上 下
27 / 56
2.すぎた幸福を噛みしめるように

25話

しおりを挟む
 鉄さびの臭気が漂う、誰も使っていない倉庫。

 月明かりは入らない。
 ろうそくの僅かな光源が足下に転がる男と、机の上にあるトレーに並べられた器具を照らした。

 闇にのまれかけている男の歯がかちかちと不愉快に鳴る。耳障りだが、指摘してやるほど厳しい人間ではないと自負していた。

 誠司は――自称、裏社会でもっとも優しい男。である。
 誰も認めてはくれないが。

 とりあえず話しやすいように環境を整えてやるか、と動き出そうとして。

 暗闇の中で、こつこつと革靴の音が響く。
 それを背後で聞いた誠司は面倒になると、大げさにため息をついた。

「首尾はどうだ?」
「……尻尾を捕まえるまで、お互い会わないようにするんじゃなかったのかよ」
「はは。今回は事情が変わったからな。家の前で薄汚いドブネズミがうろついていたら、誰だって嫌だろう?」

 それも、人のものをかじる不届き者を無視するほど俺は優しくない。

 赤い唇が艶を含ませた笑みをかたどる。しかし細められた瞳には鋭利で、明確な殺意の光が宿っていた。

 泰華は目的のためならば、平気で人をだまして残酷な方法で人を殺す。笑顔のまま、躊躇わず残虐非道を行う。

 それが誠司の知っている『月花泰華』だ。

 そんな彼が、彼女にどんな顔で接しているか想像もつかない。女とはいえ容赦をしないのがこの男だ。

 ルールさえ犯さなければ一般人を、町を守る。
 だが敷かれた道を外れたものには。

「おっおれは、頼まれただけなんだ! たのむ、なにもしらない、言わないからッだから」
「――発言を許した覚えはないんだがなぁ」

 予備動作などなく。
 泰華の長い足がしなやかに振り抜かれた。

 風を切る音と同時。這いつくばった男の顔面が地面にめり込み、ぼきりと折れた音と呻き声。

「どうでもいいことばかり言うなら、その喉はいらないか」

 両手を後ろで縛られ身動きを封じられている男は、激痛と一気に冷えた空気に圧倒されたらしく、ぐずぐずと鼻を鳴らすにとどまっている。

 誠司は隣の泰華を盗み見る。
 瞳孔が開ききった、獲物をいたぶる――裏社会の上に立つものの目だ。蔑みとは違う、冷酷に冷静にゴミを排除する顔。

 ずいぶんと、キレているな。

 誠司はやはり面倒な事態だと、再度出そうになったため息を飲み込んで、口を挟んだ。

「まだ情報、吐ききってないから待って。そのあとの処分は月花ですればいいから」
「情報を聞くくらい、俺のところでも良かったんだが」
「だめだって。今、表だって月花に動かれるのは困る。そんなのおまえだってわかってんだろ」

 ただでさえうちの連中は当主を殺しかけたのは、虎沢と月花だ、裏切りだと殺気立っている。
 必死に抑えている身にもなってほしいと苦言を呈した。

 泰華は逡巡の後、足を上げて一歩下がった。
 さも不満そうな顔は幼い少年のようだ。これだから顔がいい人間というのはずるい。
 心は鬼のくせに顔面のおかげで緩和されている。

「あーあー可哀想に。ほんっと容赦ないよなぁ泰華は。鼻が折れてるぞ、これ。ちょっとは僕の優しさを見習えよ」
「昔、誠司のとこの部下が「うちの若とあなた様は似ていらっしゃる」って言ってたぞ」
「誰だそいつ。舌抜くから名前教えろよ」
「そういうところが似てるんじゃないか」

 半分冗談で軽口をたたけば、泰華は鼻で笑った。

「俺より情報聞き出すのがうまい時点で、優しくはないだろう」

 彼の視線が向けられた。
 うつ伏せで倒れた男の指はすべて赤く染まっている。先ほどまで施していた痕跡。

 何が言いたいのか誠司には察せられない。
 失礼な話だ。泰華とは違い、優しく接して喋りやすくなるようにと整えただけだというのに。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

織りなす楓の錦のままに

秋濃美月
キャラ文芸
※鳴田るなさんの”身分違いの二人企画”に参加しています。 期間中に連載終了させたいです。させます。 幕藩体制が倒れなかった異世界”豊葦原”の”灯京都”に住む女子高生福田萌子は 奴隷市場に、”女中”の奴隷を買いに行く。 だが、そこで脱走した外国人の男奴隷サラームの巻き起こしたトラブルに巻き込まれ 行きがかり上、彼を買ってしまう。 サラームは色々ワケアリのようで……?

【R18】エリートビジネスマンの裏の顔

白波瀬 綾音
恋愛
御社のエース、危険人物すぎます​─​──​。 私、高瀬緋莉(27)は、思いを寄せていた業界最大手の同業他社勤務のエリート営業マン檜垣瑤太(30)に執着され、軟禁されてしまう。 同じチームの後輩、石橋蓮(25)が異変に気付くが…… この生活に果たして救いはあるのか。 ※サムネにAI生成画像を使用しています

マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました

東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。 攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる! そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

【完結】俺のセフレが幼なじみなんですが?

おもち
恋愛
アプリで知り合った女の子。初対面の彼女は予想より断然可愛かった。事前に取り決めていたとおり、2人は恋愛NGの都合の良い関係(セフレ)になる。何回か関係を続け、ある日、彼女の家まで送ると……、その家は、見覚えのある家だった。 『え、ここ、幼馴染の家なんだけど……?』 ※他サイトでも投稿しています。2サイト計60万PV作品です。

あまりさんののっぴきならない事情

菱沼あゆ
キャラ文芸
 強引に見合い結婚させられそうになって家出し、憧れのカフェでバイトを始めた、あまり。  充実した日々を送っていた彼女の前に、驚くような美形の客、犬塚海里《いぬづか かいり》が現れた。 「何故、こんなところに居る? 南条あまり」 「……嫌な人と結婚させられそうになって、家を出たからです」 「それ、俺だろ」  そーですね……。  カフェ店員となったお嬢様、あまりと常連客となった元見合い相手、海里の日常。

生贄の花嫁~鬼の総領様と身代わり婚~

硝子町玻璃
キャラ文芸
旧題:化け猫姉妹の身代わり婚 多くの人々があやかしの血を引く現代。 猫又族の東條家の長女である霞は、妹の雅とともに平穏な日々を送っていた。 けれどある日、雅に縁談が舞い込む。 お相手は鬼族を統べる鬼灯家の次期当主である鬼灯蓮。 絶対的権力を持つ鬼灯家に逆らうことが出来ず、両親は了承。雅も縁談を受け入れることにしたが…… 「私が雅の代わりに鬼灯家に行く。私がお嫁に行くよ!」 妹を守るために自分が鬼灯家に嫁ぐと決心した霞。 しかしそんな彼女を待っていたのは、絶世の美青年だった。

処理中です...