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第一章
第17話
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換気をするために窓を開けると、優しい風が頬を撫でる。
春ももうすぐ終わってしまうな、と千尋は瞼を閉じると思い切り息を吸い込んだ。
今日は大学は休みだが、家庭教師の仕事がある。
そしてその後に、湊と軽くお茶をする予定になっていた。
千尋は鏡に向かい、軽く化粧をして背中まで伸びた髪を一つに結って星の形をしたペンダントを付ける。
気軽な格好でいいのにと明美は言ってくれるが、西園寺家に行くのに普段通りの格好で行くわけにはいかない。
千尋はそっと、そのペンダントに手を触れた。
これは湊に初めてもらったプレゼント。
千尋はいつも、このペンダントを肌身離さず付けている。
千尋にとっては、何よりも一番の宝物だった。
(湊がバイトを始めたばかりの時だから、決して高くはないものだけれど。)
溜めたお金で真っ先にプレゼントをしてくれた湊の想いが、じんわりと千尋の心を温めてくれる。
千尋はよし、と一つ気合を入れると西園寺家へと向かった。
西園寺家に行くと、道彦がソファでくつろぎながらテレビを見ていて、その横には瑞穂が寄り添うように座っていた。
千尋が驚いていると「今日は休みなんだよ」と笑った。
明美は買い物に出かけているようで、不在だった。
道彦は普段とても忙しくしていて、千尋が家庭教師をしている時間に家にいることはほぼほぼない。
「奥様も娘さんたちも、旦那様がいらっしゃらないと寂しいでしょうね。」
何気なくそう言うと、「まぁ仕事だからね。」と軽く返された。
「特に瑞穂ちゃんは旦那様のことが大好きなようです。いつも帰りを首を長くして待っていますよ。」
千尋がそう言うと、道彦がリモコンに手を伸ばしてテレビを消した。
「千尋ちゃんもかい?」
「はい?」
「千尋ちゃんも待っていてくれるのかい?」
「え?えっと……はい?」
聞かれている意味が分かりかねて困惑しながら答えると、道彦は冗談だよ、とおかしそうに笑った。
「千尋ちゃんは本当に可愛らしいね。」
道彦は目を細めて千尋を見つめる。
「君は恋人がいるのだろう?」
「ええ。います。」
「彼氏くんが羨ましいね、こんな可愛い子がいつも隣にいて。」
「そんなことないですよ。」
照れくさくなって思わず二歩下がると、道彦は千尋の手首を掴んだ。
思わぬ出来事にびっくりして思わずひっと声を上げてしまう。
「腕…細いね、ちゃんと食べてるのかい?」
「た、食べてますよ。」
さりげなく手を引こうとしたがさらに力を込められ、手を離してくれる様子はない。
どうすれば良いか分からず、顔を引きつらせる。
「あ、あの?旦那様?」
突然、道彦の手がぱっと離れた。
ほっとしたのもつかの間、顔を上げて千尋はまたしても軽くひゃっくりのような悲鳴を上げる。
前の前には、いつ戻って来たのか明美がいたのだ。
いつからいたのだろうか。
もちろん、千尋にはやましいことはなにもない。
何もないのだが、声もかけずにずっと見られていたのかと思うと冷や汗をかいた。
思わず千尋は立ち上がって挨拶をする。
「お、お邪魔しております!」
しかし明美は、いつものように「いらっしゃい。」と口に手を当てて微笑んだ。
だけど目が笑っていないような気がして、千尋はぞっとする。
「千尋さん、お勉強の前にお紅茶でもどう?またご近所の肩からクッキーもいただいたのよ。」
カーディガンを脱ぎハンガーにかけると、明美は髪の毛を一つに結わえながら台所に入った。
その仕草があまりにも自然で艶っぽく、千尋は思わずどきりとした。
下を向いているので表情までは分からないけれど、いつも通りのような気がする。
千尋はほっと胸を撫でおろした。
しかし。
「痛っ!」
台所から明美の声が聞こえ、千尋は思わず駆け寄った。
「奥様!大丈夫ですか?!」
「え、ええ…指を切ってしまっただけよ。」
「大変!!私、すぐに絆創膏を……」
そう言って立ち上がろうとした瞬間、思い切り手首を引っ張られた。
突然のことにバランスを崩し、千尋は尻もちをつく。
顔を上げると、目の前にはいままで見たこともないような形相の明美の顔があった。
「……あなたもなの?」
「……え?」
「あなたも奪っていくの?…私から……っ」
「お、奥様…?」
女の人とは思えないほどの力で肩を掴まれ思わず顔を歪めると、明美ははっといつもの表情に戻った。
「千尋さん……ごめんなさいね。ちょっと疲れているんだわ。」
明美は弱々しくそう言うと立ち上がり、台所を出ていった。
一人取り残された千尋は、しばらく呆然とその場に座り込んでいた。
春ももうすぐ終わってしまうな、と千尋は瞼を閉じると思い切り息を吸い込んだ。
今日は大学は休みだが、家庭教師の仕事がある。
そしてその後に、湊と軽くお茶をする予定になっていた。
千尋は鏡に向かい、軽く化粧をして背中まで伸びた髪を一つに結って星の形をしたペンダントを付ける。
気軽な格好でいいのにと明美は言ってくれるが、西園寺家に行くのに普段通りの格好で行くわけにはいかない。
千尋はそっと、そのペンダントに手を触れた。
これは湊に初めてもらったプレゼント。
千尋はいつも、このペンダントを肌身離さず付けている。
千尋にとっては、何よりも一番の宝物だった。
(湊がバイトを始めたばかりの時だから、決して高くはないものだけれど。)
溜めたお金で真っ先にプレゼントをしてくれた湊の想いが、じんわりと千尋の心を温めてくれる。
千尋はよし、と一つ気合を入れると西園寺家へと向かった。
西園寺家に行くと、道彦がソファでくつろぎながらテレビを見ていて、その横には瑞穂が寄り添うように座っていた。
千尋が驚いていると「今日は休みなんだよ」と笑った。
明美は買い物に出かけているようで、不在だった。
道彦は普段とても忙しくしていて、千尋が家庭教師をしている時間に家にいることはほぼほぼない。
「奥様も娘さんたちも、旦那様がいらっしゃらないと寂しいでしょうね。」
何気なくそう言うと、「まぁ仕事だからね。」と軽く返された。
「特に瑞穂ちゃんは旦那様のことが大好きなようです。いつも帰りを首を長くして待っていますよ。」
千尋がそう言うと、道彦がリモコンに手を伸ばしてテレビを消した。
「千尋ちゃんもかい?」
「はい?」
「千尋ちゃんも待っていてくれるのかい?」
「え?えっと……はい?」
聞かれている意味が分かりかねて困惑しながら答えると、道彦は冗談だよ、とおかしそうに笑った。
「千尋ちゃんは本当に可愛らしいね。」
道彦は目を細めて千尋を見つめる。
「君は恋人がいるのだろう?」
「ええ。います。」
「彼氏くんが羨ましいね、こんな可愛い子がいつも隣にいて。」
「そんなことないですよ。」
照れくさくなって思わず二歩下がると、道彦は千尋の手首を掴んだ。
思わぬ出来事にびっくりして思わずひっと声を上げてしまう。
「腕…細いね、ちゃんと食べてるのかい?」
「た、食べてますよ。」
さりげなく手を引こうとしたがさらに力を込められ、手を離してくれる様子はない。
どうすれば良いか分からず、顔を引きつらせる。
「あ、あの?旦那様?」
突然、道彦の手がぱっと離れた。
ほっとしたのもつかの間、顔を上げて千尋はまたしても軽くひゃっくりのような悲鳴を上げる。
前の前には、いつ戻って来たのか明美がいたのだ。
いつからいたのだろうか。
もちろん、千尋にはやましいことはなにもない。
何もないのだが、声もかけずにずっと見られていたのかと思うと冷や汗をかいた。
思わず千尋は立ち上がって挨拶をする。
「お、お邪魔しております!」
しかし明美は、いつものように「いらっしゃい。」と口に手を当てて微笑んだ。
だけど目が笑っていないような気がして、千尋はぞっとする。
「千尋さん、お勉強の前にお紅茶でもどう?またご近所の肩からクッキーもいただいたのよ。」
カーディガンを脱ぎハンガーにかけると、明美は髪の毛を一つに結わえながら台所に入った。
その仕草があまりにも自然で艶っぽく、千尋は思わずどきりとした。
下を向いているので表情までは分からないけれど、いつも通りのような気がする。
千尋はほっと胸を撫でおろした。
しかし。
「痛っ!」
台所から明美の声が聞こえ、千尋は思わず駆け寄った。
「奥様!大丈夫ですか?!」
「え、ええ…指を切ってしまっただけよ。」
「大変!!私、すぐに絆創膏を……」
そう言って立ち上がろうとした瞬間、思い切り手首を引っ張られた。
突然のことにバランスを崩し、千尋は尻もちをつく。
顔を上げると、目の前にはいままで見たこともないような形相の明美の顔があった。
「……あなたもなの?」
「……え?」
「あなたも奪っていくの?…私から……っ」
「お、奥様…?」
女の人とは思えないほどの力で肩を掴まれ思わず顔を歪めると、明美ははっといつもの表情に戻った。
「千尋さん……ごめんなさいね。ちょっと疲れているんだわ。」
明美は弱々しくそう言うと立ち上がり、台所を出ていった。
一人取り残された千尋は、しばらく呆然とその場に座り込んでいた。
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