彼の呪は密やかに紡がれる

ちよこ

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酒呑童子⑧

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伊吹は必至で駆け、師匠である最澄を探した。


「お師匠様、お師匠様ッ!!」



帝の傍で話し込む最澄を見つけ叫び呼んだ。
尋常ではない伊吹の声色に、最澄は足早に駆け寄ってきた。



「どうしたんですか、伊吹」

「面が、面が取れないんですッ!」


必死に訴えるが、最澄は軽くあしらい、苦笑した。
何をそんなに必死になることがあるのか。 



「紐を固く結び過ぎたんでしょう?」

「違います!
紐なんか、とうにほどけています!
吸い付いたように離れないのです!」


伊吹は涙混じりに最澄の襟元を掴む。
最澄は初めて訝しげに眉を寄せ、そっと面に触れ確かめると確かに、紐は肩口にだらりと垂れていた。 


「……これは……」

「……最澄、何があったのだ?」


帝が階を降り、二人の元にやって来た。
背の高い帝は身を低く屈めながら面の奥の伊吹の瞳を覗き込む。


「何を泣いている?」


気取った所のない、優しい声。
丸くくり貫かれた面の瞳から涙がこぼれ落ちた。 


「夢を……見たのです」


いや、夢ではなかったのかもしれない。
あまりに鮮明過ぎる。
掴まれた手首の感触や、爛れた肌の質感、あのおぞましい瞳。

言葉に詰まりながらも、伊吹は全てを語った。
みるみる目の前の二人の顔が神妙になっていく。
特に帝の顔は歪みを隠しきれず、青ざめていた。 


「最澄……、やはり因縁というものは断ち切れないのか」


ポツリと呟く。
陥れたのは帝自身ではない。
全ては兄と父が行なった。
だから、いさかいを好まない性質の帝は酷く気にやんでいた。


「……とりあえず、伊吹を内裏から出しましょう。
災いは、入れてはいけません」


最澄に、ぐいと背を押された。


……災い?


その言葉に、呆然とし最澄の顔を仰ぎ見た。
顔は強張り、いつもの柔らかい笑みはなかった。
その眼差しは、酷く冷たい。 


「伊吹、すまない……。
君には何も罪はないのに」


帝の瞳が悲しげに揺れ、手を取ろうとしたが最澄に阻まれた。


「いけません。
触れては災いが伝染ります。
さぁ、主上はお戻りください」


最澄に何か言いかけた唇は緩く結ばれ、帝は伊吹に背を向けた。


なぜ?
どうして?


遠ざかる背に訴えるも、気付いてはくれない。
気付こうとさえしてくれない。


あぁ、心が冷えていく。 



内裏から出された伊吹は、叡山に戻ることも許されなかった。

どこかわからぬ山奥の鳥の声も届かない分厚い壁に阻まれた塔の中にいた。
広さはないのに天井は高く、果てがない。
明かり取りの窓など、当然なかった。

もう、どのくらい閉じ込められているのだろう。
暗闇では時の経過すら定かではない。


「お師匠様、出してください。
……出して。…………出して?ねぇ…………おししょう、さま……」



鉄扉を爪で力なく引っ掻く。


助けを求めた声は枯れ、扉を叩き続けた拳は血が滲み、爪はいくつも剥がれ落ちていた。 


ただ、悪夢を見ただけ。
面だって、いつかは取れるかもしれない。
決して災いなんかじゃない。
……ないのに。


伊吹は扉の前にがくりと膝をついて項垂れた。


あんなに、可愛がってくれたのに。
笑いかけてくれたのに。
最後に見た顔は掌を返したように冷たい眼差しだった。 



「……手のかかる子ほど可愛いって言ってくれたのに」


こんな面を取ることくらい、災いを祓うくらい、容易い事なんじゃないのだろうか。

床に手を這わすと見えはしないが、護符らしき紙片がそこにはあった。
忌まわしいものを封じ込めるための護符。
手に届く範囲のものは全て破り捨てた。
けれど、塔の上の方の壁や天井にはまだ、隙間なく貼られているのだろう。 


何をもって災いとみなした?
悪だと、忌まわしいものだと?



「なんで俺が……」


──ガン、ガン、


鈍い音をたてて面を扉に打ち付けていく。
その内に亀裂が入り、割れるかもしれない。
そうすれば、また元のように。

どのくらいそうしていたのか、嘲け笑う声がした。
あの夢の、深紫の袍を纏っていた者の声だった。


『我と手を組め。
さすれば、そのような所から今すぐにでも出られよう』

「……誰が」


怨霊と手を組むなんて、どうかしてる。
そこまで腐っていない。


『……顔に似合わぬ気性だ。
ならば己の目で確かめるがよい。
人の世が、どんなに悪にまみれているかを。
我は、いつでも歓迎するぞ』


声が微かに笑うのと同時に、鉄扉がゆっくりと開いた。
月の光が射し込む。
あと数日もあれば、姿を隠してしまうだろう下弦の月の光。 
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