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第一章
第24話
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家庭教師の仕事を終えた千尋は、東雲綾乃と約束したカフェへと向かった。
出迎えてくれた店員に「待ち合わせをしています」と伝えると、「もういらっしゃっていますよ。」と窓際の奥の席を案内された。
ボブスタイルの綾乃が、どこか所在なさげにカフェラテを飲んでいる。
「綾乃ちゃん?」
声をかけると、綾乃ははっと顔を上げた。
それまでどこか怯えたように見えた表情が、千尋の顔を確認するとほっとしたのか少しだけ表情を緩ませた。
初めて会った時から感じていたのだが、この子はいったい何に怯えてるのだろうか。
そんな疑問が浮かんだが、綾乃の手首に視線を移した瞬間その疑問はすぐに消え去ってしまった。
思わず、眉を歪める。
カバンを置くと、綾乃の向かい側に座って店員にアイスコーヒーを注文する。
店員が去ったのを見計らって、綾乃に声をかけた。
「綾乃ちゃん、その手…どうしたの?」
綾乃の手には包帯が巻かれていた。
「あ……っ」
千尋が問うと、綾乃はバツが悪そうに手を引っ込めて目線を反らす。
突っ込んで聞かないほうがいいのだろうかと思ったが、見てしまったものは放っておくわけにはいかない。
それに、何かを話したかったからこそこうやって千尋を呼び出しているのだ。
「綾乃ちゃん、何かあったの?」
「………」
不安げな上目遣いでこちらを見る綾乃に、千尋はそっと手を重ねて微笑む。
「何か聞いてほしいことがあるから呼んでくれたのよね?大丈夫、ゆっくりでいいから話して。」
千尋の言葉に気持ちが緩んだのか、綾乃の目が潤む。
綾乃は少しの逡巡の後、ぽつりと話し始めた。
「誰かに…脅されているんです。」
「え?」
「千尋さんにこの前、話しましたよね。これまで西園寺さん達に話しかけた人達が次々とケガをしていくって。」
「うん。」
「でもそれは…人に言ってはいけないことだったんです……あぁ、だからこんなことに………」
パニックになっているのか、綾乃の言葉には脈略がない。
千尋は落ち着かせるように、手を優しく擦ってあげる。
「これまで学校内で、西園寺さんと関わったことでケガをしたという噂が流れたことはありませんでした。」
綾乃の話を聞いて、深海薫の話を思い出した。
彼女も言っていたのだ、学校内でそんな話は聞いていないと。
これまで綾乃が嘘をついていると疑ってしまっていたが、今の綾乃の話を聞く限り一応話は一致している。
嘘をついていたという可能性は、やはり低そうだ。
「おかしいと思いませんか?……もう十一人もケガをしているんですよ。さすがに、これだけ続いていたら、被害を被った子も気づくはずですし…本人が言うはずです。」
懸命に訴える綾乃の頬を、一筋の涙が伝う。
千尋は同意の言葉の代わりに、小さく頷いた。
「だから……思ったんです。もしかしたら……ケガした子たちは、口留めされているのかもしれないって。」
「口留め?」
「たぶん……誰かに脅されているんじゃないでしょうか。そのことを、公言しないように。」
綾乃の言葉に、とっさに反応できなかった。
全身にひやりと冷たいものが伝った感覚がした。
「それって…果穂ちゃんと瑞穂ちゃんがってこと?」
綾乃は少し唸った後、首を横に振った。
「……たぶん、違うと思います。私が襲われた時、西園寺さんは別なところにいたっぽいから。」
「……襲われた?!」
思わず身を乗り出して声を大きくすると、綾乃が慌てたように唇に人差し指を当てた。
ごめん、と言って腰を下ろす。
綾乃は包帯が巻かれた手を、千尋の方にゆっくりと差し出した。
「実はこれ、数日前に誰かに襲われてできたものなんです。」
「……え?」
「その日私は塾があったので帰りが遅くなったんです。その塾の帰り道…私は人気のない道で何者かに襲われました。おそらくナイフのようなもので切り付けられたんだと思います。……殺すつもりはなかったんでしょう、犯人はそのまま走って逃げていきました。暗かったのと咄嗟だったので、残念ながら犯人の顔までは見ていません。」
綾乃の話を聞きながら、いつの間にか綾乃よりも自分の方が冷静さを失っていることに気付いた。
さきほどまで綾乃をさすっていたはずの自分の手が、小刻みに震えている。
千尋は気持ちを落ち着かせるために両手をぎゅっと握りしめた。
「おそらく、ケガのことを栗原さんに話してしまったことが原因じゃないかと……だから犯人は、警告の意味を込めて再度襲ってきたのかもしれません。だから本当は今日も栗原さんにお話をすべきか迷ったんですけど、ここままじゃまた被害が出ちゃうと思って……私はクラスでも友達と呼べる人もいないし、自分だけでは抱えきれなくって、それで栗原さんに……」
綾乃が、言葉を詰まらせながら懇願するように見つめてくる。
二度も襲われて、とても怖い思いをしたはずだ。
千尋に話したことで、また襲われるかもしれない危険性だってある。
それでもたった数回しか会っていない相手に勇気を出して話してくれた綾乃に、千尋は胸が詰まる思いだった。
「頑張って話してくれてありがとう。…しばらくは一緒に帰ろうか。一人じゃ不安だと思うし。私が帰りに迎えに行ってあげるから。あ、私の友達一人だけ今回のとこ話しておきたいんだけど思うけど…大丈夫かな?私の一番信頼できる友達なの。きっと力になってくれるから。」
そう問うと、綾乃は涙で顔を破綻させながらこくりと頷いた。
なんとか、この子の力になってあげたい。
その意味を込めて、もう一度綾乃の手を優しく包み込むように握りしめた。
それ以外でもなにかあったら必ず連絡をするようにと伝え、その日綾乃とは別れた。
出迎えてくれた店員に「待ち合わせをしています」と伝えると、「もういらっしゃっていますよ。」と窓際の奥の席を案内された。
ボブスタイルの綾乃が、どこか所在なさげにカフェラテを飲んでいる。
「綾乃ちゃん?」
声をかけると、綾乃ははっと顔を上げた。
それまでどこか怯えたように見えた表情が、千尋の顔を確認するとほっとしたのか少しだけ表情を緩ませた。
初めて会った時から感じていたのだが、この子はいったい何に怯えてるのだろうか。
そんな疑問が浮かんだが、綾乃の手首に視線を移した瞬間その疑問はすぐに消え去ってしまった。
思わず、眉を歪める。
カバンを置くと、綾乃の向かい側に座って店員にアイスコーヒーを注文する。
店員が去ったのを見計らって、綾乃に声をかけた。
「綾乃ちゃん、その手…どうしたの?」
綾乃の手には包帯が巻かれていた。
「あ……っ」
千尋が問うと、綾乃はバツが悪そうに手を引っ込めて目線を反らす。
突っ込んで聞かないほうがいいのだろうかと思ったが、見てしまったものは放っておくわけにはいかない。
それに、何かを話したかったからこそこうやって千尋を呼び出しているのだ。
「綾乃ちゃん、何かあったの?」
「………」
不安げな上目遣いでこちらを見る綾乃に、千尋はそっと手を重ねて微笑む。
「何か聞いてほしいことがあるから呼んでくれたのよね?大丈夫、ゆっくりでいいから話して。」
千尋の言葉に気持ちが緩んだのか、綾乃の目が潤む。
綾乃は少しの逡巡の後、ぽつりと話し始めた。
「誰かに…脅されているんです。」
「え?」
「千尋さんにこの前、話しましたよね。これまで西園寺さん達に話しかけた人達が次々とケガをしていくって。」
「うん。」
「でもそれは…人に言ってはいけないことだったんです……あぁ、だからこんなことに………」
パニックになっているのか、綾乃の言葉には脈略がない。
千尋は落ち着かせるように、手を優しく擦ってあげる。
「これまで学校内で、西園寺さんと関わったことでケガをしたという噂が流れたことはありませんでした。」
綾乃の話を聞いて、深海薫の話を思い出した。
彼女も言っていたのだ、学校内でそんな話は聞いていないと。
これまで綾乃が嘘をついていると疑ってしまっていたが、今の綾乃の話を聞く限り一応話は一致している。
嘘をついていたという可能性は、やはり低そうだ。
「おかしいと思いませんか?……もう十一人もケガをしているんですよ。さすがに、これだけ続いていたら、被害を被った子も気づくはずですし…本人が言うはずです。」
懸命に訴える綾乃の頬を、一筋の涙が伝う。
千尋は同意の言葉の代わりに、小さく頷いた。
「だから……思ったんです。もしかしたら……ケガした子たちは、口留めされているのかもしれないって。」
「口留め?」
「たぶん……誰かに脅されているんじゃないでしょうか。そのことを、公言しないように。」
綾乃の言葉に、とっさに反応できなかった。
全身にひやりと冷たいものが伝った感覚がした。
「それって…果穂ちゃんと瑞穂ちゃんがってこと?」
綾乃は少し唸った後、首を横に振った。
「……たぶん、違うと思います。私が襲われた時、西園寺さんは別なところにいたっぽいから。」
「……襲われた?!」
思わず身を乗り出して声を大きくすると、綾乃が慌てたように唇に人差し指を当てた。
ごめん、と言って腰を下ろす。
綾乃は包帯が巻かれた手を、千尋の方にゆっくりと差し出した。
「実はこれ、数日前に誰かに襲われてできたものなんです。」
「……え?」
「その日私は塾があったので帰りが遅くなったんです。その塾の帰り道…私は人気のない道で何者かに襲われました。おそらくナイフのようなもので切り付けられたんだと思います。……殺すつもりはなかったんでしょう、犯人はそのまま走って逃げていきました。暗かったのと咄嗟だったので、残念ながら犯人の顔までは見ていません。」
綾乃の話を聞きながら、いつの間にか綾乃よりも自分の方が冷静さを失っていることに気付いた。
さきほどまで綾乃をさすっていたはずの自分の手が、小刻みに震えている。
千尋は気持ちを落ち着かせるために両手をぎゅっと握りしめた。
「おそらく、ケガのことを栗原さんに話してしまったことが原因じゃないかと……だから犯人は、警告の意味を込めて再度襲ってきたのかもしれません。だから本当は今日も栗原さんにお話をすべきか迷ったんですけど、ここままじゃまた被害が出ちゃうと思って……私はクラスでも友達と呼べる人もいないし、自分だけでは抱えきれなくって、それで栗原さんに……」
綾乃が、言葉を詰まらせながら懇願するように見つめてくる。
二度も襲われて、とても怖い思いをしたはずだ。
千尋に話したことで、また襲われるかもしれない危険性だってある。
それでもたった数回しか会っていない相手に勇気を出して話してくれた綾乃に、千尋は胸が詰まる思いだった。
「頑張って話してくれてありがとう。…しばらくは一緒に帰ろうか。一人じゃ不安だと思うし。私が帰りに迎えに行ってあげるから。あ、私の友達一人だけ今回のとこ話しておきたいんだけど思うけど…大丈夫かな?私の一番信頼できる友達なの。きっと力になってくれるから。」
そう問うと、綾乃は涙で顔を破綻させながらこくりと頷いた。
なんとか、この子の力になってあげたい。
その意味を込めて、もう一度綾乃の手を優しく包み込むように握りしめた。
それ以外でもなにかあったら必ず連絡をするようにと伝え、その日綾乃とは別れた。
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