北を見るフェイト

ろくろくろく

文字の大きさ
上 下
26 / 81

深夜ってこうなるよな?

しおりを挟む
カチカチと幾つものクリック音が重なっている。
作業が始まって5時間程経っていた。
シャカシャカと独特の音漏れは森上のイヤホンから聞こえて来るのだと思う。誰も、何も、一言も話さない。

初めは6人だったが空いているMacにカタログ部に残っていた派遣さんが加わり、今は8人がデザイン部に詰めている。
勿論、林課長率いるカタログ部も残ってた人員がある程度分担しているから、納期に間に合う可能性は高くなっていると思う。

そんな中、唐突だった。「Uber eatsって何時までやっているのか」との村井の囁きに、全員の張り詰めていた我慢の糸がブツンと切れた。

「腹減った!!」
「シェラスコを串ごと食べたい!」
「ケチを言うな!牛まるごとだ!」
「カンジャンケジャンプラス白飯!」

勿論北見も参加した。

「俺はタン塩!」
「馬鹿言え!ここは脂の滴る骨付きカルビだ!」
「違う!今はタン塩だ!今更タン塩だ!」

昼間にその話題が出たからか、何故かタン塩だった。塩タンが食べたい。カルビでもなく、ロースでもなく、塩タンを大量に焼いてフグのテッサのように数枚掬い取って纏めて食べたい。

時計を見ると今は午前1時だ。
深夜によくあるナチュラルハイに入っているのだと思う。焼き肉屋なら2時頃まで営業している店がどこかにあるはずだと本気で考えた。

「買いに行ってもいいですか?!冷めててもいいですよね」
「冷めてる焼き肉なんか犬の餌よ!」
牛タンにするなら、せめてカセットコンロとフライパンを持って来いと喚いたのは田淵さんだ。
生肉と料理道具を揃えろたって、深夜だからこそ食べ物に困っているのに難題を持ちかけて来る。
本来ならコンビニでいいのに妥協案は出て来ない。それぞれが思い浮かべ、どれも入手困難な食べ物が次々と湧いて出て来る。

「何を選ぶにしろ冷めるのは仕方ないです、そんなら牛タンでもいい!ねえ?!氷上さん!」

氷上の同意を得たら牛タンに決まると思った。
返事が無いから、もう一回「ねえ!」と強引に迫ろうとした。

「……って…あれ?氷上さん?」

いつ席を立ったのか全く気付いて無かったが、ずっと隣にいたはずの氷上がいない。
どこかに行ったのかと部屋を見回すとらまるで隠れるように本棚の隅にしゃがみ込んで電話をしていた。

電話なのだから当たり前だと言えば当たり前だけど、普通に話す氷上に驚いた。片方だけ立てた膝に肘を付いて髪を掻き上げてるせいで露になっている目が笑っている。

こんな夜中に誰と何を話しているのかが気になってボソボソと動く口を読もうとしてしまう。
当然そんな妙技は持ってないから何も読み取れないでいると通話を切ったらしい、顔を上げた氷上と目が合って(多分)慌ててMacのモニターに向き直った。


「なあ姫、タン塩じゃなくてもいいか?」
「はい?」

少し掠れた氷上の声が聞こえると、何故か全員が注視する。

「どういう事ですか?」
「だから食べる物があれば何でもいいかって聞いてんだ。」
「え?それって氷上さんが何かを買いに行くって意味ですか?それなら俺が行った方がいいんじゃないかな」

手が足りないこの時間。
戦力としての比較を考えるのは勿論だが、その他諸々氷上独特の事情を考慮すると買い出しの代表者には甚だ不適任に思えた。
他のメンバーも不安そうな顔をしている。(信用ゼロ)

「絶対に俺の方が速いし……その、色々的確だと思いますけど」
「出るついでがあるから俺が行く、それに姫に任せた首切りは全工程の1番始めの作業だから先んじて進めなきゃ駄目だぞ」
「それはそうなんですけど…」

それならまだ済んでない画像処理を氷上が引き継いだ方が余程効率がいいと思う。
それに、今は夜中の1時なのに「ついで」って何なのだ。
疲れているのかいつもより薄さを増した氷上はまだ結論は出ていないのに、風に流されたようにふらっと出て行く。
 
食べ物の心配をするなら「俺が行く」と強引に出ればいい。
普通なら誰だって気になるのだから、どこに行くのか、何の「ついで」なのか聞きたければ聞けばいい。

それでも、ドアの向こうに消えていく覇気の無い背中を見送った。

心配って程では無いが……
何故なのだろうか。
後をついて行きたい衝動が湧いた。
しおりを挟む

処理中です...