ミスリルの剣

りっち

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ミスリルの剣

88 強か (改)

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 俺とグリッジだけの室内に、グリッジがお茶を口に含んだ音だけが聞こえている。

 口を湿らせたグリッジは、いつもと変わらない飄々とした口調で語り始めた。


「まず最初に言わせてもらいますがねソイルさん。お嬢様が聖教会に所属するのは、以前から決まっていたことなんですよ。貴方の治療に関係無く、です」

「……え?」


 ミシェルとダイン家の関係性を語ると言っておきながら、全く違うことから話し出すグリッジ。

 思ってもいなかったグリッジの言葉に、思わずマヌケな反応を返してしまった。


「本当……、なのか? 俺に気を遣っているってわけじゃなく?」

「書面による正式な取り決めなどは交わされていませんでしたけどね、暗黙の了解という奴です」

「……言ってることが良く分からねぇな。悪いけどもうちょっと分かりやすく言ってくれねぇか?」

「了解ですよ。ま、ややこしい話なんで、少し長くなりますけどねぇ」


 いや、そんなにウンザリされても困るんだが? お前から振ってきた話だろ。


「呪文詠唱使いのお嬢様に聖教会が協力を要請し、その見返りとしてダイン家は聖教会に多大な支援をしてもらっているんです。そしてダイン家は支援の見返りに、お嬢様の聖教会への協力を約束しているんですよね」


 グリッジによると、ダイン家は元々ネクスの統治と死の森の監視と管理を任されただけの弱小貴族家で、あまり裕福な生活を送れないくらいには逼迫した経済状態だったそうだ。

 後の大魔法使いである、ミシェル・ダインが生まれるまでは。


 産まれた時から凄まじい魔力を保有していたミシェルを見た先代当主……、ミシェルの爺さんは、孫が魔法使いとして大成すれば死の森の管理が楽になるだろうと、軽い気持ちでミシェルに魔法を学ばせたそうだ。

 しかしミシェルは先代当主が思っていた以上の大天才で、幼い頃から瞬く間に魔法の腕を上げて、遂には世界に数人しかいない呪文詠唱使いにまで上り詰めてしまった。


 世界有数の魔法使いとなったミシェルにダイン家の連中は大いに喜んだそうだけれど、そんな暢気なダイン家の意識を変える出来事が起こってしまう。

 それが聖教会からの協力要請だった。


「召魔の門でしたっけ? あの渦の破壊の任務は、かなり以前から要請されていたんですよ。実際に討伐に赴いたのは、ソイルさんとのあの旅が初めてだったんですけどね」

「つまり本当に、俺とミシェルが出会ってなくても、ミシェルは結局召魔の門の破壊を担当していたのか……」


 世界中に定期的に現れる魔物を生み出す黒い渦、召魔の門の破壊を人知れず行なっていた聖教会だったが、召魔の門を1撃で破壊できるような攻撃魔法の使い手というのは滅多に居らず、若き呪文詠唱使いであるミシェルの協力はどうしても必要だった。

 なのでダイン家に金銭的な援助をしたり様々な面で後ろ盾となったりと、かなり手厚い支援を行なって、その見返りにミシェルの協力をダイン家に迫ったらしい。


「元々お嬢様の魔法は聖教会で学んだものですからね。お嬢様としては、聖教会に協力するのには抵抗が無かったんです。ですが周囲の大人たちは、それだけでは安心できなかったようでしてねぇ……」


 いつの間にかミシェルを腫れ物のように扱ってくる家族たち。

 手厚い支援は続けながらも、より強い繋がりを求めて圧力をかけてくる聖教会。


 俺の治療の1件が無くても、ミシェルが聖教会の協力を拒むことはほぼ出来ない状況だったらしい。


「それでですね。聖教会としてはお嬢様を完全に身内に取り込もうと、お嬢様と聖教会の幹部との婚約を迫ってきたんです」

「……っ。身内にしてしまえば裏切られる心配はねぇってか。聖教会の考えも分からなくはねぇが……」

「聖教会からの支援の打ち切りを恐れた現当主、お嬢様の御父上に当たる方なんですが、聖教会からの婚約を飲んでしまいましてね。お嬢様は再来年に嫁ぐ予定だったんですよ」


 なんだか大人の都合で政略結婚させられるみたいで気分が良くないが、実際は相手の男とミシェルは顔見知りで、聖教会で共に魔法を競いあった仲らしかった。

 当主もミシェルの意志を無視して婚約を進めたわけでもなく、ちゃんとミシェルの意志を確認した上で婚約が結ばれたんだそうだ。


「ですが、お嬢様にとってお相手の男性は友人でしかなかったのでしょうね。婚約を断るほど嫌っている相手ではなかったけれど、婚約を喜ぶ相手でもなかったようなんです。お相手の男性には他にも奥様がいらっしゃるようですし」


 そもそも婚約者の方も今の妻との夫婦仲も良く、ミシェルとの婚約にあまり乗り気じゃなかったらしい。

 しかし聖教会での立場を失うわけにもいかず、聖教会から言われるままに友人であるミシェルを娶る事を了承したそうだ。


「話を聞くだけだと、なんだか婚約者もミシェルも可哀想だな。当人同士は乗り気じゃないのに強制される婚約なんて、何の意味があるんだよ……?」

「ええ。ですからお嬢様も婚約者の方も、なんとか婚約を解消したいと思ってはいたんですよ。ですけど両者共に聖教会との関係悪化を恐れて、婚約の解消に踏み切れなかったんです。


 ……今までは? つまり今は違うってことか?


「ソイルさんの治療の対価にお嬢様は聖教会に所属して、召魔の門の討伐を専任することになりました。魔法契約で約束されたこの条件のおかげで、お嬢様とその婚約者の男性は晴れて婚約解消に漕ぎ着けたんですよ」

「は、晴れて婚約解消って、それもうワケ分かんねぇなぁ……」


 魔法契約についてはあまり詳しく教えてくれなかったけれど、魔法契約に違反するとかなり重いペナルティが科せられるらしい。

 ただしその罰則については、契約を行なった当人同士にしか伝えられていないようだ。


「聖教会としても、望まれない結婚では拘束力が弱いと判断したのでしょう。お嬢様が強制力の強い魔法契約を結んだことで、あっさりと婚約解消に応じてくれたそうですよ」

「……つまり、元々聖教会に協力するつもりだったミシェルにとって、聖教会に所属する事はデメリットでもなんでもなかった。けれど俺の治療を出汁にして、望まない相手との結婚を回避したってわけか」

「そういうことですね。どのみち将来的にお嬢様は聖教会に所属する事になっていたのですよ。ですから以前の旅に間にソイルさんにお嬢様の教育をお願いしたわけです」

「あ、あ~……。そういうことだったのか……」


 だからグリッジは貴族令嬢であるミシェルの教育を、冒険者の俺なんかに依頼してきたわけかぁ。


 聖教会に所属すれば、ミシェルはもう貴族令嬢として振舞うことは出来ない。

 そして召魔の門の破壊のために、国中を旅して回る必要がある。


 だから使用人としてできるギリギリの範囲で……。

 具体的には冒険者の俺を通して、ダイン家を離れていくミシェルに旅の知識と技術を叩き込んでいたんだなぁ。


「ソイルさんは少しお嬢様を見縊っておられます。ダイン家の為にずっと努力してきたお嬢様は、素直なだけではなくて、周囲を動かす強かさも持ち合わせている方なんですよ?」

「……それ、ミシェルにも言われたわ。私だって利己的に動くんだってな。マジかぁ~……」


 勿論俺の治療の為に聖教会に取引を持ちかけてくれたことには感謝してるし、その行為がミシェルの善意で行われた事に違いは無い。

 けれど俺のためにその身を投げ打ったりはしていなくて、俺の治療という材料を使って、自分が望むように周囲の状況をコントロールしてみせたってかぁ……。


 ……怖ぇな。ミシェルが善人なのは疑いようもねぇけど、それでもこの強かさには恐れ入るぜ。

 これもまた、貴族社会を生きてきたミシェルの一面に違いはねぇんだろうけどさぁ。


「……どうやらまだソイルさんはお嬢様を見縊っておられるようですね。まぁ良いでしょう。どうせすぐに分かることですから」

「……あ? 悪い、考え事してて聞いてなかった。なんて言ったんだ?」

「ソイルさんが思っている以上にお嬢様は強かで、そして貪欲な方ですよと申し上げたんです」


 強かで貪欲かぁ。俺のイメージだと、優しくて真面目で勤勉って印象ばかりだったなぁ。

 いや、これから聖教会で召魔の門の破壊任務に就く事を考えれば、ミシェルが強かなのは喜ばしいことだよな?


「そろそろ晩餐会の準備が整いましたかね? 食堂の方に向かうとしましょうか」

「飯の前に聞くんじゃなかったぜこんな話……。ミシェルを見る目が変わりそうだ……」

「いえ、それでもソイルさんの1件が無ければ、流石のお嬢様にも打つ手は無かったでしょう。ですからソイルさん、ダイン家の使用人を代表してお礼申し上げておきますね。お嬢様を助けてくださって、本当にありがとうございました」


 あまりに真っ直ぐなグリッジの感謝の言葉に、思わず圧倒されてしまった。

 だっていうのにグリッジの野郎、すぐに頭を上げて「それじゃ行きましょうか」とスタスタと部屋から出ていきやがった。


 ミシェルが強かだってぇ? お前のほうがよっぽど強かで胡散臭いんだよグリッジ。

 呆れながら部屋を出た俺は、グリッジにミシェルへの緊張を解されていたことにも気付かぬまま、晩餐会の会場に案内されるのだった。
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