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モンブランを食べたカフェまでは事務所の近所からバスに乗ってやって来た。
実は「モンブランが人気」と言ったのは嘘で、椎名に牡蠣を取って来いと頼まれた料理屋の近くに何か美味しいものでも無いかと探したのだ。

だから目的の店に最寄りより二つ程前のバス停で降りていた。多分2キロくらい先だがもう一回バスに乗る程の距離じゃない。

「ここからちょっと歩くけどいいよな?」
「いいですけど……本当に「ちょっと」なんですか?また1時間とか掛かるんじゃないでしょうね」
「またって何だよ、10分くらいだと思うぞ」
「ならいいんですけど、この辺って健二さんも初めて来るんでしょう?地図を見ただけで目的地とか距離がわかるんですね」

「カッコいい?」


「………………普通です」

「うん、普通だよな」

葵が結構な……もっと言えばかなり方向音痴だと知ってるけどそれは言わない。道に関しては全部任せてくれるのが嬉しいからだ。

どこに行くのか知らないのに少し遅れて付いてくる葵は従順な飼い犬のようでリードを繋ぎたいような気分になる。

葵の食にやたらと拘る椎名も「食べさせてあげたい」のではなく「食べさせると面白い」からだと思う。葵にとっては災難かもしれないがそこにいるだけで突き回したくなるのだ。

……という事で……
早足で歩いて突然止まるという意地悪をしてみる。期待を裏切らない所が葵だ。狙い通りの素直さでポフンと背中にぶつかって来た。

慌てて一歩下がり、「何も無いよ?道?わかってるよ?」そんな風に取り繕う。
やっぱりリードを繋いで「お手」とか言いたい。
思わず頬が緩んでニヤつくと葵の頬がポウっと赤くなった。

「何ですか、何見てるんですか」

「ハハッ何でも無い」
「じゃあ止まってないで歩いてください、もう10分くらい歩いてますよ、見逃したんじゃ無いでしょうね」
「いや、もうこの辺だと思うんだけどな、あんまり目印になるもん無かったんだよな」
「店の名前はしぎんでしたよね」
「うん、地図によると「ペットショップ ワンちゃん」の向かいなんだけど……あ、あれかな……」

「盛大に犬の絵が描いてあるからそうみたいですね……それにしてもペットショップの名前がワンちゃんって……」

「うん……ワンちゃん……」

「………」


ぶふッと先に吹き出したのは葵だ。

何が面白いって…何も面白くない。
何も面白くないのにじわじわとツボに嵌まって、一度吹き出すと笑えて笑えて止まらなくなった。

「考えたのかな?店の名前………ちょっとでも考えたのかな?」
「考えてワンちゃん?」
「いい加減過ぎるだろ、安直過ぎるだろ、猫もウサギも虫もいるだろう」

虫は診ないだろうってまた一頻り大笑いする。
何が面白くて笑っているのだか、それがわからない所がまた笑えるのだ。

葵とは笑いのツボが合うって言うのか、変な所で気が合うって言うのか……楽しくなって思わず歌を歌ったり、ウキウキして走っちゃったり…………そんな時、息をするように自然と同調する。

そして自然と抱き着くと笑いながらも殴られた。
葵の頭の位置って抱き寄せるのに丁度いいのだ。


「相変わらず乱暴だな」

「健二さん、遊んでる場合じゃ無いですよ、約束の時間過ぎてます、料理屋さんは仕込みがあるから遅れるなって話でしょう」

「お前こんな時だけ真面目だな、5分や10分や30分変わらないさ」
「30分はさすがに駄目でしょう」

「そうだけど……あ、あった、ここだ」

ペットショップ わんちゃんから道路を挟んでの向かい、つまり立っていた場所の目の前に「割烹 しぎん」はあった。

想像していた店と随分イメージが違ったから目に入っていなかった。

「何か……想像より高級だな」

「ちょっと入りにくいですね」

夜になったら篝火が灯るのか、竹で組まれた台座に鉄の籠が乗った松明みたいな物が対になって門の代わりをしている。
狭い箱庭には玉砂利とミニ枯山水
道路からほんの少し奥まった所に立っている和風の建物には白木の引き戸が付いている。
看板はあるものの、まだ暖簾も何も無いから立ち入る事を拒まれているようにさえ見える。

もっと猥雑で大衆的な居酒屋から仕入れ分を分けてもらうのだと思っていた。


「葵……行けよ」

「頼まれたのは健二さんでしょう」
「葵の為とも言える」

「…………」

「一緒に行きます?」
「………そうだな」

俺と葵の気後れは種類が同じだった。
店は……特に高級を気取る店は「客」には異常なくらい親切にする癖に汚い浮浪児には軒を借りるだけでも嫌な顔をする。

まさか大人になった今「誰に断って敷居を跨いでる」って怒られたりしないけど、鼻であしらわれた屈辱が染み付いてるのだ。

まあ…どっちしろ静か~な店で気取った料理を食べるにはお金も経験も足りてない、葵と2人で勢いよく引き戸を開けると思いの外軽くて、殴り込みみたいな勢いでパーンっと跳ね返った。

一瞬逃げようかなって思ったけど、ズイッと足を踏み出したのは葵だ。

「椎名さんに頼まれて牡蠣を取りに来ました!」

そして何故か腕を組んでの仁王立ち。
こんな時の葵が度胸満点なのは知ってるけど、腕組みは無意識の鎧だと聞いた事がある。

一人じゃないぞって意味で肩に手を置くとジリっと下がって凭れてくる。

こんな時、ベストバランスと言うか、持ちつ持たれつと言うか葵との相性はピッタリだなって思う。


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