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悪役令嬢は悪徳商人を捕まえる
9 コリーン
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第一王子の婚約者だった姉・メイヴェルは、大変に美しく、聡明で、控えめすぎるきらいはあるが優しくて、浮世のものではないように思えた。
一時期、精巧な少女の形をした陶器人形が流行した。白い滑らかな肌に硝子玉の瞳。妖精と謳われた姉はいつしか人形のようだと囁かれた。
余計なことは喋らず、感情は内に秘めて、いつも淡く微笑んでいるだけ。
ああなるほど、人形だ。と納得した。
姉は『象徴』だった。
第一王子の婚約者。『国王の忠実なる臣下』たるバーネット侯爵の娘。それ以上の何者でもない。
コリーンはそんな境遇のメイヴェルが疎ましくて、哀れで、そして恨めしかった。
成長するにつれ、コリーンも『第一王子の婚約者の妹』『バーネット侯爵の後継』と呼ばれることが増えた。
学園に入学したときだってコリーンは周囲から遠巻きにされて、腫れ物に触るよう。義兄となる予定の第一王子が直接声をかけてきたのも原因のひとつだった。
『あなたがメイヴェルの妹か?姉君からよろしくと頼まれた』
王子は子供の頃にバーネット邸を何度も訪れていて、ジュリアスとコリーンは初対面ではなかったが、すっかり忘れられているようだ。
王子とその取り巻きに囲まれて、コリーンはさらに孤立する。余計なことを、と姉に対してますます苛立ちを覚えた。
その状況を覆したのがサラだ。
『あなた、殿下の婚約者様の妹なの?』
サラは男爵家の娘だった。振る舞いは無邪気で貴族らしくなく、それでいて合理的な考え方はとても貴族らしかった。
『あなたといたら殿下と親しくなれるかしら。お友達になってくださる?』
打算にまみれた誘いに思わず笑ってしまった。
コリーンはあまり腹の探り合いは得意じゃない。はっきり言ってもらう方が安心する。
『いいわよ、よろしくね』
周囲から距離を取られていたコリーンは、サラをきっかけにうまく馴染むことができた。
サラは明るくて、あどけなく、あけすけだ。
その言動に振り回されることもあったが大切な友人だった。
コリーンが本当は女騎士になりたかったと告げたときも、『今から目指してもいいんじゃない?諦めるなんてだめよ』と背中を押してくれた。
サラはコリーンを介して王子とも親しくなった。
王子もサラを憎からず思っているようで、笑顔が優しい。――姉に向けるものとはまったく違った。
『コリーン。どうしよう、わたしジュリアス殿下のことを好きになっちゃった…!』
途方に暮れた顔でそう言われたとき、コリーンの胸を過ったのは喜びだった。
友人が秘密を打ち明けてくれた。自分を頼ってくれた。姉が婚約者じゃなくなれば、自分もまた女騎士を目指せるかもしれない――。
『人を好きになるのは悪いことじゃないわ。諦めちゃダメよ、サラがわたくしにそう言ってくれたんじゃない』
『ありがとう、コリーン』
二人は両手を取り合ってきゃあきゃあと跳び跳ねて喜んだ。
『でも、ジュリアス様はわたしを見てくれるかしら。婚約者様もいるのに』
『大丈夫、殿下もサラを気にしてらっしゃるもの。それに、妹のわたくしが言うのもあれだけど、姉様はすこしその、冷たいから…』
年を重ねる毎にメイヴィスは美しくなる。
黙って動かないでいたら、等身大の人形のように見えるほど。薄ら寒さすらある。
ジュリアスも同じことを思っていたのだろう。サラの想いは実り、メイヴェルとの婚約は破棄された。
『わたし諦めなくてよかった!これからずっとジュリアス様のお側にいられるようがんばるから、コリーンもがんばってね』
『おめでとう、サラ。わたくしもがんばる!もう一度女騎士を目指すわ!』
『そうだ!コリーンが立派な騎士になったら、わたしの護衛になってよ。ね、いいでしょ?』
『すごい、それすごくいい!!』
きゃっきゃっと二人で声を上げてはしゃぐ。明るい未来に胸を震わせた。そのときは。
第一王子とその婚約者の婚約破棄が成されて、バーネット侯爵邸は大混乱に陥った。
父は当惑し、母はヒステリックに叫び、姉は強いショックを受けて――なんと家出してしまった。下町に降りて暮らすのだという。
信じられなかったが、仕方ないとも思った。
気が済んだら屋敷に帰ってきてもらおう。そして侯爵家を継いでもらうのだ。
混乱の最中、コリーンは母に話をした。本当は女騎士になりたいこと、サラの護衛になると約束したこと。
母は目を見開いて驚いて、けれど了承した。
『それも手ね。ええ、いいわ。わかった』
母の生家のクインシー伯爵家に渡りをつけている間、下町でメイヴェルの店が燃えたことを知らされ、コリーンは真っ青になった。
―――侯爵家を継いでもらおうと思っていたのに…!
姉は安否不明ということで屋敷中が慌ただしくなったが、コリーンは実感が沸かなかった。
メイヴェルは幼い頃から王妃教育で家にはいないことが多かったし、最近は下町で暮らしていた。姿がないことが当たり前になっていた。
母が侯爵邸に黒い布を下げる。それを見て、はじめて死の恐怖を覚えた。
父が叫ぶ。その横顔は憔悴してやつれている。
母は薄暗い目をして家を出た。コリーンを連れて。
『まさか自死したとか…?いいえそんな、まさか…』
ぶつぶつと何か恐ろしいことを呟いている。
それから向かったクインシー家で一転して明るく微笑まれた。
『さあコリーン。今日から訓練をはじめましょうね』
***
母は美しいが、気が強くて、そして――どこか歪だった。クインシー伯爵家の当主であり、叔母のカミーユ・クインシーが言う。
「ジゼルは病的なほどの負けず嫌いだ」
コリーンはカミーユの騎士団に所属して鍛練を積んでいる。
幼い頃から母に倣って剣を振ってきた。
それなりに通用すると思っていた。
「筋はいいがまだまだだな。ご令嬢にはきついだろう」
キン、と剣が飛んだ。
コリーンは膝をついてはあはあと息を荒げる。
他の団員がクスクスと笑っている。
「王妃の護衛になるにはもっとがんばらないといけない」
「わたくしではサラの護衛にはなれませんか」
「そうは言ってない。だが、もっと鍛練が必要だ」
カミーユの言葉に視界がさあっと暗くなる。
「わたくしが侯爵令嬢だったからですか…?」
侯爵を継ぐ勉強などせずに、ここにいる他の騎士たちと同様、幼い頃から訓練をしていたらよかったのか。
「なりたくてなったわけじゃないのに…!!」
コリーンは叫ぶ。
コリーンの夢は昔から女騎士だ、侯爵家を継ぎたいと思ったことはない。姉にはずっと伝えていたのに、応援すると言ってくれたのに、結局それは嘘になった。
「なりたくて、なったわけじゃないのに…」
このところ母がおかしい。
訓練の進捗を聞いてコリーンの実力が伴わないことを知ると、過酷な特訓を強いてくる。
「弱音を吐くなど何事か」
王妃の護衛などこれほど誉れ高いことはない。きちんとその身分にあった能力を身に付けるように。やるべきことをきちんと全うするように。
どこかで聞いた覚えがある。
ああそうだ、王妃教育を嫌がる姉に母がそう叱責していた。当時は当然と思って聞いていたが、なんだろう。なんだか。
「王妃の護衛になるのはあなたよ、コリーン。今度こそあなたが――…」
息が詰まりそうだ。
一時期、精巧な少女の形をした陶器人形が流行した。白い滑らかな肌に硝子玉の瞳。妖精と謳われた姉はいつしか人形のようだと囁かれた。
余計なことは喋らず、感情は内に秘めて、いつも淡く微笑んでいるだけ。
ああなるほど、人形だ。と納得した。
姉は『象徴』だった。
第一王子の婚約者。『国王の忠実なる臣下』たるバーネット侯爵の娘。それ以上の何者でもない。
コリーンはそんな境遇のメイヴェルが疎ましくて、哀れで、そして恨めしかった。
成長するにつれ、コリーンも『第一王子の婚約者の妹』『バーネット侯爵の後継』と呼ばれることが増えた。
学園に入学したときだってコリーンは周囲から遠巻きにされて、腫れ物に触るよう。義兄となる予定の第一王子が直接声をかけてきたのも原因のひとつだった。
『あなたがメイヴェルの妹か?姉君からよろしくと頼まれた』
王子は子供の頃にバーネット邸を何度も訪れていて、ジュリアスとコリーンは初対面ではなかったが、すっかり忘れられているようだ。
王子とその取り巻きに囲まれて、コリーンはさらに孤立する。余計なことを、と姉に対してますます苛立ちを覚えた。
その状況を覆したのがサラだ。
『あなた、殿下の婚約者様の妹なの?』
サラは男爵家の娘だった。振る舞いは無邪気で貴族らしくなく、それでいて合理的な考え方はとても貴族らしかった。
『あなたといたら殿下と親しくなれるかしら。お友達になってくださる?』
打算にまみれた誘いに思わず笑ってしまった。
コリーンはあまり腹の探り合いは得意じゃない。はっきり言ってもらう方が安心する。
『いいわよ、よろしくね』
周囲から距離を取られていたコリーンは、サラをきっかけにうまく馴染むことができた。
サラは明るくて、あどけなく、あけすけだ。
その言動に振り回されることもあったが大切な友人だった。
コリーンが本当は女騎士になりたかったと告げたときも、『今から目指してもいいんじゃない?諦めるなんてだめよ』と背中を押してくれた。
サラはコリーンを介して王子とも親しくなった。
王子もサラを憎からず思っているようで、笑顔が優しい。――姉に向けるものとはまったく違った。
『コリーン。どうしよう、わたしジュリアス殿下のことを好きになっちゃった…!』
途方に暮れた顔でそう言われたとき、コリーンの胸を過ったのは喜びだった。
友人が秘密を打ち明けてくれた。自分を頼ってくれた。姉が婚約者じゃなくなれば、自分もまた女騎士を目指せるかもしれない――。
『人を好きになるのは悪いことじゃないわ。諦めちゃダメよ、サラがわたくしにそう言ってくれたんじゃない』
『ありがとう、コリーン』
二人は両手を取り合ってきゃあきゃあと跳び跳ねて喜んだ。
『でも、ジュリアス様はわたしを見てくれるかしら。婚約者様もいるのに』
『大丈夫、殿下もサラを気にしてらっしゃるもの。それに、妹のわたくしが言うのもあれだけど、姉様はすこしその、冷たいから…』
年を重ねる毎にメイヴィスは美しくなる。
黙って動かないでいたら、等身大の人形のように見えるほど。薄ら寒さすらある。
ジュリアスも同じことを思っていたのだろう。サラの想いは実り、メイヴェルとの婚約は破棄された。
『わたし諦めなくてよかった!これからずっとジュリアス様のお側にいられるようがんばるから、コリーンもがんばってね』
『おめでとう、サラ。わたくしもがんばる!もう一度女騎士を目指すわ!』
『そうだ!コリーンが立派な騎士になったら、わたしの護衛になってよ。ね、いいでしょ?』
『すごい、それすごくいい!!』
きゃっきゃっと二人で声を上げてはしゃぐ。明るい未来に胸を震わせた。そのときは。
第一王子とその婚約者の婚約破棄が成されて、バーネット侯爵邸は大混乱に陥った。
父は当惑し、母はヒステリックに叫び、姉は強いショックを受けて――なんと家出してしまった。下町に降りて暮らすのだという。
信じられなかったが、仕方ないとも思った。
気が済んだら屋敷に帰ってきてもらおう。そして侯爵家を継いでもらうのだ。
混乱の最中、コリーンは母に話をした。本当は女騎士になりたいこと、サラの護衛になると約束したこと。
母は目を見開いて驚いて、けれど了承した。
『それも手ね。ええ、いいわ。わかった』
母の生家のクインシー伯爵家に渡りをつけている間、下町でメイヴェルの店が燃えたことを知らされ、コリーンは真っ青になった。
―――侯爵家を継いでもらおうと思っていたのに…!
姉は安否不明ということで屋敷中が慌ただしくなったが、コリーンは実感が沸かなかった。
メイヴェルは幼い頃から王妃教育で家にはいないことが多かったし、最近は下町で暮らしていた。姿がないことが当たり前になっていた。
母が侯爵邸に黒い布を下げる。それを見て、はじめて死の恐怖を覚えた。
父が叫ぶ。その横顔は憔悴してやつれている。
母は薄暗い目をして家を出た。コリーンを連れて。
『まさか自死したとか…?いいえそんな、まさか…』
ぶつぶつと何か恐ろしいことを呟いている。
それから向かったクインシー家で一転して明るく微笑まれた。
『さあコリーン。今日から訓練をはじめましょうね』
***
母は美しいが、気が強くて、そして――どこか歪だった。クインシー伯爵家の当主であり、叔母のカミーユ・クインシーが言う。
「ジゼルは病的なほどの負けず嫌いだ」
コリーンはカミーユの騎士団に所属して鍛練を積んでいる。
幼い頃から母に倣って剣を振ってきた。
それなりに通用すると思っていた。
「筋はいいがまだまだだな。ご令嬢にはきついだろう」
キン、と剣が飛んだ。
コリーンは膝をついてはあはあと息を荒げる。
他の団員がクスクスと笑っている。
「王妃の護衛になるにはもっとがんばらないといけない」
「わたくしではサラの護衛にはなれませんか」
「そうは言ってない。だが、もっと鍛練が必要だ」
カミーユの言葉に視界がさあっと暗くなる。
「わたくしが侯爵令嬢だったからですか…?」
侯爵を継ぐ勉強などせずに、ここにいる他の騎士たちと同様、幼い頃から訓練をしていたらよかったのか。
「なりたくてなったわけじゃないのに…!!」
コリーンは叫ぶ。
コリーンの夢は昔から女騎士だ、侯爵家を継ぎたいと思ったことはない。姉にはずっと伝えていたのに、応援すると言ってくれたのに、結局それは嘘になった。
「なりたくて、なったわけじゃないのに…」
このところ母がおかしい。
訓練の進捗を聞いてコリーンの実力が伴わないことを知ると、過酷な特訓を強いてくる。
「弱音を吐くなど何事か」
王妃の護衛などこれほど誉れ高いことはない。きちんとその身分にあった能力を身に付けるように。やるべきことをきちんと全うするように。
どこかで聞いた覚えがある。
ああそうだ、王妃教育を嫌がる姉に母がそう叱責していた。当時は当然と思って聞いていたが、なんだろう。なんだか。
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