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第5章 要塞へと
手術室
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手術室の床はケーブルと水たまりが散らばり、足の踏み場がない。
だが電気は通っている気配はなく、恐らく感電の心配がないことだけは救いだった。
鋼鉄の昇降ベッドの直上には無影灯が、無機質で巨大な朝顔のように垂れ下がっている。その周囲には鉄製で錆びかけた手術台や点滴スタンドが乱雑に放置されている。
天井の換気口からは茶色の液体が染み出して壁を汚し、雫を垂れ流していた。
この手術室自体がさらなる都市伝説を生み出しそうな気配はあるが、彼女たちはそこに興味はなく、ざっと確認するに留めて手術室に併設された小部屋の方に侵入した。
そこはデスクとホワイトボードと戸棚があるくらいの簡素な部屋で、今までに比べればまだ整然としていた。
そして机の上には医療用とは思えない、持ち運び用のハンドルがついた小さな金庫が置かれていた。
それはほとんど埃を被っておらず、誰かが手入れをしている様子があった。
「おい、これ」
「これが、君達の目標なのかな」
「凜霞ちゃん! 鍵は?」
「……開けてみます」
凜霞はポーチの中から鍵を取りだし、金庫の鍵穴に差し込んで回してみる。
すると小さな金属音と共に、金庫の上蓋がゆっくりと跳ね上がる。
中に入っていたものはB5判、手の平サイズの小冊子だった。
その表紙には『鳴瀬川病院 職員名簿』と記載されている。
凜霞が本のページをめくっていく。
すると非常勤医師の麻酔科医の欄、三原啓伍の所に名刺が挟まれていた。
その名刺を手に取って確認すると、そこに書かれている住所と電話番号は名簿のものとは異なる。
恐らく転居後のものだろう。
ということは、その鍵を持つ者に転居後の所在を知らせるために、金庫をメンテナンスしながら何年もここに置いていたということになる。
「これで、恐らく間違いはありません」
「凜霞ちゃん、電話!」
凜霞は微かに震える手でみづきのスマートフォンを受け取り、電話をかけようと指を滑らせる。
しかし、通話ボタンをいくら押してもスマートフォンには反応がなかった。
「電話がつながりません」
「え! 見せて……あ、電波、立ってない」
「そういえば、電話がつながらないから蛍がここに来たんだったな」
「そうだよ。だから山を下りないと電話はできないと思う」
「ここを離れましょう。雨は……止んでいます。今なら、行けます」
「待ってくれ。今すぐ行きたいのはよくわかるが、ちょっとだけあたいに時間をくれないか」
「どうかしたのですか」
「病棟の方に行くぞ。すぐ済むと思うから」
4人は手術室を離れ、3階を奥に進んで行く。
いつの間にか雨は止み風も穏やかで、外からは薄明かりが差している。
奥に進んで角を曲がり、その先を見る。
そこは病棟。
構造は1階の診察室と同じで、片方には複数の窓が一列に、もう片方には横開きの扉が並んでいる。
扉は全部で6枚。
亜紀は無造作に一つ、また一つと開けていく。
そして、最後の扉を開いたところで亜紀は立ち尽くす。
その部屋の窓は1枚だけ割れていて、ボロボロにちぎれかけた白いカーテンが吹き込んできる風で揺れていて、月光に照らされてきらきらと輝いていた。
「『ワンピースの女性の霊』は多分、これだな」
「……もしかして、ひばりさんに会いたかった、ですか?」
「まぁな。もし会えるのなら、幽霊でもなんでも会ってみたいって思ってな」
「亡くなった方に会いたいのですか。私は会いたいとも会いにきて欲しいとも思えません」
「仕方ねぇよ。お前はまだ自分のことで手一杯だからな」
「そうなのかもしれません。では、これで大丈夫ですか」
「ごめん。僕も、どうしても行きたいところがあるんだ。駄目……かな」
「わかりました。一緒に行きましょう」
病棟から手術室、そして階段へと戻る。
すると、1階から3階まで昇ってきた階段は、まだ上へと続いているのに気づく。
「あれ? この病院は3階立てですよ……ね?」
「うん。僕が行きたいのはこの先なんだよ」
階段は雨が吹き込んで水たまりになっている。
4人が足を滑らせないように昇っていくと、その先には鉄製の扉が立ち塞がっていて、下の隙間からは雨水が少しずつ滲み出している。
蛍が扉についているL型のドアノブを押し下げるも、錆び付いてでもいるのかビクともしない。
困惑した表情でドアノブを上げたり下げたりしている所に亜紀が上から手を乗せる。
「えっ! あ、あ……ぁ……あっ、亜紀」
「変な声を出すんじゃねぇ。ほら、開けるぞ」
2人で手を合わせて力を込めるとドアノブは耐えかねて、擦過音を立てながら押し下がり、重い金属音を上げて扉が外に開いていく。
新鮮な湿った風が一気に階段へと押し寄せ、少女達の髪を捲き上げる。
月明かりが差し込み、水たまりに反射して光り輝き、少女達と乱れた髪を下から照らし出す。
扉が風で押し戻されそうになる。
負けないように体重をかけて開いていくと、空に雲はなく、そこは漆黒に限りなく近い青。
宙には散りばめられた星々が瞬き、紅くて大きな月がひときわ明るく輝いていた。
蛍は屋上の中の1か所、中庭に接している柵へと歩いて行く。
そして柵を後ろ手に握って振り返り、
「ここが、僕とひばりが最後に会った場所」
とつぶやいた。
「そこか」
「うん」
「あたいを頼む、って言っていたのか」
「間違いない、と思う」
「それからお前は何をしていたんだよ」
「それは……」
「託されたのに、なんで迎えに来ない?」
「……ごめん。忘れていたわけじゃないんだ。でも、どうしても勇気が、出なかった。僕にはそんな価値なんてないと思ってたんだ」
「本当に馬鹿野郎だな、お前は」
「ごめんよ……ごめん」
亜紀が蛍を抱きしめる。
蛍は亜紀の胸に顔を埋めて、声を噛みしめながら体を震わせている。
みづきと凜霞は蛍が落ち着きを取り戻すまで、何も言わずにその光景をみつめ続けていた。
山と木々の中に埋もれゆく廃病院。
その屋上で抱き合う2人、手をつないでそれを見守る2人。
廃病院の屋上は水を薄く張り、遠く夜空を鏡のように映し込んでいる。
それは、観客のいない空中のステージ。
そこに佇む彼女たちを見守るように、月が天から照らし出していた。
だが電気は通っている気配はなく、恐らく感電の心配がないことだけは救いだった。
鋼鉄の昇降ベッドの直上には無影灯が、無機質で巨大な朝顔のように垂れ下がっている。その周囲には鉄製で錆びかけた手術台や点滴スタンドが乱雑に放置されている。
天井の換気口からは茶色の液体が染み出して壁を汚し、雫を垂れ流していた。
この手術室自体がさらなる都市伝説を生み出しそうな気配はあるが、彼女たちはそこに興味はなく、ざっと確認するに留めて手術室に併設された小部屋の方に侵入した。
そこはデスクとホワイトボードと戸棚があるくらいの簡素な部屋で、今までに比べればまだ整然としていた。
そして机の上には医療用とは思えない、持ち運び用のハンドルがついた小さな金庫が置かれていた。
それはほとんど埃を被っておらず、誰かが手入れをしている様子があった。
「おい、これ」
「これが、君達の目標なのかな」
「凜霞ちゃん! 鍵は?」
「……開けてみます」
凜霞はポーチの中から鍵を取りだし、金庫の鍵穴に差し込んで回してみる。
すると小さな金属音と共に、金庫の上蓋がゆっくりと跳ね上がる。
中に入っていたものはB5判、手の平サイズの小冊子だった。
その表紙には『鳴瀬川病院 職員名簿』と記載されている。
凜霞が本のページをめくっていく。
すると非常勤医師の麻酔科医の欄、三原啓伍の所に名刺が挟まれていた。
その名刺を手に取って確認すると、そこに書かれている住所と電話番号は名簿のものとは異なる。
恐らく転居後のものだろう。
ということは、その鍵を持つ者に転居後の所在を知らせるために、金庫をメンテナンスしながら何年もここに置いていたということになる。
「これで、恐らく間違いはありません」
「凜霞ちゃん、電話!」
凜霞は微かに震える手でみづきのスマートフォンを受け取り、電話をかけようと指を滑らせる。
しかし、通話ボタンをいくら押してもスマートフォンには反応がなかった。
「電話がつながりません」
「え! 見せて……あ、電波、立ってない」
「そういえば、電話がつながらないから蛍がここに来たんだったな」
「そうだよ。だから山を下りないと電話はできないと思う」
「ここを離れましょう。雨は……止んでいます。今なら、行けます」
「待ってくれ。今すぐ行きたいのはよくわかるが、ちょっとだけあたいに時間をくれないか」
「どうかしたのですか」
「病棟の方に行くぞ。すぐ済むと思うから」
4人は手術室を離れ、3階を奥に進んで行く。
いつの間にか雨は止み風も穏やかで、外からは薄明かりが差している。
奥に進んで角を曲がり、その先を見る。
そこは病棟。
構造は1階の診察室と同じで、片方には複数の窓が一列に、もう片方には横開きの扉が並んでいる。
扉は全部で6枚。
亜紀は無造作に一つ、また一つと開けていく。
そして、最後の扉を開いたところで亜紀は立ち尽くす。
その部屋の窓は1枚だけ割れていて、ボロボロにちぎれかけた白いカーテンが吹き込んできる風で揺れていて、月光に照らされてきらきらと輝いていた。
「『ワンピースの女性の霊』は多分、これだな」
「……もしかして、ひばりさんに会いたかった、ですか?」
「まぁな。もし会えるのなら、幽霊でもなんでも会ってみたいって思ってな」
「亡くなった方に会いたいのですか。私は会いたいとも会いにきて欲しいとも思えません」
「仕方ねぇよ。お前はまだ自分のことで手一杯だからな」
「そうなのかもしれません。では、これで大丈夫ですか」
「ごめん。僕も、どうしても行きたいところがあるんだ。駄目……かな」
「わかりました。一緒に行きましょう」
病棟から手術室、そして階段へと戻る。
すると、1階から3階まで昇ってきた階段は、まだ上へと続いているのに気づく。
「あれ? この病院は3階立てですよ……ね?」
「うん。僕が行きたいのはこの先なんだよ」
階段は雨が吹き込んで水たまりになっている。
4人が足を滑らせないように昇っていくと、その先には鉄製の扉が立ち塞がっていて、下の隙間からは雨水が少しずつ滲み出している。
蛍が扉についているL型のドアノブを押し下げるも、錆び付いてでもいるのかビクともしない。
困惑した表情でドアノブを上げたり下げたりしている所に亜紀が上から手を乗せる。
「えっ! あ、あ……ぁ……あっ、亜紀」
「変な声を出すんじゃねぇ。ほら、開けるぞ」
2人で手を合わせて力を込めるとドアノブは耐えかねて、擦過音を立てながら押し下がり、重い金属音を上げて扉が外に開いていく。
新鮮な湿った風が一気に階段へと押し寄せ、少女達の髪を捲き上げる。
月明かりが差し込み、水たまりに反射して光り輝き、少女達と乱れた髪を下から照らし出す。
扉が風で押し戻されそうになる。
負けないように体重をかけて開いていくと、空に雲はなく、そこは漆黒に限りなく近い青。
宙には散りばめられた星々が瞬き、紅くて大きな月がひときわ明るく輝いていた。
蛍は屋上の中の1か所、中庭に接している柵へと歩いて行く。
そして柵を後ろ手に握って振り返り、
「ここが、僕とひばりが最後に会った場所」
とつぶやいた。
「そこか」
「うん」
「あたいを頼む、って言っていたのか」
「間違いない、と思う」
「それからお前は何をしていたんだよ」
「それは……」
「託されたのに、なんで迎えに来ない?」
「……ごめん。忘れていたわけじゃないんだ。でも、どうしても勇気が、出なかった。僕にはそんな価値なんてないと思ってたんだ」
「本当に馬鹿野郎だな、お前は」
「ごめんよ……ごめん」
亜紀が蛍を抱きしめる。
蛍は亜紀の胸に顔を埋めて、声を噛みしめながら体を震わせている。
みづきと凜霞は蛍が落ち着きを取り戻すまで、何も言わずにその光景をみつめ続けていた。
山と木々の中に埋もれゆく廃病院。
その屋上で抱き合う2人、手をつないでそれを見守る2人。
廃病院の屋上は水を薄く張り、遠く夜空を鏡のように映し込んでいる。
それは、観客のいない空中のステージ。
そこに佇む彼女たちを見守るように、月が天から照らし出していた。
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