赤くヒカル夜光虫

ろくろくろく

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イベントへの準備は出来るも出来ないも関係なく勝手に進んでいった、会場の詳細な見取り図が出てくると仮設プールの設計が出来上がり、後は施工会社と開発が引き継いだ


美山とカメラマン(今度は日本人だったが名前も紹介されなかった)が二回目の密着にやって来たが、また雪斗に食い付かれる事を心配してTOWA本社には近寄らないように気を付けた

大まかな事は隠す必要なんか無いと思うが、雪斗が起こした様々なトラブルには話せない事も多い

変に突《つつ》かれると雪斗がいなくなってしまいそうで怖かった、社員にとっては勿論、松本にとっても雪斗は大事な「社長」……(それ以上突き詰めると雪斗を侮辱している様な気がして考えないようにしている)

何が何でも雪斗を守りたい

待ち合わせを外にしたり、話題に登らないよう仕事の話を畳み掛けたりしたが、美山はもう興味を失くしたのか何も聞かれないまま目立ったトラブルも無く、サラリと取材を終えた

後は本格的な施工まで保険の手続きや野外のミストシャワー、簡単な更衣室と休憩所の設計を確認するくらいで手が空いた


決して暇じゃない、まだまだ打ち合わせに出る事も多いが本格的に動き出すまでの間に新人の………それも一番厄介な奴の教育を任されてしまった

他の新人はそれぞれの部でもう仕事に付いているが営業はそんな簡単にはいかない

外回りに連れ出すには態度が傲慢すぎて危ない、まずは最低事務処理の手伝いが出来るように、態度がムカつく新人に発注書の作り方を教えているとムカつく長身が手元に影を作った


「松本、雪斗を見なかったか?」

「いや、俺は見てませんけど……佐鳥さん威嚇しないでください」

「してないって………………」

「横に立たないで欲しいいって何回も言ってますよね……それに……」

最近の佐鳥は遠慮も躊躇も無く「雪斗」を連発する………こっちは自制して自戒して衿を正そうと必死なのに、佐鳥は何の躊躇も無く高い垣根をその嫌味な長い足で軽々と跨いで越えてしまった、ムカつくからそろそろ突っ込みたいがもう公認になっている事は認めざるを得ない……

男同士はもっと別世界だと思っていたのに自分も片足を突っ込んでいるのだから何とも変な感覚だった


「それに?……何だよ松本、続きを言え」

「何でも無いですよ、阿川は?社長見たか?」

「社長は今日来てないんじゃないかな、あいつ毎日来ないでしょ」

「阿川!!」

阿川は書類から顔も上げず、佐鳥に背中を向けたままタメ口で答え、不遜にも社長をあいつ呼ばわりした

「ちゃんと敬語を使えよ、佐鳥さんは先輩だろ、それにあいつだって?仮にも社長だぞ」

"仮"なんだと笑う阿川を殴ってやろうかと思った


「いいよ松本、雪斗はそんな事気にもしないよ」

「良くないです!佐鳥さんがそんなんだから……」

「わかったわかった、俺はちょっと出るから松本からよーく言い聞かしといてくれ、阿川も松本の言う事よく聞いとけよ」

「佐鳥さんちょっと……もう………」

"行ってらっしゃい"と友達に向けるようにチョイチョイと手を振った阿川は入社当初から社会を………営業職を舐めている


明る過ぎる茶髪は何度か注意されて最近やっとソフトになって来た所だった、茶髪が駄目と言ってるんじゃないが、みんな坊主頭で契約が取れるなら今すぐ剃り上げる覚悟で仕事をしている

今時誰も気にしないと阿川は不満顔で文句を言ったが、社会は意外と保守的で見た目は重要だった
信頼を得る過程で"何となく気に食わない"からスタートするなんて非効率だ

元々TOWAの社風は先代からずっと、一部のダラけた層(殆ど全員辞めた)を除けば外資系もびっくりするくらいの能力主義をとっている、特に営業の給料は売り上げ額が馬鹿正直に反映される為、出来る事なら不安要素は一つでも潰したい


何故阿川が競争率の高かったTOWAに入れたのかは野島部長から聞いていた

海外赴任、しかも辺鄙なクソ田舎でもいいと言ったのは100人を越える入社希望の新卒の中で阿川一人だったからだ


「それにしても羨ましいなあ……社長って働かなくていいから楽そうですね、出勤も自由だしぶらぶら遊んでても俺達より給料多いんでしょう?」

「何を言ってるんだ、阿川はまだ知らないだろうけど、うちの社長は社員の何倍も働いてるぞ」

「えー?………そうは見えないけどな」
「見えないのは阿川に仕事の全体像がわかっていないからだ」

はっきり言わせてもらえれば………阿川が嫌いだった

英語が上手くて偏差値の高い大学を出ているせいか、まだ何もできないくせに人を見下した態度を取る
特に度々聞かされる社長を馬鹿にしたような物言いには我慢出来ない

佐鳥は良く言えば大きい、言い方変えれば呑気、とにかく阿川が鼻に付く嫌味を言っても耳に入ってないのか何も気にしない、緑川でもいればニッコリ笑って叩き潰してくれそうだが今は頭を打って凹む機会を待つしかなかった

「お前にもそのうちわかるよ、社長の見た目に騙されてたらとんでもないぞ」

「そうなんですよ……最初見た時は学生かなって思っちゃったんですよね、どこの大学か聞いたら行ってないって聞きました、それで社長だもんな……」

「出身校と仕事の能力は関係ないぞ、俺も専門学校出身だけど何か文句あんのか?」

「へえ……松本さんも学歴ないんですね」

………もう答える気にもならない、仕事として面倒は見るが阿川は話して楽しい相手じゃない

雑談を切り上げ、アフリカに居る深川から届いた報告書の束を入力しろと全部押し付けた




マンションを引き払い屋敷に移ってからの雪斗は、あの隠し部屋に籠もるようになっていた

元々人付き合いを嫌がっていたが、一人を好む性質に拍車がかかってる、狭い場所を好むのは猫の特性だと思うがあの部屋は雪斗にとっては広いパーソナルスペースを確保出来るあのベンチと同じだ

あまり良くない傾向に見えた

「出勤して無いならあそこだよな……」

時計を見ると昼前に差し掛かっている、何か買って行けば様子を見に行く名目で一緒に食べても文句は言われない……筈……

冷やしうどんと牛丼……前菜にコンビニで買ったおにぎりを食べながら人通りの無い住宅街を歩いていくと、塀の向こうに灯りのついた窓が見える

おにぎりの残りを口に放り込んで鞄から預かっている鍵を探して胸ポケットを混ぜ返した

素人でも数秒でピッキング出来そうだったクラシックな鍵は取り替えられ、今は複製出来ない番号付きの電子ロックに代わってる、嫌そうに合鍵をくれた渡辺は最早面白かった



「あれ?鍵がかかってないな……」

朝、雪斗が出勤するか聞く暇がなくて一応鍵を締めて出た筈なのに取っ手を引くとドアが開いた

雪斗にちゃんと鍵を締めるなんて期待はしてないから別にいいけど、最近空き巣に入られたばかりだ

「一回ちゃんと言わないとな………」


この鍵は無くすと鍵本体から取り替えねばならないと渡辺から注意を受けている

しっかりと胸ポケットに入った事を確認してから玄関に入ると、リビングの明かりは付いているのに誰もいない、絨毯の前には雪斗の革靴と……知らないスニーカーが並んでいた

最近はドアを閉めずに開けっ放しになっている隠し部屋に行こうとすると奥から人の気配がした


「雪斗?………」

入り口に頭を入れて声をかけると、中から聞こえていた話し声がピタリと止んだ

渡辺と皆巳はTOWAにいた、知ってる限りこの家に……この部屋に招き入れるような知り合いは思い浮かばない

疑っている訳じゃないが"あんな"思いをするのはもう二度と嫌だった

わざとらしくドカドカ足音を立てて入って行くと………

よりにも寄ってラグの真ん中に座って雪斗と楽しそうに話していたのは美山だった

「あんた!何で……」

「あれ、佐鳥くん?……お邪魔してます」

「お邪魔してますじゃないでしょう!どういう神経してるんですか!今すぐ出て行ってください」

「佐鳥……やめろ」

「雪斗は黙ってろ!どうせ何か言われたんだろ、傷付いてるくせに平気な顔すんなよ!美山さん!あんたねどうやって入り込んだが知らないけど………」
「佐鳥!……やめろって、俺が入れたんだ」

「雪斗が入れた?……」

言葉のやり取りではそうかもしれないが、雪斗が抱えた問題は事によっては脅迫材料にもなる

雪斗が自ら進んで話したい事なんて一つも無い筈だ


「やり方が汚いですね、美山さん」

「やめろって、大体お前ここで何してんだよ、今仕事中だろ」

「俺の事は今どうでもいい!興味本位は嫌だと言っただろう、こいつには俗な好奇心しか無いってわかってんのか」

美山は"趣味に近い"と平気で言った、どうやって調べたのか清彦の顔も知っているような口ぶりも気になる

何故そこまで無神経でいられるのか不思議なくらいだった


「参ったな……本当にこの件はタイミングがいいのか悪いのか……もう用も済んだし私はこれで帰りますよ」

「そうしてください、テレビ局って暇なんですか?仕事とは関係ないんでしょう」

「いや?忙しいですよ、これから編集もあるし明日からは東北へ出張します」

「忙しい合間を縫ってわざわざのお越しって随分熱心なんですね、用って何ですか」

「俺は急ぐから、ごめんね」

「…もう二度とここに………雪斗に近寄らないでください、次は無いですよ」

「ハハ………お邪魔しました、雪斗くんも……何か悪かったね」

慌てて立ち上がった美山は逃げるようにそそくさと部屋を出て行った

手に持っている事を忘れて振り回してしまった牛丼から汁が漏れてる

腹が立って無性に悔しくてどうしようもない、雪斗を怒鳴りつけてしまいそうで、下唇を噛んでドカッと座り込んだ


「雪斗……あんな奴相手にすんなよ」

「ちょっと聞きたい事があったから来てもらっただけだ、俺が呼んだんだよ」

「聞きたい事って何だよ!」

「…………落ち着け、話せる事も話せない」

雪斗は新しく据え付けられた机の上に置いてあるデスクトップを隠すように画面を変えた

気になったが……今は話が先だ

「あいつ……何度もここに来ているのか?」
「……ああ……3度目だ」

「3度目?何の用で?」


「……ごめん……言えない」

「へ?」

言えない?雪斗は今までどんな事でも……長い間根を詰めた計画が駄目になるかもしれない危うい秘密まで、冗談めかしてはいたが聞いた事は全部話してくれていた

こんな風に正面切って話せないなんて初めてだ

「言えないって……何で……」
「…………腹減った……何か買ってきてくれたんだろ?」

「雪斗……」

あんな傍若無人な記者と秘密を共有しているくせに話せないって……………鈍器で頭を殴られたかと思った

気のせいか後頭部がズキズキする、凹んでないか確かめていると雪斗は袋の中のうどんと牛丼を覗き込み、ドスンと胸の上に顎を置いた


「ちょっ……雪………」

「要らないからやる」

伸び上がって寄せた口からミントの香りがする、合わせた唇の隙間から舌先に乗せられた飴玉がツルっと押し込まれ、口の中に転がり込んできた

鼻を擦り合わせた間近でニッと笑った雪斗は………

何かを誤魔化している


「今から飯を食うのに飴なんていらないよ、返す」
「やだよ、どうせお前は口に入ったもんは何でも食うだろ、いらないなら噛めよ」

「飴を噛むのは道徳に反する」

「どんな道徳的だ、じゃあ飲めよ…………」

何かを隠しているとすぐに気付いたが…………

ビームの混ざった目付きと、甘い……ミントの香る甘いキスに馬鹿みたいに誤魔化された

雪斗は嘘を付かない、ずる賢く計算高いと見られがちだが実は秘密を隠すのも下手くそだと思う

代わりに飛び出す………この力技はズルい

キスの合間に行ったり来たりした飴玉は溶けて薄くなって砕けてしまった



「飴食ったら何かもう昼飯いらないな」

「飴一個で何言ってんだ、しかも半分だろ」

「うどんと牛丼?多いんだよ何回言ったらわかるんだ、俺はうどんだけでいいから……わ…椎茸入ってる……」


キス一つでの誤魔化しに、まんまと嵌められてしまったが、笑いながら関係ない事を話す雪斗は妙に明るくて、いつも纏っている気怠そうな雰囲気が無い

雪斗の目………

壁を突き抜けて遠くを見ている目付きには見覚えがある

甘く煮込んだ椎茸が、色を移したうどんをそろそろと摘み上げる雪斗を見ていると不安が募った

意思が強くて思い込みが激しい、厄介なのは誰でも現状を考え諦めてしまう所を実行してやり遂げてしまう行動力が伴う所……

床に座って食べたうどんと牛丼は味がしなかった




一緒に暮らす内に雪斗の好きな食べ物の傾向が見えていた、ハンバーグやカレー(甘口)オムライスに唐揚げ、要するに子供メニューを好み、苦い、辛い、酸っぱい、食べにくい(魚)は一応食べるがテンションが落ちる

仕事に戻る前に夜は何が食べたいか……実は夜、ちゃんと家にいるかの確認でもあったが、夕飯のリクエストを聞くとやっぱりハンバーグが食べたいと言った

仕事を終わらせ、買い物をしてから帰るとリビングで待ち構えていた雪斗が腹が減ったと纏わり付いて来た

細かく刻んだ蓮根と鳥の軟骨はミンチに混ぜると歯応えが出来て腹持ちも良くなる、よく練って形を整え、デミグラスソースを作っていると、手伝いもしないくせに背中に張り付いて手元を覗き込んでいた雪斗が髪の中に鼻を突っ込んでクンクン匂い始めた

「雪斗、くすぐったい、バンバーグが食いたいんだろ、もうちょっと大人しくしてろよ、腹減ったんだろ?」

「うん、お腹空いた……」

「焦げるから……おい……」

耳朶を噛んで引っ張られた
背中から回った雪斗の手がシャツのボタンを外していく

雪斗から誘って来る事はあんまり無い

言いたい事、聞きたい事が一日中頭から離れず、つまりは一日中雪斗の事を考えていた、そんな事をされるとハンバーグもデミグラスソースもスカスカの腹もどうでもいい

雪斗を抱き寄せ、キスをしながらリビングのラグの上に押し倒した

もう使う事は無いインテリアと化した古い暖炉の前はクッションや毛布が散らかってる



深く沈み込んだクッションの中で雪斗は自分からTシャツを脱ぎ捨てた

「ハンバーグは?」

「後でいいよ……佐鳥も脱いで…………」


そこは……指と体で繋がるのとどちらがいいかはわからない、体の奥底にどんな性感が潜んでいるかはもっとわからない


「あっ……あ……あっ!!」

「声………出し放題だな………」

「うるさい……あ……」

わかるのは、指で攻めると息を付く隙間が無いらしい、乱れて喘いで超色っぽい声を出す

押し込んだ指を持ち上げると反っていく背中は床を離れ、ビクビクと体が震えた

「っ………っ!……あっ!……」

「気持ちいい?」

この体を合わせる快楽をもっともっと欲しがってほしい、離れられないのだと体に刻みつけたい

確かに今繋がっている手を離して欲しくない

ズルズルと這い上がって逃げていく腰を引き寄せ、指の振動を強くした

「はっ………あ……待っ……ハァ……」

ググッと腰が持ち上げて強すぎる刺激から逃れようとするが指はピッタリついて離したくても離れない……離さない

「あっ!もう…………っ!……ちょっと待って……」

「雪斗……言えよ……」

「気持ちいい!……気持ちいいから緩めて…あっ!…」

「何を……隠してる………俺に言う事あるんだろ」

「駄目……緩めて……ああ…」

キュッと縮めた足の間から弾けた精液がトロリと背中に垂れていった


持ち上がった足がドサリと床に落ちて、大の字に転がった雪斗が喘いで開きっぱなしだった口をパクパクと動かした



「何?……」

「佐鳥………キス…して」

「いくらでもするよ……」

汗に張り付き目に掛かった前髪を漉いて頬から瞼、キスして……キスして……唇の隙間からチロリと差し出された舌先をペロリと舐めた

「キス……は?……」

「何だか怖くて………」

「佐鳥……好きだよ………」

「雪斗……一緒にいて…俺の側に……」

「……大好き………」

雪斗の腕が首に回り、ぐっと後頭部を押した

吐き出してしまいそうな言葉を自ら塞ごうとしているようなキスは切ない味がする

ここでやめてちゃんと話した方がいいのかもしれないが………疼いて破裂しそうな下半身が下腹を擦り、もう我慢なんか出来ない

またまんまと嵌められている

汗と性液に塗れた深い谷間にグッと体を押し付けると声にならない悲鳴が上がり、背中に巻き付いた雪斗の爪がガリガリと肌を掻いた



閉じた瞼の裏が明るい……
ゆっくり目を開けると窓から差し込む光が眩しくて顔を顰めた

朝、目を覚ますと雪斗が隣にいないのはいつもの事だ、グシャグシャに丸まった毛布が足元に溜まっていた

コーヒーメーカーのスイッチを入れてシャワーを浴びに行った

昨夜は久し振りに激しくて腰が怠い

「3回は………さすがにキツイな……雪斗は大丈夫かな」

最後の方はもう声も出ていなかった、折り重なったまま疲れ果て、そのまま眠り込んだせいで体中に付いた性液がカピカピになって固まってる


風呂場は改装されて古い外国製のタイルからつるつると水が弾けていく新しい素材に変わっていた

変わってないのはシャワーヘッドと水道のコックに付いた装飾品だけでお湯が出てくるのを待つ必要は無い

汗をかいてベタベタしていた体を洗い流し、仕上げに水を浴びるのは緑川と暮らしていた頃からの癖になっている

代謝が上がってホカホカしている体を拭いて風呂場から出るとコーヒーが出来上がっていい香りが漂っていた

2つのカップに分けて注ぎ、隠し部屋に持っていった



何となくわかっていた

雪斗がそこにいない事を……


シンと鎮まった部屋はいつも散らかしていた資料やコピーの束も無い


「雪斗……どうして……」

何故……何も言ってくれない
どうしていつもいつも……一人で閉じ籠もる


"必ず帰る"

明かりを灯したままのデスクトップに書き置いた文字が残っていた

このパソコンは雪斗の完全なプラベートだ、覗くなんてしてはいけないのかもしれないが今は許してもらう

ネットの履歴を見てみると綺麗に消されていた

「あいつがそんなヘマをするわけ無いか……」


コーヒーのカップから立ち昇る湯気を追って見上げると天井が高い

初めてこの部屋に入ったあの日から、何度も何時間もここで過ごしていたのに上を見上げるのは初めてだった

「俺は……雪斗しか見てないからな………」


予感があったせいなのか不思議と落ち着いている

どれくらいそのままぼうっとしていたのか……コーヒーに口を付けると、もう温くなっていた


会社に行っても……その辺りを探しても雪斗がいない事はもうわかってる

"帰る"と、あの雪斗がわざわざ伝言を残しているのだから務めはちゃんとこなさなければ、帰ってきた時に合わす顔が無い

いつもの出勤時間に出ようと上着を着ると、呼びかけもノックも無しに血相を変えた渡辺が飛び込んで来た

本当に冗談じゃない

時間が違えばリビングの真ん中で裸のまま転がっている所を見られていた

「渡辺さん……この家は玄関から丸見えなんだから、せめてインターフォンを一回くらい押してください」

「そんな事はどうでもいい!雪斗は?」

「……朝起きたらもういませんでした、何か連絡があったんですか?」

「あったも何も!」

震える指にイライラしながら渡辺が開いた携帯には……

暫くは代表職を野島部長に委任する、後は頼んだ………と短いメールが届いていた


「代理を立てる程長く帰ってこないつもりなのかな」

「君は呑気だな!雪斗は昔から行方不明が得意なんだ、佐鳥くんは何も気付かなかったのか?何か心当たりはないのか?何の為に一緒に暮らしてるんだ、いかがわしい目的でここにいるだけなら出ていってくれ!」

「俺は雪斗を見張る為に一緒にいるんじゃありません、いかがわしい目的って何ですか、、心当たりはあります、仕事が終わったら探しに行くから……」
「それはどこだ?!今から私が行く」

「渡辺さん、落ち着いてください、雪斗は必ず帰るとメモを残しています」

「帰ってくるのを待つつもりなのか?」
「まさか……行き先はわからないけど手掛かりはあるんです」

「クソ!……どうして……」

唸り声を上げて頭を抱えた渡辺はドスンとソファに体を落として足を投げ出した

渡辺にとっては唐突だった事はわかる、雪斗はもう……やっと落ち着いたと思い込んでいたのは同じだ


「雪斗はクレジットカードもキャッシュカードも持ってないでしょう、手持ちの金が無くなれば必ず……少なくとも渡辺さんの所には連絡が入るんじゃ無いんですか?」

「雪斗は無一文でも生きて行けるんだ、一番最近では所持金ゼロで着替えもパソコンも置いたまま二ヶ月連絡が無かった」

「その結果刺されたんじゃないんですか……」

「………んむぅ…一番問題なのは……私に相談が無かった事なんだ……つまり………」

渡辺は言い淀んだが続きはわかった

……つまり雪斗はあまり褒められた事じゃない何かを企んでいる


雪斗がいなくなるのはこれでいったい何回目だ
毎回一番無防備な瞬間、眠っている間に姿を消す

なぜ一言相談するとか出来ないのか……それは信頼されていないからじゃない(願望)
恐らく止められるから

昨日の夜、何か隠しているのだろうと問い詰めたりしなければ姿を消したりしなかったかもしれない、昼間は自由に動ける雪斗は在宅でも悪さを企める


「………しくじったな………」

「佐鳥くんには関係ないですよ……多分ね…」

「………それは本人を捕まえてから聞きます、取り敢えず俺は仕事をしないと……もう出る時間なんです」

「私も戻ります、これから大変なんだ……」




渡辺が待たせていたタクシーに便乗して出勤すると………当然だが野島部長の怒鳴り声がエレベーターの中からでも聞こえてきた


「いい加減にしろよ!あの小僧!何がどうなってる、ふざけんな!」

「わあ……荒れてるな……」

「仕方ないでね……社長職って聞こえはいいが平たく言えば責任だけを押し付けるんですから…」

渡辺と二人で頭を低くして、そろそろと入っていったがデカい二人が隠れても無意味だった

「あっ!!渡辺さん!聞きましたよ!一体どういう事なんですか!説明してください」

「申し訳ありません野島部長、ここは快くお引き受け願うしかありません、これが委任状です」

渡辺が携帯を見せると野島の頭から湯気が上がり、噴火するのでは無いかと身構えるくらい顔が赤くなった


「こんな頻繁に社長が代わったら会社の信用が無くなるでしょう!あの小僧は我々営業の苦労がまるでわかってない、理由は?それなりなんでしょうね?」

「理由はお話出来ません、社長の判断です」

「そんな都合のいい話あるか!」


社員全員が見ている営業フロアで社長職について揉めているなんて会社の序列が形を成していないTOWAの現状が露になっている

雪斗は何の経験も無かったのに最初から社長職をサラリとこなし、一見誰にでも出来るように見えた

今思えば……だが、急なトップ交代にも何の不自由も無く、雪斗が社長を勤める上で問題が出た事は一度もない、それは雪斗が寝ないで努力していたからだと知っているが、あまりにも淡々と仕事をこなし、そんなに難しい事じゃない様な気がしていた

いざ居なくとなると急に組織が不安定に揺らいで見える

改めて凄かったんだなと尊敬出来るが、突然代わりをやれと言われたら誰だって戸惑う、それは経験豊富でタフで25年以上年上の野島にしても同じで、怒るのは当然だった


「大体私は営業の事以外何もわからない、そんな重責背負えるわけないでしょう、今は夏のイベントも控えて手の足りない営業を引っ張るだけで精一杯です」

「それは社長もわかっていると思います、その中で一番適任だと判断して野島部長を指命しているんですから飲んでいただかなくては困ります」

「一体いつまで!!、メールには期限が書いてない」


そんな事はこっちが聞きたい!渡辺は思わずそう言いかけたが空気と一緒にゴクンと飲み込んだ
不測の事態に備え、何故、どうしてに答えるわけにはいかない

「申し訳ありませんが無期です、明日までかもしれないし……いつまでかは………」


………前は13年かかった


雪斗が何故姿を消したのか、何故何も相談して来ないのか………それは恐らく法律ではどうにもならないからだと思う

渡辺にとっての一番心配はそこだった、身の安全は余程の事が無い限り大丈夫だと言えるが、もし知らない間に知らない所で法を犯すと、庇いたくてもどうしようも無くなる

この十数年の間、そこだけには気を付けて守って来た

「なるべく早く……としか言えません」

「馬鹿な事言わないでください!」


………渡辺が言いたくても言えない事が手に取るようにわかった

雪斗は渡辺の手を借りながらここまでやって来たとみんなそう思っているが、渡辺はむしろ抑えて手控える方に回っていた



丸く納まる訳は無いが、野島が落ち着くのを待ってコーヒーを飲んでいるとスーツの裾を引かれて後ろ向きのまま会議室に引っ張り込まれた

引っ張っているのは皆巳だが、相変わらずの怪力には世の中の女性が全員非力を装っているだけに感じてしまう


「姉さん……何……」

「会社では皆巳と呼びなさい」

「うん……」

自分だって慌てた時に暁彦と名前で呼んだくせに偉そうによく言う、お陰で未だに佐鳥と皆巳はデキている説が消えて無い


「何か文句ある?」

「無いですよ、一体何ですか、俺はさっさと仕事を終わらせて雪斗を探しに行きたいんです」

「呑気にコーヒー飲んでたくせに何言ってんの、いいからこれを見なさい」

「ちょっと……近いって……何?」

鼻先に付き出されたタブレットには地図が大写しになっている、縮尺がズームされ過ぎて何処かはわからないが赤い点がパカパカ点滅していた

「何これ?どこ?もうちょっと地図を引いてくれないとわからないんだけど」

「地図は今どうでもいいのよ、よく見なさい、この点滅は社長よ」

「え?嘘?まさか……」

冗談だと思っていたら皆巳は本当にGPSを雪斗に仕込んでいた

勝ち誇る皆巳の手からバッとタブレットを取り上げ、地図の縮尺を広げてみると赤い点滅の場所はTOWAからもそう遠くない、どれくらいの精度で表示されるのかは知らないがアップにするとかなり特定出来る、ゆるゆると移動しているのは多分歩いているからだ



「姉さん……これ……」

「暫くはこのまま見張った方がいいかもしれないわね、社長がどういうつもりかわからないんだから今捕まえても……あっ!……ちょっと!暁彦!」

そんなもん雪斗を捕まえてから考えれば何とかなる、聞き方を間違えなければ雪斗は絶対に隠しきれずにボロを出す

止める皆巳を振り切って丁度口を開けていたエレベーターに飛び乗り締めるのボタンを叩き付けた

「ゴメン!これ借りる!!」

「暁彦!!馬鹿!待ちなさい!」

ヒールを履いた足では間に合わない、走って追いかけて来る皆巳が閉まっていくドアに隠れて見えなくなった

……が……

「…………あ……嘘……」

一階のボタンを押したのにエレベーターが上昇していく、TOWAの階はオープンだが他の階はIDが無いとフロアには入れない……乗り合わせた他の乗客に遠慮ない好奇の目で見られ………6階、7階……転々と各階を丁寧に回り、12階まで上がってから結局5階に舞い戻ってしまった




開いたドアの前に腕組みして立っていた皆巳の心底呆れた視線が痛くて圧が重い

「あんたの間抜けっぷりには衝撃で頭が下がるわ」

「はあ……」

観念してエレベーターを降りようとすると胸を突かれて押し返され、皆巳も一緒に乗り込んできた


「暁彦……あんたその馬鹿さで社長とどう対抗する気よ」

「そんな敵みたいな言い方……」
「あのねえ!向こうが気付いてない今は必要な時に体力勝負で取り押さえ出来るけど、一旦気付かれたら頭脳勝負になるでしょう!うちの会社で知略、計略、悪巧みで社長に勝てる人間なんている?!」

「勝負じゃないし……」
「勝負よ馬鹿!!」

どこにも止まらず一階まで滑り落ちたエレベーターが口を開けると、ドアの前で待ち構えていた各階の社員が皆巳の剣幕に進みかけた足を止めた

「来なさい」
殊更声の音量を下げた皆巳はエレベーターにどっと乗り込む群集を避けてロビーに出た


「さっきも言ったけど……無理矢理捕まえても閉じ込めたり出来ないんだからそのうちにまた居なくなる可能性が高いでしょう?」

「俺が聞き出す」

「吐くと思う?」


ビルを出るとどちらとも無く雪斗がいつも居座っていたベンチを選んでしまった

皆巳が隣にいるなんて何か変で気持ち悪い、雪斗の代わりに叱られているようで尻がモゾモゾした


「何があったか聞いても答えないけど、具体的に聞けばあいつは否定出来ない……と思う…」

「具体的に聞けるアイテムは持ってんの?あんただって何も知らないんでしょう?、先に社長を見つけて気付かれないように理由を探るのが先だわ、もし何でもない事ならそのままそっとしておけばいいじゃない」

「……う……ん…」

「泳がせてから捕縛の作戦練るのよ、わかったわね」

捕縛って言い方……


雪斗は必ず帰ると書き残している
自分の帰る場所、居場所を見失ってない

出来れば帰ってくるのを待って、どうしたのか、何がしたいのかを聞きたいが、ただ待っていれば取り返しがつかない事になりそうで怖い

無駄だとわかっているのに……

タブレットは皆巳に返したがGPSが示した場所に来てしまった




雪斗は徒歩が多い、小さい頃からの癖なのか電車にも乗らずどこまでも歩いて移動する、向かっていた方向に移動距離を足して来てみたが駅を出て絶望した

一日200万人が流通する巨大なハブ駅は、行き交う人並みが溢れ返り5メートル先も見えない

元々当たりを付けただけで都合よく会えるなんて思ってなかったが、もし雪斗がここにいて、ほんの真横ですれ違ってもきっと気付けない


「GPSがあっても……こんなの無理だよ……」

半径5メートル……その小さな円の中に一体何人いるのか……幾重にも囲まれた壁は厚くて移動も激しい

いつもの事だが見晴らしは悪くない……丁度頭一つ分が群衆から浮き上がり、見渡す事に不自由ないが……

万の人がいるのに、見知った顔は一つも……誰一人見つからない………うねった大きな波に揺らされて酔いそうだった


こんな思いを抱えたまま仕事をして、疲れた体で家に帰っても一人っきりなんてゾッとする

緑川にでも予約をして夜に飲む約束を取り付けようと携帯を取り出すと………

誰かに呼ばれたような気がして顔を上げた


街並みは変わらない、ザワザワとさざめく人混みと話し声、車の音、耳を擦るビル風……

その中でごった返す大通りの雑踏がすうっと透けた

どれくらい?5m?……いや、もうちょっと……10m位離れている、

二人の間には山程道行く人がいたが目が合った、お互いに気付いたのは同時だった

立ち止まった雪斗の目が大きく見開かれ、何かを言ったのか口が小さく動いた


「雪斗っっ!!!」

動いたのは同時だった、クルリと背中を向けた雪斗は元来た道を駆け戻っていく、もう待つも探るも何も無い

「雪斗っ?!待てよっ!!雪斗っっ!!」

思いっきり地面を蹴って走り出したが肩より下は混み合ってる、誰かを突き飛ばし、誰かの足に引っかかり誰かの鞄を蹴ったが思うように進めない

声が届いたのか、雪斗は追手を確かめるようにチラリと振り返ったが、足を緩めない………どうして進めるのか………雪斗はスルスルと人垣の隙間を潜り抜け走って行ってしまう

「待って!待てって!雪斗……雪斗っっ!!」

これだけ大声を出しても誰もが無関心で道が開く事は無かった、掻き分けても掻き分けても湧いて出る人混みはどこまで行っても尽きてくれない、追いつけなくても目は離すまいとふわふわ浮き上がる髪を追ったが……

雪斗の背中はそのまま雑踏の中に溶けてしまい、見えなくなった


「ちくしょう………」

何事かと振り返った人もいた、乱暴に押しのけられ、声を上げて文句を言った人も居た……それなのに無理矢理こじ開けた道はもう綺麗に塞がり、足が止まり棒立ちになった身体がまるで見えてないかように歩みを止める事はない

通り過ぎていく顔の無い雑踏は人で出来た動く森のようだった



一旦諦めたのに………すごすごと仕事に戻る気になれずに、そのままウロウロとその辺りを探し回ったがもうあんな奇跡は起こってくれない

こんなに多くの人に囲まれているというのにいつの間にか一人っきりになっていた






「逃げられた?………社長に?」

物凄い鄙びた声で呼び出され、いつもの小料理屋に来てみると佐鳥はカウンターに座って一人で飲み始めていた

ビールと冷酒の同時進行にもう既に目が座ってる

挨拶とか"久しぶり"も無しに一言目が
……………「雪斗に逃げられた」だった


何と言えばいいか……色んな意味でよかったと言うか、そうだろうなとか、こんな日が来ても不思議じゃなかった

佐鳥と雪斗はお互いに必要としているように見えたが、元々二人はゲイじゃない

特に雪斗は人間関係に疎く固執しない、……もし本人が思うよりも佐鳥が大事だったとしても多分自覚は無い、何よりも目的の為には何だって捨て去る厄介な潔さもある


「……まあ………元気出せ、行くとこ無いならうちに来てもいいから………取り敢えずビールだけにしような」

グリグリと頭をカウンターに摺り付け手に持ったグラスから冷酒が溢れてしまいそうだ

そっと取り上げカウンター前の棚に上げようとすると佐鳥はお菓子を取り上げられた子供みたいに腕に縋り付いた

「それまだ飲むから返せよ……」

「フラレて落ち込むのはいいけど明日は休みじゃ無いだろ、ビールだけにしとけ」

「フラれてない、勘違いすんなよ、俺は別れたとは言ってない……ただ逃げられただけだ……こう……シュッとな……」

「シュッ?」


「………………旨いな……何だこれ」

………酔った佐鳥は面白さが倍増するが会話が難しくなる、慣れてるからいいけどあんまり放置して観察していると飲み過ごして機能不全になってしまう

出来るなら溜め込んだ灰汁をさっさと出してからにして欲しいが(じゃないとまた最初からやり直しになる)小皿に盛られた貝のような形をした漬物に突然話を持っていかれた


「これ……動いてないか?……虫かと思ったけど……大根?蕪?何かのう○こ?」

「虫でもう○こでも皿に乗ってりゃ食うんだな……ってか……おい……暁彦……」


その漬物は確かに芋虫にも見えるが寒気がするからそれを口に出さないで欲しい、佐鳥は1センチ程の粒をチマチマ整列させて……皿からはみ出てもまだ並べてる

佐鳥がいつからどれくらい飲んでいるのかわからないが、これが酔っているだけなのか、いつもの天然なのかもうわからない

丸いせいでコロコロと揺れて安定しない漬物が本当に何かの幼虫に見えて来た



「あの……暁彦?……」

「女将さん、これ何ですか?」

「それはチョロギですよ、シソ科の根菜なんです、こっちの葉物が壬生菜、柴漬けは知ったはるんちゃいますか?」

「へえ…野菜なんだ……あ、これも旨い……緑川も食ってみろよ」

「食うけど……」

京漬物が美味いのは知っている、その小皿を頼んだのが誰か思い出せって話だが、どうやら酔って会話が飛んでるんじゃない、目を泳がせて女将に絡む佐鳥は何か誤魔化してる


「暁彦……何へらへらしてるんだよ、逃げられたって何だよ、何かあったのか?」

「…………あったけど……」

「ちゃんと聞いてやるから変に誤魔化してないで言えよ、絶対笑わないと約束……するけど加減してくれ………」

落ち込んでいるのは見ていればわかる、出来れば親身になって聞いてやりたいが……我慢の限界を越えない程度に治めて欲しい


「別に面白く無い……」

「お前は天才だと自覚しろ、ほら……もごもご言ってないでこっち見ろよ」

まだ漬物から離さない目を覗き込むと何の冗談か……もじもじ顔を伏せ、女将から出て来た金目鯛の煮付に飛び付いた

変な佐鳥は見慣れているが今日は輪をかけて変だった、何故か目が合わずにビールと冷酒とお漬物と女将しか見ない


「何だよ……お前……変だぞ、口に出来ないくらいやばい変態プレイでもやらかして怒らせたとか?」


「何か……恥ずかしい……んだよ」

「恥ずかしいって何が?変態プレイが?それなら是非とも詳細に聞かせてくれ、道具?縛っちゃった?まさか薬?」

「…違うわ馬鹿………何かさ………久し振りだから照れくさい…と言うか……」


「……………は?………」

まさか………


俺っっ?!

チラッと目だけを上げて慌てて逸らすその仕草……
中学生の初デートじゃ無いんだからやめてくれ

佐鳥は面白いが特別面白い事を言ったりはしない、真面目に考え真面目にやってる事が面白いのだが、今回は予想外の方向から殴り飛ばされ、開いた口が閉まらなくなった

「お前……わざとか?何言ってんだ、俺を誘ってんのか?」

「…………だって…お前最近忙しくて……あんまり会ってないだろ……緑川だなぁーって思ったら……何かな…」

金目の……そこは食べられないぞ……ギザギザと小さな牙が見える口を箸でホジホジしながらそんな事を言われても笑えない

「あ、馬鹿は禁止な、最近お前の代わりに姉さんがやたら馬鹿馬鹿って連呼するから満員御礼、お腹一杯なんだよ」

「お前な……」

全くここまで天然で無意識に煽られると溜まったもんじゃない



「馬鹿……」

「あ……言った……」
「ずっと言う、これからも言う、永遠に言う」
まだもじもじと料理しか見ない佐鳥の前に体を伸ばし、チュッとキスをするとやっと目が合った

「……唇にすんなよ…」

「する、何回もする、社長の前でもする…ほら…取り敢えず飲め」

男同士のキスを見ても"お二人はガイジンサンやったんやねぇ"……とはんなり呑気に笑う女将は注文する前に冷酒のおかわりを出してくれた

本当に無くさなくて良かった

雪斗と木嶋社長にはいくら感謝しても足りない

もう佐鳥が酔い潰れて暴れても寝込んでも朝までだって付き合う


「で?何だよ、さっさと言えよ、酔い潰して襲うぞ」

「うん……それが…さ……雪斗はまた一人で何かをやろうとしてる……と思う」

「襲うは無視かよ、それで?何かって何だよ、逃げたって何から?理由はわかってるのか?」

「いや……それはまだ……何があったか聞いたら言えないって………顔を見た途端逃げるなんて……追いかけたけどあいつすばしっこいし森が深くて……」


「……森?…………」

多分、樹海で追いかけっこをした訳じゃないとは思うが、説明を聞くと長くなりそうで突っ込むのはやめた、佐鳥の話は酔っているせいであっち行ったりこっち行ったりバラけてややっこしかったが要点はわかった

つまりずっと計画していたのか、何か思い立ったのかは置いといて雪斗は確かに目的を持って出ていったらしい

書き置きを残していると言う事は以前から抱えていたような追い立てられる焦燥感から逃げ出したんじゃない……とすると……

思い当たる事は数多にあるが、あの海で……次は「佐鳥グループ」を狙うと冗談めかして笑っていた件は現実味が薄いような気もする

未だにわからないのはTOWAに乗り込んでくる前に雪斗が佐鳥と会っていた事だ
やはり何かに利用していたのか、本当に偶然……何の意図も無しに心を通わせてしまったのか……どこまで計画していたのか……

何にせよ、今回わざわざ姿を消した理由には佐鳥の言うように社会的に認知出来ないややこしい匂いがプンプンしてる


「あの人は何か考えが無いと動かないと思う、追いかけて捕まえても自分の思う通りするだろう、引き留めも説得も無理なんじゃないか?」

「姉さん……皆巳さんも同じ事言ってた、俺もそう思うんだけど……話して欲しいと言うか……まさか……俺の顔を見て逃げるなんて……」

「そんなしょげるなよ、お前を見たんじゃなくて何か用事を思いついたのかもしれないぞ」

「いや、雪斗の口がサトリって動いたんだ、久しぶりに自分の身長を恨んだよ、もうちょっと小さければ行き交うまでお互い気付かなかった」

「同じたよ、顔を合わせた途端に逃げたさ」
「近かったら逃がさないよ」

「多分捕まえても無駄じゃ無いか?」

……無理に引き止めると雪斗は正式に会社を出ていってしまうような気がする

佐鳥と雪斗の仲はもう認めざるを得ないが、雪斗の足が地につく事なんて多分一生無い、目的の為なら何だってきっとやってしまう

「あの人はああ見えて猪突猛進だからな、鉄仮面が正しい……ちょっと探ってからの方がいい」

「うん………俺はテレビ局の美山に話を聞きに行くから付き合えよ、絶対あいつが何か知ってる」

「頼まれなくても付いて行くよ、ってか絶対に一人で行くな、絶対だぞ、絶対約束しろ」

「絶対、絶対ってうるさい……」

そこは守ってもらう、絶対だ

佐鳥が一人で行くと節度を無くして聞ける話も聞けなくなる、下手したら二度とチャンスが無くなる可能性もある

「俺がちゃんとしてやるからもうあんまり心配するな、ほら食えよ」

「うん……でもこいつ怒ってる」

「大丈夫、もう怒ってない、食え」


ふんわりいい匂いがする金目鯛の煮付けは、佐鳥に分解されて歯が取れているが京風の上品な味付が身に沁みて絶品だった

佐鳥は飄々と馬鹿を演じていたが(素の可能性もある)目の前で雪斗に逃げられて実はかなり落ちている

調子良く冷酒を飲みながら、延々と愚痴と惚気を話し続けて、とうとう小料理屋のカウンターに突っ伏してしまった

もっと楽しいシュチュエーションならいいのに……
デカい体を半分担ぐようにタクシーに乗せ、最後は背負ってマンションにお持ち帰りしなければならなかった
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