を下げて事情を説明する。
私の言葉を聞いた相手は、始めは困惑、次に同情、そして最後に憐れみの表情を浮かべる。
この女、シュパイン商会に捨てられちゃったんだ。
憐れみの宿った彼女の瞳は雄弁にそう語っていた。
私が奴隷と知った彼女は急に仕事を思い出し、業務に戻っていった。
以前の私なら彼女の態度を失礼だと感じ、憤っていたかもしれない。だけど今はなんとも思わなかった。去っていった彼女を見送って、私はダンの服選びを再開する。
シュパイン商会に捨てられたのは事実だから、今さらそんなものを突きつけられても、はいそうですねとしか思えない。
シュパイン商会で過ごしていた長い時間よりも、今3人でいる時間のほうがとっても楽しくて愛おしい。だから憐れむより羨んで欲しいくらいよ。
「んもー、どっちかなんて選べる訳ないでしょ? どっちも買うよ、まったく」
私とニーナちゃんが選んだ服を両方受け取って、渋々2着分の会計を済ませるダン。
「ねぇニーナ。俺がこうするって分かっててやったよね?」
ダンの問いにニコニコと笑顔だけを返すニーナちゃん。会計を済ませたダンは、そんなニーナちゃんと私を一緒に抱きしめてくれた。
私とニーナちゃんの勝負の結果は、勝者が2人になっただけだった。
長くマグエルで商売を営んできた私は、服屋を出た後も至る所で声をかけられてしまう。
その度に、私はこの男性の奴隷です。この男性の所有物です。私はダンの女です。とマグエル中に報告して回る羽目になった。
うん。すっごい楽しい!
私はダンの女ですと何を憚ることなく口にする。口にすればするほど、私はダンの物なんだと嬉しくなっちゃう。
私が奴隷になったと知って踏み込んでこようとする男がいると、すかさずダンが間に入って男の視線を遮ってくれる。
「悪いねお兄さん。ティムルは俺の女なんだ。気安く近付かないでくれるかな?」
ダンも私の事を自分の女だって言ってくれる。
嬉しい。嬉しすぎて幸せすぎるわよーっ。
ダンに買ってもらったお菓子を食べながら、大好きなダンとニーナちゃんと一緒に3人でマグエルを歩く。それだけなのにすっごく楽しいっ。
買ってもらったお菓子のせいで口の中から甘さが広がって、心の底まで甘さで満たされちゃうみたいだわぁ……。
「ねぇニーナ。今のティムルを見て俺の奴隷だって思ってくれる人、いると思う?」
「いえご主人様。ティムルを責めるのはあまりにも可哀想ですよ。ティムルが甘々のめろめろのふわふわ状態になっちゃったの、全部ご主人様のせいですからね?」
楽しいなぁ。本当に楽しい。デートってこんなに楽しいものなんだっ?
好きな人と一緒に街を歩くだけなのに、なんでこんなに楽しいんだろうっ?
マグエルがこんなに素敵な街だなんて、1度だって思ったことなかったのになぁ。家への道を3人で歩きながら、もう次のデートでは何処に行きたいか考えてる私がいるの。
自分の変わりように笑っちゃうわ。昨日の私は、マグエルなんて見て回っても仕方ないって思ってなかったっけ?
17年間も住んでるくせに今さら過ぎて笑っちゃうけど……。
マグエルのこと、少し好きになれそうな気がするわ。
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