北を見るフェイト

ろくろくろく

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混沌に引きずり込む罠

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「ひ…かみさん?」

何故、どうして、いつから、いつの間に背負っていたのか。
もう既に料理の並ぶテーブルは8席しか無く、当然のように空席は一つしか無い。
つまり氷上は突然の乱入者って事なのだが、一言の挨拶も無いまま隣のテーブルから椅子を引き寄せ、ドカッと腰を下ろしてしまった。

「あ、あの、あの、すいません、この人は私と同じ部署に勤めるチーフデザイナーの氷上です、浅井ファイナンスのHPや会社案内をデザインしたのもご挨拶したいと同行しました」
「そうなんですか?凄いですね」
「我が社のエースなんで…、まあそれは関係無いけど……とにかくよろしくお願いします」

冷や汗物のフォローだった。
勝手に来たくせに氷上は愛想の一つもしない。

無理矢理な紹介だったのはわかるだろう、頼むから!せめて頭を下げるとかして欲しいのに、氷上はいつもの如くぶっきら棒を貫き、誰とも目を合わさず知らん顔を決め込んでいる。

しかし、前髪を上げた氷上は誰の目から見ても印象的なのだろう、絵の中に写真が混ざっているよう…とでも言えばいいのか、注目度は高いのにいつもより数倍増しで態度が悪い。 
通常程度の愛想を期待する程能天気では無いが、突き放すような目の色を見ると軽く声を掛けられる雰囲気は無いのだ。

「連絡も無しにすいません、多少……かなりの人見知りなのでご容赦を」
「大丈夫ですよ」
「本当にすいません」

元々はただの心構えだったのに、氷上が参加して来た事で突然「仕事度」が増した。
爽やかな営業スマイルで浅く広く害のない話題で………つまりはテキトーに乗り切ろうと思っていたのにとんだお荷物を抱えてる。
何をしに来たのか、何故混ざってるのか、どう見ても浮いているのに「どうぞ」と差し出されたワイングラスは綺麗に無視してカルーアミルクを頼む無神経さは何なのだ。

フォローに回ろうにも冷たい色を称えた吊り目は零下を超え、氷上を「よくよく」知っていても怖いくらいだった。
冷や汗をかきながら楽しい空気を乱さないようあっちにもこっちにも気を使い、我慢に我慢を重ねてタイムアップの2時間を乗り切った。

時間制限を設けている人気店で無ければ途中で白目を剥いて倒れていたと思う。
明らかな社交辞令だった二次会の誘いを断った後、ホッとしたのはあっちもこっちも同等だった筈だ。
「また今度」と連れ立って行ってしまう7人の背中を見送ると、溜めに溜めた怒りが爆発したのは当然だと思う。

「あんた何なんですか!」
「何って何が」

シラーとした氷上の受け答えはこっちの気苦労をまるでわかってなかった。

「今頃返事ですか、いいご身分ですね、喋りたい時だけ喋ればいいと?」
「いいんじゃないか?」
「馬鹿言わないでください!そんなんでよく大人を名乗れますね!あんたはよくても俺は困るんです、何の嫌がらせですか!どんだけ俺が冷や冷やしたかわかります?!」
「冷や冷やって?何でだよ」
「……あのねぇ」

あそこまで居心地の悪い席は未だかつて経験してない。さり気無いフォローでは追い付かず、気を使いまくったが、他の参加者もまた気を使っていた。

空気を読めと言っても多少の孤立なんか物ともしないこの肉食ウスバカゲロウにどう言えば伝わるのか。それはアナログな80歳にコーディングの説明をするより難しい。
「飲み足りねえな」と素の顔で空を見上げてる氷上にグッタリと項垂れた。

「飲み足りないなら……どこかに行きますか?」
「いや、俺は帰る」
「は?」

何だそりゃ

「帰るんですか?」

聞いてるのに返事をしないでクルリと背中を向ける。「帰るのか」と聞いたのは帰るか帰らないか確認では無く、どうして、何故、何をしに来たという疑問を総合した問い掛けなのだが「じゃあ」とか「また」とか軽い社交辞令も言えない奴に何を求めても無駄らしい。

「帰るか……」

最寄りの駅の方に歩き掛けてからハタと足を止めた。そう言えば氷上の家がどこなのか知らない無いままだ。嫌な予感しかしない氷上の部屋になど立ち入る勇気は無いから、知ったからってどうするつもりも無いが、会社の前で「あっち」と指差した方角は北見のアパートは真逆だった。
しかし、電車で帰るならホームが反対でも駅は同じ筈だ。

電車に乗るつもりが無いのならこの後どうするつもりなのかと、氷上が行ってしまった方に目をやると、行き交う人波の中でヒョロリとした細長い背中は目立った。すれ違い様に振り返る人もいる。

ヤリチンのウスバカゲロウである中身は見えないからだろう。

合コンに来ていた女の子達は皆それなりに可愛かった。勿論北見だって「男」なのだから(強調)可愛い女の子に興味はあるが、自己紹介から始まる集まりではついついメリットだけを探してしまう。その為か、顔の造作などにあまり注意払わないのだが、そんな中でも前髪は上げた氷上は浮き立って見えた。

「いや……正真正銘浮いてはいたけど…」

一言も話さず、相槌を打つ気配すら見せなかったのだから浮いて当然なのだが、表情の無い冷たい目をした氷上は薄ぼんやりと発光しているようだった。

「やっぱり月を思い出すなあ」

場を保たす為に高速で飲んでいたワインのせいで少しばかり酔っているのだろう、「やられてしまう」なんてとんでもないハプニング(?)があったのに、氷上の後を追ってしまった。


「氷上さん、待ってください」

ダランと手を垂らしたまま、浮いて移動しているんじゃないかと思う氷上の歩き方は独特だ。
呼び止めると体はそのまんまで首だけをひょこっとのけ反り、後ろに折る。そのポーズはカッコいいが、首だけがポロンと落ちやしないかとホラーな事を考えた。

「そこまで動くのが嫌なんですか?」
「何?お誘い?」

「………バーか居酒屋に…ですけどね」
「足りない?」

意味ありげにニヤリと笑った氷上の目は全てを見透かしているようだった。
「正解です」と白旗を上げそうになったが、内心はともかく上っ面のポーカーフェイスは営業で鍛えている。余裕がある振りでニヤリと笑い返した。

「足りないのは氷上さんでしょう、焼酎?ウイスキー?それともカルーアミルクの飲める店がいいですか?」
「煩え店がいい」
「煩い?」

氷上のイメージにそぐわない変な注文を出してくる。煩いとはザワザワと人の話し声が煩いって意味か、いらっしゃい!とかお待ち!とか元気な店員が五月蝿いって意味か、はたまたクラブ系か計りかねていると「そこは?」と氷上が指を差した。

「そこ」は大きなビルとビルの隙間に無理矢理嵌め込んだような細い間口の店だった。
まるで他の店の通用口みたいだ。
窓は無く質素なドアにはジャズクラフトと書いた木の看板が付いてる。

「ジャズ?氷上さんにはそんな趣味があるんですか?意外ですね」
「趣味ってか、嬲られるのは好きかな」

「……出来ればでいいんですが主語に「音」にって付けてもらえませんかね」

嬲ったくせにとは口が裂けても言えないが、いいも悪いも無く、「生演奏中」と書かれたスタンド看板を細長い足でヒョイと跨いだ氷上が、とても入りにくそうな店のドアを開けた。

途端、ワッと押しせてくる音の洪水に圧倒された。確かに煩いが、考えていた「煩い店」とは意味合いが違う。
見知らぬ世界に及び腰になっていると「来い」と手を振られて氷上の後をオドオドと付いていった。


店の中に足を踏み入れると音の洪水は益々威力を増して腹の底を揺さぶって来る。
奥に向かって伸びているカウンターの中から人の良さそうな髭面が温厚なそうな笑顔を浮かべてコクンと頷く。
声を出しても聞こえないからだと思うが、余所者扱いをされるのでは無いかと不安に思っていたからホッとした。

「何飲む?!!」

誰もいないカウンターの一番端に座った氷上が座れと隣を叩き、怒鳴った。

「ビール」と答えると髭面店主は口を読んでくれたのだろう、「2?」と指で返してきたから氷上を見ると「うん」と頷いた。

ジャズクラフトはバーと言うより極小ライブハウスと言ってもいい店だった。

奥に向かって細長い店の作りは入ってすぐ左側にカウンターが4つ、その奥にキャンプ用品に見えるテーブルが二つ、その奥が演奏スペースになっている。ステージは無く左側にドラム、右側にアップライトのピアノ、その前にベースやサックスが立って生演奏をしていた。

ブラシが産む独特のリズムを刻むドラム、跳ねるピアノ、派手なベースにフルパワーのサックス。
あまりにも近いから体を揺さぶるような音は物理的な力を持ち、ダイレクトに伝わって来る。

「演奏はご自由に」と張り紙がある所と、ステージ前のキャンプ椅子やテーブルに鞄や上着が置いてあるところを見ると、どうやら演奏しているのは客らしい。
年齢層は高めだが、ドラムを叩いているのは公務員になったのび太のようで、中途半端なスーツを着ている。ピアノは頭にバンダナを巻いた中年女性。ベースとサックスは中堅会社の部長と課長と言った風体だ。
難しそうなジャズなど聞いた事も無く、演奏レベルは分からないが、偶然集まった素人とは思え無い。

「凄い迫力ですね」
「感じる?」
「言い方がイヤらしいですけど嬲られますね」

うるさいのに不快じゃない。
音のバリアに守られているような気がして安心感さえ生まれる。 

「こうゆうの好きなんですか?」
「結構好きかな」

洪水のように被さって来る音が狭い店を占領していた。会話の為に顔を寄せていると、チュッと頭に口を付けられた。

「ちょっと!」

こんな場所で何をするんだと文句を言い掛けると、まるで押さえ付けるようにドンっと頭に乗り、ヌーっと立ち上がる。

暗い店の中で氷上独特の眼力は意味を成さないだろうが、何がしたいとか、どんなつもりなのか、行動の読めない氷上だ、「トイレですか?」と聞いてみたけど……
無視ですね。

ズカズカと店の奥に向かって行くから何をする気なのかと思ったらそのまま演奏中のピアノの横まで行ってしまった。
近くで見てみたい気持ちはちょっとわかるけど、本日2回目の「空気を読まない」氷上が発動している。
1軒目に引き続き再びゴリゴリと神経を削られる羽目になろうとは思いもよらない、一瞬……逃げる事を考えた。
しかし、自分の意思では無いとは言え、持ち込んだ異物に責任を持たなければ大人じゃ無い。
どうすればいいのか…捕獲するにも迷惑が掛かる。臨戦に備え、背の高いスツールから腰を浮かせていると、もっと思いもよらぬ事が起こった。

ピアノを弾いている女の人の横に並んだ氷上が鍵盤に手を置いてリズムに乗った和音を加えた。
すると女の人もさっと横にズレて氷上との連弾が始まった。

「え?え?氷上さんがピアノ?」

全くイメージに無いのは、多少見知った中での完全なる決めつけだが、デザイン以外は何も出来ない人だと思ってた。
生演奏を楽しんでいた他のメンバーは、断りも無かった突然の乱入者に気を悪くする所か、歓迎ムードが溢れている。


呆気に取られているうちに片手が両手になってる。そして、合計4つの手が奏でるピアノが存在感を増して来ると、真ん中でリードしていたサックスが演奏をやめ、ドラムもベースも音を止め、
まるで打ち合わせをしていたように連弾ピアノのソロになった。

ちょっと……かなり……物凄くビックリした。
メロディは無いのに、雑に叩いているだけなのに、音が紡がれて行く。
氷上の手は滑るように鍵盤を動き、ちょっと齧っただけの素人には見えない。

しかも氷上が笑っているのだ。
面白い事があったから笑う笑顔では無い、心が笑っている顔とでも言えばいいのか、口角が上がっているわけじゃ無いのに笑って見える。

「凄い……」

激しいピアノセッションを聞き惚れていると、無秩序だった筈の音に知っているメロディが混ざって来た。

「これは………」

それはOver the rainbowだった。
古い映画の挿入歌を派手なアレンジで跳ねて飛んで、そして当然のテンポチェンジだ。
いつの間にか頭にバンダナを巻いた女の人はピアノを譲り氷上1人になっている。
しっとりと歌い上げるような、確認するようなOver the rainbowのサビは美しかった。
そこにドラムのブラシが静かに加わると、音数を控えたベースがスッと寄り添う。
打ち合わせなんか無い。
それぞれが好きに参加しているらしいがちゃんとセッションになっている。

ビールの泡が消えて無くなっているなんて気が付きもしなかった。
氷上は鍵盤を見ていない。
丸めた背中はMacに向かう時と同じだった。
手を机に置いているポーズも同じだが、肩の力はゼロ。覇気もなければ気負いもやる気も無いスタイル。
しかしほのかに発光しているように感じるのも同じだ。細く細く痩せ細った三日月がこんな所にもいた。

同じフレーズが繰り返されるうちにどんどんテンポが速くなって来る。
どんどん派手になって来る。
そのうちに我こそとばかりに入って来た管楽器はいつの間にかカウンターを出た髭店主だ。
そこに休んでいたサックスが加わると攻守交代になり、大音量のアンアンブルは劇的に終息を迎えた。

「凄い!」

思わず立ち上がって拍手をした。
観客は1人っきりだが構わない。
演奏組の弾ける笑顔は充実に満ちていた。
間髪入れずに始まった、静かな(比較的)ベースのソロにもう一曲演るのかと思ったら、挨拶は勿論、目配せさえせずに氷上がカウンター席に戻ってきた。

「凄いですね」と言うつもりだった。
氷上がピアノを弾くなんて知らなかったし、その技量に驚きもしていていたが、今はとにかく即興で奏でられた音楽の威力に感動していた。
しかし、湧き立つ心の高揚を一言で表現出来る言葉が思い浮かばない。
何か言いたいのに言えなくてひたすら拍手をしていると、ニュッと斜めに伸びて来た氷上の顔がチョンと唇に乗った。
そしてゼロの距離で月の目が撓む。
それは「どう?」と隠し持っていた特技を鼓舞するものでは無く、心から楽しんでいるとわかった。

見えない手が心をギュッと掴む。
意図して陥れられたのだと頭ではわかっているのに落ちてもいいと思った。
泡の無いビールに手を伸びた手を押さえ、首を引き寄せた。
始まりかけていた演奏がピタリと止んだが、もう誰に見られても良かった。

舌を絡め、舐め合い犯し合う。
性行為そのものと言ってもいい官能的な深いキスは音楽で震えた頭の芯に快楽を伴う麻酔をかけて行く。

足を割ってスツールに乗っている氷上の膝は意図しているのか…欲情を煽るようにグイグイと押して来る。ジャケットの中を這い回る氷上の手はまるで心の温度を確かめているようだった。
瞬きをしない釣り上がったは目にはいつもと変わらず表情は薄いのに、欲情が溶けて混ざって見える。

キスは終わらない、終えられない。
いつの間にか新たな演奏が始まっていた。
お互いを貪るような濃厚なキスはスローテンポのバラードに包み込まれ、2人っきりの空間に放り出されたのかと錯覚する。

永遠にこのままでもいいなんて、我ながら青い事を考えているとチュッと唇を引いた氷上が耳の下に吸い付いた。
絶対に痕が残る強さだ。
もう硬く張り詰めた下半身が破裂しそうになった。

そして「行く?」と聞く。
どことも氷上は言わないが行くだろう。
もう氷上が男であるなんて障害は指で摘める程小さくなっている。
ち◯毛や男性器にビビった前回とは違う、お札を2枚カウンターに置いてジャズクラフトを出た。

もう何度も、何度も奔放な氷上に懲りている筈だった。

何の断りも入れずにキスをされた時にも、誰でもいいと……誘われれば誰とでも寝ると知った時も、有り得ない場所でいかがわしい交わりを見た時も………やるつもりがやられた時も、何度も距離を置こうとした。

しかし、好きって感情は思いのままにならないものだ。必死で否定しても心が勝手に動いて氷上を追ってしまう。
言い過ぎだけど運命のように思えた。

名前の通り、北を見る性質が美しく聳え立つ氷の山を見上げるのは、もう決まったフェイトなのだ。

細い肩を抱き込み、ホテルを探す余裕の無い姿は残暑の酷いあの日に見た忘れられない光景とまるで同じだった。
しかし、お洒落な繁華街にはラブホテルなんか見当たらず、滅多に来ない街だから裏がどうなっているかなんて知らない。
手近にあったビジネスホテルに雪崩れ込み、簡素なシングルベッドにドタドタと倒れ込んだ。





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