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第三章 死闘
第66話 ボディーガード
しおりを挟む……今日も、雨だな。
如月ユウは車窓を流れる雨に濡れた街並みをぼんやりと眺めながら、そんなことを考えていた。今年の梅雨は、本当に梅雨らしい毎日だ。
隣では水崎翔子が同じく、ぼんやりと景色を眺めている。
季節は6月に入り、ユウ達は空色の半袖ワイシャツ姿に衣替えした。しかし不思議なもので、衣替えをした途端に涼しくなるのは毎年の恒例である。
水崎の依頼を受けてから、2週間が過ぎようとしていた。それから毎日、学校のある日はオカルト研究部のメンバーが帰宅する水崎に交代で付き添っている。
幽霊の視える青葉と殺人犯の顔を視ているユウは必ず同行し、紅葉と、いずみは交代での同行だ。つまり、いつも三人は水崎に付き添っている訳だ。
今も少し離れた場所で、黒木紅葉と青葉がこちらの様子を伺っている筈だ。
水崎と一緒にいる役割はクラスメイトであるユウか、金森いずみが担っていた。今日は、いずみが美術部に行っているので、ユウが水崎の隣にいる。
「……ねえ。あの男、毎日違う女の子と一緒にいない?」
「……気が付いた?昨日は黒髪ロングの、すごく綺麗な人と一緒にいたのよ」
ヒソヒソと小声で、ささやき合う声が聞こえてくる。
「そうそう!私、見たんだ。少し前に駅のベンチで、その人に膝枕させてたの!」
「えー!絶対に二股じゃん! ……最低。 あの子、可哀そうだよ。絶対、あの男に騙されてるじゃん!たいしてイケメンでもないくせに、あんな男の何処がいいんだろう……?」
ユウは女子学生達の声を軽い咳払いで返しながら、溜息をついた。
「……何か、勘違いさせちゃったみたいだね。ごめんね、如月君」
隣で水崎翔子が、申し訳なさそうに両手を合わせてごめんねのポーズをする。
「いや、別に水崎が悪い訳じゃないからさ……」
そしてそう答えつつも、内心ではイケメンなら二股掛けてもいいのかよ!?と、腹を立てているユウがいる。
「……でも、私も気になっていたんだ。如月君って、黒木さんと付き合ってるの?」
しかし続けて水崎が口にした問いに、思わず咽そうになってしまった。
「ゲホッ…! い、いや…… ぜ、全然そんなこと、無いけど……?」
「……そうなの?でも学校で噂になってるよ。その…黒木さんが、如月君を膝枕しているの、何人も見た人がいるって……?」
「そ、それは…… 部活中に体調が悪くなった俺を、青葉が介抱してくれただけだって!」
慌てて答えているユウに、彼女が細い視線を向ける。
「……如月君、そんなに慌てなくてもいいんじゃない?名前を呼び捨てにしているところとか、余計に怪しいよ?」
と、疑っている様子だ。
「でも如月君って、もっととっつき難い人だと思ってた。案外、可愛いところがあるよね」
しかし直ぐに、ふふっと笑顔をみせてくれた彼女に、ユウはホッと胸を撫で下ろす。どうやらそれ以上は、詮索するつもりはないらしい。
この二週間、正直に言えば、依頼に関しては何も進展は無かった。ユウが記憶の中で視た犯人からの接触も無かったし、悪霊的な存在も確認は出来なかった。ただ一緒にいる時間が長かったこともあって、水崎との距離は少し縮まった気がしていた。
ユウから見た水崎翔子は、クラスで見せる姿そのままの人だった。気遣いが出来るし、その容姿と仕草が合わさると本当に女の子らしい女の子。クラスで男子にも女子にも憧られる存在…… それが彼女だ。
物事を斜めから見る癖があるユウから見ても、水崎翔子はそんな人だった。
「……でも、よかった。如月君は、黒木さんと付き合ってないんだ」
「……え?何でよかったんだ?」
だから彼女の言葉に少しドキリとしてしまったのは、年頃の男の子としては仕方がないことだっただろう。
「ほら…… だって黒木さんがもし誰かと付き合っていたら、悲しむ人達が大勢いるでしょう? ……黒木さんって、本当に男の子にも女の子にも人気があるのよ」
……ああ、そうか。青葉は、確かに見た目が本当に綺麗だもんな。大きく性格に難はある気がするが、見ているだけなら人気があるのも頷けるというものだ。
少しガッカリ顔をしたユウを見て、水崎がくすりと微笑んでいる。バツの悪さを感じ、ユウは話の方向を変えた。
「……ところで、どう?今日は、誰かに見られている気配はある?」
「うーん。今は何も感じない。でも如月君が視える人だったなんて、意外だったよ。黒木さんは何となく、そんな雰囲気があるんだけどね」
「……いや俺のは、青葉に比べたら全然大した事ないんだけどさ」
「でも凄いよ。私はそういうの全然疎いから、凄いと思う」
そう言いながらユウを見つめる水崎の視線の中には、奇異の感情が雑じってた。
……凄い、か。
確かに人に視えないモノが視えるって、凄いことの様に感じるかもしれないな。
でもそれって、本当に凄いことなんだろうか?
少なくとも視える事で、他人より多くの情報が飛び込んでくる。それは視えれば視える程に多くなり、とても疲れるに違いない。そして誰にも理解されることのない情報なんて、他人との距離を作るだけなんじゃないのか?
そんなことを考えつつ、ユウは青葉を想った。
……大変なんだろうな。あいつ
そして先程、性格に難有りと思ってしまった自分を反省した。
それでも、それでも俺………………
あの日、あの雨の日…… 彼女に視せてもらった世界をユウは思い出していた。
………皆、楽しそうだったな。
幽霊たちは幸せそうだった。生前の様に自分の好きな事を楽しそうにやっていた。もちろん、あの時に視えた世界が全てではないだろう。大変なことも、あるのかもしれない。でも…… それでも、俺は嬉しかった。
亡くなった後にもそんな世界があると知れたことが、たまらなく嬉しかった。
……涙が流れる程に、嬉しかったんだ。
でも何故、そんなに嬉しかったのか分からなかった。普通なら恐怖を感じても、おかしくない状況だ。だって幽霊が視えているのだから。
駅で出会った女の子の幽霊にしてもそうだ。腹から血を流し、哀しそうに訴え掛けてくる姿を視て恐怖心が無かった訳じゃない。
……でも、それは生きている人間と同じだ。目の前に血を流した人が急に姿を現せば、誰だってパニックになるだろう。あの時の恐怖は、それに近いものだった気がする。
……俺、おかしいのかな?
生きている人間と亡くなっている人との境が、俺には無い気がする。
記憶を無くす前からそうだったのか。一度死にかけたからそうなったのか。……分からない。
……俺だけ、なのかな?
そんな感覚は、自分だけなのだろうか?
ユウはあの日以来、何度も自分に問い掛けている疑問をまた自分に問い掛けていた。答えなど出ない疑問なのは分かっていたが、考えずにはいられなかったのだ。
「……なあ、水崎」
「なに?如月君」
「幽霊って怖い?」
そのユウの質問に、水崎は驚いたようだ。
「え? 怖いよ…… 怖いに決まっているじゃない。わたし怖がりだから、もし視えたりしたらきっと怖くて泣いちゃうかも……」
そして自分の両肩を抱きしめて、不安な顔を見せた彼女。本当に、怖くて仕方がないようだ。
………そうだよな。普通の反応は、そうなんだ。
実は妹のユメにも同じ質問をしたことがあったのだが、彼女も同じ反応だった。皆がそうなのか分からないが、きっと多くの人が同じ様な反応をすることだろう。だからお化け屋敷や、心霊現象などを扱ったテレビ番組が人気があるのだ。もっとも、その様な怖がらせる事を目的とした番組やアトラクションの影響で、過敏に怖がる様になってしまったのかもしれないが……
すると考え込んでいたユウに、水崎が質問してきた。
「……如月君は、怖くないの?この前も駅で… 視たんでしょう?」
恐る恐る……と、いった様子で尋ねてきた彼女を見て、ユウは……ああ、まあ怖いよと、話を合わせておいた。本当のことを話したとしても理解してもらえるとは思えなかったし、これ以上、クラスメイト達に変な目で見られるのが面倒だったのだ。
「やっぱり、そうよね。ごめん、こんな事に巻き込んじゃって……」
すると彼女は申し訳なさそうに下を向いて、元気を失くしてしまった。
「いや…… 部で受けた依頼だから、水崎が申し訳なく思う必要はないよ。それに俺達は、部の活動が少しでも誰かの役に立つなら、それでいいんだ」
そのユウの言葉にも彼女は顔を上げる事も無く、小さく頷いただけだった。
「………ありがとう如月君。やっぱり如月君って優しいね。私……本当に怖がりだから、視線を感じる様になってから本当に不安だったの。あなたが側にいてくれて、本当に心強いよ。………ありがとう」
……ああ、と答えながらも、ユウは正直どうしたものかと考えていた。このまま、いつまでも水崎に同行している訳にはいかない。かと言って、こんなに不安がっている人を放っておく訳にもいかない。
せめて視線の正体が人なのか霊的なものなのか、それだけでも分かれば手の打ち様もあるのだが……
「ねえ…… 如月君は駅で幽霊を視た時に、10年前の犯人の顔を視ているんでしょう? その…… どんな顔をしていたの?」
その時、思ってもいなかった質問をされたので、ユウは水崎の顔をまじまじと見つめてしまった。
「あ…… 怖かった時のことを思い出させちゃったら、ごめんね。でも、もし犯人の顔が分かっていれば、自分自身でも気を付けることが出来るかなって思って……
だってあなたに、迷惑を掛けてばかりだもの。 ……本当に、ごめんなさい」
そして話しながら、彼女の瞳が潤んできているのにユウは気が付く。
「……別に、迷惑とか思ってないから大丈夫だ。ちゃんと問題が解決するまでオカルト研究部が一緒にいるから心配するなよ、水崎」
「……うん、ありがとう。 ………本当に、うれしい」
また俯いてしまった彼女に、ユウはそっとハンカチを手渡した。ここで水崎に泣かれたら、またどんな噂をされるか分かったものじゃないからだ。
「……俺の視た犯人は色黒で、精悍な顔立ちをした30代半ば位の男だったよ。大きな特徴は…… 左の顎に、大きめのホクロがあったことかな?」
「左の顎に、ホクロ……」
ハンカチを握り締めながら、水崎は何かを考えている。
「……そう、分かった。もしもそんな特徴の人がいたら、気を付けるね」
「ああ、俺が視たのは10年前の姿だから、それなりに変わっていると思う。気を付けてね」
そしてコクリと頷き返した後で、彼女は目の端の涙を拭った。どうやら落ち着き始めたようだ。
「……ハンカチ、ありがとう。洗って返すね」
「あ、別にそのままでいいよ。洗わなくたって……」
「だ~め!それくらいさせてよ。お願い!」
そして笑顔を取り戻した水崎はユウを押し切って、大切そうにハンカチを制服のポケットへとしまい込んでしまう。
「でも如月君って、皆にそんなに優しくしているの?」
「え? 別に…… 優しくなんかないだろ?」
上目遣いの彼女が、頬を赤らめている。
「そんなことされたら…… 女の子は、好きになっちゃうんだよ?」
その仕草と言葉にドキリとしかけたユウだったが、周囲から向けられている視線に気が付いて、一気に熱が引いていく。
冷たい視線は浮足立ちかけた男心を冷ますのに、 ……丁度よかった。
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