月のカタチ空の色

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球技大会2

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立派な割にセキュリティーのないエントランスはフリーで通れる、エレベーターに乗って五階にある清宮の部屋まで来た。


インターフォンを押したが………

返事がない


……もう一回……

暫く間をおいて、ドアの内側からカチンッと鍵が開く音がした。

ほんのちょっとだけ開いたドアからチロンと片目だけ出した清宮は、中山じゃないが警戒した猫のようだった

「何?」

………覚悟はしていたが

やっぱり不機嫌……


「怪我の手当をしに来ました。一人じゃできないでしょう?」

「いらない……」

「冷やしうどん食べる約束は?ビールも買ってきましたよ」

ドアのノブを引っ張ると、眉をへの字に曲げブスッとした清宮がそれでもドアから体を避けてくれた、どうやら入ってもいいらしい、玄関先には仕事で使っているいつもの鞄が投げ出され携帯がはみ出ていた。

やっぱり…とため息が出た。

電話をかけても無駄だとやめたのは正解……うっかり踏んでしまいそうな携帯を鞄に戻し、キッチンカウンターの隅に置き直しておいた。

清宮の部屋はワンムールだがかなり広い

結構な広さがあるアイランドキッチンのカウンターが大きく張り出している割にリビングスペースは八畳くらいある。クローゼットは一部屋と言えるくらい大きい、駅前という立地を考えても豪華な作りの部屋は今の給料で家賃を賄えるとは思えないがそこは謎だった。

カウンターの前に置いてあるシンプルな机にWindowsとMacが並び、部屋の真ん中に小さなテーブルがちょこんと浮いている、後はベッドだけ………白を基調としたコーディネイトは清宮にピッタリと言うかイメージ通りと言うかよく似合ってるが、装飾と言えるものはベランダへの窓際に突っ立っている間接照明のライトだけだ。



「まだ風呂に入ってませんよね、お湯を入れてきましょうか?」

清宮は汗に濡れたポロシャツのままで肩からは汗で広がった血が滲んでいる


「いいよ……シャワーだけでいい」

「じゃあさっさと浴びてきてください、俺は食べ物用意するんで」

「いらないって言ってるだろう」

ぶっきらぼうに答えた清宮の眉はへの字に曲り表情が戻ってる。

「でも昼から何も食べてないでしょう」

「いらないから………お前は食べたかったら食べろよ」

「いや…俺は…」
 

……お前………


お前お呼ばれて嬉しいなんて馬鹿みたいだが胸の中がホワンと暖かくなった

ブツブツ文句を言う不機嫌な顔も冷たい目をした無表情なさっきまでの清宮よりずっといい

清宮がシャワーを浴びている間にコンビニで買った冷やしうどんをリビングのテーブルに並べながら何をウキウキしているんだかいつの間にか顔が笑ってしまっていた



白いTシャツに細いグレーのスエット姿でシャワーから出てきた清宮はまだ濡れた髪から雫を滴らせている

髪を拭くとか乾かすなんて当たり前のスキルはないらしい



「手当てをしますから座ってください」

消毒薬と絆創膏は美咲達に見られないようにそっとデザイン部の薬箱から持ってきていた


「……もう………お節介だな」

「お節介?……ですかね……」

自慢じゃないが冷たいと言われた事はあってもお節介と言われた事なんか一回もない

清宮の為なら何でも出来る……なんて我ながら無節操だが構いたくて仕方がないのだ

「いいから、ここに来てください」

ベージュのラグに座って床をポンポンと叩くと嫌そうに背中を向けてドサッと腰を下ろした

予想外と言うか……何も考えてなかった。
座るなりポロシャツを脱いでポイッと投げ捨てられギョッとした

それはそうだろう、肩の傷を手当てするには首や袖をまくってもやりにくいし…届かない

「うわあ、痛そう…」

やっとの事で普通の声を絞り出し、平静を装ったが我ながら上手くいってない、下手くそな俳優が台詞を棒読みしたみたいだ

消毒薬をテッシュに含ませようとしていた手が止まり、ドボドボ手の中に溢れていた、ティッシュは潤いタップリ……掌で消毒薬にテッシュが溺れてる

ボトルに戻す訳にもいかず、ボタボタラグに落ちて行くが少なくとも汚くはない…筈
……消毒薬だし

「……冷たいですよ……しみるかもしれないけどちょっとだけ我慢してくださいね」

初めて見る背中は白い、もっと痩せている印象だったが綺麗に締まっている

    

肩に出来た傷は清宮の体重と反動をそこで全て受け、擦り傷と言っても相当深い、肘から下も広く傷が出来ていた

ガーゼに消毒薬を染み込ませそっと傷に当るとビクッと清宮の体が跳ねた

多過ぎる消毒薬は肩に乗せた途端ツイーっと肌を流れ落ち、脇の下に回り込んだり背中を伝って肌の凹凸を撫で、頼りなく腰骨で止まっているだけのスエットズボンの中に伝い落ちて行く

「わ………わ…」

好奇心たっぷりの水滴を追って必死に食い止めた



「……痛いな…何やってんだよ」

モゾリと体を捩らせた背中で、背骨と肩甲骨が生々しく動き息が詰まりそうになった

男相手にドキマギしているなんて意識し過ぎなんだと分かっているが清宮に悟られないようにするだけで精一杯。落ち着け…と肺の中に溜まった戸惑いをゆっくり全部吐き出した


「……ちゃんと消毒しないとジクジクした傷なんでほっとくと膿ますよ、我慢してください」

「今まであんまり痛くなかったのにお前のせいで痛くなったじゃないか」

「俺のせいじゃありません、強いて言えば消毒薬が悪いんです」

「そこは普通に別の奴が悪くないか?」

今日は話題にするまい、そう思って避けていた球技大会の話題をふってきた


聞いてもいいだろうか

何があったか…何を言われたのか……

肩に大き目の絆創膏を貼り、肘の消毒薬にかかった


「何があったんですか?」

「………ボール持ってない時にタックルされたら……腹が立つだろう……」

「そう……ですよね」


違う

多分違う

あの時清宮は静かだった。
怒ると言うよりはある意味残虐な感情

相手に遠慮しない…そう来るんならボコる

たががスポーツ、しかも社内イベントでオーバーだが…

冷たい感情と心を研ぎ澄ましている感じだった

肩を震わせ息が上がるほど興奮していたあの時…………黒川が何か言ったからだ。

「びっくりするほど吹っ飛んでましたからね」

清宮が振り返って嫌な顔をした


「思い出したらまたムカつくからやめろ」

「あんなにデカい相手に平気で手を上げようとするなんてビックリさせないでくださいよ」

「俺の相手はもっとデカかったんだよ」

「え?相手って?」

「……何でもない…痛いんだけど…」

「肩は終わりました、後は腕……」

肘から下はザァと擦れた広い傷になって幾つもの筋からポツポツと血の塊が浮いてもう乾いていた。

清宮が話す気がないならこれ以上は聞けない、何を言われたのかはわからないが殴りかかるなんて余程だろう……

会話に気を取られ落ち着いていたのにハッと気付くと屈んでいたせいで清宮の背中が目の前……ヒュっと漏れてしまった鼻息がかかる……
 
浮いたスエットズボンから下着のゴムが覗き見え、その深層に……綺麗な背骨が伸びている

手が止まってしまった

ズクンと……体の奥が重くなったのを感じて慌てて目を逸らせた

相手は男だ
心の表面では否定している

しかし自覚はある、自分はどうしたいのか………


「春人さん、腕の傷は絆創膏じゃ小さいんです、ガーゼを当てましょうか?」

「……いらない、すぐに乾くだろう」

「そうですね………」

肘を裏返して傷を確かめる清宮のズボンが腰を捩ったせいで余計に捲れ隙間が広がった

薬を片付ける振りをして玄関近くに置いた鞄まで逃げだした

今日は帰れと理性が命令してくる


「神崎、やっぱりこれ食べていいか?」

「その為に買ってきたんです、あ、ビールはちょっと食べてからにしてください」

聞く気もないのだろう、プシュとビールのタブを引き上げ一気に喉を鳴らした

「お前も座れよ、食べてないだろう」

「いや、一応俺は食べてますよ、宴会用のツマミが山程あったし」

…理性奮闘中……さっさと帰れ


「いや、神崎は何も食べてないし飲んでない、見えてた」

「え?見えてたって…………」


あの球技大会での躍進は運動能力だけではないだろう、ソフトにプレイしていた時も恐ろしいほど集中していた

応援団の方をチラリとも見ていない

瞬きも忘れてガン見していたので自信がある



…………見えてた

清宮は何も考えてないのはわかっているのに……


理性惨敗


ビールを開けた。




意味もなく清宮から離れて座り、飲み込む勢いでうどんを啜り上げるとツルンと跳ねて顔を殴打された。

うどんの出汁で髪を濡らすなんて間抜けもいいとこ……清宮から見えないようにゴシゴシ腕で拭き取った。


「何してんの?」

「何でもないです、美味しいですね」

「うん………なあ、照明変えてもいいか?」

「え?どういう意味ですか?」

聞き返した途端意味が分かった。
 
「あの隅っこに立ってるやつですか?」

「うん、そこのリモコン取って」

「え?これですか?……」

「いいから」

足元に転がっていたリモコンはどう見てもエアコン用だがなんでもいい、それよりも明るい電灯を消して間接照明になると部屋が物凄くムーディーになったりしないかの方が心配になった


「あ、間違えた、こっちだ」

清宮はキョロキョロと部屋を見回しベッドの上にあったリモコンに持ち替えて照明を切り替えた、天井の照明とスタンド……両方使えるらしい

「春人さん……これ間違えるなんて見えてないんですか?」

ずいぶんサイズの違うリモコン二つを見比べると普通は間違えようもない、日常では視力に不自由があるようには見えない

「見えない事もないけど…見えてない時もある」

「普段はコンタクト?」

「いや?何もしてない、別に不自由ない」

いや、不自由だろう、聞けば0.6位だと言う。どおりでいつも目が潤んでる

「明るいのは目がきつくてさ、一日中パソコン見てるし」

「パソコン用の眼鏡した方がいいんじゃないですか?俺2つ持ってますから使いますか?」

「やだよ、眼鏡とか時計とかアクセサリーとかこの辺でじゃらっとするものは嫌いなんだよ」

清宮はクシャッと眉を縮めて二本目のビールを開けた、あっと思ったがよく考えたらここは清宮の部屋だ、吐こうが寝ようが構わない


スタンドライトは天井を照らし上品な間接照明の光はさっきよりムーディーだと言えばそうだが、思ったより明るく暖かく部屋を包んでいる

ベッドに凭れてチーズクラッカーを摘む清宮は気を張っている会社とは違い柔らかくて素に見える




「何だよ、ニヤニヤして…」

笑っている自覚は全くなかったが口元に手をやると確かに笑っていた

「いや……、今日は始めて見る春人さんがいっぱいだなって思って……」

「初めて見るって何?」

「怒鳴るしバスケするし…殴りかかるし…」

「…変なラインナップだな…それのどこが面白いんだよ…」

「あんなに沸点が低いなんて思いませんでした」

チロリと上目遣いで睨んだ目は赤く充血している、たった一本とちょっとで酔えるなんて省エネで羨ましいが目を離すとまた眠ってしまいそうだ

「……次は絶対蹴る」

「は?反省してるのかと思いました」

「試合中なら誰も止められないだろ」

「やめてくださいね」

「なんで?コートの外じゃ怒られるけど中だったらただの反則じゃないか、試合中ならフリースロー一本だ」

「ウェイトが違うでしょう?絶対負けます」

テーブルの下からガンッと蹴りが入り、清宮がニヤリと笑った

今度は先制攻撃を仕掛けると顔が言っている

「全く………」

頭の中で酒の量を見張る…その横に黒川に近づかないように見張ると書き加えた。





ポツン……ポツンと、何でもない事を話す穏やかな空間は特別だった

何年も話し掛ける事も出来ずにただ後ろ姿を追っていた頃を思うとそれは贅沢な時間………清宮がチラリと携帯を覗くともう終わってしまうのかと残念に思った。

清宮が小部屋と呼んでもいいくらい広いクローゼットに入りガサゴソしている間にテーブルを片付けていると、ハイっとパンツを渡された

「何ですか?これ」

「お前も風呂に入ってこいよ」

「え?何で風呂?」

何を言われたのか意味が分からなかった

「入らないの?」

「いや、帰ってから入りますよ」

「帰るの?」

そりゃ帰ります、と時計を見ると…もう1時を回っていた

そうだ、球技大会が終わった時点で11時近かった

「あれ?いつの間に……」

「もう電車ないだろう、そこに布団入ってるから自分で引きずり出せよ、はい、パンツ」

「いや……あの俺は……」

清宮はパンツをひらひらさせてニヤリとした……いつかの仕返しらしい

清宮の心配とこっちの心配は全く方向性が違う、それならタクシーで帰ると言いたいがTシャツや短パンまで出してくれたので言い出しにくくなった。  


清宮のプラベート空間に入り込むなんてボーダーラインを踏み越えているようで気不味い……あまり色々見ないようにはしたいが目に入るものはどうしようもない

バスルームは一般的な規格より大きく浴室暖房のおかげでもう乾いていた。

コップに立っている歯ブラシ……濡れたまま放り出してあるタオル……

ここで毎日シャワー浴びたり着替えたり……

もしかしたら誰かと………

「ブハッ……」  

水圧の高いシャワーヘッドを顔に押し付けると溺れそうになった

「何やってんだよ……俺は……」


素っ裸が想像できて………そんな想像してる自分も怖い


さっさと風呂場から出て帰った方がいい、
用意してもらった下着を借りて着込むと、

……さっき覗き見た清宮と同じボクサーパンツ……

「お揃い………」

ほんっとに馬鹿としか言いようがない



シャワーから出ると自分で引っ張り出せと言っていたくせにクローゼットから布団を出してくれていた


当の清宮はベッドに頭だけ乗せて眠っている

座ったまま……… 
 

「やっぱり寝ちゃったな………」

口が開けっぱなしになっていて面白い



起こさずにベッドに上げるのは無理だろう、申し訳ないが下で眠ってもらうしかない

「起きないでくださいね……悪いけど今日はこのままお布団で眠ってください」

床に敷かれた布団をギリギリまでベッドに寄せ、そっと首の下に腕を差し込むとやっぱり起してしまったのか清宮の目が薄っすら開いた


「春人さん?……」

ボウっと焦点の合わない瞳で見上げてくる表情は起きているのか寝ぼけているのかわからない、ベッドに上がってもらうか、そのままお布団に寝かせるべきか……

迷っていると顔が不意に近くなった

「…!!」


チュッと唇が触れて……


全てが止まった

思考も呼吸も

もしかしたら心臓さえも……


事故じゃない……間違いなく清宮は首を少しだけ持ち上げて顔を寄せた

いつもキラキラしている綺麗な瞳がトロリと落ちてきた瞼で隠れていく、そっと睫毛に触れるとぼんやり視線を上げて………

ゆっくり目を伏せた

「春人さん………」 


    

頭は動いてないが体が動いた

ずっとずっと平気な顔をして、誤魔化して求めて……欲しくてどうしようもなかったものが腕の中にある

吸い込まれるように体を寄せた

男相手に持ってしまった邪《よこしま》な感情は……もう否定出来ない…


赤く浮き立った唇の先っちょをチョンと啄《ついば》むと、触れるだけで心が破裂しそうなのにモゾモゾと口が動き隙間が開いた

フウッと吐き出された吐息からはアルコールが香ってくる

自制心が吹っ飛んだ


包み込むように重ねた唇はヒヤリと冷たい、そうっと中に侵入するとお互いの舌先が触れ清宮の頭がピクリと反応した

もっと奥に行きたい……

腕に乗せた清宮の頭を持ち上げるとポカリと道が広くなった

頬を擦り付け合わさった唇が熱を持ち
深く差し込んだ熱い塊が抱き合うようにゆっくり絡んだ

口内をかき回しクルリと巻き取ると答えが返ってくる

このまま溶け込んでしまいたい

厭うように傾けた唇の端から吐息と共に漏れ出た小さな声に煽られて止めたくても止められない 

どれだけ時間が経ったのかはわからない

「春人さん?……」

夢中になって無意識だったが清宮にのしかかり押し倒していた


気が付けは清宮の体からはもう意思が消えてくったりしていた。


    

「春人さん………寝ちゃったんですか?」

髪に差し入れた手から体温が直に伝わり離れられない

清宮は穏やかな規則正しい寝息をたてていた

「ハル……」


……ずっとそう呼んでみたかった

幼い清宮がハルと呼ばれ声の元に走っていく後ろ姿を何度も見ていた

「ハル?…………起きて………」


整えた形跡はない綺麗な眉は穏やかな弧を描いている

驚いたり困ると目から離れて垂れ下がり、集中するとキッと結ばれいかにも意志が強そうになる

清宮はもう眠ってしまったのか呼びかけても答えてくれない


このままずっと眠る清宮を見ていたかった

目にかかった前髪を漉くと睫毛が擦れた

白く滑らかな頬にキスで濡れた赤い唇……
小さく尖った顎にはやっぱり髭は生えておらずツルリとしていた。

触れてしまった指は磁力で吸い付いたように離せない、項が白い……キメの細かい肌を辿ると首には喉仏がポコリと膨らんでいる。


Tシャツの襟首をツイッと伸ばし…口を近づけたが

………止めた


ドン…ドン……と外から打ち付けられているような胸の鼓動はまるで部屋全体が揺れているようだ

液体のように重量を増した空気は吸っても吸っても肺に入って来ない気がした

キスどころかセックスなんて日常に埋もれるくらいあたり前だった筈なのに動揺で指先が震えている

平和に眠る清宮は身体を離したままの格好で寝息を立てていた。


「頭………冷やすか……」

音を立てないように気を付けてベランダのガラス戸を引いた

外の空気は涼しいどころか風が生暖かい



触れたい……触ってみたい…………


それはこんな意味じゃない……

必死で心の上っ面を誤魔化してきたのにはっきりと自覚させられた

「明日………どんな顔すりゃいいんだ……」


じっとりとした湿気の多い風は粘った汗を生んだが空の色が濃紺から青みがかるまで部屋には戻れなかった。




カタンッと床に響いた小さな音で目が覚めた



目に入ったのはローテーブルの足……

「なんでこんな所に……」


覚えているようで覚えてない………周りを見回すとバスルームから髪を拭きながら出てきた神崎が目に入り…………なんで神崎が……


開ききった瞳孔がキュウッと音を立てて縮んだ



いや…………確かにいた

昨日の夜ここにいた

でもそれじゃあ………

腹の底がヒヤッと固まって汗が吹き出てきた、なんか間違えてる………多分とんでもない事をした

絶対した。

ボンヤリだけど思い出した。

「なあ………あの……」


カァッと顔に血が登って熱い、多分無茶苦茶赤くなっているがそれだって変だし意味を取り違えられてしまう、恥ずかしくて神崎の顔が見れない

だって正解だって言われたら………どうしたらいい

いつもゴチャゴチャうるさいくせに神崎は「おはよう」すら言ってくれない


「なあ……俺…もしかして……あの…昨日……俺………お前に…キ…スした?」

チラッと顔をあげると神崎の目が………そうだと言った

ああ………しまった……
やっぱりあれは神崎だ、無言が答えだろう



「あの……あのさ、俺ん家ちょっとおかしくて、下手したら親父まで未だにチューとかしてきて………いや、もうさすがにしないけど……あの……要するに……寝ぼけて家と間違えたんだ……ごめん」

他人から見れば変かもしれないが返事するのも面倒な時にキスでやり過ごす事が家ではよくあった。

家族以外がマンションに来るなんて今まで無かったのだから仕方がない……なんて言っても通じない

神崎は怪訝な表情を浮かべ何も言ってくれない

「違うんだ……本当に」

変な趣味と思われたのだろう

そりゃそうだ

男にキスされるなんてビックリしたのを通り越して気持ち悪いだろう

だがそうも言っていられない、これからも隣の席でやっていかなければならない


「だから、あの…その…な、変な誤解は……しないで…大丈夫だから…」

もっと毅然と冗談に出来るくらいの会話スキルがあればいいのだが………無いものは無い、縋るように表情を確かめると固まっていた神崎の表情がふっと和らいだ

「そろそろ用意しないと遅刻しますよ」

そう言ってコーヒーをカップに注ぎコトンッとカウンターに乗せた


「あ……入れてくれたのかコーヒー」

「すいません、勝手に」


ああ……目が合わない


ドン引きされても自業自得。


「ごめん、食べ物何も置いてなくて……」

「俺も朝は食べない事が多いからいいですよ」

話しかけると返ってくるが神崎は殆ど無言で視線が離れると……真顔になってる

……もう大失態




腹の奥底で気持ち悪いモヤモヤがグツグツ煮え立って吐き気までしてきた。


家族と間違えた………

その後の事は?覚えてないのか……

朝まで一睡もしていない、眠るなんてできるわけ無い。夜が明けてきた頃逃げようかとも考えた

顔を合わせたらどんな顔をすればいいのか、想像するだけで頭を掻きむしりたくなった

覚えて無いと言われ物凄くホッとしたが知らないと言われるとそれはないだろうと腹が立つ

あの時……

清宮があれ以上答えてきたらどうしただろう

人の身体に女も男も大した違いはないなんて簡単には言えない、普通の男は同性など想像すらしない

気不味いままオロオロしている清宮と出社したが、全く仕事をする気になれずやりかけの発注書に頬杖をついて周りを眺めた

前の席の美咲は黒目がちで大きな目の持ち主でよく可愛いと言う形容詞が使われている、女顔という点では清宮よりよほどそれらしい

ちょっと想像してみたが……

「……いやいやいや……ない」

思わず声に出てしまった


「何ですか…神崎さん………」

自分に関係する何かだろうと気付いたらしい、美咲は眉をひそめて睨んできた

清宮は何と表現していいのかわからない
自分の中では男でも女でもない、清宮と言う性別

    

やたら色気が漏れ出しているのは自分が変な見方をしているだけだと思っていたが最近共通認識だと知った

それでも男なのは間違いない

綺麗な背中から伸びたあの背骨の下には間違いなく男の性がある


「なあ……神崎……」


声をかけられて顔を上げるとションボリ小さく萎んだ清宮が眉をタリンと垂れて困った顔をしていた


「はい?」

「その肘に敷いてる発注書……急ぎなんだけどさ」

言われて見直すと赤で至急!と殴り書きしてあった、徹夜をしたせいかハイになった脳味噌がグルグル空回りして会社に来てから何もせず30分も経っていた。

「いや!あの……他にやる事あるとかやりたくないとか出来ないとかなら発注書くれれば俺がやるからさ……」

「何言ってるんですか、やりますよ、嫌とかあり得ないでしょう」

「……ならいいんだけど……」

ずっと顔色を伺ってオロオロしていたのはわかっていたがフォロー出来る程気持ちに余裕なんて無い

胸の中で出口を無くしドロドロに粘っていた汚い感情が意地の悪い事を言えと誘惑してくる

会社でなければ言ってしまいそうな……言ってはいけない一言……


「……あなたの家族がするチューは口の中を舐め合う程濃厚なんですか?」


言えば清宮はどんな顔をするだろう……
派手にキョドる清宮を思い浮かべニヤリと笑ってしまった


「急ぎっていつまでに上げればいいんですか?」

「午前中希望、三時までに入稿してくれ」

だからどうして「午前中」が3時なんだ

おそらく物凄い嫌な笑顔だった筈なのにホッとした表情を浮かべ持ち直した清宮は笑った意味を取り違えている

どこかホワンとして能天気な清宮は吐息がかかる鼻先10センチで見せた顔とは別人みたいだった


一人で籠もってしまえる仕事はこんな時に便利だ、文字や画面を追って集中していると現実から隔離され正に「無」になれる

その代わりに時間がスッポリと無くなってしまい全く同じ姿勢のまま数時間過ぎている事がよくある

一区切りついて画面を保存するとやっぱり時間が消えてる……もう1時近い

隣の席で同じように集中していた清宮も椅子の背もたれにググっと背中を反らせ伸びをした。

不思議だが一日中一緒に仕事していると息を付くインターバルや空腹になるタイミングが揃ってくる 


「そっちどう?入稿に間に合うか?」

「はい、後はもう一回文字を見直して売り場にOK貰えば大丈夫です。」

朝は遠慮して近寄って来なかったくせに椅子のキャスターをコロコロと転がし横に並んばれると髪からフワリとシャンプーの匂い……と清宮の匂いが香ってきた

「出来てる……お前凄いな」

画面を覗き込んでいた顔がクルリと振り返ると近い………せっかく落ち着いていたのにトロリと溶けた半目と濡れた唇が思い起こされ慌てて立ち上がった。


「お昼に行きませんか?」

「あんまり遅くなると社食のメニュー減るし行こうか、美咲と山内はどうする?」

「俺達は無理です、もうすぐ宮川さんが帰ってくるから原稿あげないと、ああ腹減った………」

昨日サボるからだ、と笑って机の向いにストックしてあったクッキーを投げた清宮は当然付いてくるだろうと先に歩いて行く

行くけど……

やっぱり昨日のキスは無かった事になるらしい

横に並んだ髪がフワフワ揺れて額を小突いてやりたくなった




「それにしても……凄いですね」

「何が?」

「何がって………」

一歩デザイン部の部屋を出ると物凄い勢いで行き交う人全てに見られる
どこにいても見られているという言えばそうだがいつもの比じゃない

南が球技大会の後は人気マックスと言っていたが遠慮ない視線は半端無かった

「社食……止めて他に行きますか?」

「うん……」
 
いくらボンヤリ周りに無頓着な清宮にもさすがに異様な盛り上がりが分かるのだろう、あからさまな視線を避けて売り場に出たが中程露骨では無いが店舗に出ても見られるのは同じだった

12階の食堂街はまだ混雑が予想され6階の隅にある地味な喫茶店に逃げ込んだ

「パスタとサンドイッチしかないけどいいですよね」

「俺は何でもいい」

店内の穴場と言ってもいいその小さな店はいつ来ても席が空いている、社員証を外したスーツ組がサボっているのもよく見かけた。

先に席に付いた清宮の向いに座ろうとすると店員の女の子が携帯を取り出し……清宮に向けた

隠そうともしないで写真を撮ろうとしているなんて常軌を逸している。

「ちょっと…やめてください非常識ですよ」

清宮に向けられたレンズを手で覆うとどんな顔をしていたのかわからないが怖かったらしい、顔を真っ赤にして慌てて裏に逃げてしまった。

清宮は我関せずともうメニューを見ている

「毎年こんなんなんですか?」

ノーガードだったろう去年まではやられ放題だったんじゃないか?

「うん……まあ、すぐ皆飽きるよ、今年はやらかしたからな……嫌がられても仕方ないよ」

「は?何を言ってるんですか?」

「俺がムキになるから駄目なんだろう」

「はあ…………」


………なるほど……度を過ぎたスルーってこういう事らしい

みんなに見られる訳を取り違えている


「何だよ」

「何でもないですよ」

わざわざ知らせる必要はないし……違うと説明しても無駄に思えた


「神崎さん……今更何言ってるんですか」

「今更って……どういう意味ですか?」


デザイン部に帰って写真を撮られそうになった事を山内に話すと笑われた

社内の人間くらいしか見ないだろうがインスタには清宮タグがあるらしい


「消せないんですかね……これ」

スマホを片手にページを開いてあ然とした。本人に了承も得ず勝手にこんな事をしてもいいのだろうか……

ズラリと並んだ清宮の写真はバラエティに飛んで新しいものは球技大会が多い、しかし明らかに隠し撮りと思われる写真ばかりだった。

社食や社員通用を歩く姿

階段に座り込み、片手で頭を抱え込んで難しい顔をしている姿

閉店後の店内で棚にもたれかかり足を投げ出し寝こけている、シャツの裾から手を差し入れ腹に置いているせいで臍やパンツのゴムが見えている

いいねの数が多い

これちょっと欲しい……


「神崎」


「ちょっと待って」

今呼ばないでくれ、忙しい

球技大会の写真も多い、ペットボトルを飲み干す姿は首を伝う汗まで綺麗に写っている

とりわけ自分が一緒に写った写真にはドキリとさせられた

何を話してるんだかいつの写真か……手は清宮の髪に触れている
    

人混みに邪魔されよく写ってはいないが清宮を抱きとめた……乱闘騒ぎの写真

秘めた想いをバラされた小学生の様な気持ちになり、恥ずかしくて手で口を塞いでしまった

いいねは半端ない数を示している


「神崎!」

「うるせえな!!!」


怒鳴ってからハッとした

デザイン部全員から注目を浴びていた


「あ、春人さん………すいません」


「物撮りの立会いに……行って欲しいんだけど……」

「ああ、スタジオBのやつですか?入稿終わってないんですけど俺でいいなら行きますよ」

「入稿はやるけど……嫌なら俺が行こうか?」

「いや、俺が行ってきます、その…大声出してすいません」

何か怒らせたかとオタつく清宮を残し鞄とチェック表を持って部屋を出た


実は神崎タグもある

それは言わないでおこうとデザイン部の面々がそれぞれ心に誓った

清宮を除いて……

多分清宮はインスタそのものも、自分の写真が勝手にアップされている事も知らない

とにかく通話とメール、かろうじてラインくらいしか使用していないのだ。

一日中パソコンと電話に付き合うのだから仕事以外でスマホを触る意味がわからないと言っていつも携帯を放置する、その為着信音は常に最大にしてあった。


社屋を一歩出ると足元から熱気が立ち昇り街の風景がユラユラ揺れている、仕事場は勿論廊下やトイレまで空調が整った環境に朝から夜まで一日中こもっている為、その瞬間まで季節を忘れてしまう。

「スタジオB」は最寄りでは比較的大きく
広告やスチールの撮影によく使っていた、見失っていた清宮を偶然見つけた場所でもある

その日追加撮影になった鞄や小物を広告用に撮影するだけだが、雑誌などのイメージ撮影とは違い広告に載せる商品はパンフレットやカタログの意味合いもある

色や形がある程度正確に伝わらなければならないが、草色が茶色にしか映らなかったり赤か茶色か判別が出来ない事もよくあり、ある意味大層なイメージより撮影が難しい

カメラマンと売場担当者に任せる場合もあるが今回は商品の点数が多く、データになってしまうと商品名や値段がわからなくなり後で自爆するのは目に見えている

立ち会って一点一点撮影順に番号をつけたりサイズを確認しなければならなかった。

スタジオに着くと婦人雑貨の吉川が商品を出して並べ、せっせと番号札を付けていた、番号は商品と一緒にカメラのフレームに入れてしまう予定だった。


「お疲れ様です」

「あれ?今日は神崎さん担当なんですか?」

「そうなんですけど……何か商品多くないですか?原稿見てるでしょう?そんなにスペースないですよ」

「そうなんだけどさ……撮っといたら載るかもしれないし」

「載りませんよ」

これは売り場がよく使う手だと最近知った。不思議だかビジュアルが広告に載るとその商品は必ず売れる、色違いがあっても広告に載っている色から売れる傾向にある

その為売り場はとにかく多くの点数を広告に載せたがり毎回この攻防が続いている。

「原稿に無いものはダンボールに戻してください、ミスの元じゃないですか」

「減らすから……ちょっとだけ追加してくれよ、撮るだけでいいから……な?」

「無理です」

追加すると紙面構成が変わり面倒なのだ、売り場はMacを魔法の箱だと勘違いしているのかボタン一つで何でも出来ると思い込んでいる、先日はモデルが着用している着物の色を変えてくれとサラッと言われた

顔の色も全て一緒に色を変えていいんなら3分で出来るがそんな訳にはいかない、どうやって色を変えるのかそのちまちました作業内容を一回見に来い!

「清宮ならいつもやってくれるし」

「はあ?いつも?」

「まあ……大概…だけどな」


何をやってるんだあの人は……

いつも一人忙しいと思ったらこういう事まで黙って引き受けているのか



「パソコンにAIシステムはインストールされていませんよ、追加は全部作り変えと同じなんですから撮るのは構いませんが紙面は変えません」

「何だよ…」

「後で春人さんに言おうと思ったでしょ」

吉川はギクリとして苦笑いをした

図星だな……

「俺が担当なんでそうは行きませんよ、紙面を変える気はありませんから選品会で決まったものだけにしてください」

吉川はブツブツ言いながら商品を分け直し、それでも数点予定に無い商品を撮影に潜り込ませた



吉川と続いたチョコチョコした攻防のせいで撮影が終わったのは4時を過ぎていた。

いつもの事だが薄暗いスタジオからロビーに出ると目が慣れなくて眩しい


「神崎!」

名前を呼ばれて声の先を振り返ったが馴染みのちょび髭が目に入ると気付かなかった振りが出来ないものかとスタジオに戻りたくなった。

「おい、こっちだよ」

「お久しぶりです、樋口さん」

逃れるのはどうやら無理
諦めて社交辞令満開の笑顔を向けた

樋口は元々電報堂の社員だったらしいが今は独立してデザイン業の斡旋や采配をしていた、口髭を生やしたその顔は「業界人」そのものといった風貌をしている。


何か隙間産業を見つけ浮いた案件を右から左に流すだけで高額な「間」を摘んでいる

確かにマメで役には立つがお喋りで話が長く相手をするのはちょっと面倒……


「神崎、お前電報堂辞めたんだってな」

「すいません、ご挨拶もしないままで」

「そんな事はどうでもいいよ、今どうしてるの?」

「ええ…と……」

詳細は言わないでおいた方がいい、顔が広く後で何を言われるかわらないし、いかにもしつこく理由を聞かれそうだ

「知り合いの……えーと……デザイン事務所にいます」

ニュアンスは違うが嘘じゃない

「やっぱり職種は変わってないのか、よかったよ、こんな所でさ、悪いんだけど……」

やっぱり逃げた方が良かった……

樋口に行き場のない仕事を押し付けられてしまった。


遅くなった上樋口に捕まり余計に時間を食ってしまった、予想通り一々話が長い…、社に戻るともう5時を過ぎていた

樋口に頼まれた仕事は意外に規模が大きく独断では決められない……言うかはっきり言って面倒だ

今の所社内の仕事しかしてないので清宮の横にべったりいられるが外部の仕事を請け負えはそうもいかなくなる、社外からの仕事を取り仕切っている宮川に相談して手伝ってもらうか………何なら全部渡してしまえればいいのだが……


デザイン部に戻ると普段あまり会社にはいない当の宮川が清宮のデスクの横で何か話していた。
宮川は座る清宮に覆いかぶさる様に屈み片手は慣れ慣れしく肩に乗っている

近い………


「ただいま帰りました」

つい声が大きくなってしまった


「お疲れ様です、遅かったな」

清宮が顔を上げて笑いかけてきたが、ホニャンと癒やされている場合じゃない、ただでも宮川は清宮に興味有りげな発言をしている上に常日頃からなんだかんだと気安く触る

清宮から引き剥がしたいのと本当に話があるのと半々で樋口から預った資料を差し出した

「宮川さん、ちょっと話があるんですけど…」

「後にして、こっちを終わらせたいから」

宮川はこちらも見ずに素っ気なく返事してまた清宮との話に戻った



「ここちょっと大きくして…文字縮小していいから、あ、地図はそのまま…」

パソコンの画面を見ながら直接指示を出しているらしい



一箇所か二箇所なら画面に直接指示を出すのもいいが修正箇所が多いならプリントアウトして指示を書き込んだ方が確実だし早くないか?

そこまで屈んで顔を近づける必要はあるのか、意味もなく宮川の手が清宮の髪をクシャリと掻き回した

肩に置く手が時々首を触ったり髪を触ったり…内容もだんだん雑談が混じってる

待っているのはわかっているだろうに…

このイライラは昨日寝てないせいだろう…

多分……そうに決まってる……


宮川の手が清宮の口元の傷に触れるともう我慢できなくなった

「宮川さん!」
「宮川さん!」

声を上げると何故か美咲と揃った


「え?…何?」

ビックリした宮川が顔を上げ怪訝な表情を浮かべた

「清宮さんにベタベタ触らないでください」

「え?なんで?何言っての?美咲」

何を言われたかわからないらしい、宮川は屈んでいた体を伸ばしたついでに清宮の頭に手を置いた

どうしてついでみたいに一々触るんだ

思わず宮川の肩を引いて清宮から離した。





「だから何なんだよ、二人とも」

「仕事の話があるんですよ、さっきからそう言ってるでしょう」

美咲の様に素直には言えないが触られるままの清宮を放置するのも嫌だった

「お前も清宮に触るなって事?いいんだよ俺は、な?清宮、キスまでした仲だもん」

「ええ?!」


神崎と美咲………

何故か清宮までお揃いの声が出た


「何だ……覚えてないの?新年会の帰りに俺とチューしたじゃん」

「お前……」

酔って眠った所を襲ったのか、それとも普通に襲ったのか?
それとも……まさか合意?……


「そんな!!俺だけじゃないんですか?」

ゲフッと謎の咳払いが口から飛び出た。

困惑と妄想と焦りと嫉妬に続かなくなった言葉が美咲の叫びで完全に消えた


「去年まで三階にいたシマモトミキコも酔っ払った清宮さんとキスしたって言ってましたよ?」

冷静な声で南が暴露すると全員の視線が清宮に集まった

「何だお前キス魔なの?」

「え?キス魔?」

「俺だけ特別だと思ってたのに……まさか……清宮さん……覚えて……」

「……ない……」

唖然としながら清宮が美咲の言葉を引き継いだ

チラリと清宮が表情を伺うように視線を寄越しバチンッと目が合うと慌てて顔が逃げて行った

「俺は負けませんからね」

「何と競争するんだよ美咲、冗談みたいなもんだろう……あー面白い」

笑いながら真っ赤になった清宮の髪をくしゃくしゃにかき回し美咲は清宮の肩に回った腕を取り上げようと引っ張り合いになった

なんだこの楽しそうな日常風景は………
こっちの気も知らずに!!

美咲と宮川と全く同じなんてあんまりだ、一人で喜んで青くなっておろおろして……


……もう無かった事になってもいい

「もういいでしょう宮川さん、いい加減話を聞いてください」

ホッとした表情を浮かべた清宮の顔をなるべく見ないようにして篠原から持ち込まれた仕事の内容を説明してついでだから全部宮川に押し付けた。





…………キス魔


宮川の言葉を反芻してギクッとした。

覚えてない……ないが多分本当だろう、事実昨日は神崎にチューしている

神崎はなんだかんだと構ってくる実家の家族に似ていて、意識が勝手に間違えた…のだと…思っていたが

人選に躊躇ない

シマモトミキコって誰だ…

実家では言葉にするのが面倒な時にキスで済ませる事が度々あったがまさか公的な場所にまで漏れ出ているとは気付いて無かった。

酔っている時、半分寝ている時……気を付けたいが……どうやって?
寝ない……飲みに行かない……誰にも近寄らない……

違う意味で嫌われそうだ。

せっかく朝のとんでもない事故をサラリと誤魔化せそうだったのに、更に景気よく盛ってしまい神崎とまた目が合わなくなった

ムッツリ口を結び言葉も少ない……

「神崎…何か食べて帰らないか?奢るけど………」

「いや、俺はタブレットを取りに行ってすぐ帰ります、一応樋口さんとの契約を書面にしないといけないんで……」

「そっか……」

石コロでもあったら蹴りたい気分だ

神崎はマンションのキッチンカウンターに置いて来てしまったタブレットを取りに来るくせに夕食に付き合うのは…嫌って……

ラーメンくらい食べる時間はあるだろう。


「あ……春人さんは帰っても何もなかったですよね、俺も何も無いんで買って帰りましょう」

「うん…そうだな、コンビニでいいか?」

「はい」

嫌われた?

うん……嫌われたのかもしれない……それはもう仕方が無いのかもしれないがまさか会社辞めたりしないだろうか……

数ヶ月前に意味不明な転職をした奴だ
何も会社勤めをしなくても独立して仕事だって出来る、今日だって仕事を持ち込んだ

それは困る

もうチラシの制作ローテーションにも安定して組み込まれ、もしいなくなると自然災害に近い非常事態が予想される。



「何ですか?」

早足に前を歩いていた神崎に追いついて顔を覗き込むとやっと目が合った、眉間に皺を寄せて俯いていた顔に嫌な予感と心配が湧いて出た

「いや……あのお前…仕事を辞めたり…しないよな?」

「はあ?何言ってるんですか」

「変な奴が隣にいると思ってんだろう?」

「変な奴?キスの事ですか?」

「お前!!そうハッキリ言うなよ恥ずかしい、責めるな、謝っただろう」

「別に責めてません、見境いなさすぎですがね」

「………選んでるかもしれないじゃないか」

「バカ言ってんじゃないですよ!男は冗談で済みますが女子相手に洒落にならないかもしれないでしょう」

「あの女子の話は嘘だ」

「嘘か本当かもわからないくせに」

「それは………」

……覚えているのかと聞かれると覚えてないが神崎だって見ていた訳じゃない、間違いなく被害者の神崎に取り繕うのも今更だか言い訳だけはしておきたい

「神崎だって酔って記憶無くした事ぐらいあるだろう」

「ありませんよ、一回もない、どんなに酔ったって俺は全部覚えてます」

「嘘つけ、覚えてない事を覚えてないだけだろ」

「少なくとも店で寝たりした事はありません、ちゃんと自分の足で帰ってます」

ほぼ喧嘩………コンビニの自動ドアをくぐると自然に二人とも口をつぐんだ……
 
だって内容が内容だ

目に付くものをポイポイ籠に放り込んでドアを出た途端また言い合いになった

「いい大人が自分の酒量ぐらい把握してください」

「いつもいつも酔い潰れてるわけないだろ」

最寄りのコンビニからマンションまでは300mもなくエレベーターに乗ると誰かに聞かれる心配も無くなりお互い引けなくなって来た

「その割に記憶のないチュー多いですよね、そんなにしょっちゅう飲みに行ってる訳じゃないでしょう」

「チューチュー言うなよ、別にチューくらい何だよ」

もう部屋の前に着いていた


「何だよって何ですか」

「お前だって宮川さんだってチューなんて今更だろ?何でもない事だろう」

一方的加害者のくせして我ながらしゃあしゃあよく言う

「……………」

神崎は呆気に取られたように口を開けたまま黙ってしまった。


勝った…………

何の勝利か不明だがいつの間にか勝負になっていたのだから反論出来なかった方の負けだ

何か言い返される前にさっさとタブレットを渡して帰ってもらおう

鍵を開けようとドアのノブに手をかけるとバンッと神崎の両手が前を塞いだ

一瞬殴られたのかと思い、身を伏せそうになった

「何だよ……」 


廊下の電灯が真上にあるせいで逆光になった神崎の表情は見えない 

囲いを作られたように置かれた腕を引く気配はない………


「何でもないなら…何でもいいですよね」

「何でもって……何?」


カクンと腕が折れて神崎がゆっくり近付いてきた。




………キスなんて何でもない


極限まで細く伸び切った理性の糸がプチンと破断する音が聞こえた

元々そんなに丈夫な質じゃない

清宮本人には何でもないだろう
ただの赤面ものの事故

ただ自分にとっては違った

清宮に対して変に欲情しているのはもう否定出来ないが実行するつもりは毛頭なかった

煽られて、耐えて、崩壊して、踏み越えてしまった10数年来の思い……

何でもないならいいだろう?

ビックリして目を丸める清宮の唇にキスを落とした


「んぅ…っっ!んん………」

噛み付くように押し付けた唇からくぐもった抗議の声が上がった。気持ちに余裕のない口づけは下品な音を立てムードもクソもない。

バッと体を引いてキスから逃れ、見げて来る瞳は見開かれたまま瞬きを忘れ固まっていた。


驚けばいい……

目を真ん丸にした清宮にもう一度唇を近付けると……

どんと体がつっかえた


胸に清宮の腕が突っ張ってグイッと押し返され見えた顔からは表情が消えていた。
廊下の暗い蛍光灯に照らされた肌は青ざめて真っ白になってる

その顔を見るとドキンッと心臓が跳ねた



「春……」

ムカついて押し込めて誤魔化してきた気持ちが破裂してとうとう暴露してしまった


バシンとドアに置いた手を振り払い、何も言わず鍵を開けて部屋に入って行った後ろ姿を慌てて追った、このまま別れるなんてその後どうしたらいいか分からなくなってしまう


「ちょっと……」


閉じられかけたドアに慌てて体を滑り込ませると靴が挟まりそのまま脱げてしまったが構っていられない


「ちょっと!!春人さん…待………」

言い訳ではなく冗談ではないのだと伝えたい
背中を向けて奥に進む清宮の肩に手をかけると……

無言のまま振り返った清宮が突然ふっと低く沈んだ。

!!!

「うわっ!!」

バッと風を切る鋭い音がしたと思ったら想像もしない方向から足が飛んできた

ガンッと視界がぶれ何が起こったのかわからない

位置が悪すぎてクリーンヒットはしなかったが振り下ろされた清宮の足が肩に入りドンッと前に押し出された

「春…っっ!わっ!!」

どんだけ運動神経がいいんだ

無理な体制で足を振り上げバランスを崩しているくせに片足が床に付くともう片方の足が反動のままブンっと飛んできた

「ちょっ!クソ!」

足を避けながらとっさに清宮の肘を取ると普通なら掴まれた手を外そうと腕を引く。
そうしてくれると締め技が決まるものだが何をさせてもカンがいい、清宮は思いっきり体当たりをしてきた

バァンッとクローゼットのドアに2人で突っ込み部屋が揺れた

この部屋の壁は厚い、他の部屋からの生活音は聞こえたことがない、しかし今のは確実に下の階には響いただろう

そのまま清宮の腹にタックルして乱闘になだれ込んだ。



いくら清宮の部屋が広いと言っても大の大人が二人で取っ組み合いをすればそれ相当のダメージは残る、バァンと足が乗ったテーブルが跳ね上がった

「春っっ!ちょっ!」

もうこうなったらヤケクソだ、暴れる清宮の腕を捩じ上げて体重差を武器に体に乗り上がり抑え込んだ。


「離せよ!馬鹿!!」

「………動けない……でしょう」
 

一気に肺を空にしてしまったせいで息が早く上手く話せない、腹に飛び付いて押し倒したはいいが足を振り上げ立ち上がろうとする清宮の肩と首を押さえつけて動けなくするには持てるスキルを総動員しなくてはならなかった。

いくら暴れようが力を入れようが人は肩と首を固定されると人は動けない、清宮も同じくフゥフゥ肩で息をしていた。

「お前………何か格闘技でもやってたのか?」

「どうでしょうね」

睨む清宮の鼻先でニヤリと笑った


「何か……変な技使っただろ」

「そうですね、もっと広い所でやっても負けませんよ」

「何?柔道?」

「いえ、柔術です。」

……清宮がスイミングに来なくなった頃、それなら行っても仕方がないとスイミングをやめた小6の頃から二十歳までせっせと道場に通った。
考えてみれば記憶のあるうちで何かの選択肢に必ず清宮が影響しているなんて我ながら一途で単純で………馬鹿みたいだ。


「柔術って何だよ」

「柔道とか合気道と似たようなもんです、ボクシングが空手をやりたいって言ったら親が柔術の道場を探してくれて……ね」


「ふうん……強いんだ……」

「全く……呑気ですね…状況わかってるんですか?」

釣り上がっていた眉をヘニョリと下げ、ホンワカした疑問顔が出来るなんてわかってないのか呑気なのか……それともわざと煽っているのかと疑いたくなる。


「もういいだろ………離せよ」


「嫌です……」

半開きになった赤い唇から早い息が漏れてくる……もう首を持ち上げておく事が出来そうもない………身体の芯が熱くなっているのがわかる


「言いましたよね?…何でもない事なんでしょう?」

もうここまで来たら離せない………欲しいものは欲しいのだ

探るように見上げて来る目は剣呑な色を含んでいるが清宮の体に力は入っていなかった

首と肩を抑えた腕は締めないように気を付けながらも力を緩めたりはしない、突発的に何をするかわからない相手だ

黒川に飛びかかった時も突然ステップして飛び掛かるまで爪先は出口に向いていた、乱暴な一面は直々見ていたがまさか一言もなくハイキックが飛んで来るなんて思いもしなかった。

ゆっくり顔を落とすと顎を引いて顔を強張らせたがもう迷わない。


「やめ……」

「やめません……」

……間近に吐息を感じながら尖った口の先にチョンと口をつけた

清宮は睨んではいるが何も言わない
チュッと音を立て鼻の頭にキスをすると眉がキュウッと下がり……眉間に皺を寄せて目を閉じた。

「春人さん………」

「……っ!!……」

深く唇を覆い強引に入り込むと肩がビクンッと跳ねた

噛みつかれるのならそれでもいい

奥に引っ込められた清宮の舌をすくい上げ舌裏を舐めて上顎を縦断させた

半分眠っていた昨日の夜のように返しては来てはくれないが清宮の体からは力が抜けている

歯の裏側を転がすとフルッと小さく震えくぐもった呻き声がした

ゴソリと身悶えして背けられた顔からズレた唇は汗が転がり落ちていた頬………髭のない綺麗に尖った顎……

首に唇を滑らせるとコクンと喉仏が上下に揺れた

溜り落ちる汗が吸い込まれていった鎖骨の下には薄いTシャツからポツンと胸の粒が浮き出ている

自然と伸びた指先が小さな突起を捉えると
清宮の体がヒクリと痙攣したように震えた



「や……めろ……」


弱々しいその声には懇願が混じっていた

もう拘束は解いている筈なのに清宮は逃げようとも動こうともしない



………これ以上進めない…




「すい……ません……」

体を起こし横たわる清宮の横に座り込んだ

冷静なつもりだったがシャツが汗に濡れ背中に張り付いて冷たい

……冷静でいられる訳ない……


「ハル?………」


清宮は乱暴に口を覆ったせいで濡れた唇を拭おうともしないで両手を顔の上で組み隠したまま動かない

あの笑顔が向けられる事はもう無いのかもしれないが後悔は無かった


「ハル…」

ピクリと腕が動いて反応した


「…………俺は……そんな風に見えるのか?」

「どういう………意味ですか?」

「男が好きそうとか…ホモだとか…」

「それは………」

……そんな目で見られる事に自覚があるのだろうか………痴漢に遭うなんて普通の男は経験しない

玄関でキスをした後に…顔色を変えたのは冗談なんかでは無く汚い性欲の対象になっていることに気付いたからだろう

「違いますよ………俺の…勝手です」

「お前は………男でもいいのか?」

「違うと思いますが……今…………自信がなくなってます…」

「……………………」


清宮は顔を見せてくれない

シンと静まり返った部屋は空気が重く押しつぶされてしまいそうだった


殆ど強姦だ、いや姦はないが…

もっとちゃんとした説明をして謝るべきなのかもしれないが、弾みだが弾みじゃない……本気なのだ。

言葉にするには一旦持ち帰り熟考させて欲しい

本になる程分厚い原稿を書いてしまうかもしれないが……



「お腹すいた、何か食べよう」

「え?」


間違いなく酷く傷付けた、もしかしたら泣いているのか……激怒しているのか顔を隠して暫く黙り込んでいた清宮が足を振り上げタンっと見えない糸で釣り上げられた様に立ち上がった。

「…いや、俺…入らないです………今は…」

「じゃあお前はビールでも飲めば?」

「そんなもの……飲めないですよ」

「ふうん………何で?腹減っただろ?」


空腹どころか今腕を切り落とされても何も感じないかもしれない……

清宮はさっき買ったコンビニの袋をガサガサ漁って焼き豚の切り身をパクリと口に入れた


「……ハルって?」

不意に聞かれ清宮を見れず伏せていた顔をあげた、目が合わないのは………当然…

「そう呼ばれているのを聞いてました」

「え?いつ?」

「前に……」

「ごとで?今年?」

 
………言ってしまってもいいだろうか

知ってほしい……絶対知られたくない

気持ちは半々だ

「ずっと前ですよ」

「どういう意味?」

言うには深呼吸が必要だったがもう逃げる事も誤魔化す事も出来ない、動き出している。

ハッキリさせたい……もうハッキリする

スゥーっと大きく息を吸い込んで勇気と根性を補充した。人生で告白なんて初めてだった。



「春人さんがいたから今の会社に来たんです」

目を逸らすものか………
真っ直ぐ清宮の目を見て言った

「俺がいたから?……何で?」

さっきまでの事を全部忘れたかのような屈託のない顔を向けられ笑ってしまった

「コーヒー入れてもいいですか?暴れたから…喉が渇いて」

「ビールは?せっかく買ったのに」

「いえ……コーヒーがいいんです。」


酒なんて冗談じゃない、酔えば何をするかわからない


「春人さんは犬とバトってました」

コーヒーを入れてパソコンの椅子に腰掛けた、部屋の真ん中にあった小さなテーブルは暴れた時に脚が曲がってしまっていた


言ってしまえば……終わるかもしれない……

剥がしたおにぎりの包装に海苔が千切れて残り不満そうに透かしている清宮が今更だが眩しくて………大好きでツクンと胸が痛くなった。


「犬って……まさかあのクマの事?」

清宮はアイランドキッチンの台所側にある背の高いスツールに浅く腰掛け、おにぎりを食べかていた手を止めて素っ頓狂な声を上げた。

清宮はどうしていつも変な場面で素に戻れるのか不思議でまた笑ってしまう。

「クマって言うんですね名前までは知りませんでした……親しいんですね」

「何だ俺達の実家って近所だったのか?俺は…お前の事知ってた?」

「いえ、知らないでしょう」

実は何度か稚拙な理論武装を引っさげて話しかけた事はある

…と言うか……

その前にそんなに昔から?……的な驚きはないのか…

「スイミングに行く時に通る道ですよね」

「うん、そう……」

「面白かったですよ」

「何が!あいつ凶暴で一回襲われたんだぞ」

清宮は知らないがあの犬は清宮だけにしか吠えない、端から見ていれば仲良しのじゃれ合い……だから飼い主も外に繋いでいた

「そうですね…………その時一緒にいましたから」

「何だって?どういう事?」

「いたんです……そこに……」



犬のクマにしたらいつもと同じ遊びだったのだろう、繋がれた鎖分一杯に伸ばして清宮をびびらす

その日は届いてしまった

違うと逃げ惑う男の子に追いすがり叫んだが悔しいことに口からはワンワンと言う単純言語しかでない

ヤバいと思った時には牙が引っかかり口の中で血の味がした

怪我をさせてしまったのは小さな男の子だった

熊:談




「あれお前だったの!?」

いつものように飛びかかってきたクマはいつものように綱に阻まれる事なく襲い掛かってきた

運悪く一緒に居合わせた小さい子が怪我をしたのははっきり覚えているが、怖くて自分の事に必死でその子が怪我をした瞬間を見ていなかった

助けを求めあたふたしている間にその場からいなくなり、菓子折りを持ってお詫びに来た飼い主に怪我をした男の子の事を聞かれたが知らないと答えるしか無かった。

「ごめん、わからなかったよ……あの時怪我しただろう?地面にいっぱい血が落ちてた、酷かったのか?」

「大した事ないですよ、引っ掻き傷だし」


手の甲に出来た傷はもう消えて見えない

逃げ惑うしか出来なかったその時の事があったから何か戦える腕が欲しくて武道を始めた。


「それで転職先に来たら偶然俺がいたのか……10年以上前だろ?よく分かったな」

「そりゃわかりますよ」

小学校のグランドを滑る様に駆けていく姿、雲梯や登り棒、敵う者はいなかった、溜息が出る程カッコよかった運動会、レッスンが終わっても帰らずに見学席で眺めいたスイミング………

絵がとても上手かった

「普通わからないだろう……俺そこまで変わってないのかな……」

「変わってないです」


………清宮は言葉の意味がわかってない

ほぼ告白だった筈なのに清宮にはまるで伝わっていないらしい

噂通り……トンチンカンだなこの人……

違うと言ってしまいたいが絶対に「知られてはいけない」事まで口走りそうでそれ以上何も言えなかった。



「あのさ……」

考え込んでいた清宮が言い出しにくそうに
モゴモゴ口を動かしお茶を一気に煽った。


「俺………何か怒らせたんだろう?」

「え?」

「俺は忘れる……忘れるからお前も忘れろ」

………やっぱり伝わっていない……

呑気と天然は時に残酷だ、信じられない言葉に清宮を見返した目はどんな色をしているのか……


「忘れませんよ」

「何でだよ、もうしないだろう?……さっきみたいな事……」

「します……またします」

「すんな!!」

「する」

「したら蹴る、今度は外さない」

「俺が勝つし………ことある事にします」

「もう帰れ!!」

「言われなくても帰りますよ」

そんな簡単に自己解決されても困るし……悔しい……

一大決心、どうとでもかなれと冷や汗をかきまくって告白しているのにどうやらお得意のスルーで上手く逃げられた、もう蟠りがないように普通に話してくる清宮の側にいられないのは自分の方だった。


「あれ?そう言えばタブレット………」

「ここにあるぞ」
清宮がコーヒーメーカーの横を指差した

「本当に帰るのか?食べていけば?」

「襲ってもいいんですか?」

「有料だぞ」

「じゃあ代金にビール置いて帰ります、飲みすぎないでくださいね」

笑う清宮を見て口の中が苦くなった
全くの冗談だと思っているのか……

無理矢理キスをされてもまだ……

「おやすみなさい」

「お疲れ様、契約書よろしくな」

マンションを出ると柔らかい霧雨が頬を撫でるもどかしい弱さでぱらついていた。
どうせなら土砂降りになって体に溜まった熱を洗い流してくれないだろうか

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