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顛末
しおりを挟む話し合いといえばいいか、ただの飲み会と言えばいいのか。
佐倉に引導を渡すつもりだっただけなのに、店中を巻き込んだ熱い語りは深夜まで及んだ。
飲んだ酒の量はもう不明だ。
店に居合わせた客を含め、仕事を投げ出した店長まで話の輪に加わり、それぞれが勝手に飲み散らかして誰も飲み食いの管理をしてない。
最後は年長者が金を出し合い、多いのか足りないのかもわからないまま払ってくれた。
投げて壊した他所の店の電光看板は「まかせとけ」と店長が請け負い弁償は免れたらしい、もう酔っててよくわからん……「頼むゾ」とか偉そうに言って帰って来た気がする。
今まで積み上げきた常識と人生観が崩れ落ちた夜でもある。
何よりも高梨の告白にはとにかく驚いた。
店中を包んだ同情の空気に押され、「キスくらいさせてやれ」と酔った勢いでチューをさせられた。
実は高梨とのチューは初めてじゃないのだ。
それも酔った飲み会の時にふざけて(高梨は爆発しそうだったらしいが)唇を付けた事がある。
佐倉を含むゲイ達の説明によると高梨は「タチ」なのだそうだ。俺を好きだった、という事はつまり……つまり……
「うわあ……」
部屋に行っていいか?と高梨に聞かれたがそれはあれだ……
「何もしないから部屋においでよ
何もしないって約束じゃないの?
一人暮らしの男についてきて何言ってる」
……ってやつだ。
高梨が真面目だと言うならこっちも真面目に考えなければ余計に傷つけてしまう、だから、はっきり嫌だと断った。
それは今までの長い付き合いを否定してしまう答えなのだが、落ち込むか寂しそうにするかと思えば異様に……今まで見た事も無い位元気だった。
「今まで通りでいいけどもう遠慮はしない、チャンスがあれば狙うから覚悟しろ」?……いきなりキャラチェンジをした高梨とこれからも付き合っていけるのか不安になった。
「うぐ……腹がはち切れる…飲み過ぎに食い過ぎに喋りすぎ怒鳴り過ぎ……」
始発はもう動いていたが佐倉がタクシー代だと言ってポケットにお金を入れてくれた。
もう限界だった。とことん歩きたく無いからタクシーに乗ったらポケットに入っていたのは100円玉一つだった。一瞬だがいい奴だと見直したのに…佐倉なんかやっぱり嫌いだ。
佐倉の為にと一応貰ったタクシーの領収書は丸めて捨てた。
「……部屋までが遠い。」
アパートの部屋は最上階。最上階と聞けば何となくかっこいいがエレベーター無しの3階建てだ。グルグル回る階段を何とか攻略して部屋に帰り着くとドアには鍵が掛かってなかった。
何でだろう、なんて思いながらドアを開けると玄関を入った所で水嶋が毛布に包まり転がっていた。
「あ……そっか……」
水嶋を尾行して「殺してやる」と叫んだのがもう数日前に感じていたから、このアパートに帰れと鍵を渡した事をすっかり忘れていた。
律儀に言いつけを守る所は水嶋らしい。きっとギリギリとほぞを噛んで待ち構えていたのだろうに、そのまま寝落ちてる。
鍵があるからって後輩の部屋で風呂に入って着替えてるってするか?水嶋笑かす。
毛布を抱き込み、寒そうに丸めた体は小さく纏まって水色のクッションみたいに見える。……絶対に座らないないどね。
寝こける水嶋は見栄を張って買った2Lのトレーナーがブカブカと浮いていた。
「だからMサイズを買うって言ってんのに……」
隣に座って顔を覗き見ると正体なく眠ってる。
顔に掛かった髪が鼻息でくっついたり離れたり……間抜け……。
この水嶋の何を見て一目惚れとか出来るのか不思議だった。
「告白した…って言ってたな」
佐倉は思っていたよりずっと……思ってもみなかった方向に変な人だった。それでも、少なくとも仕事を盾に取るような卑怯者では無かった。
そこをわかってもらうのに数時間要したが、水嶋が大口の取引を心配して拒否できないでいる事は理解してくれた。
マジ惚れは本当らしい。
ショックを受け、項垂れる佐倉には思わず同情しそうになった。
なっただけだけど……
佐倉は本当の水嶋を……仕事は出来るが、真面目で融通が利かなくて不器用な本当の水嶋を知っていた。
出会いは水嶋がその店の特性を知らないまま飲んでいたゲイバー、会話の中からお互いの立ち位置を知り、名刺交換から始まった。
散らかった空袋の山は他社の製品なのに一人で片付け、ありがとうでは無く勝手な事をするなと、怒られている所を見た事があったらしい。
それは雨の中不憫な子猫ちゃんを助ける姿を見かけてキュン。
……なんてありがちなアンティークファンタジーでは無く、担当者と出くわすタイミングを計り、歩いて来る先に倉庫を走って周り込んでのアピール作戦。失敗した後は「何か奥田で出来る事は無いか」と詰め寄り、逃げ回る担当者にごろごろ付き纏う姿に萌えたとか何とか…。
普通は萌えない。萎えるか笑う。
水嶋はその辺にゴミが落ちてても親切に片付けたりはしない(自分の部屋が筆頭)
目的と使命感しか目に入らないのだ。
ゲイの目線で見るなんて無理だが、知って見ていれば動きがコミカルで面白いから佐倉の気持ちは少しだけわかった。
「でも……一回リセットするとしっかり約束を取り付けました、後は水嶋さんがきちんと断ってくださいね」
話しかけるとゴソゴソ身動《みじろ》ぎをして、ペンっと毛布を払った。
このままでは風邪でもひいてしまいそうで首元までたくし上げると、耳の下に触れた手にピクリと肩を上げる。
「ほんとだ……水嶋さんって敏感…」
敏感な所がいいって佐倉は言うが単にくすぐったがりって事だと思う。何でも性的な意味合いに持っていくのは極端な話だ。
「一目惚れって言われてもマジでわかんねえな」
眠る水嶋の顔をまじまじと見ても特筆すべき非が見当たらないのだ。それはさしたる特徴が無いって言う事だと思う。男の顔なんかよくわからないのは今も同じだがやっぱり目立つ煌びやかなイケメンとはどうしても思えない。
しかも……イライラしならがら寝たのか……
この眉間の皺。
あんまり深くてコシコシと指で擦ると、へニャーっと垂れてきた眉の下でバチンッと突然弾けたように目が開いた。
「あ……起こしちゃいました?すいま……」
「江越~~~!!!てめえ何してくれんだ!どつき回すぞコラ!酒臭え息しやがって!!今すぐシャワーを浴びてこい!出かけるぞ!」
起きてすぐ、この瞬発力には驚くが水嶋はまだ寝ぼけて周りが見えてない。
「今は朝の5時前ですよ、どこに行くんですか」
「お詫びに行くに決まってるだろ!」
「佐倉局長なら今頃部屋に帰り着いてそれこそ寝てるかシャワーでも浴びてますよ」
「ん?」と周りを見回し外が暗い事に気付いたらしい。寝ていても手に持ってる携帯を見てうぐっと喉を鳴らした。
「理解してくれましたか?今はもう夜明け前です」
「江越……てめえ生命保険には入ってるんだろうな?」
「まだ入ってません、計画では結婚してから…」
「今すぐ入ってこい、ネット申し込みなら割引もある、で?首釣るか?飛び降りるか?何なら俺が刺してやるから包丁持って来い」
「怖い事言わないでください、それに今日入ってすぐ死んでも保険はおりませんよ」
「ならその辺で車にでも轢かれて来い!高級車を狙え!緑ナンバーのトラックにしろ!デカい会社の駐車場前で飛び出せ!安らかに逝けるよう俺が見送ってやる!」
「水嶋さん……」
「遺言状を製作しろ、今すぐ書け、全額賠償に使ってくれって書いてハンコ押せ、母印押せ、カッコよく指噛んで血を出せ!」
「頼むから黙って……」
ふうっと疲れ切った溜息が出た。
夜の8時くらいからさっきまで、見知らぬ異国に翻弄されて声が掠れるくらい叫んで来た。
今水嶋の弾丸トークに付き合うにはガス欠でもう間も無くエンジンは停止する。
佐倉の脳味噌の中でプロデュースされた架空の水嶋はどこにいなかった。
「水嶋さん、あんたは佐倉局長を誤解してる、そんなんじゃあの人が気の毒です」
「何が!?……どう言う事だ」
「あの……シャワー浴びてちょっと寝てからでいいですか?このままだとここで吐きますよ、それこそ生まれたてのフレッシュなホカホカ死体が出来上がります」
「逃げる気か?」
「ここは俺の部屋ですよ」
立ち上がると天井がグルグル回ってる、帰って来るまで酔っている自覚は無かったが、飲んだ量が量だ。シャワー浴びていつ寝転んでいつ寝たのか記憶には残らなかった。
朝……と思ったらもう夜だった。
あれだけ痛飲したのに二日酔いの兆しは無かった。
山崎なんて高いお酒を店で飲んだのは初めてだったけど空瓶が床のあちこちに転がっていたように思う。
そこまで考えて……
記憶を持っていってくれる事は無かったみたいだ、残念な事に全て全部覚えていた。
「一回…起きるか…」
変な形で寝ていたから少し痛む首を持ち上げると、キッチンに立って何かをしている水嶋の背中が見える。しかし、それよりも何よりも部屋の中に充満している妙な匂いに鼻を抑えた。
「毒?」
何だこの刺激臭は。
奥田製薬の研究所には青酸化合物も硫酸もドラム缶単位で保持してる。一応鍵のかかった倉庫に入っているが、研究員が手について取れない試薬の汚れを青酸化合物で洗っているのを見た事があった。
そこから100人1000人殺せる量を盗っても誰も気付かないと思う。
衣擦れの音が聞こえたのか、クルリと振り返り、起きたのかと言った水嶋の顔には何の表情も浮かんでない。
……真面目に怖いじゃないか。
「水嶋さん、俺が今死んでも無料ですよ、赤字ですよ、何してるんですか?」
「飯作ってんだよ、丁度良かった、目に染みて味見出来ない。お前がやれ」
差し出されたスプーンに乗った液体からツーンと広がる痛い匂い……アーモンド臭はしないが(名探偵コ○ン参考)どう考えても食べ物じゃ無い。
「何を入れたんです」
「知らん、シャッキリしたいだろうと思って色々入れた、お前辛いもん好きだろう」
鍋の隣を見るとブードジョロキアって書いた袋が空になってる。
速攻ネットで調べるとよくわからないが激辛の調味料らしい、これが新品で一袋全部を鍋に入れたとしたら多分死ぬる。
「水嶋さん……」
「何だよその目……」
「最早これは産業廃棄物です、普通ゴミで出せないから今すぐ業者を呼んでください、危険物取扱の免許確認を忘れないでくださいね」
「失礼だな、れっきとした食いもんだぞ、せっかく作ったのに酷い事を言うな」
言わなきゃ殺される。
湯気が目にしみる物を口に入れたらどうなるか考えろ。それこそ佐倉がいれば喜んで食うかもしれないがあいにく俺は普通の人だ。
「これは俺が何とかします」
水嶋から鍋を奪うと「あっ」と手で追った
加害者と被害者は神一重だと言うが、そんなの知らん。厳重に蓋をして鍋ごと袋に入れて封印した。
「捨てる事ないだろ、結構手間をかけたのに…」
「こんなもんどこで手に入れたんです、売人とはどこで接触したんですか、あんまりヤバイ橋は渡らないでください」
「違法薬物みたいに言うな、お前は起きないし食いもんは無いし、スーパーに行ったら売ってたから買ってきただけだ」
「ちゃんと劇物取扱の申請書は出しましか?」
「え?いるのか?」
嘘だよ、馬鹿
勿論そんなもんいらないが水嶋は薬物業界だけに生きてる。しまったとか、何も言われなかった、とか申請書はどこにあったと頭を捻る姿をニヤニヤしながら見ていると、嘘だと気付いて殴られた。
狭いセルフフィールドから這い出た水嶋には萌えたりしないが可愛いと言えば可愛い。
「何だよ……ニヤニヤすんなって」
「何でも無いですよ、腹が減ったんでしょう、何か作りますよ」
せっかく作ったのに、とブツブツ言っている所を見ると、どうやら殺害計画ではなく、やっぱり真面目に考えて食事を作っていたらしい、炒飯を作ると言えば卵を割るのを手伝ってくれた。
「で?昨日何があったかいい加減話せ」
スプーンで指されてご飯粒が飛んできた。
水嶋の顔にお茶をかけてやろうかと思ったがここは自粛した。
「何があったかじゃないでしょう、あんな往来でキスさせて……どうして黙ってんですか、困っているんならちゃんと断れって言いましたよね」
「………断る暇も無かったんだよ」
それは見てたから知ってるが腕を振り回す暇があるなら突き飛ばすとか押しのけるとか逃れる方法はいくらでもあったのに、たっぷり10秒は宙を掻いてバタバタしているだけだったのだ。
「佐倉は……」
「局長を付けろ」
「…………佐倉局長様は」
「様は付けるな」
「黙って聞いてください」
「早く言え」
なら邪魔すんな
「佐倉局長は仕事を持ち出したりしません、一人前の立派なゲイとして水嶋さんが好きなんです、接待と思ってるなら逆に失礼ですよ」
「でも……」
「でもは無いです。次会ったらきっぱり断ってください」
んむむと唸り声を上げ、考え込んだ水嶋はグルグルと掻き回しているだけの炒飯を仇みたいに見つめてる。
出来れば佐倉との絶交宣言には立ち会いたいぐらいだが、水嶋が本当に嫌がっているだけなのかは未だにわからないのだ。佐倉に残されたゴマ粒程の小さな希望を潰すわけにはいかない。これは水嶋が判断する事だ。
「断れますね?」
「………何て言えば……いいかな…」
「いい大人が何言ってるんですか、まずこれだけは言ってください。「マンションには来るな」「気持ちに応える事は出来ない」それから最後に「お前なんか大っ嫌いだバーカ」ですかね」
「怒ったりしないか?」
「泣くでしょうね」
「泣く……のか…それは困るな」
……やっぱり立ち会いたい。
ブツブツと口の中で復唱するあたり、水嶋はアドバイス通りに言いそうだ。
仕事の時の水嶋は立ち入る隙も見せないが、仕事以外では揶揄いがいがあって楽しい。
結局水嶋はそのままもう一晩泊まって鄙びた日曜を過ごし、夕方に帰っていった。
上手く行けば週末のお泊まりはこれで終わる。
解放されたような、やり切ったような爽快感が溢れているのに………何だか肩の辺りがスカスカした。
その次の週末だった。
何故こんな立ち位置に陣取ってしまったのか、あの水嶋を拾った夜に戻りたい。
酔った勢いでうっかりと渡してしまった名刺に携帯の番号なんか載せていたせいでほぼ泣き声の佐倉から最悪の呼び出しを食らった。
場所も最悪だ、唯一の共通点は例のゲイバーしかない。
いつ佐倉と会ったのか、日中から夜遅くまで一緒にいたのにそんな約束のカケラも見せなかったが、どうやら水嶋はちゃんと断りを入れたらしい。
解決に向かったならそれでいいが、せっかく解放された筈の週末なのに……水嶋と別れてそれぞれの家に帰ろうとしてたのに、またこのカオスに舞い戻るとは思いもよらなかった。
「江越!どうしてくれるんだ!水嶋が……もう来るなって……気持ちには答えられないって……」
………そのまま言ってる……さすがに「馬鹿」は言わなかったようだがオリジナリティゼロだ。
「俺に言われても困ります、じゃそういう事で」
直接には関係ないと言っても佐倉は仕事先の大元会社の偉い人だ。これ以上深く関わりたく無かったが、帰ろうとすると「待て待て待て」と止められて店のドアには鍵が掛かってしまった。
二週続けての立て篭もりに店も困るだろうと反論してみたが、もう席がないから大丈夫だ、と店長が指した店内は嘘みたいに満員だった。
「これ……定員オーバーじゃないんですか?」
「お前が悪い、全部悪い、この店は落ち着いて静かな店だったんだ、こんなに満員なのも、水嶋が突然気を変えたのも、全部お前のせいだ」
「もう……俺は無関係なんですよ。元々佐倉さんが勘違いして、そんで水嶋に勘違いさせたんでしょう。勘違い同士なんてそのうち嫌でも破綻してましたよ、男らしく好きな相手の幸せを願ってください」
早く帰りたいのに……テーブルの上には山崎の瓶と氷、最後に水の入った瓶がドンっと出て来た。
勝手に飲めって事らしい。
営業放棄も二週目だ。佐倉はウイスキーをグラスに注ぎ入れ、氷も水も足さずに一口飲んで情けない声を出した。
「そんなの嫌だ…」
「もう諦めてこの多くのお仲間から当選者をお選びに…」
「馬鹿」「ノンケ」「犯すぞ」「死ぬ」「純情を舐めるな」
勝手に参加してる観客から一斉攻撃を喰らいもう一度言い直した。
「新しい恋を探した方が早いんじゃないですか?水嶋はきっちり断ったんでしょう?望みは無いと思います」
「外でなら、食事くらいなら会っても……いいって言われた」
「………は?…」
振った相手、しかもキロメートルじゃなくて光年で表したいくらい恋愛対象から遠い相手に、もしかしたらと淡い期待を残す中途半端な返事をするなんて何を考えてる。「あの馬鹿」と、思わず出て来た罵倒は「いいぞ」とか「頑張れって」飛んでくる声援に消された。
「また勘違いしないでくださいね、何回も言いますが水嶋はあなたの役職に遠慮しているだけです。ここは男らしく身を引く方が賢明だと言ってるんです」
「なあ…お前さ、言ったよな……水嶋は売り上げの心配してるだけだって……それって仕事を持ち出せば水嶋はまた付き合ってくれるって事だよな」
「うわ!サイテー!!」
「仕方ないだろ!触りたいんだよ!イキ顔が見たいんだよ!じっくり開発して行こうって我慢したせいでまだ何にもしてなのにあんまりだろう」
「佐倉さん!やめましょう」
イキ顔が見たい?何だそれ。
バーにいた自称ゲイの大いなる賛同を得ていたが一人だけアウェイのこっちにしてみたら苦笑いしか出てこない。
「あんまり生々しい話をしないでください、俺はこれからも水嶋さんと毎日顔合わすんです、恥ずかしいでしょう」
「殺してやるって噛み付いて来たくせに……」
"殺してやる"には自分でも驚いた。
奥田製薬ではよく飛び交うが、それは人に向けて放つべきでは無い。
友達同士の冗談では無い"殺す"がどんなに恐ろしいか身に染みていたのに自然と口にした。
「それは……謝罪します」
「嫉妬だろ」
「嫉妬じゃありません、あなたが非常識なんです、男に触りたいとか人前で言わないで下さい」
「水嶋は触ってもいいタイプだぞ?」
「触ってもいいタイプ?」
何だそれは、どんなタイプだ。
普通にあるタイプ分けと言えば、「明るいタイプ」とか「大人しいタイプ」とかそういう事だろう、"触っていいタイプ"なんて分類は聞いた事がない。
「何ですかそれ」
「試しに……そうだな、口の横に何か付いてるって水嶋に言ってみろ、黙って顔を差し出すぞ」
「例え口の横に蝉が止まってミンミン鳴いててもそんな真似はしませんがね、逆らえなかっただけでしょう」
水嶋はどれだけ馬鹿なのだろうと、とことん呆れた。好きだ、付き合ってくれと告白して来た異人種に、そんな真似をしてたのかと思うと最早愚かとしか言いようがない。
「お前な、例えばこいつに…」
佐倉は手近にいたゴリラみたいなおっさんの首を掴んで引っ張り、指を突きつけた。
ゴリラは「やめてくださいよ~」とか言いつつも嬉しそうだ。
「……こいつが……そうだな、お前の上司だとしてもしもパンツに手を突っ込まれたらどうする?」
「提訴します」
「言う事をきかなきゃ給料を半額にするって脅されてたら?」
「訴訟、和解無し、賠償金を500万請求します」
「だろ?好きじゃなかったらそうなるよな、いくら水嶋が仕事の事で遠慮してたとしてもちょっと触っただけでトロっと…」
「あーあーあー聞きたくありません」
やっぱりさっさと帰れば良かった。
どうにも佐倉のペースに引き込まれて要らぬ話を聞かされる。
絶対に飲むまいと心に誓って店まで来たのに、グラスが空になる手前で佐倉がウイスキーを継ぎ足し、もう何杯飲んだのか頭がほんわりと緩んでいた。これは嫌な予感しかない、このままではまた朝方まで付き合う羽目になる。
「あの、あんまり酔いたく無いんで…そろそろ帰ります」
「お前ひ弱だな、殺すって体当たりされても子鹿のお触りみたいだったぞ、そんなんじゃ男を抱くのは辛いんじゃ無いか?」
「抱きません」
"え?お前「ウケ」なの?"ってザワザワするな。
高梨は彼氏という前提らしいがノーマルがマイノリティなこの店では常識が通じないのだ。
店長の名前が赤城だとか、髭面のマッチョゴリラが建設会社の社長だとか、いつの間にか知り合いになっちゃてるし、フォークリフトならあるから次に困ったら言えとか……そんなつもりは無いのにすっかりうっかり親しくなっちゃって新たな人脈になりつつある。早く離脱しないとこれは不味い。このままではゲイバーの住人と友達になってしまう。
「もういいでしょう、俺は帰ります。佐倉さん、言っときますが仕事を持ち出して水嶋を脅したら軽蔑しますよ」
「俺にはそんな職権無い」
「水嶋にそう言っときますからね」
「……水嶋がそう思い込んでるなら…」
「言っときます」
もう呼び出すなと、この店には二度と来ないと言いたかったが、赤城店長とうっかり雑談した時に「趣味の範囲でいいならと」と簡単な会員証アプリを作る約束をしてしまっている。
女子の客がいるような早い時間なら普通の店にしか見えないから別にいいが、また高梨と出くわしたり佐倉に見つかると面倒なので月曜の6時と約束をしておいた。
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