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悪役令嬢は悪徳商人を捕まえる
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「あなたを愛しているの」
メイヴィスからはじめて愛を告げられて、ヴィンセントはしばらく硬直した。
「メル……!!」
強ばりが解けるや、細い肢体を強く掻き抱いてその胸に顔を伏せる。
「メル、好きだ。愛している」
メイヴィスは小さく微笑んで、しなやかな黒い髪に頬をすり寄せる。
ぎゅうと抱き締めてくる逞しい腕は苦しいほどで、あ、と思ったときには雪崩れるようにソファーに押し倒されていた。
「メル、メル、メイヴィス」
感極まったその声は上擦って掠れていた。
メイヴィスも鼻の奥がつんとする。
大きな手で頬を撫でられて、滲む視線を上げると明るいグリーンの瞳がきらきらと光って揺れている。
「…メイヴェル」
そして落とされた口づけは、すべてを奪うような、すべてを与えるような、愛の奔流に満ちたもので、メイヴェルも顎を上げて受け止めた。
***
ヴィンセントが白金色の髪の令嬢をはじめて見たのは、王宮に存在した王弟殿下の花園だ。
その日はレアード辺境伯も三兄弟を連れて王都に来ていた。
一番末のヴィンセントはやんちゃというより悪童で、度胸試しに身近だった王弟の花園に忍び込んだ。どうせなら勲章を持ち帰ろうときれいに咲いた白い星形の花を根っこから引き抜く。
そのとき、ふと人の気配がした。
そっと顔を上げれば、年下の少女が同じようにしゃがみ込んで花に見入っている。さらさらとした白金色の髪、宝石のような青い瞳、妖精のように美しい顔立ち。
『何て名前なのかしら…』
『――誰の?』
思わず言葉を返してしまって、ぱっと顔を上げた彼女はヴィンセントと目が合うや、ふわりと花が綻ぶように微笑んだ。
ヴィンセントは息を飲み、固まってしまう。
その間に彼女は呼ばれて去ってしまい、ヴィンセントの元には兄たちがやって来る。
『あー!お前、何やってるんだ』
『花は抜いたら枯れるんだぞ、大切にしろ』
それから揃って父親の元に戻り、花を抜いたヴィンセントはベルナルドにしこたま怒られた。抜いた花は鉢に入れてもらって、領地に持ち帰ることになる。
けれども、ヴィンセントの頭の中はあの白金色の髪の少女でいっぱいだった。
父に聞けば名前がわかるだろうか。
ヴィンセントはそう考えたがついに訊けなかった。気恥ずかしかったのもあるし、彼女を形容する言葉が『妖精みたいな少女』としか浮かばなかったから。
しかし、それからほどなくヴィンセントは彼女の名前を知ることになる。
メイヴェル・バーネット侯爵令嬢。
めでたく第一王子の婚約者に選ばれた御令嬢だ。
メイヴェルは8歳、ジュリアスは6歳。
ヴィンセントは12歳だった。
婚約パーティーにはレアード辺境伯も参加していた。昔の第二王子派は王宮での肩身が狭い。兄たちはついてきておらず、ヴィンセントだけが父に付き添った。
目的はあの花園だ。
この日は祝い事のため王弟殿下の花園も解放されていた。いや、もう王子殿下の花園に変わっていたのだろう。
ヴィンセントはそこで悲しげに白い花を見つめる美しい少女を見た。あの日の愛らしい表情とはまったく違う。
第一王子はメイヴェルを婚約者に迎えて、ここの花をすっかり植え替えてしまった。素朴な白い桔梗から大振りの白薔薇に。
悲しいやら、悔しいやら、ヴィンセントの胸の内を嵐が吹き抜ける。ぐっと拳を握って唇を噛み締めた。
花は抜くと枯れてしまう――ふと兄の言葉が甦る。
偶然にも、王弟殿下の忘れ形見はヴィンセントの手によって残されている。あの花を育てて、もう一度メイヴェルに見せてあげよう。
ヴィンセントは考えた。
メイヴェルは第一王子の婚約者だ。未来の王妃になるべき女性である。ヴィンセントの入る隙はない。けれど、花を献上するくらいなら。
そうだ、だったら王妃に相見えることが可能な立場を手に入れよう。
レアード辺境伯?領主?軍総司令官?
そんな程度じゃだめだ。もっと王都に影響のある存在がいい。
力を手に入れよう――ヴィンセントは顔を上げる。
その日からレアードの三男坊は少し変わった。
頭が回り、体力もあり、けれどどこか風来坊で扱いに困る小僧が、きゅっと顔を引き締めて男になった。
なんだなんだ、何があったんだ、とレアードの獣たちに訊ねられ、軍社会で育ったヴィンセントは包み隠さず答える。
王弟殿下の花園で妖精に一目惚れしたこと。
その妖精が第一王子の婚約者だったこと。
それでも諦めきれないこと。
兄二人は驚き、父は頷いて、応援してくれた。
ヴィンセントは諦めない。欲しいものは自らの手で取りに行く。何を犠牲にしてでも。
けれど、どうしても叶わないのなら――遠くからでも慈しむ。花は愛でて育てるものだ。それがヴィンセントの愛し方だ。そう決めた。
そのはずだったのに。
「堪らない、メイヴェル。どうしたらいい。愛している」
叶わないと思っていた愛がここにある。
妖精を捕らえて、花を慈しみ、宝石箱の中に閉じ込めてしまう。それでいいと思っていたのに。
「泣かないで、ヴィンセント」
細い指がヴィンセントの頬を撫でる。
真っ直ぐにメイヴェルを見つめたまま涙を落とす黒い獣は美しかった。
メイヴィスからはじめて愛を告げられて、ヴィンセントはしばらく硬直した。
「メル……!!」
強ばりが解けるや、細い肢体を強く掻き抱いてその胸に顔を伏せる。
「メル、好きだ。愛している」
メイヴィスは小さく微笑んで、しなやかな黒い髪に頬をすり寄せる。
ぎゅうと抱き締めてくる逞しい腕は苦しいほどで、あ、と思ったときには雪崩れるようにソファーに押し倒されていた。
「メル、メル、メイヴィス」
感極まったその声は上擦って掠れていた。
メイヴィスも鼻の奥がつんとする。
大きな手で頬を撫でられて、滲む視線を上げると明るいグリーンの瞳がきらきらと光って揺れている。
「…メイヴェル」
そして落とされた口づけは、すべてを奪うような、すべてを与えるような、愛の奔流に満ちたもので、メイヴェルも顎を上げて受け止めた。
***
ヴィンセントが白金色の髪の令嬢をはじめて見たのは、王宮に存在した王弟殿下の花園だ。
その日はレアード辺境伯も三兄弟を連れて王都に来ていた。
一番末のヴィンセントはやんちゃというより悪童で、度胸試しに身近だった王弟の花園に忍び込んだ。どうせなら勲章を持ち帰ろうときれいに咲いた白い星形の花を根っこから引き抜く。
そのとき、ふと人の気配がした。
そっと顔を上げれば、年下の少女が同じようにしゃがみ込んで花に見入っている。さらさらとした白金色の髪、宝石のような青い瞳、妖精のように美しい顔立ち。
『何て名前なのかしら…』
『――誰の?』
思わず言葉を返してしまって、ぱっと顔を上げた彼女はヴィンセントと目が合うや、ふわりと花が綻ぶように微笑んだ。
ヴィンセントは息を飲み、固まってしまう。
その間に彼女は呼ばれて去ってしまい、ヴィンセントの元には兄たちがやって来る。
『あー!お前、何やってるんだ』
『花は抜いたら枯れるんだぞ、大切にしろ』
それから揃って父親の元に戻り、花を抜いたヴィンセントはベルナルドにしこたま怒られた。抜いた花は鉢に入れてもらって、領地に持ち帰ることになる。
けれども、ヴィンセントの頭の中はあの白金色の髪の少女でいっぱいだった。
父に聞けば名前がわかるだろうか。
ヴィンセントはそう考えたがついに訊けなかった。気恥ずかしかったのもあるし、彼女を形容する言葉が『妖精みたいな少女』としか浮かばなかったから。
しかし、それからほどなくヴィンセントは彼女の名前を知ることになる。
メイヴェル・バーネット侯爵令嬢。
めでたく第一王子の婚約者に選ばれた御令嬢だ。
メイヴェルは8歳、ジュリアスは6歳。
ヴィンセントは12歳だった。
婚約パーティーにはレアード辺境伯も参加していた。昔の第二王子派は王宮での肩身が狭い。兄たちはついてきておらず、ヴィンセントだけが父に付き添った。
目的はあの花園だ。
この日は祝い事のため王弟殿下の花園も解放されていた。いや、もう王子殿下の花園に変わっていたのだろう。
ヴィンセントはそこで悲しげに白い花を見つめる美しい少女を見た。あの日の愛らしい表情とはまったく違う。
第一王子はメイヴェルを婚約者に迎えて、ここの花をすっかり植え替えてしまった。素朴な白い桔梗から大振りの白薔薇に。
悲しいやら、悔しいやら、ヴィンセントの胸の内を嵐が吹き抜ける。ぐっと拳を握って唇を噛み締めた。
花は抜くと枯れてしまう――ふと兄の言葉が甦る。
偶然にも、王弟殿下の忘れ形見はヴィンセントの手によって残されている。あの花を育てて、もう一度メイヴェルに見せてあげよう。
ヴィンセントは考えた。
メイヴェルは第一王子の婚約者だ。未来の王妃になるべき女性である。ヴィンセントの入る隙はない。けれど、花を献上するくらいなら。
そうだ、だったら王妃に相見えることが可能な立場を手に入れよう。
レアード辺境伯?領主?軍総司令官?
そんな程度じゃだめだ。もっと王都に影響のある存在がいい。
力を手に入れよう――ヴィンセントは顔を上げる。
その日からレアードの三男坊は少し変わった。
頭が回り、体力もあり、けれどどこか風来坊で扱いに困る小僧が、きゅっと顔を引き締めて男になった。
なんだなんだ、何があったんだ、とレアードの獣たちに訊ねられ、軍社会で育ったヴィンセントは包み隠さず答える。
王弟殿下の花園で妖精に一目惚れしたこと。
その妖精が第一王子の婚約者だったこと。
それでも諦めきれないこと。
兄二人は驚き、父は頷いて、応援してくれた。
ヴィンセントは諦めない。欲しいものは自らの手で取りに行く。何を犠牲にしてでも。
けれど、どうしても叶わないのなら――遠くからでも慈しむ。花は愛でて育てるものだ。それがヴィンセントの愛し方だ。そう決めた。
そのはずだったのに。
「堪らない、メイヴェル。どうしたらいい。愛している」
叶わないと思っていた愛がここにある。
妖精を捕らえて、花を慈しみ、宝石箱の中に閉じ込めてしまう。それでいいと思っていたのに。
「泣かないで、ヴィンセント」
細い指がヴィンセントの頬を撫でる。
真っ直ぐにメイヴェルを見つめたまま涙を落とす黒い獣は美しかった。
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