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第九章

207.恋の味

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「……愛里紗?」



  翔は固く口を結びながら感情的に涙を滴らせていく様子に驚いた。
  すると、愛里紗は目線を落としたまま翔の耳にギリギリ届くくらいの声で呟く。



「私だって翔くんに会いたかったよ」

「えっ……」


「空を見上げれば、翔くんは今何してるんだろうって。手のひらを見つめれば、ポケットの中で繋いだぬくもりを思い出して、涙が溢れてきたら『泣いてる顔より、笑った顔の方が好きだよ』と言って涙を拭ってくれた事を思い出した。

会えると信じていた時間は希望に満ち溢れていた。……でも、会えないと思い始めてからの時間は絶望しかなかった。こんなに何年も思い続けてるのに、好きだという気持ちを封じこめて破裂寸前なのに……、簡単に忘れる訳ないじゃん……」



  語尾が小さくなっていく声は、風の音にかき消されずに翔の耳へ。

  翔は想いが届いた瞬間、恋する瞳で見つめたまま愛里紗の両頬を包み込むと、息をする間も無く唇を合わせた。



  翔くんからの初めてのキスは、情熱的で、積極的で、刺激的だけど……。
  唇をただ強く押し当てるだけの息を止めたキスは、「ファーストキスだよ」と言われても信じちゃうほど不器用だ。

  それは、恋愛経験が少なくて同じくらいキスが下手な私にも感じるくらい。


  血が煮え滾るほどの高揚感。
  身体中から込み上げていく幸福感。
  胸から心臓が飛び出してしまいそうなほどのドキドキ感。

  甘い甘いキスからは、引き裂かれていた時間がリセットされてしまったかのように積もり積もった愛情が伝わってくる。

  これが、ずっと探し求めていた恋の味かもしれない。



  長年影になっていた光が既存していた力。
  再び眩しいくらいの光を身体中に浴びた瞬間、気持ちに誤魔化しが効かなくなった。



  私も翔くんが好き。

  大きな瞳を塞いでいる長い睫毛や。
  頬を包み込んでいる大きな手のひら。
  唇越しに伝わってくる温もり。

  頻りに愛の言葉を唱える大人びた低い声。
  恋の香りを醸し出す彼の香り。
  後ろからの私の足音が聞き取れるくらいの広い背中。



  ずっと気持ちにそっぽを向いてた。
  だから毎日苦しかった。

  きっと、頭の片隅では翔くんを忘れる気なんて更々無かったのだろう。
  それどころか、いまこの瞬間だって何もかも捨てて胸の中に飛び込んでいきたい。


  ……でもね、翔くんの嫌いなところが一つだけある。

  それは、神社で待っていたところに翔くんがいきなり現れて、私のシャボン玉のストローを取り上げて「遅くなってごめん」と言いながらはにかんだ笑顔で横に座って、ストローからシャボン玉に新しい命を吹き込んでくれなかった事。


  長い間、一人でシャボン玉を吹いていて吹き込む息が続かなくなったから。
  孤独感と空虚感に押しつぶされて、シャボン玉が涙で滲んで見えなくなったから。
  神社の軒下で、光を浴びずに背中を丸めて肩を震わせながら埋まったままだったから。

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