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薔薇の部屋

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葵がフェードアウトした。
つまり潜入1日目は終わりだ。

作戦通りと言うか予定通りと言うか、想定していたような最悪の事態は何も起こらないままで1日目を終える事が出来て取り敢えずはホッとした。

葵が1人で潜入するに当たり、気を付けなければならないのは危ない目に合う以前の話だ。
色の滲んだ目でジロジロと値踏みされたり、心無い扱いに嫌な思いをさせたりはしたくない。仕事だと言うなら尚、つまらない事で傷付いて欲しく無かった。

作戦完了って事でもう帰ってもいいわけだが……

「まだビールも…あと1500円分は残ってるしな」

つまり3分の1が残ってる。
どうせ葵とは一緒に帰れないのだ。
行きと同じで基本葵は一人で行動しなければならいから待つわけはいかない。

今回はこの店の情報を取る為にこんな事をしている訳だし、些細な事でも何が役に立つかはわからない。飲み放題「二時間制」の飲み屋じゃ無いのだから新たな注文をしなければもう料金は同じだ。

実は、前乗りした2日間にホスト数人と話してびっくりしていた。どうせ大金叩くなら綺麗なお姉さんがいるキャバクラだったらよかったのに、自意識過剰のなよった男と無理のある会話をしなければならないなんて残念を超えて無念……なんて思っていた。
しかし、隣り合ったどのホストも会話が上手く、何だか気が合うような気がするのだ。

「気」がしただけな。
相手はプロなのだ。
プロって意味にびっくりしたけど、それでも友達になれそうな「気」がした。

空いた席に昨日話したホストが来てくれないかな……とフロアを見回すと、ホストの中でも少し毛色の違う、管理職っぽい黒服に呼ばれてドキンッと心臓が跳ねた。

まさか、怪しまれたのか。
ケチ臭く一杯しか頼んで無いビールをチビチビ飲んでだから?
それよりも何よりも葵と知り合いってバレた?
会話の間の会話は周りから見たら妙な間にしか見えない訳で、かなり挙動不振だった筈。
はっきり言って怪しまれても仕方ないくらい怪しかったと思う。

まさかバックヤードに呼び出されて怖いお兄さんが登場するのか……と身構えたけど、どうやら清算しろと言われてる。

差し出されたチェックを見ると、※の後に12万が乗っている。つまりはおばさんと競合した上で葵を会得した事になっているらしい。

現金で支払いを済ませると「こちらです」と黒服が先に立った。
案内されたのは薔薇模様のプレートが付いたドアだ。


「うわあ……」

ドアを開けてまず目に入ったのは分厚いビロードのカーテンだ。

部屋の端から端まで覆われているから部屋の中は見えないけど葵の笑い声が聞こえる。
幾重にドレープの入った重い布束は避けても避けても端っこに辿り着かなくて面倒臭いから持ち上げて潜った。

漸く辿り着いた薔薇の部屋は何だか凄かった。

ゴシック調の天蓋付きベッド。猫足のサイドテーブルには真鍮の燭台が置いてある。
壁から生えているランプはチューリップの形、金糸の刺繍が入った布地の壁のクロスは上品な光沢を放ちシルクに見える。
床を覆っているのは贅沢なペルシャ絨毯。
主要な電灯と窓は無い。

この部屋はホストクラブ所有の所謂ラブホテルのような物なのだろうが、淫靡と言うより中世ヨーロピアンを模した豪華な映画のセットみたいだった。

至極豪華、一見上品。

しかし、ここは高額を払って男を買う奴が来る所なのだ。そして葵にとっては最悪な場所の筈。
なのに葵は笑い続けている。

「お前よく笑えるな」
「健二さんが悪い……酷すぎる、あんまりだ、お陰で逃げるしか出来なくなったおば……おばさんって……」

「……楽しそうでなによりです」

葵が笑えるならそれはそれでいいけど、こっちは笑えない。だがベッドに座るわけにはいかない。
いかに豪華でも寛げない。
何だか落ち着かない気持ちのまま、手持ち無沙汰ついでに部屋の中をじっくりと観察してしまった。

ベッドサイドの燭台の影には大量のコンドームがある。
うん。そりゃそうだ、なにせ二人分だからな。

そして各種のセックスジェル。大人のおもちゃ。
うん。男同士だからな。

後はトイレと……もう一つのドアは多分バスルーム、その隣にあった短い猫足が付いたアンティークなタンスを開けてみると様々な衣装が吊り下がってる。チャイナドレスやメイド服、ガーターベルトとフリル付きの網タイツ、スケスケレースのスリップドレス。女物のように見えるが胸の膨らみは考慮されてない。

何だか呆れてしまった、女が欲しいなら女を買えって思う。

しかしだ、箪笥の底に並んでいた藤の籠に入っている異様なグッズには目を引かれた。
籠は3つある。
2つはコスプレ用の小物、
黄色と黒の縞縞模様の角が生えた銀のウィッグや
天使の輪っかとショルダーの羽根。
お馴染み動物耳のカチューシャ、各種尻尾、ブーメランの上を行く危うい下着。

そして、もう一つは布が掛けられ隠されてる。
中身を見ると低音蝋燭に、手錠、鞭、そして……

鎖の付いた首輪。

籠二つ分のグッズは楽しいけど、これは葵に見せてはいけない。
元あったように布を戻して箪笥のドアを閉めようとすると、「色々あるんですね」って脇の下から葵の声がした。

腕を上げると膝に手を置いた葵が箪笥の中を覗き込んでる、そして「したいならする?」って見上げて来る。

したくない。
全くそんな気はない。
幾ら豪華でも、幾らムード満々でも、幾らエロい性具が並んでいても「ねえねえ健二さん」って言われてもそんな気にはならない。
地味で狭くて風呂の中にガメラがいても事務所の方が余程いい。

「しないよ馬鹿」
「でも遊んだ方が楽しくないですか?しないなら何か着る?こんな機会ないですよ」
「確かに無いけどな」

コスプレ葵は確かに……ちょっとだけ美味しい。
ちょっとだけだぞ?
普段そんな事を言ったら間違いなく殺害される。

チャンスと言えばチャンスだ。
どうせだから天使の輪っかを付けた葵が見たい。
ついでに羽を背負ってくれたら尚嬉しい。

すっかり毒されているな、なんて自分で自分に呆れていると、「じゃあこれ」って銀のウィッグが頭に乗った。

「………」

いいけど……自分で試すって考えは無かった。

しかしここで言うべき事は一つだ。

「似合う?」

シナを作って髪を噛むと、葵は笑ったりはしなかった。はみ出た前髪を丹念に押し込み乱れた毛並みを整える。

いいけど。

そしてマジマシと真剣な顔で細々と仕上がりを吟味して、物凄く真面目な顔で「似合う」と言った。
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