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那智の少女
しおりを挟む──見鬼
文字通り鬼など、この世にあらざるものを視ることが出来る人間。
この能力を持つものは決して多くはないはずなのに、類は友を呼ぶ。
いつしかこの屋敷にまた一人、見鬼が増えた。
時折訪れる程度だったのが、一日、二日といるようになり、ついには主人であるかのような顔をして居座るようになっていた。
「こら、朱雀!
ちゃんと床を磨け!」
たおやかな薄桃色の唐衣に菫の刺繍を施した可憐な容姿の少女が、似合わぬ物言いで朱雀に怒鳴る。
『……ちゃんと磨いてんじゃねぇか』
「甘いッ!
床掃除を終えたら次は庭木の手入れだぞ?」
朱雀が訴えるような視線を晴明に投げ掛けると、小さなため息をつき、少女に話しかけた。
「梨花、その辺で勘弁してやれよ。
大体俺の式神をなぜお前が使役している?」
梨花と呼ばれた少女はしきりに頷く朱雀を一睨みし、晴明に詰め寄る。
「だからこんな破れ屋敷みたいなのだ!
少しはきちんとせねば!」
「俺の屋敷をどうこうしようとお前には関係ないだろう?
さっさと那智に帰れ」
「晴明がわらわを嫁にしてやると言ったのであろう!
だから家を捨ててはるばる来たのになんだその言い草は!?」
恐ろしい程の剣幕で捲し立てる梨花に晴明は記憶を辿る。
あれは、師貞の那智修行に付き合った帰りだった。
山の景色に心を奪われた師貞はいつものごとく、予定にもない山籠りをすると言い出して──……。
「……では私はその辺りで食物を探してきましょう」
「うん、よろしく頼むね」
とはいえ、修験道とは遠くかけ離れた場所に庵などはない。
しばらく獣道を下り、辺りを注意深く人の気配がないかを探ったが、徒労に終わった。
「……仕方ないな」
フッと息を吹き、朱雀を呼び出した。
用件を薄々感じている面持ちだったが、朱雀は改めて晴明に確認をとる。
『……また雑用か?』
「わかってるなら早く兎の一つでも狩ってこい」
ブツブツ言いながら木々を越え、しばらくたって手に抱えて持って帰ってきたのは少女だった。
「……俺は兎を狩って来いって言ったはずだよな?」
『……崖下に落ちてたんだよ。
晴明は見て見ぬフリをしろっていうのか?』
居心地が悪そうに体を小さくしながらも口を尖らせて反論した。
確かに正論だ。
「……生きてるのか?」
『死んじゃいねぇけど、骨の一、二本はイカれてるだろ』
木陰に寝かせた少女を覗き込むが、確かに気絶しているだけらしく、静かに胸元が上下していた。
「……とりあえず師貞様のおられる庵に運ぶか。
どうしてこう面倒事ばっか起こるんだ」
ふう、とため息をついた時、少女が目を覚まし、起き上がった。
まるで昼寝から目覚めたかのように軽やかに。
「……ここはどこだ?」
「……お前体は痛まないのか?」
少し呆気にとられた晴明が訊ねると、睨み返された。
その表情からは痛みなどは読み取れない。
妖かとも思ったが、その気配はなく、崖下に落ちていたという事の方が嘘に思えた。
「……崖から落ちたんだよな?」
思わず確認をとってしまった。
すると少女の傲慢さは身を潜め、しおらしい声色で、
「……落ちたのではないが、結果的にはそうなるな……」
と答えた。
落ちるということの行程に違いがあるのかはさっぱりわからなかったが、体に怪我などは見てとれなかったので、その場を立ち去ることにした。
「道までこの童に案内をさせよう。
それから先は道なりに下ればいい」
顎で朱雀に送るよう促す。
これ以上関わると面倒な事に必ずなると五感が警告をしていた。
「式などに送らせるのではなく、そなたが送れ!」
元の傲慢さを取り戻した少女が晴明を指差し、言った。
「……は?
お前、式だってわかるのか?」
確かに髪の色は異色だが、見た目はその辺の童と変わりはない。
大体普通の姫が式神と言う言葉自体を知っているはずもない。
首を傾げる晴明に少女は更に言葉を続けた。
「そなたは狐じゃな?
うまく人間に化けておる」
「……化けてなどいない。
お前、視えるのか」
少女はコクリと頷く。
「物心ついた時から当たり前のように視えていた。
お陰で父からも母からも化け物扱いだ」
あぁ、そういうことか。
この娘は落ちたのではなく、落とされたのだ。
陰陽師ともなれば尊ばれるのに、普通の世界に生きるものがその能力を有すると、気味悪がられ、疎外される。
鬼がとりついているのではとあらぬ噂をたてられ、誰も個性の一つとは認めない。
「お前、家に帰るのか?」
帰そうとしていたのは自分なのに、急に帰すのが不憫になった。
己を殺そうとした者達の中に果たして帰りたいものなのだろうか。
「……帰るしかないであろう。
わらわは他に拠るべき所がない」
「……ふぅん、ではたまには遊びに来いよ。
土御門の晴明と言えば誰もが知っている」
特に深い意味はない言葉。
居心地の悪い中に居続けたら堪らないだろうと、ただそれだけだ。
決して嫁になどとは言っていない。
「梨花、お前の耳はどうなってるんだ?
俺は遊びに来いと、そう言っただけだ」
「いや、目が物語っていた。
わらわを嫁にしたい、離れたくないと」
「……だったら俺にはまだ知らぬ妻が何人もいるな」
ため息をつき、晴明はゴロリと寝転がった。
もう討論するのすら面倒臭い。
梨花は既に口の矛先を朱雀に向けて言い合っている。
他愛ない言い合いだった。
晴明は瞼を閉じ、くすりと笑った。
どうやら晴明はこの喧騒は嫌いではないらしい。
耳を撫でる言葉を感じ、うららかな日射しを浴びながら晴明は眠りについた。
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