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第五章:それぞれの思惑
二話
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「大丈夫ですか、少佐」
小姓が心配そうに尋ねた。
ローガス少佐は、ようやく我に還った。指から滑り落ちた眼鏡を拾い、元に装着する。裸眼でどこまで視えているのかと、窓の外の風景を映して、試していたところだ。レンズを通すと、歪んでいた木々が、はっきりと生えていた。
不慮の事故。──と、表向きには公表されていたが、彼は当事者だった。
至近距離で受けた閃光で、視力は年々低下している。失明の寸前まで落ちたが、治療の甲斐あってそれは免れた。
たった、八年。
しかし記憶は鮮明で、あれからずっと、全盲への恐怖と闘っている。
「心配ない」
力強く答え、小姓を振り返る。
「話は着いたのか」
「はい、ただ今。大将殿が、少佐をお呼びです。公妃様が、お会いになられるそうです」
オルウォ妃の身の回りの世話は、小姓と侍女が負っている。侍女は見慣れているが、小姓は常に十代の少年で、二年ほどで代わる。
よほど肝が据わっているのか、彼は誰に対しても礼を弁え、冷静に接していた。
ローガス少佐は襟を正し、案内されて謁見の間へと通された。
公国軍大将──レイゼルマン。そして、絶対君主制のトップに君臨する、オルウォ公妃。広い空間には二人しかおらず、他の人間は下がらせたようだった。
軍帽を外すと、ローガス少佐は片膝を折り、深く頭を下げた。
「そんなに、かしこまらなくとも。……上げなさい」
オルウォ妃が目を細め、通る声で言った。
小姓が軍帽を預かろうと、両手を差し出したが、ローガス少佐は断った。レイゼルマン将の斜め後方まで進み、そこで足を止める。
「お若い方だこと」
「この者が、一連の件に関わりのあった男です」
予想はしていた。呼ばれた訳は、ノーディス絡みだろう、と。それがなければ、一端の自分に直接、話が来ることはない。
「そう。それは頼もしい、のかしら」
「連中の動向は、お耳に入っておりますかな。どうやら半年前から、ジングニルの港に、拠点を置いているようです」
「またずいぶん、国へ近付いてきたわね」
「今のうちに、踏み込んで探りを入れておくことも、早過ぎることはないかと」
八年前の接触後、ノーディスはしばらく、公国から去っていた。目的は分からないが、脅威が再び迫っていることは事実だ。
そして情報は、もう一つ。
以前の首領が降り、若い頭に代わったというのだ。
──誰もが思い浮かべたのは、ジャックスのことだった。
「躍起になると、空回りするものよ。こちらが拠点を特定する頃には、きっともう、新たな地へ移しているでしょう」
「それでも、情報はいくらあっても足りません。連中が大きく動く前に、対処を考えておかねば」
「ジャックスは思うより、賢いわよ。確実に、先手を打ってくるでしょうね」
ここまで警戒される存在。
いても立ってもいられず、ローガス少佐は、許しを得る前に口を開いた。
「あなたはなぜ、あいつを傍に置いてたんですか」
礼儀を欠いた言動に、レイゼルマン将は眉をひそめた。
しかしオルウォ妃は、穏やかな表情のまま微笑む。
「おもしろいから……かしらね」
「……それだけですか?」
「ええ。理由なんてないわ。……ああ、勘のよさも魅力だったのよ」
ジャックスは、側近に潜んだ反逆の芽を、いち早く察知できた。今思えばそれは、自身と同じにおいを、感じ取っていたのかもしれない。
彼が猟兵団の一員だった──そう報告を受けても、オルウォ妃に驚きはなかった。傍で見ていたからこそ、隠し切れない、残酷な面も知っていたからだ。
ある時、処刑場に同行させたことがあった。
当時の副大臣補佐の女と、中尉の男。彼らは、公都にレジスタンスを手引きし、暴動を起こさせた。そして、銃殺刑に処されることとなった。
反旗を翻せば、同じ目に遭うと、知らしめるために見届けさせたのだ。だから冗談のつもりで、ジャックスに機関銃を持たせてみた。
彼は──迷うことなく、銃弾を撃ち込んだ。
関係者たちが呆気に取られる様子を思い出し、オルウォ妃はくすりと笑う。
「あの子には、他人を惹き付ける力がある」
「……それが猟兵であれば、厄介でしょうな」
レイゼルマン将は、苦々しく告げた。
謁見の間に陽光が差す。つい先ほどまで降り続いた雨が上がり、雲が晴れたようだ。窓枠によって裂かれ、幾筋にも分かれた光は、暖かな色を宿している。
東西どちらもガラス張りのこの空間は、前の君主である、バークシー公の趣味だ。天候や外に見える景色の話題は、話の間を埋めるのに有効だと、彼は言っていた。
──やがて、小姓が静かに戻ってきた。時間のようだ。
レイゼルマン将とローガス少佐は、最後にも深く頭を下げ、その場を立ち去った。
「隊を動かす手筈は、既に整えてある」
軍帽を被り直すローガス少佐に、指示が下される。
「この件は一切、情報を外へ漏らすな。私がお前を使う理由は、分かるな?」
「はい。心得ています」
自然と、背筋が張る。掛けられた期待は大きいが、久しぶりの重要な任務に、身震いをしそうになった。
再び対峙することは、確実と言えるだろう。
視えなくなる前に。──彼はそう、意志を固めた。
小姓が心配そうに尋ねた。
ローガス少佐は、ようやく我に還った。指から滑り落ちた眼鏡を拾い、元に装着する。裸眼でどこまで視えているのかと、窓の外の風景を映して、試していたところだ。レンズを通すと、歪んでいた木々が、はっきりと生えていた。
不慮の事故。──と、表向きには公表されていたが、彼は当事者だった。
至近距離で受けた閃光で、視力は年々低下している。失明の寸前まで落ちたが、治療の甲斐あってそれは免れた。
たった、八年。
しかし記憶は鮮明で、あれからずっと、全盲への恐怖と闘っている。
「心配ない」
力強く答え、小姓を振り返る。
「話は着いたのか」
「はい、ただ今。大将殿が、少佐をお呼びです。公妃様が、お会いになられるそうです」
オルウォ妃の身の回りの世話は、小姓と侍女が負っている。侍女は見慣れているが、小姓は常に十代の少年で、二年ほどで代わる。
よほど肝が据わっているのか、彼は誰に対しても礼を弁え、冷静に接していた。
ローガス少佐は襟を正し、案内されて謁見の間へと通された。
公国軍大将──レイゼルマン。そして、絶対君主制のトップに君臨する、オルウォ公妃。広い空間には二人しかおらず、他の人間は下がらせたようだった。
軍帽を外すと、ローガス少佐は片膝を折り、深く頭を下げた。
「そんなに、かしこまらなくとも。……上げなさい」
オルウォ妃が目を細め、通る声で言った。
小姓が軍帽を預かろうと、両手を差し出したが、ローガス少佐は断った。レイゼルマン将の斜め後方まで進み、そこで足を止める。
「お若い方だこと」
「この者が、一連の件に関わりのあった男です」
予想はしていた。呼ばれた訳は、ノーディス絡みだろう、と。それがなければ、一端の自分に直接、話が来ることはない。
「そう。それは頼もしい、のかしら」
「連中の動向は、お耳に入っておりますかな。どうやら半年前から、ジングニルの港に、拠点を置いているようです」
「またずいぶん、国へ近付いてきたわね」
「今のうちに、踏み込んで探りを入れておくことも、早過ぎることはないかと」
八年前の接触後、ノーディスはしばらく、公国から去っていた。目的は分からないが、脅威が再び迫っていることは事実だ。
そして情報は、もう一つ。
以前の首領が降り、若い頭に代わったというのだ。
──誰もが思い浮かべたのは、ジャックスのことだった。
「躍起になると、空回りするものよ。こちらが拠点を特定する頃には、きっともう、新たな地へ移しているでしょう」
「それでも、情報はいくらあっても足りません。連中が大きく動く前に、対処を考えておかねば」
「ジャックスは思うより、賢いわよ。確実に、先手を打ってくるでしょうね」
ここまで警戒される存在。
いても立ってもいられず、ローガス少佐は、許しを得る前に口を開いた。
「あなたはなぜ、あいつを傍に置いてたんですか」
礼儀を欠いた言動に、レイゼルマン将は眉をひそめた。
しかしオルウォ妃は、穏やかな表情のまま微笑む。
「おもしろいから……かしらね」
「……それだけですか?」
「ええ。理由なんてないわ。……ああ、勘のよさも魅力だったのよ」
ジャックスは、側近に潜んだ反逆の芽を、いち早く察知できた。今思えばそれは、自身と同じにおいを、感じ取っていたのかもしれない。
彼が猟兵団の一員だった──そう報告を受けても、オルウォ妃に驚きはなかった。傍で見ていたからこそ、隠し切れない、残酷な面も知っていたからだ。
ある時、処刑場に同行させたことがあった。
当時の副大臣補佐の女と、中尉の男。彼らは、公都にレジスタンスを手引きし、暴動を起こさせた。そして、銃殺刑に処されることとなった。
反旗を翻せば、同じ目に遭うと、知らしめるために見届けさせたのだ。だから冗談のつもりで、ジャックスに機関銃を持たせてみた。
彼は──迷うことなく、銃弾を撃ち込んだ。
関係者たちが呆気に取られる様子を思い出し、オルウォ妃はくすりと笑う。
「あの子には、他人を惹き付ける力がある」
「……それが猟兵であれば、厄介でしょうな」
レイゼルマン将は、苦々しく告げた。
謁見の間に陽光が差す。つい先ほどまで降り続いた雨が上がり、雲が晴れたようだ。窓枠によって裂かれ、幾筋にも分かれた光は、暖かな色を宿している。
東西どちらもガラス張りのこの空間は、前の君主である、バークシー公の趣味だ。天候や外に見える景色の話題は、話の間を埋めるのに有効だと、彼は言っていた。
──やがて、小姓が静かに戻ってきた。時間のようだ。
レイゼルマン将とローガス少佐は、最後にも深く頭を下げ、その場を立ち去った。
「隊を動かす手筈は、既に整えてある」
軍帽を被り直すローガス少佐に、指示が下される。
「この件は一切、情報を外へ漏らすな。私がお前を使う理由は、分かるな?」
「はい。心得ています」
自然と、背筋が張る。掛けられた期待は大きいが、久しぶりの重要な任務に、身震いをしそうになった。
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