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第2章 海辺へ

ミュージアムショップ

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「ふぁ! あ」 

 目の前には高く飛び上がるイルカの群れと青い空。そして滝のような水が目の前に押し迫り―― 
 凜霞は小さな悲鳴を上げながら、腕を前に掲げて身を沈め、みづきはぽかんと口を開けたままで――水が叩きつけられた。 

「だ、大丈夫ですか」 
「あ……え?」 

 凜霞が体を起こしてみづきに視線を向けると、みづきは目を見開いてぽかんと口を開いたまま前を見続けていて、髪は濡れそぼって前髪から水が滴り、セーラー服が肌に張り付いている。 

 背中まで水が染みて、徐々に肌の色が濡れ透けていく。 

 凜霞が後ろを振り返ると人の群れが歓声を上げていて、皆プールの方向――前方に座っている自分たちの方を向いている。 
 凜霞はあわてふためいてみづきの手を握りしめ、立ち上がる。 

「行きましょう。みづきさん」 
「りん! か、さん?」 
「話はあとで」 

 凜霞は観客席からみづきを隠すようにしながら屋外プールを抜け出していき、そして人気の少ない所で立ち止まる。 
 大した距離ではないのだけれど、少し早めに歩いただけなのに涼香はすでに息が切れて辛そうな表情をしている。 
 みづきはそんな涼香を心配そうな表情で見上げている。 

「えっと、どうしたんですか。大丈夫ですか?」 
「いえ、その……何か拭くものが欲しいと思いました。売店に行けば、何か」 
「イルカのショーを見終わってからでも……」 
「いいえ。このままでは風邪を引いてしまいます、行きましょう」 

 少し休憩をして息を整えてから再び歩き出す。 

 再び屋内に戻り、暗い廊下を人の波に逆らいながら。 
 だが、人が集まっている所ではどうしても他の人と肩がぶつかってしまい、凜霞はふらりと弾き出されてしまう。 

 そのたびにすみません、と声を上げてはいるが、その声は雑踏にまぎれてしまう。 

 それでもみづきの手をしっかりと握りなおし、はぐれないようにしながら人の波を避けるようにして再び歩き出す。 

「凜霞さん、大丈夫?」 
「は、い。大丈夫、ですが……その、やっぱり、知らない人が……こわく、て」 
「それ、全然大丈夫じゃないよぉ! 代わるよ」 
「いいえ。私、頑張りますから。ついてきて下さい、ね」 
「うん……ごめんね」 
「そんなことないですよ。もう少しですから」 

 心配するように見上げるみづきをかばうように歩いて行くと、徐々に人の波が切れて奥の方から光が差し込み、入場口が近いことを感じさせる。 

「あ。明るくなってきた」 
「はい。多分あの辺にお土産屋さんがあります」 
「凜霞さん、ありがと」 
「いいえ。むしろ、たいして役に立てなくて」 

 もう迷子になる事はないだろう、と凜霞は安堵のため息をつきながら、手の力を緩め、みづきの横に並んで歩き出した。 

 目の前には解放された、大きな出入り口。そしてその上には『ミュージアムショップ』の文字。 

 出入り口の向こうはとても明るく色とりどりの品物が並んでいて、一番手前には、ビニール製でフード付きの薄手のコート――要は合羽とかポンチョとか呼ばれるものが置いてあった。 

「これ、先に買っておけば良かったですね」 
「気がつかなかったよ」 
「仕方ないです。ええと、タオルは……ありました。買っていきましょう。どれにしますか」 

 やはり他の人も濡れることが多いのか、大判タオルはポンチョのすぐそばに展示されていた。タオルの種類は多く、亀やタコやイルカやくらげやペンギン、様々な色と柄があり、みづきは決めきれずに目を彷徨わせていた。 

「うーん。くらげさんが一番好きだけど、ほかの子も可愛い……どうしよう」 
「そうですね。全部可愛いですけれど、やっぱりみづきさんにはクラゲが似合います」 
「ありがと! ……ん? 私にくらげさんが似合ってるって、どういうこと?」 
「のんびりしている所や、ゆらゆらしている所がみづきさんっぽいです」 
「私、そんなにゆらゆらしてる?」 
「何か変でしたか」 
「学校ではいつもちっちゃくて元気、って言われるから。動物ならリスさんとか言われます」 
「それは、起きがけのみづきさんを見ていないからだと思いますよ」 
「起きるとき……ですか?」 
「体を起こしてるのに、目をつぶったままゆらゆらしてて、可愛らしかったです」 
「うわ、それはかなり……恥ずかしい」 

 顔を真っ赤にしたみづきが頭を抱えてしゃがみ込み、それを見ていた凜霞は穏やかな笑みを浮かべていた。 

「では、他の物も見てみましょうか。ほら、みづきさんが気になりそうな物がいっぱいあります」 
「そ、そうですね! では、行きましょ……っくしゅん!」 
「ああ、その前にタオルを買いましょうか。はい、ティッシュ」 
「ありあと」 

 タオルを購入して体を拭き、全然乾いてはいないけれども透けきらない程度には水分を拭って、改めてその他の品々を見定めていくことにした。お菓子、洋服、キーホルダー、ぬいぐるみ、そして……、 
  
「香水! そう、これこれ。あった。よかったぁ」 
「香水ですか。どうしたのですか」 
「サンプル品があるよ。匂いを嗅いでみて」 
「はい。ええと……あ、みづきさんの香りがします」 
「そうなんです。私のコロンはプレゼントしてもらったものなんです。それでその子が、ここで買ったよ、って言っていたので」 
「なるほど。だからここに来たかったのですね」 
「はい! まだあって、よかった。あと欲しいもの……ぬいぐるみもあるけど、高いなぁ」 
「こちらのキーホルダーなら、安いですよ」 
「うーん、でもタオルを買ったから、また今度にします」 

 そうしないと、凜霞さんの宿泊費が出せなくなっちゃうから。とみづきは心の中でささやいた。 

「では、次に行きましょう! ついてきて下さいね?」 
「濡れたままですけれど、本当に大丈夫ですか」 
「はい。ちょっと? 寒いですけど、どうしても行きたいところがある、ので!」 
「わかりました。お願いします」 

 そして元気を取り戻したみづきの先導で、人の波を避けながら突き進むその先には。 

 比較的明るめな空間になっていて、中央にとても浅いプールがあり、その周囲に子供達が集まってプールの中に手を差し伸べていた。 

「これは何ですか、魚はいないようですし。みんな手を入れていますがいいのですか」 
「モチロンですよ。ここはタッチプール、さわり放題なのです」 

 みづきが水の中に手を入れる。思ったよりは深いようで、腕の半分くらいが水の中に消えていき、そして、 

「捕まえた! ほら」 
「え、ええと……これは」 

 満面の笑みのみづき。その手の上には、手のひらに収まりきらずに垂れ下がっている、テカリがありイボイボが体中についた、何とも形容しがたい軟体生物がだらしなく乗りかかっていた。 

「なまこさん、です」 
「なまこさん、ですか」 
「可愛いでしょ」 
「可愛くは……」
「えっ」
「あっ、いいえ。可愛いと思います。そうかもしれません。けれど」 
「手に乗せてみる?」 
「手に、ですか。あ、ああ、私、でも、これは、ちょっと。ど、どうしたらいいのでしょう」 
「はい、手を広げて、それっ」 
「ん……っっ!」 

 凜霞は手のひらを閉じることも逃げることもできず、目を閉じて全てなかったことにしてしまう。 
 そしてその手に、生暖かくてふわっとした、今までにない感触が襲いかかってきた。 

「どうですか?」 
「ひ、ぃん。うわ、あ、あ、あ、あの。私、ちょっと……ぬるっとしています」 
「指でつついてみて」 
「え、えい……う、何というか、ふにゃっと柔らかい、ような」 
「はい、よくできました。えらい、えらい」 

 手の上の感触が消え、目を恐る恐る開ける凜霞。
 手を握ったり、開いたり。感触だけが、まだ残っている。 

「はあ。ちょっと怖かったです。これが、ナマコ、なんですね」 
「ほら、こっちにはまだまだいますよ? 見てみて、みぃて」 
「ウニ、貝、それにヒトデ」 
「触ってみよ? 楽しいよぉ」 
「わかりました。触って、みます。うわ、ザラッとしていて、何というか、嬉しくはない肌触りですね」 
「ね。これが生き物の感触なんだよ。面白いね」 
「みづきさん」 
「ん。なぁに?」 
「ありがとうございます。私に、生き物の素晴らしさを教えてくれたんですね」 
「え、ぇえ? そう、なのかな。そうなるのかな?」 
「あ、もしかして。何も考えてなかったとか、ですか」 
「あは。実は、そのぉ。か、考えてた、よ?」 
「嘘ですね。また、顔に書いてありました」 
「もぉ、やだぁ! なんで書いてあるの? 消せないの?」 
「本当に、みづきさんは不思議な方ですね」 
「あ、それ、よく言われます……不思議ちゃんだねー、って」 
「ああ、なんていうか、わかってしまいました」 

 涼香は心の中でささやく。 

 それでも、もしそうだったとしても。
 みづきさん、本当にありがとうございました。 
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