北を見るフェイト

ろくろくろく

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正男からの電話

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「毎年の事ですけど、未来企画の「年末」って早いですね」

ビールの入ったレジ袋を床に置くと、よっこらしょと座り込んだ田淵が「そうね」と笑った。

「デザイン部はガラガラね」
「クリスマスもまだなのに大晦日の面持ちがありますね、森上さんは台湾で洋平くんはサイパンでしたっけ、今の時期は正月休みより旅行代金が安いからって言ってました。」

空いたデスクをみると「羨ましい」と文字の入った吹き出しのような溜息が出る。

業種の特殊性から、世間の季節より一足先に全ての仕事が終わってしまうのだ。
その為、大概のメンバーは溜まった代休や年休を利用して長期の休みを取ってしまう。
最後の入稿を終えた今、会社に来ているのは主婦の田淵とまだ仕事が残っている氷上、そして営業の2人だけだった。
それならと、デザイン部の部屋で忘年会を兼ねた飲み会をしようって事になっていた。
床に座り込んでの「家飲み」スタイルだ。

「誰もいなくなるんですね、俺は初めて見るからビックリしました」

佐渡が苦笑いを浮かべた。
珍しくMacを離れた氷上が一緒にいるから妙に大人しい。

「営業は無理なんだよな」
「主婦も無理よ」
「井口さんは実家に帰るって言ってました、何と、村井さんは父親が持ってる別荘らしいです」

「金持ち~」と声がそろった。(氷上以外)
「所で、ビールはわかるんですけど……どうしたんですか?それ」

佐渡が指を刺したのは氷上の前に出したウイスキーの瓶だ。勿論グラスは無いし紙コップも用意してない。

「塔矢くんはそれでいいのよ」
田淵が笑った。

「佐渡くんは初めてだよな、氷上さんはザルってか強いってか、釣られて飲むと潰されるから自分のペースを守った方がいいと思うよ」

「そうなんですか?」と言って謎の空笑いをした佐渡に、チロリと氷上の冷たい視線が飛んだ。
嫌いだ好きだは置いといても本当に和気あいあいには向かない人だ。こっちが気を使う。

「氷上さん、あんたの目はただでも怖いんだからもっとにこかやかにするか…」

出来れば帰れと言いたい。

眉の上で切り揃った前髪がもう少し伸びないかと思い、ギューっと引っ張ると手を叩かれた。

「痛いっての」
「あ、やっと口をきいた」
「煩いな、姫、かまぼこ取って」
「これはチーズが入ってますよ」
「チーズを取って」
「わかりました」

もう慣れたから取ってと言われたら取るが、粒々に散ったチーズらしき塊を取り除いたとしても、生地自体から味がするだろうなと思ったら、一口齧って「臭い」と口の中に放り込まれた。

田淵さんはもう慣れたのか、我関せずを貫いているが新人の佐渡くんは見ていいものかと居心地悪そうに身じろぎをしている。

佐渡は氷上を怖がっているらしい。
そりゃ怖いと思う。
髪を切った氷上は目立つし、一般人とは画風が違うと言えばいいのか、ただ綺麗と言えばいいのか(欲目あり)
その上でニコリともせず、目尻の吊り上がった冷たい目だけでモノを語るのだから誰でも怖い。
しかも氷上は佐渡をよく思ってなかった。

「氷上さん、ちょっとだけでもいいですから笑ってみましょうか」
唇の端を指で持ち上げるとガブッと噛まれた。
それならと、両手で頬を挟んで持ち上げると氷上では無く田淵が笑い出した。

「いいじゃ無い、塔矢くんはそれで標準でしょう、明るく笑われても返って不気味だわ」
「いや、氷上さんはもっと世間に迎合すべきだと思います」

今も、氷上の携帯がブーブーと震えているのに無視をしている。
一回画面を確かめているから相手は誰かわかっているのだろう、意味のある無視ならそれでいいが氷上の場合はそうじゃ無い。

「鳴ってますよ、いいんですか?」
「いいよ、放っておけば」
「いいならいいです、じゃあ遅ればせながらですが乾杯をしましょうか」

缶ビールを持ち上げて「未来企画万歳」と田淵が言った。あいも変わらず乾杯には加わらない氷上にはウイスキーの瓶にそれぞれが缶を当ててからビールを煽った。

「今言うのも何だけど、姫ちゃんは栄転おめでとう、ついでだけど佐渡くん、ようこそ」
「栄典なんですかね」
「栄典でしょう?一応だけどね、お給料も上がるんじゃ無い?」
「責任の重さに見合うといいんですけどね、佐渡くんも前よりは上がると思うよ、どっちにして安いけど」

「本当にね」と眉を寄せた田淵が笑った。
未来企画の給料は確かに安いのだが、何も未来企画だから安いのでは無く、世間的な価値基準が低いせいかデザイン業界はどこに行っても安いのだ。

「まあ自分の得意分野を活かせる仕事に就いてんだからいいけどね、佐渡くんは?デザイン系の大学を出たって聞いたけど、どうして営業なの?」
「田淵さん……」

人のプライドを刺激するような危うい質問は直球だったが、佐渡からすれば聞いて欲しかったらしい、「それは…」と勢いよく言いかけたのだが、氷上の視線に少し怯んだ。

「俺は…俺の専攻はここの仕事とはちょっと分野が違って……まあ簡単に言えば就職先が無かったんです」

これを見てくださいと言って携帯を出した佐渡は、吟味するようにツラツラと画面をなぞってから「これです」と見せて来た。
そこに映っていたのはやけに胸のデカい女の子が太腿を晒して剣を握っている絵だった。
何かのアニメ談義にでもなるのかと思ったら佐渡が描いたオリジナルだと言う。

「佐渡くんってオタク?」
「へえ、上手いもんだな」

……感想はそれぞれだった。
田淵は「ふーん」と流したが、素人目から見れば大したものだと感心した。

「つまり、絵を描く仕事を探したって事?これだけ上手ければあるんじゃ無いか?」
「でもね、上には上がいてゲーム会社とかアニメ制作会社を受けたけど受かんなくて」

「まあ、塔矢くんもこれくらいなら描けるよね」

そう言った田淵の言葉に「え?!」と声を揃えたのは佐渡と同時だった。

「氷上さんはこんな絵も描けるんですか?」
「こんな絵ってどんな絵だ」
「もう……せっかく佐渡くんが見せているんですから見ましょうよ」

佐渡の手から携帯を取って氷上に見せると、ふうっと謎の溜息を吐いて面倒臭そうに頭を掻いた。

「あんたさ…」
「あんたじゃ無くて佐渡くんですよ」

こんな所で妙な突っ込みなど不要だと分かっているが、佐渡は氷上を知らないのだ。
普段の態度がそのまま全部なのだと思って欲しくなかった。………そのまんまなのは確かだけど、それだけじゃ無い、氷上はここで「佐渡くんはさ…」と言い直すのだ。

まるで、親や学校の先生が全て正しいのだと盲信する幼い子供のようだと言えばいいのか、駄目だと叱られた事を忠実に守っている。
ほぼ自覚がないからたまにしか発動しないが、あれ荒んだ外郭の隙間からツルツルとした透明な素直さが垣間見えるような気がする。

「元々そうなのか……その都度反省しているのか…、もしもお兄さんに会う機会があったら「あなたの弟は考えてます」って報告しますね」
「……何の話だよ」
「3歳までの幼児教育についてですかね」
「は?」

「産んでから考えろ」と正面ビンタを喰らったが、氷上のお兄さんとは是非とも会ってみたい。
……ってか、わざわざ訪ねてでも絵里子さんの行動を正すよう進言したい。
この際だから今ここで予約出来ないものだろうかと考えていると、何かがチクッと刺さってハッとした。

呆然と見て来る2つの視線は物理的な力を持っていた。何も考えずに氷上と交わした会話を掘り下げられては遺書を書かなくてはならなくなる。
ゴホンと咳払いを入れてから今の会話を無かった事にする。

「……で?氷上さん、今何かを言いかけてましたよね」

スンッと目の表情を消した氷上も、珍しく空気を読んだらしい。「佐渡くん」ともう一度言い直すと、新人営業はビクッと肩を持ち上げ身構えた。

「はい」と答えた声は小さい。

「何ですか」
「その絵ってさ、まさか仕事にしようと思っていたのか?それとも趣味?」

「いえ…」と首を引っ込めた佐渡くんの気持ちはわかる。氷上の事だから深い意味は無いと思うが、「まさか」と付いた氷上の問い掛けは、実力の及ば無い別フィールドでの面接に似た怖さがある。
これはアレだ、森上が怖れた「上級者からの無言の圧」だ。

「絵を描きたいなら今の仕事は辞めたら?」

ほら、そう来た。

「氷上さん、やめましょう」
「姫は黙ってろ、お前が心配するような事は言ってない」

言ってるだろ。

「何だよその目は、俺が言いたいのは佐渡くんの絵はクオリティが低いけど伸ばせば伸びるんじゃ無いかって事だ」

「これで…クオリティが低い…って言うんですね」

「そうね」と田淵は頷いているが、佐渡くんの絵も十分上手に見える。それはつまり素人目には通じるって事なのだが、この程度では商品にならないという口調に聞こえる。

「氷上さんはどんなのを描いたんですか?」
「どんなのって……あれは何て会社だったかな?どこかの製紙会社が年末に配るポスターにするから今時っぽいアニメ絵の女の子を描いてくれって無茶を言ってね、外注を考えたけど時間が無かったから結局は塔矢くんが描いちゃったのよ」

どこだっかな、と言ってMacに取り付いた田淵は送信済みメールを探してそのポスターを見つけてくれた。

「うわあ」は佐渡くんだ。

言っては悪いが佐渡が描いた絵とのクオリティの違いはアニメに興味の無い目から見てもハッキリとしていた。
確かに、佐渡の作品と同じく、どこかで見た事があるようなイメージだが恐らく中途半端な個性はいらないのだろう、微妙で絶妙にエロの入った女の子のアニメ絵はクライアントが欲しかった絵、その物なのだと思う。
どう見てもその手のプロが描いたものに見えた。

「凄いな……凄いですよ、本当に凄い」
「凄くない、俺の場合はどっかの誰かが描いた絵を真似してそれらしく仕上げただけだ」
「それでも凄いですよ、氷上さんって本当に見かけによらず多彩なんですね」
「じゃあ惚れろ、そんで専業主夫になれ」

「………それ以上言うと殴りますよ?」
「これ以上断ると人前で犯すぞ」

「やめろ」と蹴ったら氷上は笑いながら避けた。
「そうなんだ~、そうなんだ~」を繰り返す田淵は爆笑していた。
佐渡くんは魅入られたように、そしてちょっと悔しそうに製紙会社のポスターをずっと見ている。
暫くの間放っておけばいいのに、持たざる者の気持ちはわからない氷上だ。
直飲みしていたウイスキーの瓶で「飲め」と佐渡の背中をつついた。

「見てたってどうにもならんだろ、描きたければ描けるんだから描けよ」
「でも…もう就職しちゃったから俺にはもう無理ですよ、時間が無い」

「じゃあ寝なければいい」とあっさり言い放つ。
それは努力しろって意味では無いと思う。
氷上の場合は寝てない自覚も無く、やりたい事をやって来たのだろう。

「はあ…」と気の抜けた返事をした佐渡くんに同情した。
どの分野でも、何をするにしても、ある一定の範疇を超えた実力者は、何も産まれた時から特別な才能を持っているのでは無いのだ。
懇々と詰める情熱があるか無いか、それだけなのだと思う。
意気消沈したのか黙ってしまった佐渡くんは分量も気に留めずウイスキーの瓶を直飲みしている。

興味を無くしたのか、気を遣っているのか、そこは不明だが、そんな佐渡くんに氷上はもう何も言わない。
多分……多分だけど、何も言わずに人のビールを飲む辺り、「痛いか?」と聞きそうになる自分を止めているんだと思う。

親睦を深めたとは言い難いが、それなりにいい夜だった。
佐渡くんは急激な酔いにグラグラしているし、とても嬉しそうな田淵が「やってんの?」などと絶対に答えられない事を聞いてくるし、いつもの通り氷上は会話に加わらないけど、いい夜だったのだ。

そこに土足で踏み込んできたのは、またもや悪意のある社内放送だった。

「ヒメさん、「ヒョウマと言えばわかる」と仰る方から1番に外線です、覚えのある者が出ろ」
と真柴の声だ。

完全なる嫌がらせなのだが、「ヒメって北見さんの事じゃ無いですか?!」と、真面目な業務連絡と受け取る佐渡くんは、新人らしくフレッシュだ。

ギュッと眉間に皺を寄せた氷上を横目に見ながらも電話には出るしか無い。
まるで浮気の暴露を恐れるような慌てっぷりだったが手近な電話に飛び付いて1番のボタンを押した。勿論だけど、文句を言うつもりで電話に出たのだが、「塔矢はいるか?!」との切迫した声にタイミングを奪われた。

「え?いますけど……あれ?もしかして氷上さんの携帯に何度も連絡しました?」
「したけど出ないんだよ、クソだろあいつ。塔矢が近くにいるんなら伝えてくれ、絵里子がちょっとパニックになってる、鞄をどっかに置き忘れたみたいなんだ」
「は?どう言う意味ですか?」
「いいから!駅の落とし物とか、警察とかに聞きに行けって伝えろ、こっちはこっちで絵里子が辿った今日の足取りを追ってる、任せたぞ」

任されても困るが、氷上に代わる前に電話は切れてしまった。


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