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4.地獄に墜ちた月が掴むのは

37話 過去のオワリ4

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 母が残した手紙には、たった一言。祖父母を頼れとだけ。

 助言に従って初めて家へと出向いた。
 道に迷い、時刻は夜。

 立派な家だった。
 木造建築のそれは広々とした庭があり、池には錦鯉が気持ちよさげに泳いでいる。

 呼び鈴を鳴らしても声を張り上げても、うんともすんともいわない。

 実のところ月音は全く乗り気じゃなかった。

 祖父母の話題には母親は怯えきっていて内容も、到底月音を歓迎するような人間ではないのを察していたからである。

 一瞬諦めるのも視野に入れたが、母の手紙が引き留めた。

 仕方なしに玄関に引けば、それはいとも簡単に開く。そして、むせかえる鉄さびの臭さ。咳き込めば、奥の方から、何者かのうめき声がした。

 不思議と恐怖より警戒心が勝った。
 ホームセンターで手に入れたナイフをポケットから取り出す。

 その際にぱりん、とガラスの割れた音がした。

 目線を滑らせば、何かが動く。

 塀を乗り越える際に、街灯がそれを浮き彫りにした。
 血塗れの男が、狂気じみた笑みで走り抜けていく。

 明らかな異常を見届けてから、土足で家へと踏み入った。
 耳を澄ませ、空気の揺れなどに細心の注意を払い、ふすまを開けて。


 赤い海が広がっていた。

 ころんとふたつの山が、その上で泳いでいる。
 ばたばたとみっともなく手足を動かして、うごめく。

「おま、え」

 地獄の底から響く、怨嗟の声。
 憎しみに満ちて月音を睥睨するよっつの目を、冷ややかに見下ろした。

「おまえ、が、うまれてこなければ」

 へぇ、よくわかったな。

 心の浮かんだのは、自分が一応、孫にあたる人間だと知っていることへの驚きだった。

 母が写真でも見せていたのか、今となれば知る術はない。
 この化け物たちからは聞きたくもない。

「こんな風にしたのは、だれ?」

 問いかけに化け物は虫の息で「おまえの父だ」と呟いた。
 父とは――いやしい男、虎沢秀喜。
 彼が、この化け物を殺した。

「理由は」
「おまえが、おまえのせいだ、あれはおまえを探してる」
「そう、ここに来た男は言ったの? 虎沢の手下と、はっきり?」
「ッそうだ、お前が」

 ごぼごぼと血泡が口から溢れて祖父が咳き込む。
 死の臭いを撒き散らすそれらを、月音は冷めた目で見つめた。

 その事実さえ知れば十分だ。
 何故流しているのかなど興味ない、
 ただ目下の問題が判明した。
 母を苦しめて自分を作ってしまった男――虎沢秀喜が探している。それも父親としての役割としてではないのは、この惨状でも明らかだろう。

「お前さえ生まれなければ」
「お前のせいだ」

 しゃがれた声が。

 月音の冷え切った心に刃を突き立てる。
 憎悪そのものが地の底から這いずり出て、地獄に引きずり込もうとする。

 ぬるりと濡れた何かに足首を掴まれ、ついっと顔を向けた。赤く染まる祖父母二人が、女を見上げた。憎しみの炎を宿し、焼き尽くさんばかりに言葉を紡ぐ。

「お前のせいで死ぬ」
「間違いの子。生まれてはいけない子」
「次は、お前の番だ」

 つらつらと死に際に、元気だなと他人事のように思う。

 初めて出会った祖父母は繰り返す。
 次はお前が殺されるのだと。お前に巻き込まれたと。

 二人のかすれた呼吸音は、やがて小さくなり。
 ついには消えてしまった。

 無音の中で、月音はようやく腰を曲げて、ぴくりともしなくなった物体へと顔を寄せた。
 目を見開いたまま、醜く歪んだ形相で固まっている。

 あは、と吐息まじりに声が出た。

 力の抜けた手から足を外して、一歩下がる。
 鉄臭さが充満した部屋、酸素を吸えば肺に重くたまる気がした。

「あはははっざまぁみろ!」

 あははは、あははは。

 気が狂ったかのように、月音は叫ぶ。
 頭が痛む、目尻から何かがとめどなく、あふれて、滑り落ちていった。


 母を苦しめた要因が、またひとつ死んだ。


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