上 下
52 / 119
第五章 | 樽廻船の女船長、商人の町へ行く

樽廻船の女船長、商人の町へ 其ノ拾

しおりを挟む


喜兵寿となおが出発してから約1週間。つるはいつもと同じように、いや、いつも以上にきっちり丁寧に日々のことを行っていた。

店の前を掃き、店中を水で拭き、掃除が終われば市場に仕入れに出かける。そして帰宅後は麦芽の状態を細かくチェックし、営業の仕込みに移る。

彼らが出発してすぐは、なおの書き残した紙と麦を見比べながら「これで大丈夫だろうか?」「このやり方であっているのだろうか?」と不安だらけだったが、水から出し、和紙をかぶせて暗所に置いた麦から、にょきにょきと芽が出てくると一気に面白くなってきた。

手をかけるとそれだけそれに対する愛情も深まっていく。何かを育てるというのは初めての経験であり、気づくことも多かった。

「麦ちゃんたちの様子はどう~?」

夏はと言えば、なんだかんだ理由をつけ、毎日様子を見にやって来てくれている。お昼前のひと時、つると夏は頭を突き合わせながら、麦の世話をするのが日課になっていた。

「ねえ今日のお品書きはなあに?」

その日も夏はふらっとやって来て、持参した麦湯を飲んでいた。厨房から漂う甘辛い匂いにくんくんと鼻をならす。

「今日は砂肝の味噌煮。まだ出来上がってないけど味見する?」

「やった!食べたい」

砂肝は下処理をして、じっくりゆっくり弱火で煮込んでいく。そうすることでゴリゴリとした歯ごたえは、貝のような食感に変わるのだ。酒に生姜、味噌に醤油。こっくり濃厚な砂肝の味噌煮は柳やの人気料理のひとつだった。

「じゃあちょっと火入れするから、麦のこと見て来てくれない?裏で天日干ししてるんだけど、今日ちょっと風強めだから」

「任せて!」

麦芽つくりは、なおの言う「乾燥」の段階に入っていた。十分に発芽の終わった麦をザルに広げ、乾かす。太陽の光を浴びた麦たちは実に気持ちよさそうで、つるは毎朝その姿を見るのがひそかな楽しみだった。

「麦ちゃんたち大丈夫だったよ~!それにしても芽、すごく伸びたよね。もじゃもじゃしていて髭みたい」

夏がぱたぱたと戻ってくる。

「だよね。見て来てくれてありがと。はいこれ」

つるが薬味をたっぷりと乗せた味噌煮を手渡すと、夏は嬉しそうに舌なめずりをした。

「わたしもきっちゃんと結婚したら、この味噌煮つくれるようにならなきゃだね。ふふ。あ、白米ある?」

「え、ここでお昼食べていくつもり?!」

「えへ。白米ないなら日本酒でもいいけど……でもわたしはやっぱりきっちゃんがお燗してくれたお酒がいいからなあ。やっぱ白米でお願いします!夜お店手伝いに来るからさ」

「……ったくもう」

つるが茶碗を手渡すと、夏は味噌煮をおかずにぱくぱくとご飯を食べ始めた。

「あ~ん、おいしい!本当ここの味噌煮食べたら、他のお店の味噌煮は食べられないよね。ごはんともすごくあう」

夏はその華奢な外見からは想像できない程によく食べる。あっという間に茶碗を空にすると、「えへ」っと微笑みながら茶碗を差し出してきた。

「わたしにかわいい顔したって無駄だよ。今日は2杯までだからね!」

「ありがと!つるちゃんだいすき。わたしがお姉ちゃんになったら、毎日ごはん作ってあげるからね」

「はいはい。妄想おつかれさま」

「ふふふ妄想じゃないよお。ああ、きっちゃんのこと考えたらすごく会いたくなっちゃったなあ。今どこらへんかなあ?大風とか大丈夫かなあ?」

ぼんやりと宙を見つめながら夏は言う。喜兵寿のことを思っているのだろうが、箸を動かす速度は全く変わっていなかった。

「どうだろうね。ちょうど今半分くらいだから……ま、海の上でしょ。天気占いのじいさんも『しばらくは快晴だ』って言ってたから心配ないんじゃない?」

つると夏が話していると、ざっざっと大人数が歩く草鞋の音が外から聞こえてきた。「今日何かあったっけ?」と二人が顔を見合わせていると、いきなり店の戸が開く。

「おう、柳やの旦那はいるか?」

見ると下の町の同心である村岡だった。狡猾そうな顔で笑うその後ろには、いつものようにガタイのいい男たち。しかし今日はその数10人と大所帯だった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

若妻の穴を堪能する夫の話

かめのこたろう
現代文学
内容は題名の通りです。

雌犬、女子高生になる

フルーツパフェ
大衆娯楽
最近は犬が人間になるアニメが流行りの様子。 流行に乗って元は犬だった女子高生美少女達の日常を描く

エロ・ファンタジー

フルーツパフェ
大衆娯楽
 物事は上手くいかない。  それは異世界でも同じこと。  夢と好奇心に溢れる異世界の少女達は、恥辱に塗れた現実を味わうことになる。

女豹の恩讐『死闘!兄と妹。禁断のシュートマッチ』

コバひろ
大衆娯楽
前作 “雌蛇の罠『異性異種格闘技戦』男と女、宿命のシュートマッチ” (全20話)の続編。 https://www.alphapolis.co.jp/novel/329235482/129667563/episode/6150211 男子キックボクサーを倒したNOZOMIのその後は? そんな女子格闘家NOZOMIに敗れ命まで落とした父の仇を討つべく、兄と娘の青春、家族愛。 格闘技を通して、ジェンダーフリー、ジェンダーレスとは?を描きたいと思います。

幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。

スタジオ.T
青春
 幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。  そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。    ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

処理中です...