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普通…手も嫌だけどコンニャクはもっと嫌だよね

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「あの、桃地さん、聞いてもいいですか?」
「はい、葵さんは色々と知っておくべきだと思います」
「椎名さんが嫌がらせされてるって聞きましたけどそれは?何か知ってるんですか?」
「ああ、椎名さんはやり手ですからね」

ヤクザな人種に「真っ当に生きる事」を推奨すれば反発は起きる。傘下に入れない者、従えない者は羽振りのいい椎名が目障りなのだ。

その結果、妬みやしがらみを生んで椎名の経営する健全な店舗に嫌がらせをされているって事だ。

椎名は何でもない事のように笑って「ちょー嫌な奴が目障りだから嫌がらせついで」と笑っていたが、実は困っているらしい。
事業を母体に、養っている拾い物の家族が大勢いるから売り上げが減って困るのは椎名では無い。

「役に立たなければ」と強迫観念に駆られた葵を虫のいい自分の都合で利用しようとしてるって思ってたけどちょっと違うみたいだ。
椎名の「家族」には銀二も桃地も葵も俺も、ひいては「法律では裁けない問題を解決します」も入ってる。

確かにそれは困る。

この仕事をやるかどうかは別としても結構責任が重くないか?
「嫌われる理由を探す」とか「ワニガメの幸せ」を探すとかに困ってる場合じゃなかった。


………って……そこで思い出したが、そう言えば楓ちゃんの案件を先延ばしにしたまんまだった。

チラリと携帯の時計を確かめると、銀二はそれを見越したように「そろそろ仕事をしましょう」とエプロンを脱いだ。

ついでだから報告すると、銀二のエプロンコスプレはまだ続いてる。
今日のエプロンはボタニカル柄のお洒落な若奥様風味だった。


その後に別の仕事があるからと銀二も帰ってしまった。
残った桃地はガメラの世話をして来ると風呂場に行った。

桃地は話をする間、何度も銀二の顔色を伺っていた。
恐らくだけど、銀二は椎名の窮状を俺達に知らせる為に桃地のお喋りを黙認したんだと思う。
もし都合が悪ければ放置なんかしない、速攻で止められた筈だ。

邪魔者はもう誰もいないから後でもっと詳しく聞く。葵を人身御供に出さなくてもいいような、きっと何か他にやりようがある筈だ。




バフっと埃を立ててベッドに飛び込むと、端の隅の足元に葵がチョコンと座った。

足を上げてバリヤーを張るように膝を抱える。

いやいや全くホントに俺は馬鹿だ。
椎名の言う通り葵が「ご奉仕」を目論んだというのは濃厚だ。

今日一日、葵の唇はずっと白いままだった。

椎名の事情を詳しく聞いたせいで要らぬ決心を硬くしたように思う。
酷く憂鬱な気持ちになるけど、聞きにくい事は纏めた方がいいと思う、ずっと引っかかっていた事を聞いた。

「なあ……葵が首を嫌がるのはさ…もしかして」
「違うから、関係無いから、健二さんが思う程俺は繊細じゃない」

知ってる。

「でもな」

「原因なんか無いです。気色悪いだけです」



健二には言いたくないし言わないけど、原因をあげるとしたら親父のせいだと思う。
小さい頃から普段はとことん無視してるくせに何か命令する時は首を掴むのだ。
犬を躾けるように首を掴んで耳に口を寄せる。
酒臭いし、痛いし、言う事もロクな内容じゃ無い。

「お金を貰ってこい」だったり、「酒を買ってこい」だったり、時には「2、3日帰って来るな」だったりした。
学校の中で、どうやったら子供ができるか……なんて話題になる頃には女を連れ込んでいるのだと予想がついたけど「何をしている」のかを具体的に考えた事は無かった。

あれは中2の時だ。
深々と底冷えがするクリスマスの夜だった。
古いアパートのボロいドアからは冷たい隙間風が漏れ入ってとても寒かった。

暖房に割くお金なんか無いから毛羽立ったナイロンの毛布に包まって一人で留守番をしていた。

親父がいようがいまいがどうせ関係無いのだが、帰って来るまで寝ないで待つのが何故か習慣になっていた。

古びた畳は道路と繋がっているのかと思うほど薄い。井草が解けてささくれ立っている畳は頬を痒くするが、耳を付けてうとうとしていると少し足を引き摺るような足音が聞こえた。

どうせ酔っている。
布団を敷いておかないとその辺に寝転んでしまうから面倒なのだ。

冷たく薄い布団の端を持ち上げると、親父が知らない男を連れて帰ってきた。
そして、クリスマスプレゼントだと言って安物のショートをくれたのだ。

親父の手には新札らしい3万が握られている。
また誰かにお金を借りたか、パチンコでも当てたのだ。

だってそんな事は珍しいのだ。
クリスマスなんて関係無い世界で生きて来た。
誰かは知らないが客の前だからいい格好をしようとしてるのだと思っていた。
しかし、ケーキを食べた後に首を掴まれ服を脱げと言われた。

カメラを構えたのは親父だ。

何が嫌だったって……痛みとか、屈辱とか、犯される恐怖より、親父に見られているのが一番嫌だった。

あの目は忘れない、憐みと、後悔や悔恨、そして少なからずの好奇心が折り混ざった複雑な顔。

小学生の頃にはもう誰にも首を触って欲しくなかった、しかしその頃から首に触れる嫌な感触に臭いや音、あの目の記憶が上乗せされて震えが来る程の拒否反応を示してしまう。

死にたいなんて思わない、その代わり親父を殺してやろうと思った。

しかし殺したりは出来ず、出て行く事も出来ず、子供っぽい家出を繰り返すだけ。我ながら情け無いが、それきり何も起こらなかったからだ。

もう「支払い」は済んだと思っていた。

引田がやって来たのは20歳の誕生日その日だった。そして「本番だ」と言ったのだ。

その時に初めて知った。

クリスマスの夜に撮られた動画はつまりあれだ。
盛りに盛った宣材写真で客を釣るキャバクラと同じなのだ。子供に見えるけど成人してるってプロモーションをしたかっただけ。

6年も待つなんて気長で悠長な商売だと思うけど、思ったよりも大人になっていようが、それこそ逃げて行方不明になっていようが損失は無い。
引田が親父に支払った額はたった3万なのだから……。


え?

その頃より背は伸びてるよ?
7センチは伸びてる。
顔だって体だって中2の頃とは全然違う。
筋肉だって付いたし毛も生えた。
問題の動画より5年も経ってるのだから当たり前じゃん。そんな物を信じて大金をはたいた変態は「詐欺」だって怒ってたと思う。

その時に連れて行かれたのは問題のホストクラブmen'sアナハイムだった。
お前の客はもう決まっているからと言われてカーテンに覆われたベッドしかない部屋に押し込まれた。

勿論暴れたし逃げた。

何てったってこっちは成長した大人の男だ。
何も知らず、抵抗出来なかった子供と同じだと思わないで欲しい。

滅多矢鱈にドレープの多い豪華なカーテンは全部引きちぎったし、とんぼの浮き出たアンティークっぽいガラスのランプは壁に投げ付けて壊してやった。
用意されていた鎖を振り回し、割れる物は全部割ってガラスの破片を撒菱《まきびし》にしてドアが開くと同時に飛び出した。
不思議な事にドアの外は平和そのものだった。みんな楽しそうにお酒を飲んでるだけだ。
逃げるのは簡単だった。

そのまま街をぶらついてたら捕まったけどね。

追い掛けて来た奴らは「お前は20万の高額品なんだから逃がさない」と言って笑った。

その時に知ったのだ。
普通の暮らしをしている人からは見えない程の底辺にいる奴は搾取されるだけなのだと。
親父は無知で無学だから搾取されるのだ。

「20万」
恐らく親父はあの時手にしていた3万しか貰ってない。世の中そんなもんなのだ。

この時、普通なら搾取する側にのし上がろうと思うのかもしれない。しかしこれが育ちが悪いって事なのだ。諦める事を覚えてしまった。

この数日はよく考える。

もし、健二なら同じ立場に立ったとしても違ったと思う。健二なら違う道を……、全く、誰も、どうやっても思いつかない違う道を見つけたと思う。
馬鹿で能天気で呑気で人のいい健二なら歩いて行く道が明るいと思えるのだ。
事務所に残りたいと思ったのは、全てを諦めても、それでも前を歩く健二が暗い道を照らしてくれるような気がしたから。

本当に眩しい。

でも……「試しに」と言って首を触るな。

「……とにかく首に触んな、理由なんか無い、気持ち悪いだけです」

「じゃあさ、首を触っても気にならないように訓練する?まずは……そうだな、濡れタオルとかコンニャクとかからってのはどうだ?」

「…………は?」

コンニャク

ほら。
健二って能天気。
もう既に神々しい。

そんな事考えた事も無い。
別に生きて行く上で不自由無いし誰にも迷惑掛けないと思う。「首を触る訓練?」、こんにゃく?

「無駄だし無用だし不必要です、はっきり言って困ってません、この前困ったのは特殊な状況です」

「え?だってこの先困る事もあるだろ」
「困りません」

普通に生きていけば、首を押さえ付けて「犯すぞ」って笑う奴は滅多にいない。
そんな奴に触られるのは首は元より指先だって嫌だ。そして嫌でも何でも逆らえないのは同じだ。

「でもさ、俺は諦めてないぞ?こうな……チューってする時…ほらどうしても触るだろ?」
「白目を剥いてもいいなら好きにしてください」

「そうか……そうだよな……嫌だよな、俺…昨日の夜触ったよな……ごめん」

ウザい。
ションボリするな。
わざとらしく項垂れるな。

「好きにしろと言ってるでしょう、いいんです、触ってもいいです」

「え?」

そして突然キラキラするな、眩しい。


「あ~!もう!面倒臭い!何でもいいけど訓練なんて無駄です、一人でやっててください」

コンニャクに慣れたとしてどうなんだ。
生暖かい皮膚の感触が嫌なのは確かだけど理屈じゃ無いのだ。
人の手が触れると触感より、黒い不安に巻き取られるような気がする、例え触られる事に慣れたって気持ち悪く思うのは治らない。

しかし健二は馬鹿で度の過ぎる前向きな人なのだ。

止める間も無く嬉しそうに「コンニャクを買って来る」と言って飛び出して行ってしまった。

24時間営業をするコンビニを恨む。

帰って来るのを待たないで寝るけどね。


「もっと……相談しなきゃなら無い大事な事があると思うんだけどな」

実は……昼ご飯を買いに出た時に護衛だと言って付いてきた桃地にちょっと無視出来ない事を聞いた。椎名と関係を悪くしている「ちょー嫌な奴」と揉めたのはとある「闇金の焦げ付き」が始まりらしい。

回収出来る当てがあるのに邪魔された……って…

原因は俺じゃん。
ややこしくなるから口止めされてるって桃地は言うけど当の本人に喋ってるよ。

どっちにしてもやるけど、断れなくなったのは間違いない。

怖く無いかと聞かれたら怖い。
嫌じゃ無いのかと聞かれたら嫌だと言いたい。
でも、朝起きたら隣からピーピー聞こえる鼻笛にホッとするのだ。


「あ、やべ……帰ってきた」

三段飛ばしで階段を上る足音は健二だ。
コンニャクでの訓練なんか冗談じゃない。
まだ隣に並んで眠る勇気は無いからベッドの下で丸まって頭から毛布を被った。
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