上 下
94 / 226
第五章

92.顔色を変えた母親

しおりを挟む


  愛里紗は身体を捻ってベッドから起き上がり、膝歩きで母親の横に移動した。



「そうなの!  塾を辞めて語学学校に通って英語をマスターしたら、家具の勉強でイギリスに行くって。塾は今月末で辞めるみたいだから、近々会えなくなるよ」

「寂しいわね。理玖くんが塾を辞めたら、あんたの帰り道も心配になる。……で、これからどうしたいの?」


「わかんない。ただ、谷崎くんとの別れがトラウマになってるから別れられるかどうか……。それに、理玖ともう一度やり直す勇気があるかさえわからなくて」

「気持ちが宙に浮いてる状態なのね」


「うん、そう」

「理玖くんと付き合うメリットとデメリットを考えてみるのはどう?」


「考えてるんだけどね。友達としての今がベストだからさ……」

「それは困ったわね……。いずれにせよ返事をしなきゃいけないから、しっかり考えてあげないとね」


「うん、わかってる」



  母に相談をしても、結局は自分次第なんだよね。



「でもさ、理玖と付き合い始めた途端、谷崎くんから手紙が届いたらどうしよう。会いたいと書いてあったら混乱するかも。な~んてね、あはは。それはさすがに有り得ないか」



  ……と、谷崎くんの話題へとシフトした瞬間、母親の顔色が変わった。



「谷崎くんは駄目よ。もし連絡があったとしても無視しなさい」

「えっ……」



  谷崎くんは消息を絶ったっきりで、別れ際に必ず書くと言っていた手紙は未だに届いていない。
  だから、今さら連絡をよこすとは考えにくいし冗談のつもりで言ったのに、母は血相を変えるほど真に受けている。



「お母さんはあんたが散々苦しんできた姿を見てきたのよ。もしこの先連絡があったとしても協力出来ない」

「えっ……」


「過去の恋なんて忘れなさい。理玖くんと新しい恋をした方が自分の為になると思う」



  確かに母の言う通り、谷崎くんは過去の恋。
  恋路を見守ってきたからこそ酷く心配している。


  谷崎くんと離れてから毎日泣き腫らした目で進学したばかりの中学校に通っていた。

  彼が再び神社にひょっこり現れるんじゃないかと思って、部活動にも参加せず神社に通い詰めたり。
  一日に何度もポストを覗いて、彼から手紙を今か今かと待ち焦がれながらポストを開いていた。


  でも、現実はそんなに甘くない。
  音沙汰がない彼と絶望感に満ち溢れていた日々。
  大切なモノは失ってから初めてその大きさに気付かされる。

  あの時は、急に引っ越すと言われても現実味帯びなかった。
  声も、ぬくもりも、優しさも、いつも手の届くところにあったから。


  谷崎くん。
  いま元気にしているのかな。
  お母さんと話していたら、また思い出しちゃったよ。



  母親はベッドからスクッと立ち上がって掃除に戻ろうとするが、未だに翔が忘れきれない愛里紗が気がかりだった。



「谷崎くんは遠い所へ引っ越したからもう忘れなさい。谷崎くんもあんたも別々の未来を歩んでいるのよ」



  母がそう言った瞬間、『遠い所』というキーワードが耳に残った。

  あれ……。
  遠い所へ引っ越したって?
  音信不通だから彼が何処で暮らしているかわからないはずなのに。



  愛里紗は、母が消息について何か情報を得ているのではないかと思い始めた。



「ねぇ、お母さんは谷崎くんの居場所について何か知ってるの?」

「……そ、それは。お友達のお母さんから噂話として耳にした程度で詳しくは分からないの」


「そっか。お母さんが居場所を知ってたら私に伝えるはずだもんね。谷崎くんはやっぱり遠い所で暮らしてるんだね……」



  そうだよね。
  お母さんはお別れの日に立ち会ってたし、ショックで寝込んでいた日々も見てきた。

  それに、谷崎くんへの誕生日プレゼントを一緒に見に行ってくれたし、バレンタインのチョコ作りだって手伝ってくれた。
  ずっと恋を応援してくれていたもんね。


  谷崎くんにはもう会えないのに、たかが噂話に反応しちゃうなんてバカみたい。
  でも、『もう過去の恋なんて忘れなさい』なんて傷付いたな。
  私にとっては一生忘れられないほどの大切な思い出なのに。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜

なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」  静寂をかき消す、衛兵の報告。  瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。  コリウス王国の国王––レオン・コリウス。  彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。 「構わん」……と。  周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。  これは……彼が望んだ結末であるからだ。  しかし彼は知らない。  この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。  王妃セレリナ。  彼女に消えて欲しかったのは……  いったい誰か?    ◇◇◇  序盤はシリアスです。  楽しんでいただけるとうれしいです。    

私の手からこぼれ落ちるもの

アズやっこ
恋愛
5歳の時、お父様が亡くなった。 優しくて私やお母様を愛してくれたお父様。私達は仲の良い家族だった。 でもそれは偽りだった。 お父様の書斎にあった手記を見た時、お父様の優しさも愛も、それはただの罪滅ぼしだった。 お父様が亡くなり侯爵家は叔父様に奪われた。侯爵家を追い出されたお母様は心を病んだ。 心を病んだお母様を助けたのは私ではなかった。 私の手からこぼれていくもの、そして最後は私もこぼれていく。 こぼれた私を救ってくれる人はいるのかしら… ❈ 作者独自の世界観です。 ❈ 作者独自の設定です。 ❈ ざまぁはありません。

結構な性欲で

ヘロディア
恋愛
美人の二十代の人妻である会社の先輩の一晩を独占することになった主人公。 執拗に責めまくるのであった。 彼女の喘ぎ声は官能的で…

帰らなければ良かった

jun
恋愛
ファルコン騎士団のシシリー・フォードが帰宅すると、婚約者で同じファルコン騎士団の副隊長のブライアン・ハワードが、ベッドで寝ていた…女と裸で。 傷付いたシシリーと傷付けたブライアン… 何故ブライアンは溺愛していたシシリーを裏切ったのか。 *性被害、レイプなどの言葉が出てきます。 気になる方はお避け下さい。 ・8/1 長編に変更しました。 ・8/16 本編完結しました。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

処理中です...