―海神様伝説―

六章 因果の始まり

日向の海神様

　*いがす……いいだろう

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「た、大変だ、大変だ……藤左衛門殿はおるかいの」
　ハチマキに、白い褌ふんどし。真っ黒に焼けた又六またろくという漁師が、集落長の藤左衛門とうざえもんの屋敷へ飛び込んできた。海からこの坂を駆けてきたのだろう。汗だくで、物を言うにも絶え絶えだ。

「へ、へい、ただいま」
これはただ事ではない、と女中はそう言葉を返して、藤左衛門を呼びに奥の間へと足を擦った。


　やがて出てきた藤左衛門は、白髭をたくわえた風格のある男だった。

「又六、何如なじょしくさった？」
　又六の焦り様を見て、藤左衛門は眉をひそめた。又六は女中が汲くんできた柄杓ひしゃくの水を、喉を鳴らしながら飲み干すと、ようやく藤左衛門に事を語る。

「そ、それが、日向ひむかでお生まれになった海神様わだつみさまに、お子が三人お産まれになって、そのお子らを、各地の海さ、点々と寄越す算段を立てとるって話らしいんですわ。ほんで、陸奥国むつこくらはおらいの海になったど、もっぱらの噂だんべ」

　藤左衛門は、ふむと唸って「それは有難い話だの」にやりと笑う。又六も側にいた女中も、顔を見合わせて青い顔をした。

「んだども、藤左衛門殿。おらいの土地にはもう氏神うじがみ様がおいでなさる。毎年、氏神様はおららの船に大漁を約束して下さっぺ。毎日毎日船で沖さ出てんのに、どうしたもんだか、高波にあったこともねえ。そこまでよくして下さる氏神様と、聞いたことしかねえ日向の海神様のお子を一緒に祀まつり立てるだか？」

　又六は、恐れ多いと感じながらも、藤左衛門に進言した。すると藤左衛門は、恍惚こうこつの笑みを崩さず、あっけらかんと又六に言い聞かせる。

「んでは、祠ほこらを増やせばいがす」
「そいつあ、この地域に二方の神を祀るということですかい」
　藤左衛門は、頷く。又六に一抹の不安がよぎった。又六は教養などないに等しいが、二つの神を祀るなど、聞いたことも無いからだ。

　又六が何やら考え込む様子を見るなり、藤左衛門の眉はぴくりと動く。

「なしただ、又六、おらの言うことに意でもあんのか」
　にこりと笑った藤左衛門。又六は背筋が凍る想いがして「いんや、なんでもねえだよ」そうつぶやいて、口をつぐんだ。


　集落長の藤左衛門は、皆が捕った魚の売り手をしている。そればかりか山の向こうから米や野菜を買い付け、皆に配っていた。藤左衛門に逆らったなら、食いぶちがなくなってしまう。それを恐れるあまり、又六は意見が出来なかったのだった。