月のカタチ空の色

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クシュん


くしゃみの振動に目が覚めた

何時だ…携帯………

枕元にない

いや…枕がない

ガバッと飛び起きた

目に入ったのはリビングのソファ……と隣で毛布に包まってスヤスヤ眠る清宮だった


「ああ…そうだ…」

昨夜清宮を抱いた

思い出すとくすぐったい、腹の底に暖かい塊がモヤっと湧いてホカホカと熱を放った、男相手と迷っていたのが嘘みたいだ

クシュ

清宮がまたクシャミをした
寝室から毛布を持ちだしてソファの下で寄り添って寝ていたがもう雑魚寝をする季節じゃない、風邪を引かせたかと毛布を清宮にぎゅっと巻きつけた

洗いっぱなしの髪があちこち好きな方を向いている、目にかかった前髪をそっと漉いてキスをしようと顔を近づけると清宮がポカリと目を開けた

「神崎………」

いたずらが見つかったみたいだ
近い所で目が合うと清宮の眉が額の真ん中に寄った

「春人さん…風邪引いてないですか?」

「…身体中が痛い…頭も痛い…吐きそう…」

「え?」

そんな種類のセックスの後遺症が?

病院?…いや、その前に逃げ出さないように用心して……保険証はどこだ、一体何科を受診すればいい


「どこが………あの……」

聞きにくい……

奥に入れすぎたとか乱暴過ぎたとか何か知らないルール違反を犯したのかもしれない

晋二は面白がってどこがいいとかイキ顔を見逃すなとか変なレクチャー(?)しかしてくれてない
 
説明は?なんて言えばいい……
どこの具合が悪いのか何をしたのか……考えただけで冷や汗が吹き出てくる



「多分…」

「はい」

「筋肉痛と…二日酔い……」

「はい?」

そうだった……テンパって忘れていたが清宮は昨日酔っ払っていた



「動けますか?」

「動…けるけど……うー気持ち悪い……」

清宮は起き上がろうとググッと腕を立て動こうとするが、途中で諦めてパタンと臥せった

「 春人さん……取り敢えず座りましょう、腕に掴まってください」

唸り声をあげる清宮の体をそっと抱き起こしソファの下に座らせた、よほど具合が悪いのかされるがままだ


「神崎……吐く……」

「え?待って!待って下さい」

動かしている暇はない、もうすっかり吐く体制になっている清宮の口元にリビングに放りっぱなしだったコンビニ袋を持っていった

「大丈夫ですか?、飲めないくせに無茶するからですよ」

「ヴぅ~~……」

胃が空なのだろう、唸りながらビニール袋の底を見つめるが吐くことは出来ないようだった


「春人さん、水です」

氷を入れたコップに水をたっぷり入れて渡すと一気に飲み干した

顔色は真っ白なのに唇だけが赤く浮き立っている、馬鹿みたいに見惚れていると清宮がコップを置いて顔を上げた

「神崎…時間…は?」

ハッとした

携帯は………玄関先……?やっと見つけて画面を見ると

「9時半!」

出勤時間だ…もう遅刻していた


どんなに急いでも定時に出勤するのはもう無理だ、慌ててデザイン部に電話すると出たのは中山だった


「神崎さん?どうしたんですか?今店内?清宮さんもまだきてないんですけど……」

「ごめん、まだ家なんだ、今日午後からのシフトに書き換えて…うん、そう…色々あって…春人さんは休むから…」

「神崎!俺は行くぞ!」

「え?!だって無理でしょう?」

「行くし!」

清宮も時間を確かめたのだろう、動けなかったくせに話を聞いて怒鳴り声を上げた

電話の向こうで中山が何か言っているが普通に答えてしまい一緒にいる事を知られてしまった

「………ごめん、聞こえた?…」

「勝手な事を言うなよ、プライベートで疲れたから休むなんてありえないだろう」

「でも…立てないんでしょう」

「清宮さん元気そうですけど…立てないってまた階段からでも落っこちたんですか?…」

「いや……違……」

「神崎!シャワー浴びるからちょっと手を貸せよ」 

「ちょ…待って……ごめん中山さん、取り敢えず行くって言ってるから……」 

「シャワー?今起きた所なんですか?あの清宮さんが疲れて立てないって…昨日二人で何してたんです」

「何って……」

「神崎!」

「あーっっ!!もう!」

あっちもこっちもうるさい

「ちょっと黙っててください!」  

「どっちが?」
「どっちが?」 

「どっちも!!」

片耳ずつきこえてきた男と女の奇妙なステレオに思わず怒鳴ると腹筋に鈍い疼痛が走った

清宮の身体はそれプラス…色々…色々……


…………「あの男」に聞いてみた方がいいかもしれない……が……

昨日の諍いを面白そうに眺めていた晋二の薄ら笑いが思い浮かんだ

……それは…ない……何を言われるかわかったもんじゃない、それに二度と来るかと捨て台詞を残してきた


まだ食いついてくる中山との電話を無理矢理終えてコーヒーメーカーのスイッチを押した

もう急いでもしょうがない、何か食べるものでもあればいいが、今この部屋にあるのは昨日食べ残したリビングのテーブルに乗ったままになっている酒のツマミだけだった

チーズにキムチ……しかも開けっ放しで乾いてる



「神崎……」

駄目になった食材をリメイクする程料理スキルは高くない、諦めてビニール袋に放り込んでいると清宮が出した低いトーンにハッと顔を上げた


続きを聞いてはいけないと直感が告げた


「春人さん!俺今日の夜…仕事が終わってから…いや行けたらだけどベッド大きいのに買い換えます」

「はあ?何で?」

「昨日、狭かったでしょう」

「充分だろ!普通に女と付き合えよ」

やっぱり………清宮はこれきりと言うつもりだったのだろう

「嫌です、欲が出ました」

「欲?」

清宮の横まで行って顎を持ち上げた

「もっと色々したいし…何回もしたいし…やって欲しいし……見たいです」

「な……」

清宮の顔がみるみる赤く染まりプイッと顔で手を払い横を向いてしまった


「次は目と耳を塞いでしろ」


何というか……

愛しい…


「はい……練習します……」

大好きで大好きでウズウズして止められなくなった

清宮の頭をギュッと抱きしめて髪の毛を頬でぐりぐりした、清宮は慣れているのかしつこくつつきまわしても嫌がりも拒否もしない



「神崎…俺の携帯取って」

暫く軽めのキスをして……昨日に比べば…だが……もう一回押し倒しそうになると、もういいだろう、と清宮に顔を押された


「うわ……」

清宮の携帯の在り処はわかっている、鞄から取り出して渡すと画面を見て唸り声を上げた

「何ですか?」

「な、何でもない」

「神崎…手を貸して、俺シャワー浴びたい」

「一緒に入ります?」

「うん」

「え?」

「手っ取り早いだろう?」

手っ取り早くはあるが「あなたに欲情しています」と告白しているのに色気は全くない

許したと言うより気にもしてない体育会系のノリは……体を繋いで尚スルー……

清宮らしいがちょっと凹む


「捕まってください、俺も筋肉痛で抱っこは出来ません」

「抱っこなんてしたら殴るぞ」

もう二回はしてるのに…
言いそうになったが殴られるのはゴメンなので背中から手を回し肩に担ぎ上げた

痛みは一度動いてしまうと意外に我慢出来る、バスルームの手前で清宮もやっと自分で立って服を脱いだ

相変わらず裸を気にしない

男の蟠りもなくさっさと服を脱ぐ清宮の体を傷つけていないか、キスマークなどをつけてしまっていないかチェックした


午後からのシフトに切り替えてもらったが早く行くに越した事はないと清宮が言い張りシャワーを浴びた後はすぐに部屋を出た

いつもいつも清宮の後にくっついて振り回されっぱなしだ、甘酸っぱい余韻は目が覚めた数分で終わってしまった


当たり前だがデザイン部は既にみんな出勤して働いていた



「遅れてごめん、今日来た発注書ある?」

清宮が聞くと山内がクリアファイルの山を二つに分けて差し出した

「これです、それとこっちは急ぎの分」

「ありがとう…悪かったな」

「いえ……あの……これくらい大丈夫…」

何故か山内はクリアファイルを清宮に手渡すとジリジリと足を下げ顔を真っ赤にして後ずさりした



「清宮さん…なんか…いつも以上に色っぽいくない?…」

「唇……赤い……」

事務の女子がコソッと耳打ちしたが全員に聞こえ全員ギクっと肩を上げた

バサッと発注書の束をデスクに投げてMacの前に座りへニャっと頭を落とした

少し赤くなった目がいつも以上に潤みトロンと溶け、気怠るそうに髪をかきあげ片肘に体重を乗せ体を崩す姿は………確かに匂い立つように色っぽい


のっそり仕事を始めてもキーボードを打つ手は時々止まり頭が揺らぐ、放っておいたら眠ってしまいそうだった

呼びかけに向ける視線は全部目だけを動かす為自然と流し目になり、朝一番に色気に当てられた山内は1日中声がひっくり返っていた

このままじゃ美咲二号が誕生してしまう

正確には神崎三号……

知らない所で隠しシリアルを発行している場合もある

誰にも見せたくなくて今すぐ箱にしまって家に持って帰りたかった


「神崎さん…昨日何してたんですか?」

デスクの向こうから美咲が睨んでいた
清宮と二人で出勤して来ると美咲はいつも不機嫌になる

「飲んでたんだよ」

「清宮さんは昨日同期会だって言ってましたよ、何で一緒にいるんすか?」

山田がチラリと意味有り気な視線を寄越した、同期会の事で喧嘩している所を見られている

「春人さんが帰ってきてから飲んだんだよ」

「だから何で清宮さんが神崎さんの所に帰るんですか」

「色々あるんだ」

「…………秘密なんですね」

プイッと話を切って仕事に戻ってしまった美咲にも神崎が幼少の頃から抱いていた憧憬とよく似た思いがあるのだろう……

痛いほどわかる…


清宮はダルそうに1日をやり過ごし、夕方になると用事があると言って一人で帰ってしまった

どこの誰とどんな用事があるか……聞いても言葉を濁されてしまった


我ながらとんだストーカーっぷり、束縛しようとする女に辟易していたくせに見事に体現してしまう

後をつけたい誘惑を押さえつけ夜に顔を出す約束だけ押し込んだ




夜9時を回ると、どこかに出かけてしまった清宮の帰りを待ってダラダラ続けていた残業は何もやる事がなくなってしまった


「嫌だけど……行くしかないか……」

清宮の上着を預かっていると晋二から電話が入り、取りに行かなければならなかった

行きたくないが直接清宮に連絡されても困る、あの夜一緒にいた他のメンバーに連絡されるともっと困る

渋々会社を出て奥まった路地に潜む薄暗いバーに向かった

心を無にして普通の顔……何も考えず何も話さず忘れ物を引き取っですぐに帰ればいい

店に入る前に顔を整え、深呼吸してからドアの取っ手に手をかけた

いくら晋二でも何があったか具体的にわかるわけではないだろう………

聞かれなければ……だけど……



ちりん


「いらっしゃいませ」

晋二はにっこり笑っていつもの席をどうぞと指した

「今日はすぐ帰ります」

「そんなことを仰らずに少しだけ」

「いや……あの……」


オーダー無しでカウンターに置かれたシングルのウィスキーは……やっぱり気分にピッタリだが……出すスピードが早い

すぐに帰るつもりだった事まで読まれたようでそれも気に食わない……能面を決め込んだ心構え葉早々に崩れ、渋々とスツールに腰を落とした


「どうして俺の電話番号を知ってるんですか」

晋二はえ?と素の顔を見せ何が不思議なんだと首を傾けた


「一度掛けたじゃないですか」

「でも………え?…」


まさか……覚えたのか?


「私は一度見たら忘れません」

晋二は困ったような表情を浮かべポリポリと口の端を爪で引っ掻いた


番号を打ち込んだりもしていない、画面に出た番号をチラリと見ただけで覚えてしまうのなんて舌をまくのと同時にゾッとした

「便利な頭ですね」

「もとより彼女以外に滅多に電話なんてしませんけどね」

「友達……少なそうですもんね」

「余計なお世話です」


苦笑いを浮かべた晋二が一人だけでバーテンをしている事情が何となくわかる気がした、良すぎる頭、見え過ぎる感情は人との付き合いには邪魔なのかもしれない


バイトも入れず連日営業は深夜に及ぶ……閉店時間があるのか無いのか、朝方まで居座っても付き合ってくれる、行儀の悪い客もいるだろう……………

………ってか…それは俺だ……


「………昨日は……すいませんでした」

薄笑いに腹が立って怒鳴りつけたが晋二は何も悪くない、他に客もいる中無法に騒ぎ店に迷惑をかけた

完全なる八つ当たりだった

「お気になさらず、クロカワさんは深夜に診てもらえる病院をご紹介しておきました」

「面白がってましたよね」

「はい、面白かったですよ」

「…………」

やっぱりムカつく……


「神崎さんって意外に強いんですね」

「10年前以上格闘技をやってましたからね」

「どおりで容認してないくせに手を出しても落ち着いていた筈ですね」

「そうですね、いつ締め上げてやろうかとタイミング狙ってました」

「ふふっ……どうでしょうね………でも一応誤っておきます、すいませんでした」

「一応って……」

激コワ……

晋二は虚勢を貼るタイプじゃない
張る必要もないくらい世俗に無欲なのは見ていてわかる、謝ったと言うことはあのまま進める自信があるという事

奥さんが来なければ危なかったのかもしれない


やはりこの手練手管に優れた熟練者に一応清宮の体の事を聞いておいた方がいい、他に客もいるが詳しく説明しなくても晋二ならわかってくれる

……言いたくない不必要な事まで知られるのは厄介だがからかわれても今更だ…


「晋二さん、あの…身体に異常はない…のかな?」

これだけで充分だろう、晋二は目を丸くして手を止めた

ふふっと微笑んで……

「残っていたらお腹を壊します」

と、下腹を指差した


「それは大丈夫………です」

女との経験から決して中出しはしない

「歩けなかったんで……」

ふふふと面白そうにまた笑って紙袋に入った清宮の上着をトンっとグラスの横に出した

「あ?ああすいませんでした迷惑かけて」


一応中を確かめると清宮のジャケットの上に女性用の化粧水くらいのボトルと香水の試供品くらい小さな瓶が入っている、何だろうと晋二を見上げた

「差し上げます、潤滑剤が必要なのはもうお分かりでしょう?女性のように濡れませんから…」

「はぁ……」

恥ずかしい……

顔が熱くなり、見ると手まで赤い……、もうなにも言わなくてもバレバレらしい


「それから小さな瓶は”乱暴なハルヒトさん”があんまりやんちゃな時に………」

体をカウンターから伸ばしてグイッと首を引き寄せられた

「くれぐれも扱いには注意してください、量を間違うと危ないですから」

耳元での囁き声に不必要な程と息を混ぜて項をペロンと舐められた

遊ばれているだけなのか本気なのか、この男の正体は本当に見えない




「何?」


………後で寄る、と伝えていたにもかかわらずドアから顔を出した清宮は不機嫌そうに眉を寄せた

「春人さん、夕飯は食べましたか?」

「食べ……て…ないけど…いらないし」

「食べやすいもの買ってきたんですけど…」

うどんの入った袋を上げて見せたが眉の間の皺が消えない、ドアを大きく開けて無言のまま清宮は中に引っ込んでしまった、猫型の清宮は扱いにくい事この上ない

あわよくば、もう一回…いや…

キス…いや…

せめて甘い雰囲気を期待してたが不機嫌で返事すらろくにしない

「うどん作ります、台所借りますよ」

「…うん…」

作ると言っても出汁が付いていて温めるだけだ

「ネギ入れてもいいですか?」

「…ああ…」

何を言ってもムッツリ生返事、うどんとネギの事なんか考えてもいないくせに相槌だけが帰ってくる

嫌いじゃないと知っているからいいけど

アサリの炊き込み御飯をレンジに入れてスイッチを押した

清宮の部屋には意外に食器や調理道具が揃っている、皿なども2枚ずつ…いい加減なものではなくてちゃんと選んで揃えた形跡がある

大きめの白い陶器のボウルにうどんをよそい小さい方に炊き込み御飯を入れた


「春人さん、出来ましたよ」

    

リビングに目をやると清宮はパソコンデスクの椅子に膝を抱えて丸く座って画面を眺めている

Macの画面はまだ先のクリスマスのイメージ………声は届いてないようだった

昼間はだるそうだったが普通だった、用事と出て行ってから様子がおかしい


「春人さん…何かあったんですか?」


宙を見つめ考え込んでいた清宮はくるりと顔を向けて一人ではない事を思い出したように目を見開いた

「…何かって…何で?」

不機嫌の自覚はない………

「何でもないです、うどん出来ましたよ、冷めないうちに食べましょう」

「ああ、そっか……ありがとう」

清宮はまだ少し動きにくそうな体を持ち上げて顔をしかめた


「なあ…神崎……」

食べる合間に喋ればいいのに口からうどんを吊り下げたまま清宮が顔を上げた

うどんに落とした生卵は一番最初に潰されて混ぜられている

「はい?」

「お前何か体を鍛えるような事してる?」

「スポーツクラブとかには行ってませんが、腹筋と腕立て伏せくらいかなあ…、あと握力が落ちないように家にいるときはハンドグリップ握ってます」

「ハンド…?」

「こういうやつです」

ニギニギとハンドグリップを握る真似をした

「ふうん……」

「格闘技やってた頃の名残りでテレビとか見ている時はついやっちゃうんです、握力だけは落としたくないんで……」


確かに……神崎は宮川や黒川からすると細身だが前腕が意外に太い…ぎゅっと指で腕を押してみると思ったより固い……


「何…してるんですか……」

腕を並べて見ると細い……白い………筋の入った筋肉を今度はムニュっと抓ってみた



「………春人さん?…痛い…んですけど…」

絶対違うってわかってる
 
わかってるのに「おねだり?」なんて妄想じみた安い期待で正座してしまった

「何ですか……」


「うん…俺も何かやろうかな……」

やっぱり違った………

「どうしたんですか?急に」

球技大会を見ても、あれだけ動けてその後もケロっとしていた清宮だ、よほど特殊な事がない限り心配する様な事はないと思うが、仕事柄1日座ったままが多い、負荷はマウスを動かすくらいと考えられる仕事の内で最軽量だ、気をつけないと体力が落ちる


「な………だよ…」

「え?」

モゴモゴ言って聞き取れない

「何で…俺だけなんだよ」

何が?………

意味がわからない

入るだけ口にうどんを突っ込んでズルんと吸い上げた清宮の顔がみるみる赤くなっていった


「あ…………」

「あの」後で自分だけが筋肉痛になっている事が悔しいのだ

「俺も腹筋にちょっとだけきてますよ」


清宮の顔がますます赤くなり、長年かけてチビチビ齧り取られ昨日大崩壊した理性は今や足先にチマっと乗った小指の爪程しか残っていない

それだけでも死守する…


「何か一緒にやりますか?」

言ってからいい事を思い付いた
清宮は筋トレをするよりもスポーツで体を動かす方が向いているだろう

「何かって何がある?」

「うちの8階にスポーツクラブにスカッシュがあったでしょう、あれやりませんか?」

「スカッシュって何?」

本当に自分に関わりのある事以外無頓着だ、名前ぐらい聞いた事はあるだろうに…

「テニスと卓球とビリヤードを混ぜたみたいなスポーツです」

「ふうん、行ってみる?」

「はい、手軽だし、近いし……春人さんの体が回復したら行ってみましょうよ」

思わず口元がニヤリと緩んだ

小4から通った柔術の道場はバッティングセンターや卓球クラブと一緒にスカッシュのコートもある総合スポーツクラブだった

予約のない時には自由に使え反射神経を鍛える為にひたすら通い詰めた

試合をした事はないが……多分……

清宮にも負けない


「何ニヤニヤしてるんだよ」

「楽しみなだけですよ」

「道具とか何かいる?」

「とりあえずは借りましょう、ずっとやるなら買えばいいし靴も普通の床用でいいと思います」

「明日スポーツ用品の同期に聞いとくよ、神崎もいる?」

持っていると言えば疑いそうだ

「お願いします」

にっこり答えておいた



ピュッと足元を吹き抜ける風が刃を立て慌ててクローゼットの奥からコートを引っ張り出した

季節は唐突に姿を変えデザイン部は季節を先取りするその特殊性から早くも年末の様相になってきていた

クリスマス商戦に向けて出揃った500万とタグの付いた螺鈿の腕時計やダイヤモンドがチェーンになっているネックレス……2000万?……

誰が買うのか500万が390万に値下げと言われても世界が違い過ぎてスゴいとも思わない、撮影を任された美咲が白けた様子でブラブラ乱雑に吊り下げて見ている気持ちがわかる


その日の午前中は樋口と池上に会わなくてはならなかった

どこか外の店に出向くと何度も断ったが近くまで来ているからと押し切られ店舗の中での待ち合わせになってしまった

面白がって偵察込みの職場見学だとわかってるがデザイン部に来客を入れる事は殆どしない、図々しい保険屋が飴を持って来るぐらいだ

潜みたい時御用達の6階の隅にある喫茶店を指定した


「ごめんね押しかけちゃって」

「こちらこそわざわざ来ていたただいてすいません」

二人が席に着いてから樋口の隣に座ると、池上が不満な顔をチラと見せたが店内には人目が多い、監視されているぐらいに思っていい、物凄い推理力に妄想たっぷりの派手な脚色が付いてお昼ご飯のおかずになるなんてごめんだ


「この前のオーケー出たわよ、これカンプ原稿、お疲れ様」

池上がお冷のコップを除けてテーブルに置いたプリントアウトを受け取って中身を確かめた

「ありがとうございます、また請求書送ります」

「評判よかったのよ、さすがだって褒めてたわ」

「いや、それ作ったの実は俺じゃないんですよ」

「え?どういう事?」

「宮川くんかな?それとも別の人?」

樋口はコーヒーに砂糖を三つも入れてケーキまで頼んでいた

「いや、まあ……」

「その方今いらっしゃる?」


作ったのは清宮だった

甘すぎると言われデザインの変更をしなければならなかったが月の広告ローテションと重なり手一杯だった

デザインを一からやり直すより頭をすげ替え違う視点で制作した方がいいと同じく一杯なはずの清宮が全部引き受けた

「いや……今はいないんじゃないかな…」

清宮はデザイン部にいるはずだが樋口と池上に紹介するなんて絶対嫌、樋口も池上も何を言い出すかわかったもんじゃない

「じゃあ連絡取ってよ、これでいいんだけど最後にちょっとだけ直して欲しい所があるの」

「そうなの?カンプ出てるのにまだ修正?やぁね、どうして電話で先に言わないのよ」

樋口には奥さんと娘がいると聞いた事があるが言葉の端々にオカマっぽいオネエ言葉が時々混ざる、コーヒーをかき混ぜるスプーンを持つ小指が立っているのも……それっぽい

「だからわざわざ来たんじゃないの、クラアントにはもう見せないからサクッと済むでしょう」

「俺が聞きますから……それでいいでしょう」

「連絡ぐらいできるでしょう」

「忙しい人なんで無理だって、俺がやるからどこを修正するかさっさと言えよ」

清宮の事に話が及びそうになり無意識に語彙が荒くなった



「ごめんね!ごめんね神崎くん、忙しい時に時間取ってもらってほんとにごめん、ほら池上さんもクライアントに顔を立てなきゃならないしそこはわかってあげて、あたしもちゃんと協力するからね?」

目を丸めて次の言葉が出ない池上に気を使った樋口がオロオロしながらフォローを入れた

オネエ言葉が威力を増して口に当てた手の指がピンっと伸びているのもオカマっぽい


「……すいません、言い方が悪かった、俺が勝手に持ち込んだ仕事で同僚に手間をかけさせたくないんです」

「ごめんね、そうよね、わかるわ……」

「樋口さん、そんなに気を使わなくても私は大丈夫、気を悪くしたりしないわ」

怒るどころか池上は嬉しそうにニッコリ笑ってちょっと皮肉げに片眉を上げた


「神崎くん変わったね」

「え?変わったってどこが?」

 
体重は変わってないし服は……電報堂の頃より少しラフだがそんなに違いはない

「前はそんな風に感情が見えなかったの、表面は柔らかいのに手触りに角があるって言うか?」

「何だよ……それ…今のは八つ当たりだから、ごめん」

「やぁね……手触りって…やぁねもう露骨なんだから」

「ふふ……今の方が近くていいわよ」

「池上……樋口さんの居場所がなくなるだろ」


「あたしには構わないで、妖精だと思って無視してくれていいから…何なら帰ろうか?」

樋口は本格的なオカマなのか?、テンパって出てしまったオネエをもう隠そうとはせず本格的に全開…妖精って……なんだ?


「樋口さん……何言ってるんですか、他にも案件あるんでしょう?池上も修正さっさと言え」

ハイハイ……とカンプ原稿を広げ池上が言うには、「……してください」を「下さい」に修正しています欲しいとの事だった

下さい、は勝手に変換されても一番に校正が入る特殊ポイントだ、しかしもう既に並行して作ってしまったHPや看板に合わせなければならない

池上と赤丸をつけて何箇所あるか数えていると携帯が音も無しにブルブル震えだした

画面の表示は清宮……、樋口と池上に見られる前に速攻叩き切った

見られていなかったか携帯から顔を上げて……

喉を通りかけていたコーヒーがブフっと逆流しそうになった

何故こんな地味な場所をうろついてるのか清宮と美咲が店の外を横切って行く

そう言えば……

この喫茶のある6階にはスポーツ用品がある、スカッシュと靴の話をしていると美咲に嗅ぎつかれ俺も行くと言いだした


池上は清宮の顔を知っている

清宮に見つかっても面倒だ、視線を読まれないようにわざとらしく手元のカンプに視線を集めた
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