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そりゃ慌てるよ

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椎名が走る所を初めて見た。

椎名は常にふざけている。
常に偉そう。
しかし、見た目や受ける印象からは程遠いくらいマメで面倒見のいい人なのだが、自ら走ったりはしない。走らなければならない時は「走れ」と誰かに命令するのだ。

その椎名が事務所を飛び出し血相を変えて走って行く。
葵が事務所を出てからどのくらい経っているかはわからないけど、椎名が事務所に来た時にはコーヒーが湯気を立てていたと言う。
コーヒーメーカーで保温された液体は煮詰まった味がするでも無く、今しがたスイッチを入れたのは間違いない。

その後、マグカップのコーヒーが冷める前に話を始めたから1時間程だと思う。


葵の世界は狭いのだ、まだその辺にいる可能性はある。

走る椎名の後をついて行くと、「同じ場所を探してどうする」と怒られた。

最寄りの駅を二人で見て回った後は左右に分かれ、思い当たる場所を回った。
まずは手近なコンビニだ。
ムキになって食べなくなっていたプリンをヤケになって食べているかもしれない。
中華屋、杏仁豆腐が好きだった。
ケーキ屋、和菓子屋、まだ開店してない焼肉屋。

走っているうちに思いの外事務所の近所まで帰って来てしまった。
だって葵の影を思い浮かべると「法律では裁けない困った問題を解決します」の周辺しか思い当たらない。

ついでだからヘルメットを2つ取りに帰って、客用の駐車場を持っている蕎麦屋に預けたままになっていたオフロードバイクを取り行った。

バイクに乗ったらバイクで行った場所が思い浮かぶ。オールで遊んだカラオケ屋、スーパー銭湯、それから二人で行った事は無いけど昔家出した時に避難場所にしていたと聞いた漫喫やゲームセンターを回った。

見つけてあげないと駄目だ。
葵は出て行きたくなんか無かったと思う。
事務所での暮らしはそれなりに楽しかった筈だし馴染んでもいた。

「……筈だ!クソッ!あの馬鹿!もっと見つけやすい場所にいろ!」

葵は閑古鳥の鳴く事務所の売り上げをいつも気にしていた。
それは葵がそこにいてもいいと、椎名の言うように笑っていればいいだけとは思ってなかったって事だ。葵の借金なんて架空の物だと……何度も何度も匂わせていたのに、はっきりと「そんな物は無いんだ」とは言ってやらなかった。

借金と言う見えない枷は葵を苦しめたのかもしれないが、葵にとっては必死でしがみ付いている命綱だったのかもしれない。

だから、清算した途端、居場所を無くした。

精算と言っても言葉の上の話だが借金その物が言葉の上なのだ。
まずは葵を見つけて…話はそれからだ。
なのに、どこにもいない。

闇雲に探して、当ても無く探して、目に付く店を片っ端から覗いて周り、もう心当たりが無くなったた頃に、ハタと気付いた。

友達はいない、出来ない。
葵はそう言ってたけど、事務所に来た当初は上目遣いで事務所を見回し、警戒心を顕にしていたくせにすぐに慣れて「馬鹿だ馬鹿だ」と言いながらもイソイソと側に寄ってきた。
同じベッドで眠る事だって最初は悲鳴を上げるほど嫌がったのに、毎日忙しくて、疲れきっているうちに当たり前になっていたのだ。

だから、何も考えずに受け流していた。
葵を独占出来る事が嬉しくて目を瞑っていた。
しかし、こうなった今、よく考えると葵は誰とも親しくなろうとはしなかった。
事務所の周りに建ち並ぶ商店街の店には葵の名前を知ってる人は沢山いる、時には飴を貰ったり挨拶したりはするけど葵は笑って相槌を打つだけでいつも一歩引いていたのだ。

個人的に頼れる友達なんて誰一人として思い付かない。心当たりは全く無いのだ。
何か手掛かりがあるとしたらH.M.Kの事務所だけだ。

もしかしたら事務所の周辺に潜みこっそりと伺っているかもしれない、嫌がってやるから早く見つけてくれと焦れているかもしれない。
無いだろうなと思いつつ一縷の望みをかかえて事務所に戻ってくると椎名がいた。

葵が見つかったかどうかは……


聞かなくても顔を見ればわかってしまった。



「椎名さん、葵はお金を持ってると思うか?」
「葵が隠していた逃亡用のパンツは無いな」

パンツ?
今お金の話をした筈なのに何で着替えに飛ぶ。

「パンツって何?」
「うん、ずっと隠してたんだ、可愛いだろ?」

そのパンツとは……
葵をH.M.Kに引っ張って来た三日目から事務用キャビネットの後ろに隠していたらしいが、椎名に見つかったと知ると、今度は傘立ての下に移動したと言う。どちらも出入り口の直ぐ側で咄嗟に逃げる時を考えてたって……うん、可愛い。
椎名と葵だけの話になっている所がムカつくが聞いていると自然に頬が緩む可愛い話だった。

「本当に葵はしぶといな」
「しぶといからどうなるかが見えて連れて来た」
「それは使えるからって事?」
「そうじゃない…そんな簡単な話なら放っておくさ」

「キリがないからな」と、椎名は困ったように眉を下げて笑った。
そりゃそうだ。
間が悪かっただけで世間の波から零れ落ちてしまったグレて荒れた若者なんて吐いて捨てる程いる。俺自身がそうだったように、ちょっとした救いの手があれば簡単に立ち直るのかもしれないが、椎名は所謂アウトローの集団に身を置いているのだ。目に付く奴全員を拾って回るなんて出来ない。

では何故葵だったのか……。

「葵は何か特別だったのか?確かに父親が死ぬ迄の環境は酷い物だったのかもしれないけど、それは一掃されてただろ?わざわざ嘘を付いて脅してまで連れて来なくても良かったんじゃ無いか?」

腎臓だ角膜だ。
騒ぎに騒いで、最終的には「体で払った」と思い詰める原因にもなってる。
それなら最初から葵を利用しようとする輩と繋がる場所に関わる方が危ないと思う。

「だからそんな単純な話じゃ無いんだよ」
「じゃあ何?まさか例の例の下衆動画を見て気に入った……なんて事は無いだろうな」

我ながら下卑た邪推ではあるが嫉妬心という厄介な感情は容易くコントロール出来る物じゃ無い。

呆れるように口を開けた椎名に「どうなんだよ」と繰り返すと、「馬鹿を言うな」と「お前が言うな」と「チンコを切るぞ」が足蹴りと一緒に飛んで来た。
そして麦茶を飲むようにウイスキーを煽り天井を見上げた。

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