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北辰は夕方に五曜の車でいっしょに戻ってくる手筈になっていた。

そろそろかな、と居間の振り子時計を見上げる。
ちょうど聞き覚えのある車のエンジン音がしてはっとした。


―――どうしよう。どんな顔をして北辰様と会えばいいのか。


「若奥様」


足の竦んだこみつを促したのは女中の声だった。
そうだ。こみつはもう五曜に嫁いで、添島の人間になったのだ。椿のように強くなると決めたのだ。

意気込んで向かった先にいたのは五曜で。


「五曜様…!」


北辰様は?


「ただいま、こみつ」


こみつの問いを正しく受け止めた五曜はふわりと笑う。頷いて妻を抱き寄せ、答えようとしたその後ろから北辰が顔を見せる。


「うわ、熱烈だな」

「北辰様!」

「ひさしぶり、こみつ。元気そうで何よりだ」


にこりと爽やかに笑った男前はいつものように朗らかだった。ほら、北辰は変わらない。こみつははじめから相手にされていないのだ。

こみつもにこりと笑う。


「お久しぶりです。ようこそいらっしゃいました」


幼なじみ同士の気安いやり取りに五曜はぴくと背筋を震わせる。

やはり北辰のほうがいいのか、とこみつを見下ろすが彼女の様子はいつもと変わりない。それもそうだ。こみつは照れて恥じらうことも多いが、わざわざ五曜を気にかける必要はない。だって自分はまだ受け入れられていないから――。


それでもこみつと夫婦になったのは自分なのだから、と五曜は北辰を振り返った。


「北辰、さあ入ってくれ。こみつももう準備はいいかな」

「はい」


用意していた酒と食事で北辰をもてなす。

北辰は「祝いに来た側だというのに申し訳ない」と言いつつも喜んで舌鼓を打った。給仕は女中たちがこなしてくれたため、こみつも五曜と並ぶ。
そんな二人を目尻を下げて眺めて、北辰が言った。


「二人ともいい雰囲気だな」

「そんなことは……」

「おいそこで否定してやるなよ。晩餐会では避けられていたようだから、こうして二人がいっしょにいるところを見られてよかった」


こみつは言葉に詰まり、目線を落として「ごめんなさい」と謝る。


「あんな場所で祝われても困るから、あのときはあれでよかったんだよ」

「そうか?」


五曜が言って北辰はそれ以上は気にした風もなく、持ってきた大きな箱を取り出した。


「結婚祝いだ。開けてみてくれ」

「なんだろう?」


手を伸ばして受け取った五曜が箱をこみつの前に置き、「開けてみて」と微笑む。
かこんと蓋を持ち上げると、美しい塗りの漆器が揃いで一式並んでいた。


「へえ、これは見事だな」

「そうだろう?一級品だ。だがぜひ普段使いしてくれ」


褒められて自慢げな北辰がうれしそうに言う。
けれどこみつはあまりの品の良さに目を白黒させてしまった。


「こんな立派な品、本当に頂いてしまってよろしいのでしょうか」

「いいんだ!気にしないでくれ。これは俺の気持ちだ。こみつは幼い頃から知っているし、五曜も兄弟のようなものだからな」

「なるほど。おまえが弟か」

「いや、何を言う。おまえだろう」


五曜はこみつのことで北辰に対抗心を燃やすが、それ以外では仲が良い。親友と言うだけある。


「ありがとう。遠慮なく使わせていただくよ」


気楽に受け取る五曜に対して、こみつは内心不安に思った。
「ありがとうございます。置いてまいりますね」と漆器を台所へ運ぶため一度中座する。女中が驚いて追いかけてきた。


「若奥様!代わりますよ」

「とてもいいものなの。丁寧に扱ってね」

「もちろんです」


笑顔で頷く女中を見送る。
北辰はなぜあれほどの品を用意したのか。


―――わたしを五曜様に押しつけた詫びのようなもの?それとも口止め?


それにしては五曜の態度は甘く、こみつに引け目を感じているようには見えない。
五曜はたしかにこみつを好いてくれているから、彼にとって北辰との取引は渡りに船だったのだろうか。気にかける必要もないほどに。
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