彼の呪は密やかに紡がれる

ちよこ

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酒呑童子④

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京の夜も暗いが、山の夜はより暗い。
これまで口をつぐんでいた頼光が初めて晴明に話しかけた。
闇の中ですら際立った瞳。


「晴明殿、一つお願いがあるのですが」


綱に目配せをし、替え馬にくくっていた桐の箱を取り出させた。
中から出てきたのは一つの酒瓶。


「これに呪をかけていただきたいのです」

「呪、ね。
何のためにだ?
もうお前等の太刀や狩衣にはかけたはずだ」 

「鬼を眠り込ませるのです」


鬼を眠り込ませ、抵抗をする術を奪い、首を跳ねる。
何の感慨も含まれてない声色で頼光が言う。


「正々堂々戦うのではないんだな?」


口をつぐんだ晴明の変わりに梨花が口を開いた。
眉は寄り、怒りを隠そうともしない。 


「相手が人だったら正々堂々立ち向かうさ。
でもさ、相手は鬼だ。
それに、駆除するのには一番手っ取り早い方法だし」


反論するあどけない声。
相変わらず可愛らしい顔にそぐわない発言をする。


「金時の言う通りだよねー。
人じゃない相手に仁義を通しても仕方ないってゆーヤツ?」

「まぁ、あまり好ましくはないですが、一番確実ですしね。
俺達の使命は酒呑童子を討つことですから」


季武まで同意を見せる。
皆、姑息な手段を使う事に躊躇いがない。
それは相手が人にあらず、悪とされる鬼ゆえに。 


「綱、お前もこの方法に賛成なのか?」


堪り兼ねた梨花が一人、憂鬱そうな顔をした綱に尋ねる。
突然話を振られた綱は驚いた顔を見せたが、すぐに眉尻を下げて笑った。


「私達が要点を置いているのは、京の治安を守る事ですから。
手段は問題になりません」


困ったような笑い。
これがこの男の常の笑い方なのか、知り合って二度目の梨花にはわからない。


梨花は小さなため息をつき、視線を晴明に向けた。
彼はまだ一度も口を挟んでいない。
その白銀の瞳は頼光を見据えていた。 


頼光の瞳は揺るがない。
ただ一つの信念のために動いている。
過程など問題ではなく、結果のみを見通していた。
しばらく黙って視線をぶつけ合っていたかと思えば、不意に晴明が笑いだした。


「……晴明?」

「いいぞ、呪でもなんでもしてやる」


面白そうに笑い声をもらす。
今、笑うべき所なのだろうか。
だが、呪をかけるもかけないも、決めるのは晴明だ。
梨花が口出しする事ではない。
納得いかない表情を浮かべながらも、そのまま晴明が吐息を吹き掛けるのを見ていた。 


酒瓶が一瞬淡く光ったのを目の当たりにして、頼光が感嘆のため息をついた。


「本当に面妖なものがこの世にはあるのですね。
初めて呪というのを見ました。
先程は私達にかけられた時はこのようにはならなかったですから」

「信じてなかったのか?」


眉を少し上げ晴明が問うと、反対に頼光は眉尻を少しだけ下げて困ったように答えた。


「信じてなかったわけではありませんが、大方は人々の思い込みだろうと。
これで鬼も容易く眠りに落ちてしまうのですか?」


頼光が蓋を開け、匂いを嗅いだ。
さすがに舐めることは出来ないが、なんら変わっていないように思える。 


「意識はあるだろう。
夢現のような状態で、少なくとも手足の自由は利かない。
常人なら昏睡だろうがな。
お前、試してみるか?」


いかにも酒好きそうな貞光に声をかけるとプルプルと首を振った。


「いや、遠慮しときまーす。
俺、普通の酒でバッターンですからー」

「お前、一口飲んだら何されても起きないもんな」


ククッと金時が笑った。
意外にも、下戸に近い状態らしい。
もしかすると嗅いだだけで危ういかもしれない。 


「では行きましょうか。
それとも、少しここで休んでいきます?」


頼光から受け取った酒瓶を元通り箱にしまい、馬にくくり終わった綱が言う。
貞光は賛成しかけたが、堅実な季武が一刻も早く行く事を提案した。


「丑の刻が近付くにつれ、妖の力は強まるらしいから、急いだ方がいいと思うんだけど」


また、下調べは入念にしてきたらしい。
月明かりがないため頼るのは星の位置のみだが、今はきっと亥の刻(約午後10時)辺りだろう。


どうやらゆっくりと来すぎたとみえる。
ついさっき日が暮れたばかりのような気がするのに。 

再び牛車が軋みをあげつつ動き出す。
粗末な道を小石をはね除け、草を倒し、ゆらり揺られて。

山道を、それも足元を僅かばかり照らすだけの松明一つで進んでいるのだから致し方ないと言えばそれまでだが。
これならば徒歩で登った方が少しはマシなのではないか。
幸い梨花も袿の下は動きやすい水干を着込んでいる。


「おい、俺達も歩いていく」


ついに晴明が廉を上げ、牛をひく貞光に話しかけた。 


「んー、別にいいですけどー」


「山頂まであと半分以上ある。
普段動かない軟弱貴族にはキツいと思うけど?」


金時が皮肉っぽい笑みを浮かべて言う。
突っかかられるような事をした覚えはないのだが。


「お前、そんなんじゃ一生独り身だな」


晴明はククッと笑い、前から降りた。
闇で見えないが、金時の顔は季武の頬のように赤くなっているだろう。 


続いて梨花も降りると綱が声をかけてきた。


「女性を歩かせるわけにもいきません。
私の馬にお乗りください」

「いや、いい。
山道散策など滅多に出来ぬからな。
疲れたら、わらわ専用の足がおる」


梨花はニッと笑い、晴明を見た。
きっと朱雀の事を指しているのだろう。
晴明の式だったはずなのに、すっかりいいように使われている。 

夜目が利くのか、梨花は灯りも持たずに道を行ってしまった。


「あっ、ちょっと、
先に行くのは危ないよー?」


貞光は声はかけるが、追いかける様子は見せない。


「晴明殿、良いんですか?」

「……良くない。
アイツ、放っといたらどこまででも行くぞ」

「えぇっ、何落ち着いてるんですかっ!
梨花殿~っ待ってくださいっ!!」


赤い頬を青ざめさせた季武が、梨花が歌っているのだろう鼻歌のする方に走っていった。
綱は唖然と見ている。 


「……大丈夫でしょうか」

「いーんじゃない?
季はあぁ見えてしっかりしてるし、多分強いし?」


ケラケラと貞光が笑う。


「お前、最初っから季武に追いかけさせる気だったろ」

「こんなに子守りがいるのにどうして俺が動かなきゃいけない?
この中で一番年寄りだぞ?」


口角を綺麗に上げ、晴明もまた進む。
今度は頼光に馬を勧められたが断った。
きっと馬も乗り心地は良くはない。 


「綱、我等も馬を降りるか」


貴族に仕えてる身としては極りが悪かったのか、頼光と綱も馬を乗り捨てた。
連れていくのは酒瓶を担いだ馬のみ。
ゆったりと山道を登っていく。
怪しげな気配もなく代わり映えのない道を登り続けていくうちに綱がクスクスと笑いだした。


「なんだか酒瓶が一番高位みたいですね」

「確かにー。
でも作戦の要だし、ある意味間違ってないよねー」

「綱、貞光、無駄口を叩くな。
先を急ぐぞ。
あの二人に先に辿り着かれては心許ない」


ピシャリと言われ、二人は肩をすくめた。
雑談を禁じられては、間が持たない。 


だが、沈黙していたのは瞬きの間ほど。
喋るなと言われれば喋りたくなる。


「頼光、満仲は今何してる?」


晴明は一番先を行き、一番無口な男に声をかけた。


「……何を思ったか出家して、今は満慶と名乗っています」

「何も憂い事などないのに?」

「私もそう思います。
あの人の考えている事はわからない」


淡々と、同じ調子で歩を進め、言葉を吐く。
薄灯りに照らされた顔もまた変わらない。 


「まるで他人のような口ぶりだな」

「昔から反りが合わないのです。
私は父のように媚びへつらいながら生きるのはまっぴらですから。
ましてやその果てに得た栄華を投げ捨てるなど、理解に苦しみます」


その言葉尻に薫るは静かな憎しみ。


鵺の件を契機に源氏と藤家は蜜月の関係にある。
今や朝廷になくてはならない。
いくら反りが合わないとはいえ、今の地位を作り上げた満仲をどうして毛嫌いするのだろう。
どれだけ生きても人の心は諮りかねる。 


「へつらうのは悪いことか?」


武門に生まれた者は皆例外なく公卿、或いは帝に使える。
それは何があっても逆転することはない。
例えそれが天皇の曾孫にあたる者だとしても。

頼光が足を止めた。
後を追ってきていた晴明の方に向き直り、にこりと笑った。


「媚びるのではなく、利用するのです。
あの方々は我等の糧となるために存在するのだから」


傲慢ともいえる野心を剥き出しにした笑み。
それは酷く歪んでいるのに、美しかった。
闇夜に突如現れ出た月のような。 

どちらにしろ忠実に仕えるのには変わりがないんだろう、とは言わずにおいた。
他人にとっては同じように見えても、彼の中では天地ほどの差があるのだろうから。
代わりに晴明は柔らかく笑った。
完璧なように見えて腹黒いのに、少し間の抜けてる男は嫌いじゃない。


「結構な事だ。
では俺は道長にでも忠告しておくかな。
取って喰われぬ内に逃げろと」


冗談混じりの声色で言うと初めて頼光が若者らしい笑みを見せた。
造りは全く違うのに、満仲そっくりだった。


「~っ頼光様ー!
何ですか今の笑顔ーっ!
もっかい笑って下さいよーっ!!」


ずっと後ろで聞き耳をたてていたのだろう、
貞光が興奮した様子で頼光に駆け寄った。
もっとも、抱き付く事は叶わずに代わりに眉間に容赦ない一撃をくらったのみだったが。 


「うるさい、近付くな」

「……はぁーい」


クッキリと浮かび上がったすね当ての痕を擦る。
黄金に纏われた蹴りをまともにくらって平然としている貞光も変わっているが、動じない周りも変わっている。



「ひょっとしてこれも日常なのか?」


少し呆れたように尋ねると、お決まりの苦笑で答えが帰ってきた。


「まぁ、頼光様足癖悪いですから」

「主に被害は貞光ばっかだけど」

「ねー?
頼光様俺にきびしーっていうの?
捌け口にされてる感じ」 


頼光はケラケラと笑いながら懲りていない様子の貞光をため息をつきながら見た。


「……いつもお前は一言余計なんだ」

「えぇー?
何も言わなくても足蹴にしてるじゃないですかー!」

「プッ……存在が余計なんだろ」


金時のその一言に綱が気付かれないよう笑いを噛み殺していた。
肩がふるふると震えていて丸わかりなのだが。 


「綱、何笑ってんのー!」

「……笑ってなんかいません」

「ハハッ、綱は嘘が下手くそだな」


後ろでじゃれ合うように話す三人を眺めていた頼光が晴明に目を向け、口を開いた。


「晴明殿は右京の生まれだとお伺いしましたが、真でしょうか」

「だったとしたら何なんだ?」


何の脈絡もない、不躾な質問に晴明は眉を少しだけ寄せて尋ね返した。
別に隠しているわけではないが、誰かに言った覚えもない。 

その表情に気分を害してしまったのだと感じた頼光は少しばかり頭を垂れた。
だが瞳は悪びれず、言葉を紡ぐ。


「晴明殿ならよくおわかりでしょう?
廟堂に居並ぶ面々は、そこに座する者しか人としては認めないと言う事を。
武家に生まれた者は畜生のようにこきつかわれ、学もないと馬鹿にされ、
右京の者に至っては何万人と餓死者が出ても見知らぬふりで公卿は丸々肥えてゆく。
あいつらも顔には出しませんが、京に来るまでは口では言えぬような仕打ちを受けてきました」


頼光は再び視線を後ろで騒ぐ三人に戻した。
苦々しさを偲ばせて。 


「どうして同じ人として生まれながらもこうも格差があるのでしょう。
公卿の子息はどれだけ能なしでも崇められ、我等はどんなに尽力しても所詮畜生と変わらぬ扱い」

「だから利用して、のしあがるか?」


単純といえば単純。

立ちはだかるのなら、引き摺りおろせばいい。
言葉で言うほど容易くはないけれど。 


「才覚あるものが認められる世ほど素晴らしいものはないと思いませんか?」

「……そうだな」


そうして少しずつ個性を受け入れていけるような世の中になれば。
そうすれば、梨花のような者も生きやすくはなるのかもしれない。

少し変わってはいても人の子には違いない。
平等に扱われる権利がある。
梨花だけじゃない、同じような境遇の者があとどれだけいるだろう。 


「お前は、この世を変えられると思うか?」

「変えるためにいるのです。
そのために早く鬼討伐をしなければいけませんけれど」


キッパリと言いきり、体を前に向けて山道を登っていった。
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