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第五章 | 樽廻船の女船長、商人の町へ行く
樽廻船の女船長、商人の町へ 其ノ拾
しおりを挟む喜兵寿となおが出発してから約1週間。つるはいつもと同じように、いや、いつも以上にきっちり丁寧に日々のことを行っていた。
店の前を掃き、店中を水で拭き、掃除が終われば市場に仕入れに出かける。そして帰宅後は麦芽の状態を細かくチェックし、営業の仕込みに移る。
彼らが出発してすぐは、なおの書き残した紙と麦を見比べながら「これで大丈夫だろうか?」「このやり方であっているのだろうか?」と不安だらけだったが、水から出し、和紙をかぶせて暗所に置いた麦から、にょきにょきと芽が出てくると一気に面白くなってきた。
手をかけるとそれだけそれに対する愛情も深まっていく。何かを育てるというのは初めての経験であり、気づくことも多かった。
「麦ちゃんたちの様子はどう~?」
夏はと言えば、なんだかんだ理由をつけ、毎日様子を見にやって来てくれている。お昼前のひと時、つると夏は頭を突き合わせながら、麦の世話をするのが日課になっていた。
「ねえ今日のお品書きはなあに?」
その日も夏はふらっとやって来て、持参した麦湯を飲んでいた。厨房から漂う甘辛い匂いにくんくんと鼻をならす。
「今日は砂肝の味噌煮。まだ出来上がってないけど味見する?」
「やった!食べたい」
砂肝は下処理をして、じっくりゆっくり弱火で煮込んでいく。そうすることでゴリゴリとした歯ごたえは、貝のような食感に変わるのだ。酒に生姜、味噌に醤油。こっくり濃厚な砂肝の味噌煮は柳やの人気料理のひとつだった。
「じゃあちょっと火入れするから、麦のこと見て来てくれない?裏で天日干ししてるんだけど、今日ちょっと風強めだから」
「任せて!」
麦芽つくりは、なおの言う「乾燥」の段階に入っていた。十分に発芽の終わった麦をザルに広げ、乾かす。太陽の光を浴びた麦たちは実に気持ちよさそうで、つるは毎朝その姿を見るのがひそかな楽しみだった。
「麦ちゃんたち大丈夫だったよ~!それにしても芽、すごく伸びたよね。もじゃもじゃしていて髭みたい」
夏がぱたぱたと戻ってくる。
「だよね。見て来てくれてありがと。はいこれ」
つるが薬味をたっぷりと乗せた味噌煮を手渡すと、夏は嬉しそうに舌なめずりをした。
「わたしもきっちゃんと結婚したら、この味噌煮つくれるようにならなきゃだね。ふふ。あ、白米ある?」
「え、ここでお昼食べていくつもり?!」
「えへ。白米ないなら日本酒でもいいけど……でもわたしはやっぱりきっちゃんがお燗してくれたお酒がいいからなあ。やっぱ白米でお願いします!夜お店手伝いに来るからさ」
「……ったくもう」
つるが茶碗を手渡すと、夏は味噌煮をおかずにぱくぱくとご飯を食べ始めた。
「あ~ん、おいしい!本当ここの味噌煮食べたら、他のお店の味噌煮は食べられないよね。ごはんともすごくあう」
夏はその華奢な外見からは想像できない程によく食べる。あっという間に茶碗を空にすると、「えへ」っと微笑みながら茶碗を差し出してきた。
「わたしにかわいい顔したって無駄だよ。今日は2杯までだからね!」
「ありがと!つるちゃんだいすき。わたしがお姉ちゃんになったら、毎日ごはん作ってあげるからね」
「はいはい。妄想おつかれさま」
「ふふふ妄想じゃないよお。ああ、きっちゃんのこと考えたらすごく会いたくなっちゃったなあ。今どこらへんかなあ?大風とか大丈夫かなあ?」
ぼんやりと宙を見つめながら夏は言う。喜兵寿のことを思っているのだろうが、箸を動かす速度は全く変わっていなかった。
「どうだろうね。ちょうど今半分くらいだから……ま、海の上でしょ。天気占いのじいさんも『しばらくは快晴だ』って言ってたから心配ないんじゃない?」
つると夏が話していると、ざっざっと大人数が歩く草鞋の音が外から聞こえてきた。「今日何かあったっけ?」と二人が顔を見合わせていると、いきなり店の戸が開く。
「おう、柳やの旦那はいるか?」
見ると下の町の同心である村岡だった。狡猾そうな顔で笑うその後ろには、いつものようにガタイのいい男たち。しかし今日はその数10人と大所帯だった。
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