赤い果実の滴り

balsamico

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日々

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カイルは4つ歳を重ねた。
毎日、屋敷や敷地を駆けまわり、いたずらを仕掛けるので高齢のジーナやカイルの付き人が悲鳴を上げていた。私もカイルが起こしたトラブルの後始末に追われていた。


洗濯済みの服の中に汚れた状態で隠れたり、きれいにした浴室や客室を泥だらけにしてしまう。本人に注意しても一向に効き目がない。私が本人を連れて謝りにいくとまだ子どもと大目に見てもらっているが、何せ数が増えてきた。

「そろそろ、武術指南を始めた方がいいな。カイルは体力が有り余ってるようだ」

私や屋敷の人間が振り回される状況を見かねたのかテオが言い出した。

「テオが教えてくれるの?」
「そのつもり。仕事の合間だけどね。他に、語学や計算も始めてもいいんじゃないかな」

ふと気がついたのか、そう言えばと私に話を向けてきた。

「君はカナル様の屋敷にいた時、勉学はどうしていたの?」
「私は…」

簡単な読み書きと計算はジーナに習った。公用語は母に習った。うまくは話せないけれど聞きとれはする。


テオの話によると貴族の子弟は家庭教師について剣の指南、歌舞の稽古、数カ国の語学、マナーや話術、歴史、領地運営をひととおり学び、同世代との経験や縁をつくるために全寮制の学校に通うらしい。
兄たちの状況はわからないが姉たちが学校に行っている様子はなかった。これは男子のみの慣習なのかも。


時々遊びに来るテオの友だち。彼らはテオの学寮時代の友人らしい。
私も顔を出し、会話の輪に加わるけれど学生時代の話や歴史事件の引用や隠喩を含んだ権力者への当てこすりなど全くわからない。その場を笑ってとりつくろい早々に退出していた。


母は母なりに教育をしてくれた気がする。不慣れなこの国の言葉で私にいろいろ伝えようとしていたし、ジーナも教えてくれた。けれども、それだけでは不十分だった。ここの暮らしの中で私には知識も訓練も足りていないと痛感する。


最近はリームの領地管理の補助をしていた。収入と支出の管理、帳簿の付け方を学ぶ。私は計算が苦手で遅い。書き付けによたよたとつたない字で摘要と式を書く。
もう少し見やすい文字を書きたかった。言葉の並び順も怪しくてリームにその都度確認していた。


リームはいろいろなことを教えてくれた。今日話題に上がったものはトラブル対応について。
この国の小さな町には役人が不在で、領主が代わりに統治を任されている。
法として明文化されていないが慣習と過去の裁定が基準となっているそうだ。


近隣の家畜が逃げ出して他人の家の家畜小屋に住み着いて仔を産んでしまった。この場合の仔の所有権は?

「この場合はどうなったの?」
「幸いな事にフムだったのですよ。彼らは複数仔を産みますから、仔を数匹、家主に譲渡する形で解決しました」
「その理由は?」
「まず飼い主には直ぐに探さなかった責があるでしょう。その間、知らずとはいえ家主は雌フムの世話をし費用負担をしていた。それと仔の父の雄フムは家主の所有だった。世話代と雄フムの種付け料、内訳はこんなところですかね」

何でその雄フムの仔と言い切れるのだろう。もともと受胎していた可能性もある。

「何で仔がその雄の仔と分かったの?」
「その雄は特徴が顕著な立派なフムだったそうですよ。仔はその特徴を受け継いでいたようです」

話を聞いて、ちくちくととげとげしいものが胸中に飛来した。私もカイルも母の特徴を受け継ぎ父の眉毛を引き継いだ。安易に父の屋敷から出されているし、私たちもこの話の仔フムに近しいのではないか。


いけない。
私は頭に浮かんだ卑屈な考えをふり払った。悪い思いつきはより悪い方へ向きがちだ。それはとても魅惑的で蠱惑的だから。


私は頭を楽しいことに切り替えた。
今日の午後はシーナと街に菓子を買いに行く。明日来客があるのでそれに必要な分を買いにいくのだ。久しぶりの外出に買い物、心が躍る。


新しい菓子。
見たことの無い花。
店頭にならぶ知らない野菜。
私は子どもに戻ったかのようにわくわくする。


名の知らない国で作られたつややかな布地。開閉の仕組みがわからない工芸品。
人々が紡ぐざわめきが喧噪を生み活気をもたらしている。
人や馬車の移動で舞い上がる土埃、店の隙間から流れ出る異国情緒あふれる香料や香ばしい食べ物の匂い。


目当ての菓子店についた。
すでに店前から甘さと濃厚な乳脂の香りが漂っている。


焼き菓子を箱で買う。
噛むとさっくりとし、中には甘い果物を煮詰めた物が詰まっている。まわりの生地の甘さと中身の甘酸っぱさが癖になるこの店の名物菓子だった。


菓子なら頼めば買ってきてもらえる。
代行ではなく自分で現物を見て選んでみたかった。店頭に並ぶ色とりどりの焼き菓子に目を奪われる。この中から自分で選択できるのだ。嬉しくてたまらない。


買うのは名物お菓子。それ以外に店主おすすめの新作を数個頼んだ。
皆に行き渡るよう数を数えて、代金を目算して支払った。最近は計算のスピードが少し上がった気がする。


店を後にし、屋敷がある高台へ向かう。背後を振り返ると、低い赤い屋根の家並みと広場が見えた。
広場には像が立っているのが見える。


遠くからしか眺めたことのない建国者の像。遠い父方の祖先なのに私は彼の名しか知らない。少しは学んできたけれど私には知らない事が多すぎる。





カイルの家庭教師が決まった。
しばらく考えていた事があった。私には知らない事が多々あって困る場面が増えていた。


カイルの家庭教師はそれを補うとても良い機会に思えた。カイルと一緒に授業を受けたい、学ばさせて欲しいとテオに頼む。
テオは直ぐに賛成してくれた。


「そういえば、武術はどうするの?教えてあげるよ」

テオの太い腕が巻き付きいてきた。

「ここで、個別に教わってるからいい」
「どういう風に学んでいるの?」

テオの顔がにやにやしてのぞきこんでくる。私はその腕に口づけた。

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