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12.逃げた花嫁
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地獄谷のようにぐつぐつと煮出された鍋を前に、湊人と同僚である坂本は、聞き耳を立てていた。
展開に、もう鍋どころじゃない。
カウンターに座った紗良が、虹子を前に泣きそうな顔をしていた。
湊人が「なんでこの子が泣きそうなんだろう」と小声で言うと、坂本が「バカだなお前、鈍いなお前」と足を蹴って来た。
それで、彼女が青磁に好意を持っているからかと気付いた。
虹子は自分で入れた茶を自分で飲むと、封筒をまたしげしげと見た。
「・・・・つまり・・・こういう事よね・・・」
「どういう事ですか?虹子さん、先生と結婚していたんですか?」
え、と湊人も驚いた。
月ノ輪邸を訪れた時、青磁は、確かに、あのタンタン専用の部屋は元は虹子の部屋だったと言っていた。
でも、親の都合で子供の頃に一時期住んでいたのだと言っていたのだけど。
「結婚して、離婚したと言う事ですよね?」
紗良が尋ねた。
「・・・ううん。してない。・・・してない・・・のが問題で・・・」
虹子がもう一杯、茶を一気飲みした。
「・・・昔の話なんだけど。結婚式の招待状って、大体、披露宴の3ヶ月とか2ヶ月前にお出しするものらしいのね。・・・で、私、これを出す直前に逃げちゃって・・・」
紗良の顔色が変わった。
「・・・なんで・・・?」
また破談になる話か。
最近も友達からそんな話を聞いたばかり。
あの時、励ましたのは目の前の虹子ではないか。
逃げ出す程ショックな事があったと言う事か。
「・・・せ、青磁先生が・・・?」
由実の婚約者のように、彼が浮気したと言う事だろうか。
とんでもない、と虹子が首を振った。
「じゃ・・・、虹子さんが・・・?!」
「ち、違う、違います。・・・えっとね。この間みたいに、いい縁じゃなかったからとか言いたい訳でも無いのよ。・・・言っちゃえば、私が、子供で。・・・ええと、紗良ちゃんって何歳?」
「・・・二十七です」
「そっか。女の人が、結婚するならそろそろ現実的になって来る年よね」
確かにそうだ。
結婚するかしないかとかそれはまた別として、三十歳までに結婚、と言うのがまあ一つの目安だとすると、数年付き合って結婚するなら、まさに今が、現実的に見えている位置。
次は、三十五歳、四十歳が次のラインだろうか。
紗良もそう思っていた。
だからそろそろ焦っていたし、周りの人間、特に家族の方が少し痺れを切らしているような雰囲気があった。
お前の出方でこっちも今後を考えなきゃいけないんだから、と言うような。
そんなの勝手じゃない、と言う気持ちもあるけれど。
「・・・何歳の時の事なんですか?」
「十九歳。昔だから、まだ成人しても無いのにねぇ。青磁は二十八か九だったかな。ほら、よく、マリッジ・ブルーなんて言うじゃない?そんなもんじゃなくて、違和感がすごくて。でも、話はトントン進んで行ってね。・・・なんでだか青磁がやたら乗り気で。こっちが何話してももう無理よね。・・・もうしょうがないのかなって思ってた時、青磁の亡くなったお母さんがね、逃げろって言ってくれて。とりあえず今は物理的に離れろって。・・・私、親戚のいる香港に逃げちゃったの。レストランとかカフェやってる人たちがいてね。それで、手伝いするようになって・・・」
多分、そのかい摘んだ話の中に、言える話と言えない話があるのだろうが、それを汲み取る余裕は紗良には無かった。
「先生は・・・」
「・・・うん、青磁に迷惑かけちゃったよね。親しい人には、招待状出す前に既にもう話してある訳だから。私は社会人でもないし、招待客は恩師とか親戚や友達くらいだけど。青磁はその頃、医局に勤めてたから、友達だけじゃなくて、上司だ同僚だって沢山いた訳だし。皆、話は知っていたんだもの。・・・結納も終わってて、当然、結婚式場も披露宴会場も押さえてたの」
うわあ、悲惨、と湊人と坂本はため息をついた。
その後の男の社会人人生が辛すぎるだろ。
「・・・結納も、終わってたんですか・・・?」
虹子が頷いた。
「両家顔合わせてお食事会も済んでる訳だから。・・・結納金ってあるじゃない?こっちの都合で破棄したら三倍返しなのよ・・・」
湊人は、虹子から飛び出す話に震えた。
「・・・あの、盗み聞きしてました、すみません。それ・・・どうしたんですか・・・?」
「・・・青磁のお母さんとお父さんが三倍なんて要らないからただ返金すればいいじゃないって言ってくれたの」
「・・・確か、結婚式場って、キャンセル料かかりますよね?俺、既婚者なんですけど。昔、会場の人にそんなこと言われたような・・・」
坂本が青い顔で尋ねた。
「・・・・うん。あの時で、見積もりの30%ね・・・」
「あ!結婚式キャンセルの保険あるって聞いたことある・・・!」
「・・・それは。入院とか災害とか事故とか、止むに止まれぬ事情のみ対象なのよ。・・・新婦が逃げ出しましたとかじゃ、補償理由にならないの・・・。」
「うわあ・・・いやぁ、九死に一生スペシャルみたいな話ですね・・・・」
湊人が正直な感想を述べると、坂本が手を振って否定した。
「バカ、九死に一生を得てねぇだろ・・・。男は全弾被弾で即死だわ・・・。あ、すんません・・・」
「・・・いや、いいの・・うん。・・・本当、もう。あちこちに迷惑かけてしまってね」
たった十九歳の自分では賠償金なんて支払える訳もない。
両親が支払ってくれたのだ。
紗良は、虹子が話す内容が、現実的な話ばかりで面食らっていた。
もっとこう、心情的なものを、期待していたから。
期待していた、と自分で気づいて、紗良は自分が少し嫌になった。
でも、どうしても聞きたい事があった。
「・・・じゃあ、どうして。今もここにいるんですか?」
そんな思いして逃げ出して、そんなにいろんな人に迷惑かけたのに。
何より、一番傷つけた青磁のそばに。
なんてシンプルな疑問だろう。
率直すぎて、それは湊人も戸惑う程。
虹子は、うん、とだけ言って、その後は答えなかった。
展開に、もう鍋どころじゃない。
カウンターに座った紗良が、虹子を前に泣きそうな顔をしていた。
湊人が「なんでこの子が泣きそうなんだろう」と小声で言うと、坂本が「バカだなお前、鈍いなお前」と足を蹴って来た。
それで、彼女が青磁に好意を持っているからかと気付いた。
虹子は自分で入れた茶を自分で飲むと、封筒をまたしげしげと見た。
「・・・・つまり・・・こういう事よね・・・」
「どういう事ですか?虹子さん、先生と結婚していたんですか?」
え、と湊人も驚いた。
月ノ輪邸を訪れた時、青磁は、確かに、あのタンタン専用の部屋は元は虹子の部屋だったと言っていた。
でも、親の都合で子供の頃に一時期住んでいたのだと言っていたのだけど。
「結婚して、離婚したと言う事ですよね?」
紗良が尋ねた。
「・・・ううん。してない。・・・してない・・・のが問題で・・・」
虹子がもう一杯、茶を一気飲みした。
「・・・昔の話なんだけど。結婚式の招待状って、大体、披露宴の3ヶ月とか2ヶ月前にお出しするものらしいのね。・・・で、私、これを出す直前に逃げちゃって・・・」
紗良の顔色が変わった。
「・・・なんで・・・?」
また破談になる話か。
最近も友達からそんな話を聞いたばかり。
あの時、励ましたのは目の前の虹子ではないか。
逃げ出す程ショックな事があったと言う事か。
「・・・せ、青磁先生が・・・?」
由実の婚約者のように、彼が浮気したと言う事だろうか。
とんでもない、と虹子が首を振った。
「じゃ・・・、虹子さんが・・・?!」
「ち、違う、違います。・・・えっとね。この間みたいに、いい縁じゃなかったからとか言いたい訳でも無いのよ。・・・言っちゃえば、私が、子供で。・・・ええと、紗良ちゃんって何歳?」
「・・・二十七です」
「そっか。女の人が、結婚するならそろそろ現実的になって来る年よね」
確かにそうだ。
結婚するかしないかとかそれはまた別として、三十歳までに結婚、と言うのがまあ一つの目安だとすると、数年付き合って結婚するなら、まさに今が、現実的に見えている位置。
次は、三十五歳、四十歳が次のラインだろうか。
紗良もそう思っていた。
だからそろそろ焦っていたし、周りの人間、特に家族の方が少し痺れを切らしているような雰囲気があった。
お前の出方でこっちも今後を考えなきゃいけないんだから、と言うような。
そんなの勝手じゃない、と言う気持ちもあるけれど。
「・・・何歳の時の事なんですか?」
「十九歳。昔だから、まだ成人しても無いのにねぇ。青磁は二十八か九だったかな。ほら、よく、マリッジ・ブルーなんて言うじゃない?そんなもんじゃなくて、違和感がすごくて。でも、話はトントン進んで行ってね。・・・なんでだか青磁がやたら乗り気で。こっちが何話してももう無理よね。・・・もうしょうがないのかなって思ってた時、青磁の亡くなったお母さんがね、逃げろって言ってくれて。とりあえず今は物理的に離れろって。・・・私、親戚のいる香港に逃げちゃったの。レストランとかカフェやってる人たちがいてね。それで、手伝いするようになって・・・」
多分、そのかい摘んだ話の中に、言える話と言えない話があるのだろうが、それを汲み取る余裕は紗良には無かった。
「先生は・・・」
「・・・うん、青磁に迷惑かけちゃったよね。親しい人には、招待状出す前に既にもう話してある訳だから。私は社会人でもないし、招待客は恩師とか親戚や友達くらいだけど。青磁はその頃、医局に勤めてたから、友達だけじゃなくて、上司だ同僚だって沢山いた訳だし。皆、話は知っていたんだもの。・・・結納も終わってて、当然、結婚式場も披露宴会場も押さえてたの」
うわあ、悲惨、と湊人と坂本はため息をついた。
その後の男の社会人人生が辛すぎるだろ。
「・・・結納も、終わってたんですか・・・?」
虹子が頷いた。
「両家顔合わせてお食事会も済んでる訳だから。・・・結納金ってあるじゃない?こっちの都合で破棄したら三倍返しなのよ・・・」
湊人は、虹子から飛び出す話に震えた。
「・・・あの、盗み聞きしてました、すみません。それ・・・どうしたんですか・・・?」
「・・・青磁のお母さんとお父さんが三倍なんて要らないからただ返金すればいいじゃないって言ってくれたの」
「・・・確か、結婚式場って、キャンセル料かかりますよね?俺、既婚者なんですけど。昔、会場の人にそんなこと言われたような・・・」
坂本が青い顔で尋ねた。
「・・・・うん。あの時で、見積もりの30%ね・・・」
「あ!結婚式キャンセルの保険あるって聞いたことある・・・!」
「・・・それは。入院とか災害とか事故とか、止むに止まれぬ事情のみ対象なのよ。・・・新婦が逃げ出しましたとかじゃ、補償理由にならないの・・・。」
「うわあ・・・いやぁ、九死に一生スペシャルみたいな話ですね・・・・」
湊人が正直な感想を述べると、坂本が手を振って否定した。
「バカ、九死に一生を得てねぇだろ・・・。男は全弾被弾で即死だわ・・・。あ、すんません・・・」
「・・・いや、いいの・・うん。・・・本当、もう。あちこちに迷惑かけてしまってね」
たった十九歳の自分では賠償金なんて支払える訳もない。
両親が支払ってくれたのだ。
紗良は、虹子が話す内容が、現実的な話ばかりで面食らっていた。
もっとこう、心情的なものを、期待していたから。
期待していた、と自分で気づいて、紗良は自分が少し嫌になった。
でも、どうしても聞きたい事があった。
「・・・じゃあ、どうして。今もここにいるんですか?」
そんな思いして逃げ出して、そんなにいろんな人に迷惑かけたのに。
何より、一番傷つけた青磁のそばに。
なんてシンプルな疑問だろう。
率直すぎて、それは湊人も戸惑う程。
虹子は、うん、とだけ言って、その後は答えなかった。
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