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十一章 脱出
閉ざされた闇
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ぴちょん。ぴちょん。
雫が地面に落ちる音。凍てつくような風が肌に刺さる。しかし、背中は妙に暖かい。
ゴウ。ゴウ。この音はなんだろう。
紗英は、瞬きを繰り返す。辺りは、橙に光る黒々とした岩だ。痺れるようだった手のひらに、感覚が戻ってくる。
「あ……」
声も出る。金縛りのように動かなかった体に力が入り、紗英はようやく、起き上がった。
「ここ、どこ」
思い付くのは、芳郎がここへ連れてきたのだろうということ。その程度だ。
辺りを見回して、後ろには松明。これが背を暖めていたのかと納得する。周りには岩しか見えない。更に前方は暗がりが続いていて、何も見えない。
幹太はどこへ行っただろう。紗英の脳裏に残るのは、芳郎に顔を殴られた幹太の姿だ。あれっきり動かなくなって、どこかへ運ばれていった。
「か、んちゃん」
探さなくては。
紗英は不安を胸の奥にしまうと、落ちていた角材に松明の火を灯して、歩み始めた。下へ下へと、階段が続いていく。
「あ……」
記憶が甦る。ここはイチと登って、がんがら崖の上の丘に向かった階段だった。ということは、ここはイチが長いこと住んでいた、洞窟だろう。がんがら崖のあの洞窟だ。
ここで、イチは十三年もの時を、儀式のために費やし、勘助の血を啜ってそれを完遂した。藤左衛門の孫娘のおつるも、ここで孫六の血肉を食んで海神の化身の力を手に入れた。
この洞窟で、人が死んだ。いくつもの血が流れたに違いない場所。そう思えば、紗英の足は否応なく震えた。それでも前に進まなくてはならない。
「かんちゃん、どこ」
幹太に会いたい一心だった。幹太の無事を祈りながら、岩壁に身を預けて、震える歩を進めていく。触れると手が痛くなるほど冷たい壁だ。歩み寄る方から吹く風は、凍えるようだった。
それもそのはずだ。この辺りは北国で、冬はとても厳しい。
それだのに紗英はセーターに、素足にスカート。足元は靴下だけだ。湿度の高い洞窟内に落つる水滴、もはや靴下は絞れる程、水分を含んでいる。それがまた紗英の体温を奪っていった。
一思いに、紗英は靴下を脱いで、裸の足で地面を踏んだ。恐怖と不安と体温の低下に、体はさらにぶるぶると震えた。足の感覚がなくなり、もう歩けないと思ったときだ。
長い階段が終わりを告げ、広場に出た。そこは……イチの祭壇があった場所だ。イチと勘助がひとつになった大岩の上に、人影が見える。
松明をそちらに照らせば、幹太がうつ伏せで横になっていた。
「かんちゃんっ」
紗英は力を振り絞って幹太に駆け寄る。そしてうつ伏せの幹太をやっと仰向けにした。
青い顔。唇の端には、内出血と傷が窺えた。腕には縛られた後もあった。そして、手のひらには血に染まった包帯。紗英の為につけた傷。そして、紗英が食おうとした人差し指。
紗英は己の恐ろしさに身震う。
「かんちゃん、ごめんね、ごめんかんちゃん」
紗英は震える手で、まだ意識の戻らない幹太の髪の毛をゆっくりと撫でた。幹太は息を吐く。その細い息は、白くくすんで、立ち上る。
それは、生きていることの証明のように感じた。一握りの救いだった。
「う……」
やがて、幹太の口が紡ぐ唸りに、紗英は声をかけた。
「かんちゃん、かんちゃん」
二度、三度と名を呼べば、その眼は開き、しっかりと紗英を見据えた。
「……紗英っ、おめー、大丈夫か」
幹太がふいに見せた笑顔に、涙は滔々と流れる。
「大丈夫……ごめんね、ごめん。かんちゃん」
「こんなもん、屁でもねえよ、気にすんな」
痛いはずだ。平気なわけもない。額には冷や汗が浮いている。紗英を思っての強がりに、胸がぎゅっと縮こまった。
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