黄昏のシャルロット

雨宮未栞

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01.昼下がりの夢語り

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 麗らかな陽が世界を暖める昼下がり。
 窓辺からは、実りの季節に咲き誇る花々が綺麗に整えられた庭と、その向こうにある広大な湖を一望できる。
 部屋の中では、お気に入りの紅茶と焼き立てのアップルパイが甘く芳ばしい香りを漂わせている。テーブルの上にも、湖畔に咲く控えめな花が生けられ、眼にも楽しい至福のティータイムを演出していた。

「──僕はね、騎士になりたいんだ」

 取り留めのないお喋りの中で、私とよく似た彼は菫色の瞳を輝かせて、けれどそれとは裏腹に静かな声でそう言った。
 きっと、この前家族で出掛けた王都の夏至祭が原因なんだろうな。それに、その手の物語がずっと前から好きだったもんね。
 彼は私より短い栗色の髪を指に絡めて、はにかむように笑う。

「強くて格好良くて紳士で、忠誠を誓った主人を傍で身命を賭して護るなんて憧れるよ」

 ほら、やっぱり。確かに、爽やかな騎士様は立ち姿だけでもとっても凛々しくて素敵だった。そんな騎士様と一緒にいたお姫様は、嫉妬することすら馬鹿馬鹿しいくらい綺麗で、夏至祭に訪れた小さな女の子に渡された花冠を被ったときの笑顔はとても可愛らしかった。お姫様はきっと素直な心根をお持ちの方なんだろう。
 それに、お姫様の弟君である王子様も、物語の中からそのまま抜け出して来たみたいで眼を奪われた。と言っても、王子様は私達より少しだけ歳上なくらいだから、格好いいというよりはまだ可愛らしい雰囲気だったけれど。
 なれるとか会えるとか、そんなこと関係なしに、きっと誰もが一度は憧れる。強くて格好いい騎士様も、綺麗で愛らしいお姫様に王子様も。
 でも──。

「でも、シエルは魔術師様にはなれても騎士様にはなれないわ」

 だってあなたは魔術の才能はあるけれど、私より身体が弱いんだもの。現に今は季節の変わり目で体調を崩して、領地の外れにある別邸で療養中なんだから。
 でも、成長して体力が付けば丈夫になれるって父様に聞いた。だから、寝込むようなことがなくなれば、少しでも成長に体力を使えれば、騎士になるのだって夢じゃないはずだもの。そう思っても、無茶をしてほしくなくてことしか言えない自分が悔しい。

「うん、そうだね。世の中には魔術騎士になる人だっているのにね」

 はっきりと夢を否定されたのに、シエルの声は穏やかだった。落ち込むどころか、純粋な憧れだけが変わらずその声に籠っていた。
 魔術騎士は文字通り、魔術を使える騎士のことで、魔術師としても騎士としても相応の能力がなければなれない。魔術を使える騎士は少なくないけれど、魔術騎士と認められるほどの実力者はそうそういないらしい。だから、魔術騎士といえば人々の羨望を一身に受ける存在だ。
 シエルは私よりも魔術の才能があるから、身体さえ丈夫だったら、きっと魔術騎士にだってなれるはずなのに。シエルは初めから諦めているんだ。自分の身体のことは自分が一番分かってる、なんて顔をして。
 私、シエルのそういうところだけは嫌い。
 そしてその後には必ずこう言うの。

「でも、シャルが元気なのが一番だからね」

 いつも自分のことは後回しで、私に気を使ってばっかり。本当はちょっと私のことを羨ましがってるのも分かってるし、それでも本当に私が健康で良かったと心から思ってるのも感じてる。
 だって、私達は双子の兄妹だから。
 双子は意識の深いところで、魂で繋がっているんだって、誰かが言ってた。私には繋がりなんて分からないけれど、言葉にしなくてもお互いの気持ちや考えはなんとなく分かった。それが繋がっているってことなのかな。だから、私がシエルに自分のことを諦めないで欲しいって思っていることもきっと伝わっているはず。そして伝わっているから、シエルはちょっとバツの悪そうな顔をするの。そんな顔もして欲しくないのに。

「あ、シャルならなれそうだよね。魔術騎士」

 誤魔化すためか、本当にふと思ったのか、シエルはそんな事を言い出した。ふわっとした笑顔が眩しい。うん、これは完全に素ね。シエルってしっかりしてそうな割に結構天然だから。
 それにしても、私が魔術騎士? 確かに、シエルほどじゃなくても魔術は得意だし、運動もできる方だけど、そもそも騎士って男の人しかなれなかったはずよね。……まさか、アレがばれてるなんてことは、ない……よね?

「……それって、貴族のお嬢様らしくないって意味?」

 動揺のせいで性別の突っ込みをすっ飛ばしちゃった。でもきっとだいじょ──

「うーん。普通のお嬢様って、間違ってもこっそり街の剣術道場に入り浸ったりはしないと思うなぁ」

 あ、ばれてました。一度や二度でないことも、しっかり。……ということは父様も知っているのかしら。
 シエルはちょっと意地悪い笑顔で唇に指を当てる。

「僕はリディに聞いただけだから、父様は知らないよ。ガリードおじさんはシャルにも甘いし」
「そ、そう。それなら良かった」

 でも、時間の問題だろうね、と声がした気がする。
 ……双子って怖いわ。完全に思考を読まれてる。まあ、それでなくとも、リディにはシエル相手じゃ口止めしていても無駄なのはわかっていたけれど。
 リディ、リディアナは私達の幼馴染みで、家も私達のアステリアム伯爵家本邸とお隣のオーフェン男爵家令嬢。同い年でそれこそ生まれた頃からの付き合いとも言える可愛い女の子。血の繋がりこそないけれど、私にとっては彼女と歳の近い兄であるロイも合わせて兄弟同然だ。そして、ガリードおじ様は二人のお父様。ついでに言うと、私が入り浸っている剣術道場の師範でもある。
 リディはついさっきお嬢様らしさを否定された私と違ってちゃんと貴族のお嬢様で、しかもシエルの許嫁。どうして病弱なシエルの許嫁なのか、私はよく知らないけれど、父様同士で決めたことらしい。オーフェン男爵家がお隣さんになったのも父様の代からって聞いたことがあるから、その辺に事情があるのかな。あ、でもガリードおじ様ってかなりの親馬鹿で、子供達の中でも特に一人娘のリディが大好きだから、シエルを虫除けにしてるだけなのかも。それか、行き遅れって陰口叩かれるのは嫌だから、お隣なら嫁にやっても寂しくないとか、そんな理由だったりして。……うん、ありそう。
 そんな現実逃避気味な考えを巡らせていたら、控えめな笑い声が聞こえてきた。

「ふふ、シャルって結構天然だよね」
「シエルには言われたくないっ!」

 つい噛み付くように言い返して、その後二人で吹き出すように笑い合った。

「っふふ……」
「あははっ」

 それからまた、私達は取り留めのないお喋りを続ける。
 やれマナーのレッスンで教師に何度も手を叩かれただの、薬師のセラム婆に扱き使われて、薬草園の手入れや調薬の手伝いだなんだをしただの。
 あまり外に出られないシエルの分も、私が喋るのはいつものこと。そんな私の話を、いつもシエルが楽しみにしてくれているから、私もつい淑女らしからぬ行いに走りがちなのだけれど。……というのは言い訳で、基本的に私は私がしたいことをしているだけ。それに、私がこれだけ動けるなら男の子のシエルはもっと……。

 そんな、些細で有り触れたティータイムの終わり、ふと真面目な顔をしたシエルが呟いた。

「……それでも、君のことは僕が守るよ、シャルロット」
「………………」

 最近、シエルは父様と一緒になって、私に何か隠し事をしている。家令のウェインも多分そうなのだけど、あの人は普段から温厚な好々爺然としていて、問い詰めたところでその好々爺スマイルが崩れないせいで何を考えてるか殆ど分からない。あれも、ポーカーフェイスって言うのかしら?
 何にせよ、耳聡くて噂好きの侍女達が何も知らない様子だから、相当重要な話なのは確かね。あの人達に限って、悪い事を企んでいるなんてことはないだろうけれど、あまり気持ちのいい話でもなさそう。だから私を遠ざけようとしているみたい。けれど、私だってアステリアムの娘なのに。
 こういうときのシエルはいくら問い詰めたって何も教えてくれない。そうなると、言い逃れできないくらいの証拠や状況を突きつけてやるか、教えてくれるまで待つしかない。でも、無理に聞き出すような真似はしたくない。
 だから、ひとまず今は気付いていないふりをしてあげる。かと言って、何も知らないで守られているだけのお嬢様でいるのは嫌だからね。
 私だってシエルを守りたい。
 そして、夢を叶えられるように支えたい。
 私は、諦めないから。

「なあに、シエル。守るって言うなら、一番はリディでしょ?」

 独り言のつもりだったらしいシエルは眼を瞬かせたけど、すぐに柔和に笑った。

「……うん、そうだね。でも、僕にとってはたった一人の妹も大切だよ」
「ふふ、それは頼もしいけど、シエルを守るのは私なんだから」

 日の短くなってきた西の空は、ほんのりと薄紅に染まり始めていた。燃えるような、まるで血のような……。


***


 この日、シエル・アステリアムは死んだ。
 血のように緋いと思った夕焼けよりも鮮烈な色の血を流して、無惨に殺された。
 無力な私の、目の前で──。
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