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29.寵姫不成立

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 天蓋てんがいの向こうから、妹弟子の自分を呼ぶ声がして、黄鶲きびたきははっとした。
あまりにも不敬とはわかってはいたが、たまらず、布を持ち上げて払った。
「失礼仕ります!・・・孔雀くじゃく、どうしたの!」
末の妹弟子がめそめそ泣きながら顔を上げた。
黄鶲きびたきお姉様・・・」
葡萄ぶどう色の目が大洪水。
黄鶲きびたきは、きっと翡翠ひすいを睨みつけた。
「何したんですか!?」
狼狽している様子の翡翠ひすいが、何って、と口籠った。
「・・・何なの、孔雀くじゃく?!泣いてちゃわかんないわ。アンタはすぐメソメソして・・・もう、イライラさせないで。心配なの!どうしたの?」
不安のままに、ついきつめに問い詰めると、孔雀くじゃくがやっと顔を上げた。
黄鶲きびたきお姉様・・・怪我したぁ・・・。このままじゃ病気になると思うの・・・」
と、また泣きべそをかく。
黄鶲きびたきはさっぱり訳が分からず、翡翠ひすいを見た。
翡翠ひすいもまた困り果てたように、黄鶲きびたきに抱きついてべそをかく孔雀くじゃくを見ていた。


「つまり」
翡翠ひすいの執務室で、苦虫を噛み潰した後さらに青汁でも飲んだかのような表情でふくろうが溜息をついた。
「・・・首尾よくいかんかったと」
いくつもの陰謀めいた兄弟子の指示に従って、報告を上げてきたが、これほどに苦々しい表情のふくろうを初めて見た。
「いえ。まあ、物理・・・生物的には事は済んでおりますね」
黄鶲きびたきが言った。
「なんだ。物理がOKなら問題ないじゃないか。・・・万事滞りなく済み誠におめでとうございます。さすが陛下でいらっしゃる」
慇懃いんぎんではあるが、「面倒事済んで清々した。はい、終わり終わり」と顔に書いてある。
翡翠ひすいは椅子に深く身を沈めた。
「・・・・大問題だよ・・・・」
「は・・・?」
ふくろうは首をかしげた。

「・・・ふくろうお兄様。孔雀くじゃく、未経験だったの」
「はあ?何の冗談だ。家令は十五で成人。年若い成人家令に非熟練者はいても未経験者はいないだろ。俺たちは実用品だぞ。大体、白鷹はくたか姉上が孔雀の一切は真鶴まづるに任せたと言ったじゃないか」
そもそも家令は十代も半ばになればそれぞれ色気付いてあちこちで勝手に・・・とまで言って、さすがに皇帝を前に、あけすけだったかと少し反省した。
「・・・君達の素行が悪いのは知ってるよ」
翡翠ひすいが言った。
黄鶲きびたきがそうでしょうとも、と頷く。
「それがね。孔雀くじゃくに聞いたら。真鶴まずる、自分に都合のいいことしか教えていかなかったみたいなの。真鶴まづるお姉様と違うって言ってたもの。だから男は未経験なの」
「・・・・都合のいいって・・・」
ふくろうは唖然とした。
「・・・全く。お妃候補は脱落、寵姫は不成立。ああ、困ったもんだ、あの因業娘・・・」
さすがのふくろうも頭を抱えた。

「失礼致します。金糸雀カナリアが参りました」
礼をして、金糸雀カナリアが入ってきた。
孔雀くじゃくは?」
黄鶲きびたきは泣いてどうしようもない孔雀くじゃくのお守りを金糸雀カナリアに任せて来たのだ。
気がかりそうに翡翠ひすいも眉を寄せた。
金糸雀カナリアは我慢していたが吹き出した。
「べそかいて、リュックに荷造りして傘挿して、実家帰るって言ってます」
「・・・・勘弁してくれ・・・」
ふくろうは空を仰いだ。
「・・・そんな・・・」
翡翠ひすいは慌てて立ち上がった。
信じがたいが彼なりに責任を感じているらしい。
「陛下。どうぞそっとしてやってくださいませ」
黄鶲きびたきがそう言った。
「・・・いやでも・・・」
黄鶲きびたきが首を振った。
「だから。余計な事するともっと嫌われるって言ってるんです」
皇帝相手にぞんざいな言い草だが、まぎれもない事実。
今現在そんなに嫌われているのか、と翡翠ひすいはかなりショックを受けたようだ。

ふくろうが首を振った。
「陛下。もうこうなったら面倒です。差し替えで行きましょう。雉鳩きじはと金糸雀カナリアで良いですね?孔雀くじゃくは宮城を下がらせて、神殿オリュンポスに行かせます」
若き総家令の登場はあれだけ話題になったのだから、突然の人事交代は騒ぎになるだろうが、神殿オリュンポスに呼ばれたとかそれらしい事で押し通せば誰も文句は言えないだろう。
「・・・いや、だめ」
翡翠ひすいふくろうの提案を拒否した。
この男から、嫌だの駄目だのなんてついぞ聞いた事がない。と家令達は少なからず驚いて皇帝を見た。
ふーん、だの、好きにしてだの、(どうでも)いいよ、と、ばかり聞いて来たものだ。
ふくろう溜息ためいきをついてから、金糸雀カナリアを見た。
「・・・金糸雀カナリア孔雀くじゃくは、今、何やりゃいい?」
何を与えれば機嫌を直す、交渉できる、と尋ねた。
翡翠ひすいも、何でも好きな物を与えなさいと言った。
王室が所有する宝飾品や美術品や有価証券や土地や離宮や邸宅。
ふくろうが食指を伸ばそうとしたが、金糸雀カナリアは肩を竦めた。
「やっぱりあれよね。ドーナツね」
ふくろうが舌打ちした。
「またか・・・。あそこ最近事業縮小して店がないじゃないか。・・・この辺だと駅前だな。何時までだ、あの店。砂糖かかってるやつだな?」
「あと四十分ね。パウダーシュガーのは砂糖だけ舐めちゃうから、グレイズドのやつよ」
「・・・・翡翠ひすい様。少々お時間を賜りたく存じますので」
ふくろうは、翡翠ひすいに礼をすると、出かけてくると言って部屋を慌ただしく出て行った。
ドーナツで誤魔化すのか。
黄鶲きびたきが肩を竦めて兄弟子を見送った。
「・・・ふくろうお兄様が走るとこなんて見たの久しぶりだわ」
「そう?結構、ドーナツだのたぬきのケーキだの買いに走ってるわよ。孔雀くじゃく、宝石とか土地とかゴールドとか有価証券とか使うとこないから、結局食い物」
言う事をきかせるために、代わりに好きなものを言え、でもなるだけ持ってるやつにしてくれ、と言いながらも、絶対にふくろうが溜め込んでいるプラチナの類が欲しいとは言わない孔雀くじゃくに言う事きかせる為にあちこち買い求めに行くのだ。
「まあ、呆れた話だこと」
まだ子供の孔雀くじゃくに、あの兄弟子は何させてきたもんだか・・・。
「・・・参ったなあ・・・。ふくろう、間に合うかな・・・」
時計を見て、閉店時間を気にしている様子で翡翠が呟いた。
若き皇帝は、黄鶲きびたきが見た事も無い何ともおかしな表情をしていた。
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