影の子より

STREET

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 終章 影の子へ

ENDINGS

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 酒場を出ると、西の地平線に陽が沈みかけていた。
 無理やりに起こされ、まだ幼い少年は、機嫌があまりよくない。目元を擦りながら、港方面へ歩みを進める。
 その後ろから、わずかな距離を取って、男は続いた。
 夕刻に仕事を終えた人々が、帰路に就いていた。通りは騒々しく、いつもと変わったことはない。
 ただの日常。
 多くが、この国は変わったというが──なんてことはなかった。
 二日間、男は他人の目を気にして過ごしていた。フードで表情を隠しているのも、見知った人間に接触することを、恐れたからだ。襲撃を受ければ、返り討ちにするのは簡単だった。しかし、二つの理由から、それは避けたかった。
 自身の存在を、国府に知られたくないから。
 そして、目の前にがあるから。
「おい」
 ふてくされた相手に声を掛ける。
「そっちに行くな」
 その言葉に、前を歩いていた少年は、ぴたりと足を止めた。
「なんで?」
「役人に顔を覚えられちゃあ、厄介だ。近付くな。昨日も言っただろ」
 男は、腹を立てているわけではない。子どもが嫌いだという本心から、口調が強くなるのだ。
 ますます不機嫌になった少年は、指示に従い、三棟並んだ倉庫の裏で腰を下ろした。壁に背を預け、両脚を地に投げ出す。
 雨が降りそうだ。
 湿り気で火が点きにくくなる前に、男は煙草を咥え、ライターを使った。
 少年は瞼を閉じ、一度邪魔をされた睡眠を再び得る。疲れているのだろう。この町を訪れてから、気の休まる時間はなかった。元より、覚悟のいる旅だ。守られているとはいえ、小さな身体には耐えられない疲労だ。

 煙を味わう男──ジャックスは、目を細めて彼を見つめる。
 初めて会った日から、時は流れていた。明らかに、の面影が見て取れた。


「船着き場にいなかったのか」
 不意に、背後から人影が現れる。
 聞き慣れた声に、ジャックスは我に還り、顔を向けた。短くなった吸い殻を落とし、靴の踵で煙を消す。
「遅かったな」
「これでも、一便早く乗れたんだ。なぜ隠れていた?」
「……元特務工だった連中がいた。路地裏で、転がってただけだがな」
 彼の返答で、ジュノーは目を見開く。
 この地は目立たない地域だが、公国領土だ。やむにやまれぬ事情があれども、長居は悪い結果を生む。だから、できる限り滞在が短く済むよう、計画を立てたのだ。
「軍から逃れてきたのか、送り込まれてきたのか……」
 不安を煽るように笑い、ジャックスは手を伸ばした。ジュノーの髪に指を絡め、我が子に向きかけていた視線を、こちらへ戻す。
「……なんだ?」
「少し伸びたな」
 短いやり取りだ。顔を合わせたのは数日ぶりでも、まだ懐かしさは沸かない期間。反応を楽しむように、距離を縮める。
「切る暇もなかったからな」
帝国向こうで、切ってくりゃあいいだろ? 顔割れもしてねえし」
「……まだ風当りは強い。どの国も同じだ」
「それでしょげてんのか」
 ジャックスの手が下りてきて、頬から顎を支える。
 唇を重ねると、鼻から微かに息が抜けた。抵抗はなかったが、舌が入ってきたことで、ジュノーの眉が歪む。この接触を彼はよく嫌がった。
 生きにくいのは、どの地も同じ──
 原因は、肌の色。たったそれだけ。
 ──軽い足音が耳に入り、ジュノーはジャックスの胸を押した。
 港を遊び場にしている、地元の子どもだ。彼らの姿を捉えると、ぴたりと立ち止まる。しかし、ジャックスの眼に怯え、離れていった。
 睨むジュノーに、薄ら笑いを返す。
「お友達とは、楽しんだんだな」
「……用があったんだ」
 手の甲で口を拭い、ジュノーは答えた。
 危険を負いながら、帝国へ渡った理由は、約束していた墓参りのためだった。
 かつての同胞、ヨナ。本名ルーフェン。一度も呼ぶことのなかった名。彼女の故郷へ、初めて踏み入った。果たしてそれが、望まれたことだったのか──今では分からないが、気持ちに区切りが着いた気分だ。
 ダライムもレオールも、同じ心だろう。
 たくさんの話をした。他愛ないことも、身の上も。おかしなことに、影だった頃には口にもしなかった話題こそ、互いに吐き出すことができた。笑い話にはならなかった。しかし、最後には、胸につかえていたものはさっぱり消えていた。
 ダライムは、しばらく休暇を取り、家族に寄り添うのだという。娘の誕生を、心から楽しみにしているようだ。
 レオールには、テオの息子の遺骨を、彼の望んだ土地へ埋葬する仕事があった。終われば、しばらく放浪者となるらしい。
 対するジュノーには、目的などない。
「ジャックス」
「何」
「……悩んだんだが」
 そう前置きし、少しの間、沈黙が支配する。言い回しを悩んでいるのか、ジュノーは一度口を閉じた。再び開き、続ける。
「やはり、しばらく農園に身を置く方がいい。俺にとっても、この子にとっても」
「分かった」
「でも、それはお前が……」
 視線がぶつかった。ジュノーから逸らす。
 ジャックスは彼を引き寄せ、肩に顎を乗せた。
「オレが、ノーディスだったってことは……」
 無意識に言葉を選ぶ所為で、つなぎ目が空く。
「どこへ行っても、ついて回る。お前が……影だってことも」
 世界のどこで暮らそうが、どんな境遇に耐えようが──追われる身だ。不運にも生まれた子でさえ、手放しで喜ぶことができる幸せなど、ないのかもしれない。
 可能な限り、守ってやりたい。少なくとも、ヨナが成人するまでは。なぜならジュノー自身も、幾人もの人間に守られてきたから。
「分かっている」
「何も考えるな」
「考えないと……俺には、確かなものがないんだ。共にいる限り、あの子もお前も、自由になれない」
「それでも、生きてるじゃねえか」
 ジャックスの母親シファが、弱りゆく中で、唯一言い続けたこと。
 ──それは、どんな形であれ、生きろということ。
 彼女は息を引き取ったが、ジャックスを生かした。グレンテも。そして、ジュノーの親は、彼を育て上げ──引き継いだテオが、彼を生かした。
 彼らは今、幼い生命をつなごうとしている。
「ジュノー」
 新しい名にはまだ慣れず、二人の間では、ジャックスはいつもそう呼んだ。
「生きていこうぜ。死ぬまでは、な」
 生きろ、ではない。共に生きよう、だ。

 ジュノーは顔を上げた。
 二人の瞳には、互いの姿がしっかりと映っていた。
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