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北を見る呪い
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「何で毎回泣くかな」
「………………………何ででしょうね」
2回目の敗北だった。
薄いシーツに包まり、丸くなっている体を抱き込まれている「男」が自分なんて変だ。どう考えても、何回考えても役違いだと思う。
氷上には背中を向けていた。
チュウチュウと裸の肩を吸われながら、咽び泣くなんて我ながら情け無いが、弄り回され、コヨリになった髪を優しく引かれても動く気は無い。
「気持ち良すぎた?」
「…………お尻が痛いです」
「そうか?今回は丁寧にほぐしたつもりだけどな、実はそんなでも無いだろ?」
「…………頼みますから……ホグシタとか言わないで…」
「漏れる漏れるって喚いてたくせに」
「…………それは…俺じゃ無いです」
忘れたいのに、無かった事にしたいのに、焦げ付いたみたいに脳裏に残る情けない記憶は悶える程恥ずかしい。
やる気満々だったし、途中まではしっかりと主導権を持っていた筈なのに氷上の手は色々上手いのだ。体を交えての触れ合いは嬉しくて、楽しくて、気持ち良くて………気が付いたら腰を抱えられ、もがいていた。
その中で、よくわからない事が起こってる。
混乱の中で喚きまくった一回目とは違い、背中を伝って競り上がって来る妙な感覚に嬲られて「何かを漏らす」危機と始終戦う羽目になった。
「何が漏れんの?」
「何でしょうね」
「見たいなぁ……」はやめてくれ。
「俺は……俺が……氷上さんを抱きたいんです」
「どっちでもいいだろう」
「よく無い!」
パッと体の向きを変えると「やっとこっち向いた」と慈愛の笑みと共に、優しい抱擁に包まれた。チュッと頭に落ちて来たキスは彼氏そのものだ。
本当に何なのだ。
役柄が違う。
どう考えても違う。
まずは顔の話をしよう。
骨格や髪を取っ払い、パーツだけを考えたら氷上の顔は妙に華やかで男女共用の部類に入る。対して北見の顔は、男だからこそイケメンを自称出来るが女にしたら素っ気無くて不細工だと思う。
体付きだって折れそうな程細い氷上より、スタイル重視とは言えそれなりの細マッチョをキープしている26歳の方が「上」になる資格があると思う。
男尊女卑と言われようとも奪う方と奪われる方のバランスは体力差と体格差が決めるのが自然の摂理だ。
「こんなの絶対変です」
「泣きながら力説すんなよ、可愛いだろ、あんまり深く考えない方がいいんじゃないか?気持ちよかったら何でもいいと思うけど?」
もう一回聞かれた「気持ちよかった?」との質問には答えられない。
ヨシヨシと頭を撫でる手は同情なのか?余裕?まさかの憐み?
常日頃からカッコいいと言われる為に腐心して来た。スマートに、スクエアに、クレバーに。
そしてそれは成功していたと思う。
「酷い……」
「姫、何か飲みたい」
「……………」
突然の話題転換はもういいけど、今この状態でそれを言う?
「取りにいけと?!俺に?」
「駄目?」
素っ裸で胡座を組んだ男に可愛い我儘をお願いされても無視して当然だと思うが、バラけた前髪をピンで止め直しながらの流し目は狡い。
「行くけど……でも、氷上さんの好きな濃いお酒は香水みたいな小瓶しか無いと思いますよ」
「何でもいい」
「よく無いくせに、どうせ足りないでしょう、俺も飲みたいから薄いお酒でもいいですか?」
「そんならビールより甘い缶酎ハイがいい」
「見て来ます」
やれと言われればやってしまうのは惚れた方が負けって事だ。動かす気も無かった頭を上げてムムッと部屋を見渡した。
超えるべき山は未使用のベッド一つと1メートル程の平地だ。腹筋と背筋と股関節はもう瀕死の状態だが何とか起き上がる。
寝転んだままの氷上が丸出しの尻にキスをして来るが無視しないと進めない。タシッとベッドから下ろした足は柔らかい高野豆腐のように頼り無なかった。
まずはすぐ隣の山に手を付いた。
しかし、ここで立ち上がっては靴下とネクタイだけという変態気味の艶姿を晒してしまう。
メイクされたベッドから真新しいシーツを剥いで腰に巻き付け、何とか体面を保とうとしたが、ツルゥっと内腿を這う擽ったい感覚にギョッとした。
「ひぃ……」
「蚊?」って……違うわ。
ポンッと頭の栓が抜けた音がした。
ショックと憤りで白目を剥きそうだ。
「これは……」
まさかのまさかだ。
シーツを掴む手がワナワナと震え、立とうと試みていた足がガタガタと揺れる。
この流れの全て、何をどう受け取ればいいか迷った末、答えが出ないまま突っ立っていた憐れな思考はもう前後不覚になっている。
「氷上さん!中出ししないでください!!」
「避妊して無いのか?」
「は?」
そこはある意味万全だ。
病気は無い?
例えマメに検査をしていてもその後に不特定多数をこなせば無意味だろう。
「本当に無礼ですね、ぶち込んだまま注入したいなら結婚の約束でもしてください」
「姫ならいいけど?」
「………………何がですか?」
「ケッコンの「約束」」
「…………」
どこの誰がウスバカゲロウに結婚を迫るというのだ。社会人として、男として、人としての氷上は色々と最低らしい。冗談にしろ出来ない事を軽い調子で受け答え、そこに忘れずに「約束」を付けた。
こんな顔をしたこの人がホモでよかったと思う。
「何にしてもこれはマナーの話だと思います」
「姫が暴れるから余裕が無かったんだよ」
「暴れるでしょう!」
次からはコンドームするから?
いやいや毎回使え。
そして、次はこっちが抱くからあんたはいらない。
言いたい事は山程あるが、言っても伝わらないだろう。そして、何よりも膝の辺りまで伸びて来た疾しい汁を放置したままで虚しい言い争いなんかしてられない。
「悪いけど飲み物は後にしていいですか?先にシャワーを浴びて来ます」
「え?喉が乾いたんだけど……」
「………」
素の顔で驚く事に驚く。
「…………わかりました、ちょっと待ってください」
もうやめようと思うのに、懲りてるからやめたいのに、我ながら複雑だ。
最低な男だとわかってる。
奔放な所も、常識が薄い事も、遊びの中の1人だともわかっているのに、好きと言う感情は不思議なものだと思う。
セックスにおけるこの構図は、全く…一切…全否定をさせて貰うが、足腰が緩々になっていても、お尻が痛くても(泣)、嫌われたくないとか、喜ばせたいとか、大事にしたいとか……抱いてみたいとか、この期に及んでもまだ思ってる。
尻を押さえての内股歩きで山を越え、三歩の長道を踏破して、備え付けの冷蔵庫の前でしゃがむと再び感じた内股の脱水に、涙を堪えて缶酎ハイを投げるなんて我ながらいじらしい。
いつもそこにあるだけで注意を払う事なんか無いのに、これは無視をされた末の逆襲なのだろうか。
平坦な筈のアスファルトが跨ぐ程大きく、高く、畝って見える。
「酔ってるのか?」と氷上に聞かれた。
酔っているかどうかなんて聞かなくてもわかると思うけど「酔っています」と答えた。
ほぼ何も食べずにワインを連投、タプンタプンの腹に流し込んだビール。
更に、ヤケクソで缶酎ハイ2本。
量の問題より飲み方が悪かったのだと思う。
ただでも力の入らない足腰がフラフラと揺れていた。ただでも酒豪である氷上は薄い酒なんか水と同じなのだろう、「相変わらず弱いな」と呆れ顔をしている。
「弱く無いです、言っとくけどですね、負けてやってんですよ、あんたにも、酒にも……真柴にも」
「は?負けるのは俺だけにしろよ?」
「何でムッとするんですか」
睨むな、眩しいだろ。
滲むような薄灯が自己主張すると目が眩んでフラフラとする。「どこへ行く」と聞かれても「足の赴くまま」としか言えない。
「だから泊まろうって言ったのに」
「味気ないビジネスホテルの冷た~い部屋で目覚めるのは嫌です」
しかもベッドはシングルが2つなのだ。
別々も嫌だし同衾も嫌だ。
一緒にいたいけどいたく無い、この複雑な気持ちを誰かにわかって欲しくて、丁度隣にいた女の人に「ねえ」と同意を求めると、やめろと言って頭を叩かれた。
「どうせ料金は同じなんだから、やっぱり泊まったらよかった」
「だって、泊まったら週末が潰れるでしょう」
「大体なあ、お前そんなんで電車に乗れるのか?一人では帰れないだろう、俺ん家に来る?」
「………氷上さんの家?………その真意は?」
「そりゃもう一回…」
「無いから、無いです、無いぞ」
氷上の性的な属性はもうわかっていた。
最初の出会いで惑わされていたが、彼は「やる人」なのだ。
反対に言えばそれはどっちでもやれると言う証明でもあるが、今の状態では絶対にまた負けてしまう。ここは何とか体勢を整えてからリベンジを図りたかった。
しかし、真っ直ぐ歩くのは困難だった。
前から人が来るってわかってるのに避けられない。ごめんなさいと謝りつつ、ふらついた足がどこ行くのか制御は不能だ。もし転んだら立ち上がれないとわかるから、申し訳無いけどどこかの誰かに胸を借りようした。
すると、ポンっと肩に乗った誰かの手がグイッと押してフラつく足取りを矯正してくれた。
「危ないなあ」と笑う声に、ユラユラしながら振り返ると、白い髪をちょんまげに括った髪型をしたチャラい顔がほんの少し上から見下ろしていた。
「あれ?……」
「正男さん」と呼ぶと間髪入れずに「瓢真」と訂正して来る。どっちでもいいのに拘っているのだと思うと笑えた。
「2人で何してんの?楽しそうだな」
「物凄く微妙ですけどね、こうして横に並ぶと……背が高いんですね」
酔った頭で1番に感じた感想を言うと、白い頭が折れてぶっと吹き出し、馬鹿にしたように笑った。
そして「よう」と氷上に手を上げる。
それはいいが、上げた手の着地点がまた同じ肩だと言うのはちょっと困った。
勿論だけど氷上の返事は無い。
返事は無いが「姫」と呼んで、こっちに来いと手を振る。その前に瓢真を注意するとか助けるとかしてくれればいいのにそこはしない、あくまで自分で脱出しろと……。
社内放送で弄られた時もそうだったが瓢真はあんたのセフレだろと言いたい。
「あのですね…」
「あれ?あれ?姫の髪からめっちゃシャンプーの匂いがするんだけど?」
まだ乾ききってない髪に鼻を寄せ、クンクンと嗅いでくる第二のホモから慌てて身を引いた。
「だから…何なんですか」
風呂に入れば誰でもシャンプーの匂いくらいする。だからってどうと言う事も無いのに必要以上に狼狽した返事になったらしい。
何があったかを深読みしたのか「はは~ん」と何もかもを悟ったように顎を撫でられた。
目が合った瞬間に「どう?」と持ち掛ける文化なのだろう。
瓢真には何度も何度も誘われていたのだが、それはオネエに付き纏われているような感覚だった。しかし、今ならわかる。
フリーなセックスが当たり前な世界では誘いに乗るって事がセックスに同意したって意味になる。
つまりは男が2人で一緒にいる時点で全てお見通しらしい。
「塔矢くんは凄腕だな」と心底感心したように親指を立てた。
そこでやっとだ。
「姫の肩から手を離せ」と言ってくれた。
しかし、その後が悪い。
「こいつは見た目より初心《うぶ》なんだ、あんま耐性が無いから余計な事を言うな」
「初心なの?」
「見りゃわかるだろ、簡単に呑まれてこの様だ、結構危なっかしいだろ?」
「確かに……フラフラだな」
「酔ってるけど……」
吐いてないし、道路に寝てもいない。
それにしても2人きりじゃ無い時によく喋る氷上は初めて見た。余程旧知なのか、親密なのか……。
白いチョンマゲに抱いた悪感情が益々膨らんで来ていた。そんなタイミングで瓢真が最悪な事を言う。「姫」だからな……とは?
瓢真の言い方からするとわざわざ「姫」と言った意味は明白だ。
名前に姫という字がついている事をこんなに恥ずかしいと思ったのは初めてだと思う。
「瓢真さん、飲み過ぎたから早く帰りたいんです、何でもいいから肩を離してください」
「今日は?もう帰るの?飲みに行かない?」
「嫌です」
「そんな事言わないで」と、肩から首にニュルっと伸びて来た粘っこい手がやけにセクシャリティーで気持ち悪い。
もう帰りたかった。
洋平くんが言っていた「熟練者に見下ろされる気持ち」は十分わかった。
しかも、絶対に踏み入れたく無い分野での話だ。
早く1人になってもう一度……隅から隅まで体を洗い流したい気分なのに「ちょっと待って」と瓢真と肩を離してくれたのはいいが、氷上の2人での密談が始まった。
2人の親密度を見せつけるように、わざとらしくチラリとこっちを見た瓢真の目は嘲るようにニヤついている。様々なモヤモヤは頂点なのに見ていられない。
こっちが駄目ならあっち。
手近で口説けるなら誰でもいい。
氷上がそんな文化に身を置いている事は知っているが目の前で見せ付けられては堪らない。
もうやられてもいいから氷上をアパートに連れて帰ろうと思ったら、ドンッと瓢真の胸を押した氷上が斬り付けるような冷たい目で背の高い白髪を見上げた。
「氷上…さん?」
釣り上がった目尻が鋭く切り込んだ氷上の目は、一回嫌われたら2度と修復出来ないような印象がある。
何も言わないままで睨み付ける眼光は刺すような冷気を帯び、凶悪面の巨漢が凄むよりも怖い。
急変した空気を読んだのか、年中ふざけている印象がある瓢真らしい仕草で、触ると切れると言わんばかりに「おっと」と手を引き、降参のポーズになっている。
クルッと向きを変えて飛んで来た氷のような視線は零下になってる。
「姫」
「はい」
「帰るぞ、お前の部屋でいいな」
「……はい」
刺のある空気を纏う氷上に背中を押されては逆らえない。車道に向かった。
多分だが、残暑の残るあの日、同じ趣味とは言えお互いの役割を読み違えたからあんな事になったのだろう。
誘いの言葉を間違えたのか、ただ単に間合いが悪かったのか、しくじった事を後悔する様にポリポリと頭を搔く瓢真は完全に無視だ。
「タクシーを拾え」と低い声で言う。
あくまで自分では何もしない所があくまで「氷上」だ。
「あの……何で俺のアパートなんですか」
「あいつは俺の家を知ってんだよ」
「はあ……」
押入られる可能性があると……。
性的な好みは横に置いても氷上の住む世界はあまりに混沌としていて日本では無いような気がした。
まだ、始まってるとは言い難い今のうちに少しだけでも距離を置くべきなのだろうが……気のせいなのか……氷上の方から寄り添って来ているように感じる。
「思い上がりですよね……」
当て所のない問いだ。
返事のしようも無いだろうが、当然のように応えは無い。
それでも、タクシーの窓を見つめたままこっちを見てくれない割に、逃がさないとばかりにバックシートの上で手を握り込まれて離してくれない。
それはいいけど、部屋に付いた途端ズボンを脱ぐのはやめて欲しい。
そしてパンツ一丁にビビっていると、人のベッドを占領して先に寝てしまうのも人としてどうかと思う。
「………………………何ででしょうね」
2回目の敗北だった。
薄いシーツに包まり、丸くなっている体を抱き込まれている「男」が自分なんて変だ。どう考えても、何回考えても役違いだと思う。
氷上には背中を向けていた。
チュウチュウと裸の肩を吸われながら、咽び泣くなんて我ながら情け無いが、弄り回され、コヨリになった髪を優しく引かれても動く気は無い。
「気持ち良すぎた?」
「…………お尻が痛いです」
「そうか?今回は丁寧にほぐしたつもりだけどな、実はそんなでも無いだろ?」
「…………頼みますから……ホグシタとか言わないで…」
「漏れる漏れるって喚いてたくせに」
「…………それは…俺じゃ無いです」
忘れたいのに、無かった事にしたいのに、焦げ付いたみたいに脳裏に残る情けない記憶は悶える程恥ずかしい。
やる気満々だったし、途中まではしっかりと主導権を持っていた筈なのに氷上の手は色々上手いのだ。体を交えての触れ合いは嬉しくて、楽しくて、気持ち良くて………気が付いたら腰を抱えられ、もがいていた。
その中で、よくわからない事が起こってる。
混乱の中で喚きまくった一回目とは違い、背中を伝って競り上がって来る妙な感覚に嬲られて「何かを漏らす」危機と始終戦う羽目になった。
「何が漏れんの?」
「何でしょうね」
「見たいなぁ……」はやめてくれ。
「俺は……俺が……氷上さんを抱きたいんです」
「どっちでもいいだろう」
「よく無い!」
パッと体の向きを変えると「やっとこっち向いた」と慈愛の笑みと共に、優しい抱擁に包まれた。チュッと頭に落ちて来たキスは彼氏そのものだ。
本当に何なのだ。
役柄が違う。
どう考えても違う。
まずは顔の話をしよう。
骨格や髪を取っ払い、パーツだけを考えたら氷上の顔は妙に華やかで男女共用の部類に入る。対して北見の顔は、男だからこそイケメンを自称出来るが女にしたら素っ気無くて不細工だと思う。
体付きだって折れそうな程細い氷上より、スタイル重視とは言えそれなりの細マッチョをキープしている26歳の方が「上」になる資格があると思う。
男尊女卑と言われようとも奪う方と奪われる方のバランスは体力差と体格差が決めるのが自然の摂理だ。
「こんなの絶対変です」
「泣きながら力説すんなよ、可愛いだろ、あんまり深く考えない方がいいんじゃないか?気持ちよかったら何でもいいと思うけど?」
もう一回聞かれた「気持ちよかった?」との質問には答えられない。
ヨシヨシと頭を撫でる手は同情なのか?余裕?まさかの憐み?
常日頃からカッコいいと言われる為に腐心して来た。スマートに、スクエアに、クレバーに。
そしてそれは成功していたと思う。
「酷い……」
「姫、何か飲みたい」
「……………」
突然の話題転換はもういいけど、今この状態でそれを言う?
「取りにいけと?!俺に?」
「駄目?」
素っ裸で胡座を組んだ男に可愛い我儘をお願いされても無視して当然だと思うが、バラけた前髪をピンで止め直しながらの流し目は狡い。
「行くけど……でも、氷上さんの好きな濃いお酒は香水みたいな小瓶しか無いと思いますよ」
「何でもいい」
「よく無いくせに、どうせ足りないでしょう、俺も飲みたいから薄いお酒でもいいですか?」
「そんならビールより甘い缶酎ハイがいい」
「見て来ます」
やれと言われればやってしまうのは惚れた方が負けって事だ。動かす気も無かった頭を上げてムムッと部屋を見渡した。
超えるべき山は未使用のベッド一つと1メートル程の平地だ。腹筋と背筋と股関節はもう瀕死の状態だが何とか起き上がる。
寝転んだままの氷上が丸出しの尻にキスをして来るが無視しないと進めない。タシッとベッドから下ろした足は柔らかい高野豆腐のように頼り無なかった。
まずはすぐ隣の山に手を付いた。
しかし、ここで立ち上がっては靴下とネクタイだけという変態気味の艶姿を晒してしまう。
メイクされたベッドから真新しいシーツを剥いで腰に巻き付け、何とか体面を保とうとしたが、ツルゥっと内腿を這う擽ったい感覚にギョッとした。
「ひぃ……」
「蚊?」って……違うわ。
ポンッと頭の栓が抜けた音がした。
ショックと憤りで白目を剥きそうだ。
「これは……」
まさかのまさかだ。
シーツを掴む手がワナワナと震え、立とうと試みていた足がガタガタと揺れる。
この流れの全て、何をどう受け取ればいいか迷った末、答えが出ないまま突っ立っていた憐れな思考はもう前後不覚になっている。
「氷上さん!中出ししないでください!!」
「避妊して無いのか?」
「は?」
そこはある意味万全だ。
病気は無い?
例えマメに検査をしていてもその後に不特定多数をこなせば無意味だろう。
「本当に無礼ですね、ぶち込んだまま注入したいなら結婚の約束でもしてください」
「姫ならいいけど?」
「………………何がですか?」
「ケッコンの「約束」」
「…………」
どこの誰がウスバカゲロウに結婚を迫るというのだ。社会人として、男として、人としての氷上は色々と最低らしい。冗談にしろ出来ない事を軽い調子で受け答え、そこに忘れずに「約束」を付けた。
こんな顔をしたこの人がホモでよかったと思う。
「何にしてもこれはマナーの話だと思います」
「姫が暴れるから余裕が無かったんだよ」
「暴れるでしょう!」
次からはコンドームするから?
いやいや毎回使え。
そして、次はこっちが抱くからあんたはいらない。
言いたい事は山程あるが、言っても伝わらないだろう。そして、何よりも膝の辺りまで伸びて来た疾しい汁を放置したままで虚しい言い争いなんかしてられない。
「悪いけど飲み物は後にしていいですか?先にシャワーを浴びて来ます」
「え?喉が乾いたんだけど……」
「………」
素の顔で驚く事に驚く。
「…………わかりました、ちょっと待ってください」
もうやめようと思うのに、懲りてるからやめたいのに、我ながら複雑だ。
最低な男だとわかってる。
奔放な所も、常識が薄い事も、遊びの中の1人だともわかっているのに、好きと言う感情は不思議なものだと思う。
セックスにおけるこの構図は、全く…一切…全否定をさせて貰うが、足腰が緩々になっていても、お尻が痛くても(泣)、嫌われたくないとか、喜ばせたいとか、大事にしたいとか……抱いてみたいとか、この期に及んでもまだ思ってる。
尻を押さえての内股歩きで山を越え、三歩の長道を踏破して、備え付けの冷蔵庫の前でしゃがむと再び感じた内股の脱水に、涙を堪えて缶酎ハイを投げるなんて我ながらいじらしい。
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平坦な筈のアスファルトが跨ぐ程大きく、高く、畝って見える。
「酔ってるのか?」と氷上に聞かれた。
酔っているかどうかなんて聞かなくてもわかると思うけど「酔っています」と答えた。
ほぼ何も食べずにワインを連投、タプンタプンの腹に流し込んだビール。
更に、ヤケクソで缶酎ハイ2本。
量の問題より飲み方が悪かったのだと思う。
ただでも力の入らない足腰がフラフラと揺れていた。ただでも酒豪である氷上は薄い酒なんか水と同じなのだろう、「相変わらず弱いな」と呆れ顔をしている。
「弱く無いです、言っとくけどですね、負けてやってんですよ、あんたにも、酒にも……真柴にも」
「は?負けるのは俺だけにしろよ?」
「何でムッとするんですか」
睨むな、眩しいだろ。
滲むような薄灯が自己主張すると目が眩んでフラフラとする。「どこへ行く」と聞かれても「足の赴くまま」としか言えない。
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「どうせ料金は同じなんだから、やっぱり泊まったらよかった」
「だって、泊まったら週末が潰れるでしょう」
「大体なあ、お前そんなんで電車に乗れるのか?一人では帰れないだろう、俺ん家に来る?」
「………氷上さんの家?………その真意は?」
「そりゃもう一回…」
「無いから、無いです、無いぞ」
氷上の性的な属性はもうわかっていた。
最初の出会いで惑わされていたが、彼は「やる人」なのだ。
反対に言えばそれはどっちでもやれると言う証明でもあるが、今の状態では絶対にまた負けてしまう。ここは何とか体勢を整えてからリベンジを図りたかった。
しかし、真っ直ぐ歩くのは困難だった。
前から人が来るってわかってるのに避けられない。ごめんなさいと謝りつつ、ふらついた足がどこ行くのか制御は不能だ。もし転んだら立ち上がれないとわかるから、申し訳無いけどどこかの誰かに胸を借りようした。
すると、ポンっと肩に乗った誰かの手がグイッと押してフラつく足取りを矯正してくれた。
「危ないなあ」と笑う声に、ユラユラしながら振り返ると、白い髪をちょんまげに括った髪型をしたチャラい顔がほんの少し上から見下ろしていた。
「あれ?……」
「正男さん」と呼ぶと間髪入れずに「瓢真」と訂正して来る。どっちでもいいのに拘っているのだと思うと笑えた。
「2人で何してんの?楽しそうだな」
「物凄く微妙ですけどね、こうして横に並ぶと……背が高いんですね」
酔った頭で1番に感じた感想を言うと、白い頭が折れてぶっと吹き出し、馬鹿にしたように笑った。
そして「よう」と氷上に手を上げる。
それはいいが、上げた手の着地点がまた同じ肩だと言うのはちょっと困った。
勿論だけど氷上の返事は無い。
返事は無いが「姫」と呼んで、こっちに来いと手を振る。その前に瓢真を注意するとか助けるとかしてくれればいいのにそこはしない、あくまで自分で脱出しろと……。
社内放送で弄られた時もそうだったが瓢真はあんたのセフレだろと言いたい。
「あのですね…」
「あれ?あれ?姫の髪からめっちゃシャンプーの匂いがするんだけど?」
まだ乾ききってない髪に鼻を寄せ、クンクンと嗅いでくる第二のホモから慌てて身を引いた。
「だから…何なんですか」
風呂に入れば誰でもシャンプーの匂いくらいする。だからってどうと言う事も無いのに必要以上に狼狽した返事になったらしい。
何があったかを深読みしたのか「はは~ん」と何もかもを悟ったように顎を撫でられた。
目が合った瞬間に「どう?」と持ち掛ける文化なのだろう。
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フリーなセックスが当たり前な世界では誘いに乗るって事がセックスに同意したって意味になる。
つまりは男が2人で一緒にいる時点で全てお見通しらしい。
「塔矢くんは凄腕だな」と心底感心したように親指を立てた。
そこでやっとだ。
「姫の肩から手を離せ」と言ってくれた。
しかし、その後が悪い。
「こいつは見た目より初心《うぶ》なんだ、あんま耐性が無いから余計な事を言うな」
「初心なの?」
「見りゃわかるだろ、簡単に呑まれてこの様だ、結構危なっかしいだろ?」
「確かに……フラフラだな」
「酔ってるけど……」
吐いてないし、道路に寝てもいない。
それにしても2人きりじゃ無い時によく喋る氷上は初めて見た。余程旧知なのか、親密なのか……。
白いチョンマゲに抱いた悪感情が益々膨らんで来ていた。そんなタイミングで瓢真が最悪な事を言う。「姫」だからな……とは?
瓢真の言い方からするとわざわざ「姫」と言った意味は明白だ。
名前に姫という字がついている事をこんなに恥ずかしいと思ったのは初めてだと思う。
「瓢真さん、飲み過ぎたから早く帰りたいんです、何でもいいから肩を離してください」
「今日は?もう帰るの?飲みに行かない?」
「嫌です」
「そんな事言わないで」と、肩から首にニュルっと伸びて来た粘っこい手がやけにセクシャリティーで気持ち悪い。
もう帰りたかった。
洋平くんが言っていた「熟練者に見下ろされる気持ち」は十分わかった。
しかも、絶対に踏み入れたく無い分野での話だ。
早く1人になってもう一度……隅から隅まで体を洗い流したい気分なのに「ちょっと待って」と瓢真と肩を離してくれたのはいいが、氷上の2人での密談が始まった。
2人の親密度を見せつけるように、わざとらしくチラリとこっちを見た瓢真の目は嘲るようにニヤついている。様々なモヤモヤは頂点なのに見ていられない。
こっちが駄目ならあっち。
手近で口説けるなら誰でもいい。
氷上がそんな文化に身を置いている事は知っているが目の前で見せ付けられては堪らない。
もうやられてもいいから氷上をアパートに連れて帰ろうと思ったら、ドンッと瓢真の胸を押した氷上が斬り付けるような冷たい目で背の高い白髪を見上げた。
「氷上…さん?」
釣り上がった目尻が鋭く切り込んだ氷上の目は、一回嫌われたら2度と修復出来ないような印象がある。
何も言わないままで睨み付ける眼光は刺すような冷気を帯び、凶悪面の巨漢が凄むよりも怖い。
急変した空気を読んだのか、年中ふざけている印象がある瓢真らしい仕草で、触ると切れると言わんばかりに「おっと」と手を引き、降参のポーズになっている。
クルッと向きを変えて飛んで来た氷のような視線は零下になってる。
「姫」
「はい」
「帰るぞ、お前の部屋でいいな」
「……はい」
刺のある空気を纏う氷上に背中を押されては逆らえない。車道に向かった。
多分だが、残暑の残るあの日、同じ趣味とは言えお互いの役割を読み違えたからあんな事になったのだろう。
誘いの言葉を間違えたのか、ただ単に間合いが悪かったのか、しくじった事を後悔する様にポリポリと頭を搔く瓢真は完全に無視だ。
「タクシーを拾え」と低い声で言う。
あくまで自分では何もしない所があくまで「氷上」だ。
「あの……何で俺のアパートなんですか」
「あいつは俺の家を知ってんだよ」
「はあ……」
押入られる可能性があると……。
性的な好みは横に置いても氷上の住む世界はあまりに混沌としていて日本では無いような気がした。
まだ、始まってるとは言い難い今のうちに少しだけでも距離を置くべきなのだろうが……気のせいなのか……氷上の方から寄り添って来ているように感じる。
「思い上がりですよね……」
当て所のない問いだ。
返事のしようも無いだろうが、当然のように応えは無い。
それでも、タクシーの窓を見つめたままこっちを見てくれない割に、逃がさないとばかりにバックシートの上で手を握り込まれて離してくれない。
それはいいけど、部屋に付いた途端ズボンを脱ぐのはやめて欲しい。
そしてパンツ一丁にビビっていると、人のベッドを占領して先に寝てしまうのも人としてどうかと思う。
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※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
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よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
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