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序章:音のない兵器
二話
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鐘五刻。沈みかけた陽と共に、鐘の音が定められた数だけ講堂に届く。
正午から開かれた臨時議会は、ようやく収束の兆しを見せていた。常会のように、白熱した議論にはならず、右議も左議も慎重な姿勢だ。
無理もない。
南北分断から長年に渡り、対立を続けてきたガラハン公国。一時期は紛争が激化し、崩壊の危機が迫っていたが、四年前に停戦状態まで落ち着いた。しかし今、即発寸前の際にいる。
南ガラハンは、資源も軍事力も北に劣る。真正面から対峙すれば勝算などない。
──だからこそ、闇に紛れて動く隠密が国には必要だった。糧となるのが、争いを知らない子どもたちであっても。
「テオ団長」
陳述の番が訪れ、組んでいた両手を解く。立ち上がると、講堂内の無言の視線が集まる。最も嫌な瞬間だ。
「申し上げます」
まっすぐに前を見据え、テオはそう切り出した。
「私は、先に来る決戦に備え、影たちを導いてきました。しかしこの一件で、半数近くを失いました。北ガラハン軍が関わっているのであれば、これを以て宣戦し、再び領土統一を目指すことも手です。その暁には影たちを、補佐として戦場へと、先ほど左臣はおっしゃった」
「正しいことだ。なんのために、少年兵団の設立を許したと思うか」
口を挟んだ初老の左臣を、議長は手で制した。
「そう。私は音のない兵器として、影を育て上げた……」
時折声が途切れるのは、言葉を選んでいるためだ。議会ではわずかな発言で追及を受け、呑まれることもある。それは避けたかった。
彼らを統べる者として。
静かに息を吐くと、テオは意を決したように唇を引き結んだ。
「ああ、くそ」
ジュノーは悪態を吐いた。
二日の謹慎が明け、久しぶりに牢から放たれた。まともな食事を摂れたのも、湯浴みに足を運んだのも、二日ぶりだ。
宮医棟での騒動は、翌日にはすっかり知れ渡っていた。
結局、口論だけでは収まらず、殴り合いにまで発展した。身体に残る痣と、口内に滲む鉄の味。忌々しい記憶が蘇り、腹立たしい。
「痛っ、つ……」
「もう終わる」
歯を喰い縛りながら耐えていると、半ば呆れたように、ヨナがなだめた。
ベッドにうつ伏せたジュノーは、背に痛み止めの薬を塗られていた。鞭打ちの罰で負った傷だ。何かに触れると、火傷のようにかっと熱くなる。
「助かった、ヨナ」
処置が終わり、ジュノーは黒衣を手にした。
「傷はひどいか?」
「いくつか裂けている」
「……だろうな。初めて二セットくらった。牢にいた間、うなされたくらいだ」
常に無表情のヨナが、眉をひそめる。
「なぜ?」
「さあな。……まあ、理由なんて、一つしかないだろう」
謂れのない差別には、もう慣れた。
ジュノーの肌は、産まれつき浅黒い。周りの目は分かりやすく、排他的だ。そのため、彼だけに課せられたルールが、いくつもあった。
人前で肌を晒してはならない。──それが一つだ。
人々は特に外装を気にした。肌の異なる少年が、宮殿に出入りしていることを、快く思わない者もいた。
結果が、理由なき圧力だった。
「なぜ、受け入れる?」
「……俺が?」
問い返す。
ヨナは黙り込んだ。
彼らには居場所があった。影としての居場所。宮殿という名の檻。決して明るく光が射す場所ではないものの、ここへ来て初めて暮らす術を教わり、糧を与えられた者もいる。
二人は影となる以前、同じ地獄で生きていた。テオに拾われ、今となっては昔の話はしない。互いに心の内を知るからこそ、そうした。
「何か、変わったことはあったか?」
立ち上がり、薬瓶を片付けに向かったヨナの背に、ジュノーは尋ねた。
「リューイが還された。密葬だった」
「そうか……検視も全て終わったんだな」
「それから、第三小隊を解体すると」
振り向いたヨナと目が合い、ジュノーは思わず視線を落とす。返すべき正しい言葉は、きっと見付からないだろう。
「よかったじゃないか」
考えた末、口を突いて出たのは、慰めにもならない答えだった。
「リューイは、故郷に帰りたがっていた。自由の身だ」
「でも、死んだ」
影への代償はあった。生命を捧げなければならなかった。死を以て初めて開放され、一人の人間に戻ることができた。
解体ということは、行方の分からなかった残りの隊員も、おそらく確認されたのだろう。
箝口令のせいで言えない。しかし、自身が責められているようで、ジュノーはやるせなさを感じた。
「いずれ死ぬ、俺たちも同じだ」
「それが当たり前?」
「影でいる以上は、な。それとも、前のように戻りたいのか? その方がよっぽど地獄だぞ」
「……判らない」
生きていれば、先がある。幾度もそう言い聞かせてきた。しかし先は真っ暗でよく見えず、それでも足を踏み出さなければならない。誰もが不安だった。
じきに議会が終わり、召集がある。休息などない。
絶望の淵から拾われたのが、八年前。この冬で、ジュノーは十八歳を迎えていた。
正午から開かれた臨時議会は、ようやく収束の兆しを見せていた。常会のように、白熱した議論にはならず、右議も左議も慎重な姿勢だ。
無理もない。
南北分断から長年に渡り、対立を続けてきたガラハン公国。一時期は紛争が激化し、崩壊の危機が迫っていたが、四年前に停戦状態まで落ち着いた。しかし今、即発寸前の際にいる。
南ガラハンは、資源も軍事力も北に劣る。真正面から対峙すれば勝算などない。
──だからこそ、闇に紛れて動く隠密が国には必要だった。糧となるのが、争いを知らない子どもたちであっても。
「テオ団長」
陳述の番が訪れ、組んでいた両手を解く。立ち上がると、講堂内の無言の視線が集まる。最も嫌な瞬間だ。
「申し上げます」
まっすぐに前を見据え、テオはそう切り出した。
「私は、先に来る決戦に備え、影たちを導いてきました。しかしこの一件で、半数近くを失いました。北ガラハン軍が関わっているのであれば、これを以て宣戦し、再び領土統一を目指すことも手です。その暁には影たちを、補佐として戦場へと、先ほど左臣はおっしゃった」
「正しいことだ。なんのために、少年兵団の設立を許したと思うか」
口を挟んだ初老の左臣を、議長は手で制した。
「そう。私は音のない兵器として、影を育て上げた……」
時折声が途切れるのは、言葉を選んでいるためだ。議会ではわずかな発言で追及を受け、呑まれることもある。それは避けたかった。
彼らを統べる者として。
静かに息を吐くと、テオは意を決したように唇を引き結んだ。
「ああ、くそ」
ジュノーは悪態を吐いた。
二日の謹慎が明け、久しぶりに牢から放たれた。まともな食事を摂れたのも、湯浴みに足を運んだのも、二日ぶりだ。
宮医棟での騒動は、翌日にはすっかり知れ渡っていた。
結局、口論だけでは収まらず、殴り合いにまで発展した。身体に残る痣と、口内に滲む鉄の味。忌々しい記憶が蘇り、腹立たしい。
「痛っ、つ……」
「もう終わる」
歯を喰い縛りながら耐えていると、半ば呆れたように、ヨナがなだめた。
ベッドにうつ伏せたジュノーは、背に痛み止めの薬を塗られていた。鞭打ちの罰で負った傷だ。何かに触れると、火傷のようにかっと熱くなる。
「助かった、ヨナ」
処置が終わり、ジュノーは黒衣を手にした。
「傷はひどいか?」
「いくつか裂けている」
「……だろうな。初めて二セットくらった。牢にいた間、うなされたくらいだ」
常に無表情のヨナが、眉をひそめる。
「なぜ?」
「さあな。……まあ、理由なんて、一つしかないだろう」
謂れのない差別には、もう慣れた。
ジュノーの肌は、産まれつき浅黒い。周りの目は分かりやすく、排他的だ。そのため、彼だけに課せられたルールが、いくつもあった。
人前で肌を晒してはならない。──それが一つだ。
人々は特に外装を気にした。肌の異なる少年が、宮殿に出入りしていることを、快く思わない者もいた。
結果が、理由なき圧力だった。
「なぜ、受け入れる?」
「……俺が?」
問い返す。
ヨナは黙り込んだ。
彼らには居場所があった。影としての居場所。宮殿という名の檻。決して明るく光が射す場所ではないものの、ここへ来て初めて暮らす術を教わり、糧を与えられた者もいる。
二人は影となる以前、同じ地獄で生きていた。テオに拾われ、今となっては昔の話はしない。互いに心の内を知るからこそ、そうした。
「何か、変わったことはあったか?」
立ち上がり、薬瓶を片付けに向かったヨナの背に、ジュノーは尋ねた。
「リューイが還された。密葬だった」
「そうか……検視も全て終わったんだな」
「それから、第三小隊を解体すると」
振り向いたヨナと目が合い、ジュノーは思わず視線を落とす。返すべき正しい言葉は、きっと見付からないだろう。
「よかったじゃないか」
考えた末、口を突いて出たのは、慰めにもならない答えだった。
「リューイは、故郷に帰りたがっていた。自由の身だ」
「でも、死んだ」
影への代償はあった。生命を捧げなければならなかった。死を以て初めて開放され、一人の人間に戻ることができた。
解体ということは、行方の分からなかった残りの隊員も、おそらく確認されたのだろう。
箝口令のせいで言えない。しかし、自身が責められているようで、ジュノーはやるせなさを感じた。
「いずれ死ぬ、俺たちも同じだ」
「それが当たり前?」
「影でいる以上は、な。それとも、前のように戻りたいのか? その方がよっぽど地獄だぞ」
「……判らない」
生きていれば、先がある。幾度もそう言い聞かせてきた。しかし先は真っ暗でよく見えず、それでも足を踏み出さなければならない。誰もが不安だった。
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