62 / 125
第五章 | 樽廻船の女船長、商人の町へ行く
樽廻船の女船長、商人の町へ 其ノ弐拾
しおりを挟む増々強くなる雨風の中、酒樽や米俵を次々に海の中に投げ捨てる。それらは海にざぶりざぶりと浮かんだ後、すぐに大波にさらわれて見えなくなっていった。
「あっけないもんだな」
最初は顔を歪め、苦しそうだった男たちも、数十の積み荷が海に消えたあたりからその表情はなくなっていた。ただ黙って淡々と作業を行っていく。
一体いくらの損害になるのだろうか、ちらりと浮かんだ考えに喜兵寿は身震いをする。海の上を生活の糧にする以上、それなりの覚悟はしてきているのだろうが、実際に嵐に遭遇し、このような決断ができるねねの胆力に心底関心していた。
この嵐を切り抜けることが出来たとしても、その後も過酷な日々が続くことは容易に想像できる。金はどのようにして工面するつもりなのか、その身は大丈夫なのだろうか……にも関わらず、ねねは皆を鼓舞するように先頭に立ち、積み荷を海へと投げ捨てていた。
長い髪はすっかりほどけ、着物もぐっしょりと濡れている。それでもその目は真っすぐに前を見据えていて、神々しいほどに美しかった。
「海の女神、って感じだよな」
思っていたことが自分の耳から聞こえ、喜兵寿が驚いて振り返ると、なおがにやにやした顔でこちらを見ていた。
「こんな非常事態だってのに、うっとりした顔しちまってさぁ。あ、これって『リアルつり橋効果』ってやつか!」
「べ、別に見惚れてなんか……ってかお前こそこの非常事態に何をしている!?」
喜兵寿はなおを見て目を丸くした。打ち付ける大雨の中、なおは酒樽を抱えてがぶがぶと酒を飲んでいるのだ。
「いや、だってこれ海に捨てるんだろ?さすがにもったいないから、出来るだけ飲んどこうかなと思ってさ。それに酔っぱらっちまえば船酔いもなにもあったもんじゃないし、嵐も怖くなくなる!これぞ一石三鳥!」
喜兵寿はなおから黙って酒樽を取り上げると、そのまま海へと放り投げた。酒樽は日本酒をまき散らしながら海へと落ちると、すぐに波に飲み込まれていく。
「あああああ!俺の酒が!」
「死んでも酔っぱらっていて気づかなそうだなお前と違って、俺はまだ死にたくないんでね」
喜兵寿はなおの首根っこを掴むと、少しでも積み荷を減らすべく男たちの元へと向かった。
日は落ち、あたりは完全に真っ暗だった。時折ごろごろと不穏な音を立てる、分厚い黒雲。滝のような雨は肌に突き刺ささり、すでに目を開けていることすら難しかった。うねり狂う高波、下から突き上げるような突風。
誰がどう見ても最悪の自体だった。しかし誰一人として死ぬことを受け入れてはいなかった。
積み荷の量が減るごとに、船の速度は目に見えて上がっていた。押し寄せる大波にもまれながらも、ぐんぐんと進んでいく。
「風向きが変わったぞ!」
ねねの叫び声が聞こえる。
「追い風だ!追い風に変わった!天が味方してくれた!」
豪雨に負けないよう、声を枯らして叫ぶねねの声に男たちが歓声を上げる。
「海の神のご加護だ!さあ、ここからが勝負だよ!」
ごおおおおっという地鳴りのような音と共に、分厚い風が船を押し出す。油断すれば身体を持っていかれてしまいそうな程の強風。それは追い風と呼ぶには強すぎるものだった。帆柱が不吉な音を立て、舟板が剥がれ飛ぶ。
「船がいっちまうのが先か、港に着くのが先か……」
ねねは身体をぶるりと震わせると、目を見開き笑った。
「なんにせよ、天は進めと言っているわけだ。海の神様はさぞかし酒と米が気に入ってくださったようだねえ!」
荒々しい稲光があたりを照らす。
「さあ、あとちょっとだ!全員で帰るよ」
「うおおおおおおおお!」
切り裂くような雷鳴と共に、樽廻船が揺れる程の怒声があたりに響き渡った。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
男女比がおかしい世界に来たのでVtuberになろうかと思う
月乃糸
大衆娯楽
男女比が1:720という世界に転生主人公、都道幸一改め天野大知。 男に生まれたという事で悠々自適な生活を送ろうとしていたが、ふとVtuberを思い出しVtuberになろうと考えだす。 ブラコンの姉妹に囲まれながら楽しく活動!
今日の授業は保健体育
にのみや朱乃
恋愛
(性的描写あり)
僕は家庭教師として、高校三年生のユキの家に行った。
その日はちょうどユキ以外には誰もいなかった。
ユキは勉強したくない、科目を変えようと言う。ユキが提案した科目とは。
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる