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4.月夜の咎人
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まんまるい月がぽっかりと浮かぶ、秋の夜空。
十月二日。旧暦の八月十五日。中秋の名月。
その名に恥じぬ立派な月が、辺り一面を照らしていた。
三人は外に出てそのまるい月を見上げている。
「なんとまぁ。今宵はお月見日和ですねぇ」
「あら。局長は随分と余裕ですこと」
「月さん大丈夫ッス! ちゃんとオレらが付いてますからね!」
七尾がグッと親指を立てたその瞬間、目のくらむような眩い光に包まれた。この世の黄金という黄金を全て集めたような輝きを直視出来ず、七尾は思わず目を瞑る。
「お久しぶりですね、月野十五様」
綿菓子のような雲に乗って現れたのは、黒い衣冠姿の男だった。……彼が月の都からの使者なのか。七尾の喉がごくりと鳴った。
「お久しぶりです因幡黒兎くん。……はて。皇妃様の付き人である黒兎くんが何故ここに?」
「帝様の付き人は所用がありまして。代わりに私がお迎えに上がりました」
黒兎と呼ばれたその青年は胡散臭い笑顔を浮かべながら月野に語りかける。背中に見える薄紫色の羽衣がひらひらと風に靡いていた。
「そうですか。もうひとつお聞きしたいんですが、いいでしょうか?」
「なんでしょう?」
「追放処分を受けてから随分時間が経っていますが、何故今頃になって僕を連れ戻そうとするんです?」
「手紙にあった通りでございます。……このたび、宵月様が十五様に帝の位を譲るとおっしゃいましたので、」
怒ったように声を上げたのは七尾だった。
「あの! それってちょっと勝手すぎません!? 月さんの話も聞かないで決めるなんて、オレそんなの反対ッス!」
黒兎は七尾をじとりと見下ろすと微笑みを浮かべた。
「どなたか存じませんが、我が国の事情に首を突っ込まないで頂けますか? 貴方には関係のないことでしょう?」
「なっ……!」
「大体、会話を途中で遮るなんて非常識では? こちらは大切な話をしているのです。部外者は黙っていて下さい。ね?」
貼り付けたような笑顔の黒兎に一掃され、七尾はぐっと言葉に詰まった。
「悪いけど、僕は国に帰るつもりも帝になるつもりもないよ」
月野は動じることなく、いつも通りの笑顔で言った。
「そう言われましても……。私も帝様の命を受けてこちらに来たものですから……」
「では戻って父に伝えて下さい。僕は帝になるつもりはないので、位を譲るのなら他の人にどうぞ、と」
黒兎の頬がひくりと引きつる。さっきまでの笑顔はどこへやら、わざとらしく大きな溜息を吐いた。
「そうですか。なら……仕方ありませんね」
黒兎は面倒くさそうに袖口に手を入れると、茶色い横笛を取り出す。それに気付いた月野は大きな声で叫んだ。
「二人とも! 彼の音色を聴いてはいけない!!」
黒兎は横笛を口に当て、軽快なメロディーを奏で始める。スルリと耳に入ってきたその旋律は流れるように全身を駆け巡り、身体中をぎしぎしと縛り付けていく。宇佐美と七尾の体はあっという間に動かなくなった。
「宇佐美くん! 七尾くん!」
二人は月野の声が聞こえていないのか、真っ直ぐに前を向いたまま微動だにしない。まるでメデューサの目を見て石化した人間のようだった。ただし、その肌の色は血色も良く、生きている状態そのままだ。
「う~ん。やはり私の作品はいつ見ても美しい」
黒兎はうっとりとした表情で固まった二人を見やる。
「ほら、見えます? さっきまであんなに騒いでいた男が驚きに満ちた顔のまま大人しくなっている。ふふっ。黙っていれば良い男ですね、彼」
黒兎はやけに饒舌だ。
「羽留さんもますます美しくなって。部屋に飾ったら最高だろうなぁ。彼女を眺めながら飲む酒はさぞかし美味しいでしょうねぇ」
「……随分と悪い趣味をお持ちなんですね」
「おや、そうでしょうか?」
「僕だったら喋って動いてる彼らの方がいいと思うけどな」
「ふふっ。まぁその話は置いておきましょう。……さて。今の彼らに意識はありません。この石化を解いてほしければ十五様。私と一緒に月の都へ参りましょう」
「……本当の目的はなんです?」
「やだなぁ、今言った通りですよ。帝様が、」
「さっさと言ってください。回りくどいことをするのは君も面倒でしょう?」
はぁー、と深い溜息をついて顔を上げると、黒兎の雰囲気ががらりと変わっていた。
「……ったく。これだから嫌なんだよなぁ、穢らわしい血が流れてるくせに」
苛立ったようにチッと舌打ちを鳴らす。
「ああそうだよ。お前を連れ戻すよう俺に言ってきたのは帝様じゃない。皇妃様だ」
「それが理解できないんですよ。僕が皇妃様に嫌われているのは一目瞭然であり周知の事実。国から追い出した張本人が今さら国に戻って来いだなんて、何か企んでいるとしか思えませんよ」
「その通り。お前を追い出してから皇妃様の機嫌は良かったんだよ。俺たちも八つ当たりされなくなって安心してた。なのに、」
色々な事を思い出しているのだろう。黒兎はひとつ息を吐き出してから続けた。
「最近、皇妃様の耳に郵便局の噂が入るようになってな。追放したにも関わらずお前の話が入ってくるのは不快だとお怒りで。しかも店の評判は良いし、本人は元気そうだし、皇妃様のストレスは溜まる一方。命を消し去ろうにもお前も一応不老不死の身だからそれは叶わない。でも、存在はどうしても消し去りたい。そこで皇妃様は、完全に消すことが出来ないのならいっそのこと国に連れ戻し、地下牢にでも幽閉させてしまえばいい。そうすればもう、お前の噂すら耳に入らないだろうと思いついたのさ」
月野は呆れたように溜息をついた。
「まったく。あの人の考えそうなことだ」
「ホントだよね。ていうかここまで嫌われてるとさすがにカワイソーに思えてくるわ~」
「同情はいりませんよ?」
「うん。別にしないけど。それにしても相変わらず生意気だなぁ十五サマは」
「それはどうもありがとう」
「ほら、そういうとこが特に。十五サマなら分かるだろうけど、皇妃様の機嫌が悪いとこっちも色々大変なんだよ。だからさぁ、大人しく俺の言うこと聞いてくんない?」
黒兎は手に持っていた横笛を見せ付ける。
「いいか、もう一度言う。お前が大人しく国に戻るなら二人の石化は解いてやる。でも、お前が拒否するなら二人は一生このままだ。俺のコレクションの一部として宮中にでも飾っておいてやろう。さぁ、どうする?」
月野の眉間に力が入った。黒兎と月野は睨み合うように対峙する。
「──僕は。僕は国に戻る気はないよ」
「あはっ! 二人のことそんなあっさり見捨てるんだ? 薄情者だねぇ十五サマ!」
「違う。僕はここでこれからも郵便局をやっていくと言ってるんだ。宇佐美くんと、七尾くんと共に!」
「……あのさぁ、今の状況分かってる? 二人の運命は俺が握ってるわけ。お前の選択肢は一つしかないと思うんだけど?」
「──因幡の呪術奏者」
ニタニタと馬鹿にしたように笑っていた黒兎の動きが止まった。
「因幡の家に伝わる秘伝の横笛。その音色には不思議な力が宿るという。同じく伝わる譜面、と言っても紙に残された物はなく、奏者は全ての楽曲を頭に入れておかなければならない。譜面には様々な呪術がかけられており、宮中で行われる全ての儀式で演奏を任せられる。継承者になる者は厳しい訓練を受け、その音を習得していく。……今は君が使い手なんだね。僕が居た頃はまだ見習いだったのに」
「……何が言いたい」
「僕はね。二人を取り返すためならその笛を壊すことも厭わないと思ってるよ。譜面を覚えてたって、その笛じゃなきゃ呪術はかけられないんだろう?」
月野はにっこりと笑顔を見せる。その笑顔に、黒兎はチッと舌打ちをして顔を歪めた。
「この……猫被り野郎が」
「黒兎くん。僕は昔、みんなに隠れて笛の練習をしている君の音色を聴くのが大好きだったんだ」
「は?」
「君の奏でる美しい音色を、人を傷付けるために使ってほしくない。だって、あんなに一生懸命覚えた音なのに」
黒兎の頭に昔の思い出が蘇る。
まんまるい月がぽっかりと浮かぶ、秋の夜空。
十月二日。旧暦の八月十五日。中秋の名月。
その名に恥じぬ立派な月が、辺り一面を照らしていた。
三人は外に出てそのまるい月を見上げている。
「なんとまぁ。今宵はお月見日和ですねぇ」
「あら。局長は随分と余裕ですこと」
「月さん大丈夫ッス! ちゃんとオレらが付いてますからね!」
七尾がグッと親指を立てたその瞬間、目のくらむような眩い光に包まれた。この世の黄金という黄金を全て集めたような輝きを直視出来ず、七尾は思わず目を瞑る。
「お久しぶりですね、月野十五様」
綿菓子のような雲に乗って現れたのは、黒い衣冠姿の男だった。……彼が月の都からの使者なのか。七尾の喉がごくりと鳴った。
「お久しぶりです因幡黒兎くん。……はて。皇妃様の付き人である黒兎くんが何故ここに?」
「帝様の付き人は所用がありまして。代わりに私がお迎えに上がりました」
黒兎と呼ばれたその青年は胡散臭い笑顔を浮かべながら月野に語りかける。背中に見える薄紫色の羽衣がひらひらと風に靡いていた。
「そうですか。もうひとつお聞きしたいんですが、いいでしょうか?」
「なんでしょう?」
「追放処分を受けてから随分時間が経っていますが、何故今頃になって僕を連れ戻そうとするんです?」
「手紙にあった通りでございます。……このたび、宵月様が十五様に帝の位を譲るとおっしゃいましたので、」
怒ったように声を上げたのは七尾だった。
「あの! それってちょっと勝手すぎません!? 月さんの話も聞かないで決めるなんて、オレそんなの反対ッス!」
黒兎は七尾をじとりと見下ろすと微笑みを浮かべた。
「どなたか存じませんが、我が国の事情に首を突っ込まないで頂けますか? 貴方には関係のないことでしょう?」
「なっ……!」
「大体、会話を途中で遮るなんて非常識では? こちらは大切な話をしているのです。部外者は黙っていて下さい。ね?」
貼り付けたような笑顔の黒兎に一掃され、七尾はぐっと言葉に詰まった。
「悪いけど、僕は国に帰るつもりも帝になるつもりもないよ」
月野は動じることなく、いつも通りの笑顔で言った。
「そう言われましても……。私も帝様の命を受けてこちらに来たものですから……」
「では戻って父に伝えて下さい。僕は帝になるつもりはないので、位を譲るのなら他の人にどうぞ、と」
黒兎の頬がひくりと引きつる。さっきまでの笑顔はどこへやら、わざとらしく大きな溜息を吐いた。
「そうですか。なら……仕方ありませんね」
黒兎は面倒くさそうに袖口に手を入れると、茶色い横笛を取り出す。それに気付いた月野は大きな声で叫んだ。
「二人とも! 彼の音色を聴いてはいけない!!」
黒兎は横笛を口に当て、軽快なメロディーを奏で始める。スルリと耳に入ってきたその旋律は流れるように全身を駆け巡り、身体中をぎしぎしと縛り付けていく。宇佐美と七尾の体はあっという間に動かなくなった。
「宇佐美くん! 七尾くん!」
二人は月野の声が聞こえていないのか、真っ直ぐに前を向いたまま微動だにしない。まるでメデューサの目を見て石化した人間のようだった。ただし、その肌の色は血色も良く、生きている状態そのままだ。
「う~ん。やはり私の作品はいつ見ても美しい」
黒兎はうっとりとした表情で固まった二人を見やる。
「ほら、見えます? さっきまであんなに騒いでいた男が驚きに満ちた顔のまま大人しくなっている。ふふっ。黙っていれば良い男ですね、彼」
黒兎はやけに饒舌だ。
「羽留さんもますます美しくなって。部屋に飾ったら最高だろうなぁ。彼女を眺めながら飲む酒はさぞかし美味しいでしょうねぇ」
「……随分と悪い趣味をお持ちなんですね」
「おや、そうでしょうか?」
「僕だったら喋って動いてる彼らの方がいいと思うけどな」
「ふふっ。まぁその話は置いておきましょう。……さて。今の彼らに意識はありません。この石化を解いてほしければ十五様。私と一緒に月の都へ参りましょう」
「……本当の目的はなんです?」
「やだなぁ、今言った通りですよ。帝様が、」
「さっさと言ってください。回りくどいことをするのは君も面倒でしょう?」
はぁー、と深い溜息をついて顔を上げると、黒兎の雰囲気ががらりと変わっていた。
「……ったく。これだから嫌なんだよなぁ、穢らわしい血が流れてるくせに」
苛立ったようにチッと舌打ちを鳴らす。
「ああそうだよ。お前を連れ戻すよう俺に言ってきたのは帝様じゃない。皇妃様だ」
「それが理解できないんですよ。僕が皇妃様に嫌われているのは一目瞭然であり周知の事実。国から追い出した張本人が今さら国に戻って来いだなんて、何か企んでいるとしか思えませんよ」
「その通り。お前を追い出してから皇妃様の機嫌は良かったんだよ。俺たちも八つ当たりされなくなって安心してた。なのに、」
色々な事を思い出しているのだろう。黒兎はひとつ息を吐き出してから続けた。
「最近、皇妃様の耳に郵便局の噂が入るようになってな。追放したにも関わらずお前の話が入ってくるのは不快だとお怒りで。しかも店の評判は良いし、本人は元気そうだし、皇妃様のストレスは溜まる一方。命を消し去ろうにもお前も一応不老不死の身だからそれは叶わない。でも、存在はどうしても消し去りたい。そこで皇妃様は、完全に消すことが出来ないのならいっそのこと国に連れ戻し、地下牢にでも幽閉させてしまえばいい。そうすればもう、お前の噂すら耳に入らないだろうと思いついたのさ」
月野は呆れたように溜息をついた。
「まったく。あの人の考えそうなことだ」
「ホントだよね。ていうかここまで嫌われてるとさすがにカワイソーに思えてくるわ~」
「同情はいりませんよ?」
「うん。別にしないけど。それにしても相変わらず生意気だなぁ十五サマは」
「それはどうもありがとう」
「ほら、そういうとこが特に。十五サマなら分かるだろうけど、皇妃様の機嫌が悪いとこっちも色々大変なんだよ。だからさぁ、大人しく俺の言うこと聞いてくんない?」
黒兎は手に持っていた横笛を見せ付ける。
「いいか、もう一度言う。お前が大人しく国に戻るなら二人の石化は解いてやる。でも、お前が拒否するなら二人は一生このままだ。俺のコレクションの一部として宮中にでも飾っておいてやろう。さぁ、どうする?」
月野の眉間に力が入った。黒兎と月野は睨み合うように対峙する。
「──僕は。僕は国に戻る気はないよ」
「あはっ! 二人のことそんなあっさり見捨てるんだ? 薄情者だねぇ十五サマ!」
「違う。僕はここでこれからも郵便局をやっていくと言ってるんだ。宇佐美くんと、七尾くんと共に!」
「……あのさぁ、今の状況分かってる? 二人の運命は俺が握ってるわけ。お前の選択肢は一つしかないと思うんだけど?」
「──因幡の呪術奏者」
ニタニタと馬鹿にしたように笑っていた黒兎の動きが止まった。
「因幡の家に伝わる秘伝の横笛。その音色には不思議な力が宿るという。同じく伝わる譜面、と言っても紙に残された物はなく、奏者は全ての楽曲を頭に入れておかなければならない。譜面には様々な呪術がかけられており、宮中で行われる全ての儀式で演奏を任せられる。継承者になる者は厳しい訓練を受け、その音を習得していく。……今は君が使い手なんだね。僕が居た頃はまだ見習いだったのに」
「……何が言いたい」
「僕はね。二人を取り返すためならその笛を壊すことも厭わないと思ってるよ。譜面を覚えてたって、その笛じゃなきゃ呪術はかけられないんだろう?」
月野はにっこりと笑顔を見せる。その笑顔に、黒兎はチッと舌打ちをして顔を歪めた。
「この……猫被り野郎が」
「黒兎くん。僕は昔、みんなに隠れて笛の練習をしている君の音色を聴くのが大好きだったんだ」
「は?」
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