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1 人生の目標

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「あれ……あの人って」

 王立学院の入学式を終えて教室に向かう途中でヤマトは立ち止まる。
 花弁が散る桜の木の向こうに見えた人物が気になったのだ。ヤマトは学院に知り合いなどいないはずなのに、その後ろ姿が記憶のどこかに引っ掛かった。

「本当にいらっしゃるんだな、カイユー王子」
「同学年だからって、父上には変な期待をかけられて困るよ」
「はは、うちもだよ」

 立ち止まったヤマトの脇を通り過ぎていく人々も、ヤマトと同じ人物を見て噂しているようだ。
 皆が注目しているその人は背が高く、すらっとした立ち姿には遠目にも気品がある。この学校の制服はダブルスーツと詰襟をミックスしたような形で細部に刺繍や装飾のある豪華な仕様なのだが、共通デザインのそれがまるで彼のために作られたかのように似合っている。

(カイユー、王子……?)

 まさかと思い、ヤマトは目を見開く。
 ヤマトが立ち止まって見つめる中、その人物は隣にいた護衛らしい騎士と話し終わったようでヤマトのいる校舎の方に振り返った。黒に近い紫の髪に薄い青の瞳、前髪が目の端に少しかかっているのが年齢に似合わぬ艶がある。ヤマトはその面差しにとても見覚えがあった。

(もしかして、『闇夜ノ狂宴』のカイユー!?)

 ヤマトが知るカイユーとは、子供の頃にハマった『闇夜ノ狂宴』というゲームの登場人物だ。ゲームの主人公の兄でありゲームにおけるラスボスで、ヤマトが一番好きなキャラクターだ。
 カイユーは実は主人公である弟のために真の敵に肉体を奪われていて、ラスボス戦では一瞬意識を取り戻すのだが、真の敵を消滅させるために自分の肉体ごと主人公に倒される。
 冬の夜空に浮かぶ月のような冷たく孤独なオーラに反して、実は国と弟を想う優しい青年カイユー。報われないのに満足そうなそのラストシーンが、子供の頃のヤマトに強烈に刺さった。後にも先にもヤマトはあんなに一人のキャラクターを好きになったことはない。
 たった今見た人物は、ゲームでは二十代のカイユーを若くしたらこうなるだろうという姿をしている。

(ここって、ゲームの世界だったんだ……)

 ヤマトがこの世界に転生して十五年、幼少期は朧げだった前世の記憶がしっかり戻って十年ほど経つ。その間にここが自分の知っているゲームの世界だとヤマトはまったく気付いていなかった。
 ここ 天壌国てんじょうこくは、ヤマトのざっくりしたイメージで言うと近代日本っぽい、文明開花の音がするような国だ。
 ただ、日本語は通じるが動物やら食べ物やらが日本で知っているものと若干違うものがあるし、天然物の青色や赤色の髪や瞳の人々がいるので異世界という認識をしていた。ちなみにヤマトは赤みのある金髪に緑の瞳だ。
 言われてみれば以前から国名や世界観になんとなく覚えがある気はしていた。けれど今までヤマトはそんな疑問を深く考えることはしなかった。
 ヤマトは転生する前の出来事の影響で、新しい人生に対して全くやる気がなかったのだ。

 前世、日本でサラリーマンをしていたヤマトは痴情の縺れで元カノに殺された。痴情の縺れで死んだ男と聞くと、恨みを買うような浮気男や、ストーカーに狙われるモテ男なんかを想像する人もいるかもしれないがそんなことはない。
 陳腐なドラマのような話なのだが、彼女とは事故被害者の身内同士というきっかけで知り合った。
 ヤマトが社会人になってしばらくした頃、子育ても終わり仕事も定年を迎えた両親が海外旅行に行った。そこで現地のバスが事故で谷に転落してヤマトの両親は亡くなった。そして、後にヤマトを殺す女性も同じ事故で婚約者を亡くしていた。
 年が近く同じ悲しみを抱えていた二人は、連絡を続けていくうちに傷を舐め合うように交際を始めた。交際を始めて一年ほど経っても、彼女はやはり事故で亡くなった婚約者のことを忘れられないようだったが、ヤマトはこの人を幸せにしようと思っていた。
 そんな時、死んだと思っていた彼女の婚約者が実は生きていたことが判明した。大怪我をして谷底の川で下流に流されていたのだそうだ。奇跡的な帰国と再会に、彼女はあっさりと婚約者の元に戻っていった。
 ヤマトはこの時、ショックでしばらく立ち直れなかった。けれど、彼女は婚約者にもう一度会いたいと何度も泣いていたし、事故にあった婚約者からしたらヤマトが寝取った側みたいなものなのだと悲しみに耐えた。
 しかし、ヤマトが何とか気持ちを立て直しかけた数ヶ月後、なんとその彼女が復縁したいとヤマトの会社の前で待っていたのだ。ちょうど抱えていた案件が炎上していて退勤したその時、終電まで一時間を切っていた。こんな時間まで待っていたのに追い返すわけにもいかないが、二人きりでどこかに入るのも良くないだろうと、ヤマトは駅のホームのベンチで彼女の話を聞いた。こんな時間なのでホームには数名の酔っ払いがいるくらいでちょうど良く空いているベンチがあった。

「あの人があんなモラハラ男だったことを忘れてたの!あなたと付き合っている時は私は毎日楽しかった」

(……楽しそうだったか?)

 彼女とヤマトは共依存のような関係だった。お互いがいないと立っていられないが、お互いがいることで少しずつ苦しんでいるようなジレンマを抱えていた。
 彼女の提案に心揺れる部分はあったが、ヤマトは繊細で優しい彼女には幸せになって欲しいと思った。婚約者とちょっと喧嘩して引っ込みがつかなくなっているだけだろうと、ヤマトは彼女のためを思ってよりを戻そうという話をキッパリと断った。
 婚約者と何があったのか知らないが、死んでいると思っていた時はあんなに恋しがり幸せな思い出を泣きながら語っていたのだから。
 ちょうど電車が来るアナウンスが鳴ったので立ち上がって歩きだしたところで、ヤマトは彼女にホームから線路に突き落とされて死んだ。

 ヤマトは前世の人生の最期に、一つの真理を学んだのだ。人は過去を美化する。今目の前にいる人物というのは『綺麗な過去』には勝てない。

 ヤマトもまた交際していた時には彼女の傷付きやすく過激なところに気付いていたのに、別れてからはすっかり忘れて繊細で優しい人間とだけ記憶していた。
 他にも考えてみれば、事故で亡くなる前は両親に会いたいなんて滅多に思わなかったのに、亡くなった途端に二人との楽しかった思い出ばかり反芻していた。親不孝な話だがヤマトは亡くなってからの方が両親を愛おしく思っていた。
 きっと社会人になって滅多に会わなくなった友人たちも、ヤマトが死んだ後は生きていた時以上にいい思い出として語ってくれているに違いない。

 生きている時より死んでからの方が人は輝くのだと思ってしまえば、転生して新たに生を受けたことはヤマトにとっては喜びでもなんでもなかった。
 人間関係、ひいては人生など茶番なのだとヤマトは悟ってしまった。転生なんて、せっかく最後まで読み終わった課題図書をもう一度面倒で長い序章から朗読させられるような感覚だった。
 やる気もなくただただ漫然と第二の人生を消化していたヤマトにとって、この王立学院への入学も面倒なイベント消化としか思っていなかった。
 たった今、カイユーを見付けるまでは。

(ここがゲームの世界なら、もしかしてカイユーの悲劇を止められる……?)

 推し、と簡単に言ってしまうと人によって抱く想いや時間、金銭のかけ方は違うだろう。ただ、ヤマトにとってはカイユーは子供の頃に憧れて、ふと疲れた時には必ず見たくなるような存在だった。
 元カノがあっさり婚約者を選んだ時にも、ヤマトは仕舞い込んでいた彼のグッズを出して並べて自分を鼓舞した。
 そんなカイユーとヤマトは今、同じ次元にいるのだ。ゲームで見たカイユーは大人の姿、つまり今はゲームが始まる前なのだ。ヤマトがこれから上手く動くことができればカイユーを助けることができる。

(そうだ!悲劇から救って死んだら、オレはカイユーの中で永遠に綺麗な思い出として残るんじゃないか?)

 身代わりになってカイユーを救えば、その恩と亡くなったことによる美化で自分の存在が彼の中に永遠に刻まれるに違いないとヤマトは考えた。この時、ヤマトはこの世界に生まれてから初めて人生の目標を持った。

(カイユーと顔見知りくらいにならないと思い出には残らないよな……。そもそも身代わりになるにもただの下級貴族じゃ難しい)

 子爵家のヤマトと王子のカイユーは身分が違う。爵位と成績を加味して分けられているクラスは違うし、ヤマトは寮生だが王子であるカイユーは大貴族たち同様通いだ。この状況で自分から話しかけて仲良くなれるようなコミュ力はヤマトにはない。
 仕方なくヤマトは遠目に見るカイユーを励みに勉学に勤しんだ。カイユーに近づく方法はおいおい考えるとして、ゲームのプロローグであるカイユーがラスボスに肉体を奪われる悲劇は大人になってから起こるはずなので、少なくとも卒業後に王都で働けるようにしなければと思ったのだ。
 ヤマトがこの人生で初めて真面目に勉強と向かい合う日々を過ごして一ヶ月。桜も完全に散ったある日の昼下がりに事態は動いた。

「ねえ、君が噂のヤマトかな?」
「は?……え、カイユー、殿下!?」

 人気のない図書館で声をかけられて、ヤマトが顔を上げるとそこにはカイユーがいた。カイユーは驚きに声を上げるヤマトの顔をじっくりと観察していた。

「君、美人だね!俺たち付き合わない?」
「は?」

 ヘラっと笑うその様子は、街中でナンパするチャラ男やキャッチのホストのような軽さだ。ヤマトの知っているクールでカッコいいカイユーとは全く重ならない。
 何が起こっているか理解が追いつかないヤマトは、春の心地よい風が吹き込む図書館の窓辺で凍りついた。


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