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4.地獄に墜ちた月が掴むのは

41話

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「っくそ、くそ、くそ!」

 地に這いつくばり、両腕を後ろで縛られた男は、怨嗟に飲み込まれた声で悪態をつく。赤い炎の揺らめきに、血走った目がぬらぬらと照らされる。

 ぎろりと獲物である月音を捕らえると、手負いの獣ごとく歯をむき出し、吠えた。

「お前のせいで、お前のせいで!」

 フラッシュバックした記憶、耳の奥で幻聴が聞こえる。

 祖父母だ、まるで同じ恨み言に月音は嗤いそうになった。嬉しいとは異なる、自分でも形容しがたい複雑な感傷からこぼれた。

 何かが体の奥底でぎしりと軋み、悲鳴を上げた気がする。どろりと黒く侵食されるような不快感が込み上げた。

「どうせ月花に裏切られたお前に、救いはこねぇよ!」

 負け惜しみとでも言うのか。
 
 激昂に冷静さをかけた男に月音は、あえて近づいた。ずりずりと引きずって息すら触れる距離に顔を寄せれば、鼻が歪に折れ曲がった男が固まる。

 明かりなどなくとも認識できる、眼前で月音は美しく微笑んだ。わざとらしくゆったりとした口調で、

「月花は、本当に私を裏切ったのですか?」

 囁きは、静かなる海風に紛れず辺りに響いた。
 この場にいる全ての人間が月音の問いかけに集中するのを感じる。

 ああ、やはり、そうなのだ。

 確信して月音は睫を震わせて、思考をまとめる。時間稼ぎに使える材料は今のところこれだけ。話を終えてしまえば、殺される。

 彼らにとって月音の生死は重要ではない、死体でもおそらくかまわないのだ。

 物言わぬ死体の方が管理が楽なのだから。

「気になってる点、まずあなた方が侵入時の血まみれの男について」

 脳裏に焼き付く攫われる直前、暗がりでも分かった。致死量の血液を流した人間、うめき声すらあげない様子から今頃、もう。

 さすがに顔まで判別がつかなかったが、侵入時で争ったならば行き着く答えはひとつだ。

「あれは、見張りの月花の人間ではありませんか」

 こんなのは推理ではない。
 事実の確認を男たちは静観する。

「本当に月花が裏切り、私の場所まで案内したなら、見張りを殺す必要はありません」
「……確かにな。だが、そいつが人殺しに躊躇して怖じ気づいた可能性はどうだ」

 思わず吹き出しそうになった月音に、男は舌打ちをこぼす。

 今更倫理観を語る資格は、この場の誰にもない。

 そんな人間は組織には入らないし、もっと正義感あふれる人間ならば町から出て行っている。

「月花が私を売ったのならば、彼が怖気付いた理由がありません。まさか『子供を殺せない』と、まともなことを言って、怖じ気付くような人間なのですか?」
「……」
「ただ、あのセキュリティを突破して私のところまで来るのに手助けがなくては不可能かもしれません」

 一度だけ通ったエントランスから部屋までの道のりを思い出す。

 一般的なマンションとは異なり、赤いカーペットやシャンデリアで飾られており豪華で華やかさであふれていた。
 マンションというよりホテルの方が似合っている。しかしそれもまた違うと思わせたのは、その強固なセキュリティであった。

 指紋認証、虹彩認証、暗証番号、パスワード、鍵。堅牢なそれらは間違いなくマンションではない。

 誰かを守るか、それとも収監する鳥籠のようである。月音が外に出ようと思わなかった理由の一つだ、あれでは外出は不可能。

 入るにも出るにも月花泰華が必要なのである。

 泰華がいれば問題ないが、ならば見張りの彼が死ぬ必要はない。親たる泰華の命令ならば小娘ひとり、喜んで捧げるはずだ。

 それが出来なかったならば。考えられるのは。

「あのセキュリティ解除には月花泰華か、権限を一時的に与えられた極限られた上層部だけ」

 つまり。
 泰華が関与してないならば。

「月花内部――上層部の単独行動、裏切り」

 一拍。
 風の音すらかき消えた終わり、目の前の男は喉を鳴らす。

 緩慢な動きで両手を持ち上げると、演劇が終わって演者に喝采を捧げるように拍手をした。
 空気を裂く音は不快極まりなく、場違いなほど浮いていた。

 男は月音を見下して、歪んだ嗤いをこぼした。

「正解だよ、汚らしいガキ」

 吐き捨てられた言葉に、月音はただ黙って睨み返すしかなかった。

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