―海神様伝説―

あおい たまき

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十一章 脱出

閉ざされた闇

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***
 ぴちょん。ぴちょん。
 雫が地面に落ちる音。凍てつくような風が肌に刺さる。しかし、背中は妙に暖かい。
 ゴウ。ゴウ。この音はなんだろう。


 紗英は、瞬きを繰り返す。辺りは、だいだいに光る黒々とした岩だ。痺れるようだった手のひらに、感覚が戻ってくる。

「あ……」
 声も出る。金縛りのように動かなかった体に力が入り、紗英はようやく、起き上がった。

「ここ、どこ」
 思い付くのは、芳郎がここへ連れてきたのだろうということ。その程度だ。


 辺りを見回して、後ろには松明。これが背を暖めていたのかと納得する。周りには岩しか見えない。更に前方は暗がりが続いていて、何も見えない。


 幹太はどこへ行っただろう。紗英の脳裏に残るのは、芳郎に顔を殴られた幹太の姿だ。あれっきり動かなくなって、どこかへ運ばれていった。

「か、んちゃん」
 探さなくては。


 紗英は不安を胸の奥にしまうと、落ちていた角材に松明の火を灯して、歩み始めた。下へ下へと、階段が続いていく。

「あ……」
 記憶が甦る。ここはイチと登って、がんがら崖の上の丘に向かった階段だった。ということは、ここはイチが長いこと住んでいた、洞窟だろう。がんがら崖のあの洞窟だ。


 ここで、イチは十三年もの時を、儀式のために費やし、勘助の血をすすってそれを完遂した。藤左衛門の孫娘のおつるも、ここで孫六の血肉を食んで海神の化身の力を手に入れた。


 この洞窟で、人が死んだ。いくつもの血が流れたに違いない場所。そう思えば、紗英の足は否応なく震えた。それでも前に進まなくてはならない。



「かんちゃん、どこ」
 幹太に会いたい一心だった。幹太の無事を祈りながら、岩壁に身を預けて、震える歩を進めていく。触れると手が痛くなるほど冷たい壁だ。歩み寄る方から吹く風は、凍えるようだった。


それもそのはずだ。この辺りは北国で、冬はとても厳しい。

それだのに紗英はセーターに、素足にスカート。足元は靴下だけだ。湿度の高い洞窟内に落つる水滴、もはや靴下は絞れる程、水分を含んでいる。それがまた紗英の体温を奪っていった。

 一思いに、紗英は靴下を脱いで、裸の足で地面を踏んだ。恐怖と不安と体温の低下に、体はさらにぶるぶると震えた。足の感覚がなくなり、もう歩けないと思ったときだ。


 長い階段が終わりを告げ、広場に出た。そこは……イチの祭壇があった場所だ。イチと勘助がひとつになった大岩の上に、人影が見える。


 松明をそちらに照らせば、幹太がうつ伏せで横になっていた。

「かんちゃんっ」
 紗英は力を振り絞って幹太に駆け寄る。そしてうつ伏せの幹太をやっと仰向けにした。

青い顔。唇の端には、内出血と傷がうかがえた。腕には縛られた後もあった。そして、手のひらには血に染まった包帯。紗英の為につけた傷。そして、紗英が食おうとした人差し指。



 紗英は己の恐ろしさに身震う。



「かんちゃん、ごめんね、ごめんかんちゃん」
 紗英は震える手で、まだ意識の戻らない幹太の髪の毛をゆっくりと撫でた。幹太は息を吐く。その細い息は、白くくすんで、立ち上る。

 それは、生きていることの証明のように感じた。一握りの救いだった。

「う……」
 やがて、幹太の口が紡ぐ唸りに、紗英は声をかけた。


「かんちゃん、かんちゃん」
 二度、三度と名を呼べば、その眼は開き、しっかりと紗英を見据えた。
「……紗英っ、おめー、大丈夫か」
 幹太がふいに見せた笑顔に、涙は滔々とうとうと流れる。


「大丈夫……ごめんね、ごめん。かんちゃん」
「こんなもん、屁でもねえよ、気にすんな」
 痛いはずだ。平気なわけもない。額には冷や汗が浮いている。紗英を思っての強がりに、胸がぎゅっと縮こまった。
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