影の子より

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 第三章:死に損ない

 六話

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「……見送りは、禁止されているはずだぞ」
 呆れたような言葉に、ジャックスは動じる様子もなく、挑発的に笑った。
 夜明けにはまだ遠い。
 凍てつくような寒空に、四人と一頭分の吐く息が、白く薄くなって消えていく。馬と御者、ローガス少尉と中年の軍人。そして、招かれざる人間が一人──ジャックス。
「見送り? オレはただ、ここに立ってただけだ」
「このガキ……」
「そこに、あんたたちが来た」
 またか、とローガス少尉は呟いた。げんなりとした表情で、宙を見上げる。
 それは、ジャックスがよく使う手だった。
 御者は気まずさを感じたのか、念入りに済ませたはずの馬車の確認を、黙々と始めた。
 馬蹄も車輪も、音や振動を吸収する造りだ。闇に紛れて移動するため、その存在は極力知られてはいけない。出立は、人々が寝静まる刻を選んだ。これから通る道も、城の裏から敷かれた軍用路だ。
はもう降ろせない」
「そんなこと、望んじゃいねえよ」
 ジャックスは、フードと高襟で顔を隠していた。しかし下から覗く瞳は、変わらず鋭く冷めている。
「夜には国境越えか」
「乗り換えで貨物車に積んだら、あっという間だ」
 ローガス少尉は答えてから、相手の思う壺だったと後悔した。
 中年の軍人が、少し脚を引きずりながら、馬車の上に乗り込む。これ以上は待てないというのだろう。
 ローガス少尉は、足下に転がっていた小石を蹴飛ばし、後に続いた。
 御者の合図を聞き、ジャックスは数歩下がった。そして、冷え切った手をポケットに入れ、ゆっくりと離れていくを、ただ静かに眺めていた。


 肩に温もりが触れ、思わずびくりと震える。
 定期的に感じていた揺れが、一際大きくなり、やがて止まった。
 反動で床に側頭を打ち、ジュノーは、自身が横に転がされていたことを思い出す。起きろ、と言われているのだと理解し、バランスを崩しそうになりながら、膝を着いた。両腕が重いのは、枷と鎖で封じられているからだろう。それに加え、麻袋の所為で視界はなく、身体がぐらつく。
「……まったく、気の悪い役回りだぜ」
 脇から支えた手が、独り言を吐いた。
 ジュノーは助けを借り、やっと立ち上がった。
 彼らがいる場所は、貨物列車の一室である。目立たないために、鉄道を利用して捕虜を運ぶ。越境も受け渡しも、国府はできる限り、密かに済ませたがった。任務に就いているのは、ごくわずかな人間だ。
「おい、おっさん。ドア開けてくれよ」
 ローガス少尉は、捕虜を誘導しながら、中年の軍人に声を掛ける。
 見届け役だと紹介された男は、一言も発することなく、指示に従い動いた。歳を重ねてはいるが、立場は少尉より下である。
 決して快適とは言えない旅路。開放感からか、ローガス少尉は一歩外に出て、首や肩を鳴らした。
 三人が降りた様子を見留めると、列車は灯りを切った。ここは駅でも車庫でもなく、人気のまったくない土地だ。さらに夜闇に紛れ、周囲の景色は分からない。
 ──はすぐに現れた。
「時間通りだ」
 ローガス少尉は言うと、見届け役の男を待たせ、その人物に歩み寄った。
 髭のある南軍の男が、重々しい表情で正面に立つ。
 北と南。停戦下にある国は、交わることもない。二人は国は違えど、同じ軍人だった。互いに距離を取ったまま、相手の様子を窺う。
 やがて、ローガス少尉は口元を緩めた。
「ほら、受け取りな」
 捕虜の腕から枷を外し、男に引き渡す。
 麻袋が剥がされ、ジュノーは久しぶりに広い視界を得た。──そして、目の前にいる人物を見上げた。
「……テオ」
 固まったジュノーとは対照的に、テオは彼をちらりと見ただけで、すぐに視線を戻す。
 南ガラハンへと帰ってきた。現実をまだ実感できず、ジュノーは、これまで拘束されていた両手を眺める。
「確かに、品はお届けしたぜ」
「……残りは?」
 テオの返答に、ローガス少尉は眉をひそめた。
「あんた、聞いてねえのか。捕虜はそいつだけだ」
「そんなはずはない」
 低く、冷静な声色だった。
 接触が許されているのは、引き渡しのみだ。ローガス少尉は、離れて立つ軍人を振り返り、再び口を開いた。
「……嘘なんか吐かねえよ。のが、そいつだけ。詳しくは、そいつから聞きな」
 その言葉で、どこまで理解したか。
 テオの瞳は微かに揺れたが、それ以上追及しようとはしなかった。
「残念だったな。大きく仕掛けて、結果がガキ一人。作戦は失敗だったと、上に伝えておけよ」
 去り際の嫌味にも反応することなく、彼はその場に背を向けた。
 ──作戦は、失敗。それが何を意味することか、テオには判っていた。
 襲撃事件から、およそ一月。事態は大きく変わった。
 再び灯りを照らしながら、貨物列車が静かに動き始める。日常にある光景ではあったが、その姿には、異様な不気味さを感じた。
 傍に待たせていた荷馬車に、先にジュノーを乗せる。
 宮殿へと急ぐ道で、テオは一切口を利こうとはせず、ジュノーもまた黙り込んでいた。
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