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2.すぎた幸福を噛みしめるように

22話

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 ――人生とはうまくいかないものである。

 そんなことはとうの昔に身に沁みていたはずなのに、月音は手で顔を覆った。現実から逃げたい一心で、目を閉じていたが結果が消えるわけもない。

 部屋に充満する焦げ臭さは薔薇の芳香をかき消した。
 そっと指の隙間から覗けば、できあがった未知の物体が真っ白な皿の上に鎮座している。
 何を作ろうとしたのか、全く察せない出来映えである。

「これ、食べれるの……?」

 誰に問いかけるわけでもない。返事は当然ない。
 泰華が出かけていて本当に良かった。

 自分でも忘れそうになるが、玉子焼きを作ろうとした。
 だが実際に出来上がったのは、料理と表現するのも烏滸がましい、いっそ毒かゴミと言われたほうが信じられる黒い塊である。

 箸で突けば炭のようにかたい。
 恐らく鉛筆の代わりに役立つかもしれない。
 フライパンから引き上げたとき、とてつもない重量を感じたので鈍器にちょうどいいかも。

 とりあえず食べ物ではない、決して。
 歯でかみ砕けるか甚だ疑問である。

 手順は泰華のを見て覚えていた。
 それこそ調味料の分量まで、ある程度は把握していた。
 が、それを上回る自分の腕前。不器用さは予想外だった。
 かき混ぜるまでは成功していたのに、どこから炭へと変貌したのか。記憶喪失かもしれない。都合のいい頭である。

「たべ……たべる」

 食べ物を粗末にしてはならない。
 いくら炭だろうと捨てるなど。
 しかも自分の金で購入したのではなく、泰華の懐から出されている。

 ゴミ箱へ、など許されない。
 とはいえこれを泰華に渡すような鬼畜の所業など。
 幸い、食にこだわりがない月音自身が責任持って、処分すべきだろう。いや、いくら興味が乏しくとも炭は食べないが。いくら美味しいとか不味いがわからなくとも、毒物は口に入れたくないのだが。

 試しに、箸でつまむ。が、まず持ち上がらない。
 仕方なく小さく取り分けようとしたが、そもそも箸が刺さらない。

「食べれる食べれる食べれる」

 もはや暗示をかけるしか道はない。
 冷や汗が頬を伝い、ごくりと生唾を呑み込む。
 ぐっと目を閉じて勢いよくかじりつこうと口を開いて。

 軽快な音楽が鳴り響いた。

 月音の緊張を切り裂き、動きを止めるのには十分な音。
 ぱちくりとまばたきを繰り返し、どっと疲れが襲いかかった。恐怖から解放されて、我ながら笑いがこみあげた。
 どれだけ炭と向き合いたくなかったのか。

 いったん箸を置いて、リビングへと戻る。
 ローテーブルに放置された携帯電話を拾い上げれば、新着メッセージが表示されていた。
 タップして内容を開ければ、当たり前だが泰華からで。

「お昼ごはんは食べたか? 何か買ってきて欲しいものはあるか?」

 え、と時間を確認する。
 一時間程度だと思っていたが、数字は昼の十二時を示していた。
 完成したときは十時だった。
 ということは、二時間は出来上がった炭に打ちひしがれていたのか。どれだけショックだったのか。

 思わず乾いた笑いがこぼれた。
 失敗が、というよりは泰華の食料を無断使用した上で無駄にしたという事実が心にくる。
 ちゃんと了承を得てから実行すべきだった。

 慣れない手で、ぽちぽちと文字を打ち、消してを繰り返す。
 言い訳など見苦しいだけだ。ここは正直に謝るべきだろう。特に卵は使ってしまったので、買ってきて貰わなければ。

 そこまで考えて、失敗と無断使用のしわ寄せは全部彼に向かうのだと、ますます後悔が募る。
 恩を仇で返すとはこのことである。

「申し訳ございません。卵を無駄に使用してしまいました。本当にごめんなさい。お手数ですが卵の購入をよろしくお願いします」

 たったそれだけを五分かけて送信した。
 返信など恐ろしくて見たくないが、逃げても仕方ない。
 じっと死刑宣告を待つと、数秒でメッセージが現れた。
 は、早い。

「りょういしたのか!」

 誤字から動揺と怒りがひしひしと伝わる。

 どうしよう。
 いやもはや手のつけようがないところまで来ている。
 できるのは真摯に謝るだけである。
 泰華が目の前にいないのに、そっとその場で正座をした。

「すみません、しました。失敗しました。すみません」
「怪我は?」
「してません」

 泰華は、月音より月音の不器用さを知っているのかもしれない。怪我はかろうじてない。危うく火傷をしそうになったが、どうにか避けれた。
「何故料理を?」
「たまには私が作ろうと思ったんです。いつも任せっきりでしたから」

 お礼がしたくて。喜んで貰いたくて。

 最後に付け加えかけた言葉を、そっと消す。
 文面の恥ずかしさに堪えきれなくなった。

「手料理を食べられるってことか」

 なんでそうなった。
 失敗って言っただろう、と唇を噛み締める。
 あれを泰華に差し出す勇気などあるはずもない。
 銃を突きつけられても、おかしくない。

「だめです、むりです、しにたくないです」
「料理しただけで殺される可能性が出るって何事だ」
 
 ごもっともである。

 
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