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第五章 | 樽廻船の女船長、商人の町へ行く

樽廻船の女船長、商人の町へ 其ノ捌

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「とてもうまそうに酒を飲む女」という表現がねねにはぴったりだった。一口ごとにその味わいを確かめ、微笑みながら飲み込む。そうやって枡の中身をするすると身体の中に取り込んでいっていた。

「でもこの酒下り酒ではなく、下の町から伊丹に運ぶものだろう?伊丹でも下の町の酒が流行っているのか?」

喜兵寿の問いに、ねねは首を振った。

「まずはその酒を飲んでみな」

言われるままに喜兵寿は枡に口をつける。そして顔を曇らせた。

「この酒はどこの蔵だ?これでは角が立ちすぎている。これを売り物として良しとしているのか?」

「さすがは伊丹の銘酒、柳やの息子だね。そう、この酒はまだ未完成なんだ」

ねねはおかわりの酒を自分の枡に注ぎながら言う。

「最近下の町でもたくさんの酒蔵が出来ているのは知っているだろう?時代なんだろうねえ、今はさして技術や経験が十分でなくても酒を造ることができる。それでたいそうな看板掲げて商売やっちまってんだ」

そういえば幸民もブツブツと新しく出来たという酒蔵の文句を言っていた気がする。いつの時代も流行り起これば、それに便乗した「職人まがいの」が現れるものなのだろう。

「でもまずい酒は売れやしない。それで西の商人たちが下の町の酒を安価で買いたたいて、別の地で売りさばいてるってわけさ。でも少しでも味はいい方がいいだろう?それで船で酒をうまくする方法を探るべく、うちらに声がかかってるってわけさ」

ねねの話を黙って聞いていた喜兵寿は、ぎりぎりと悔しそうに歯ぎしりをする。

「そういう輩がいるから日本酒全体の価値が下がるんだ。伝統を大切に引き継いできた蔵に失礼だとは思わないのだろうか」

「本当にね。わたしもそう思うよ」

ねねはふうっとため息をつく。

「だとしても起っちまってるもんは仕方ないんだよ。だからわたしはわたしで出来ることをやっている。赤ちゃんのように覚束ない酒をあやして、少しでも大人にしてやるんだ。わたしたちは生み出すことは出来ないからね」

ねねの表情は子を慈しむ母のようだった。酒の表面に口づけをするような仕草をすると、くいっと飲み干す。

「ま、そんなわけでこの酒はまだ美味しくないかもしれないけどさ。酒は酒だ。わずかでも今日の疲れを癒してくれるはずだよ。もう少ししたら夕餉だ。それを食ったらさっさと寝な。明日も早いよ」

そういうとねねはひらひらと手を振りながら立ち去っていった。

「未完成の酒、ねえ」

なおは再び酒に口をつける。確かにお世辞にも「うまい」とは言えない酒だ。日本酒造りのことはさっぱりだが、アルコール臭が鼻につきすぎるし、雑味も舌に残る。

「なあ、これってさ……」

なおは喜兵寿に話しかけるも、喜兵寿は酒を前にぶつぶつと独り言を言っていた。

「そもそも麹づくりに失敗しているな。この感じは浸水時間が長すぎたのだろうか。あとは火入れのタイミングで……」

目を閉じ、日本酒を少しずつ口に含みながら、ふうっと息を吐く。その様子はまるで酒の醸造工程すべてを読み取ろうとするような、誕生物語を読み解こうとするような真剣さだった。

「なあ、この酒って他にうまくする方法あると思う?」

なおが話しかけると、喜兵寿は目をぱちりと開ける。

「燗酒の仕方で少しは改良できると……思う。温度の上げ方でだいぶ良くはなるだろうな。この感じだと人肌よりも、もう少し高いくらいだろうか。これは一度試してねねにも伝えたほうがいいか」

再びぶつぶつと自分の世界に戻っていこうとする喜兵寿に、なおは「なあ」と話しかける。

「喜兵寿ってなんで酒造る側じゃねえの?めちゃくちゃ知識あるし、舌だって抜群にいいだろ。そして酒馬鹿と来てる。なのになんで造る側じゃなくて、売る側にいるんだ?」

「喜兵寿なら相当うまい酒を造れるだろうに」、そんな想いからの質問だったが、喜兵寿は眉間に皺を寄せ、黙りこくってしまった。

「え、なになに?それ触れちゃいけないやつ?」

「……」

「えーだってもったいないだろ。そんなに酒好きなら自分で造りたいとか思わないの?」

「……」

「あれ?俺地雷ふんじゃった系?」

「……しつこい!」

喜兵寿は声を荒げると、手元の煙管でなおの頭を叩いた。

「痛ってえ」

「人が黙りこくってるんだから、話したくないってことくらいわかるだろ。この馬鹿野郎が。だから人の気持ちがわかんないって言われんだよ」

「はあ?察してちゃんかよ。嫌なら嫌って言えばいだろ。口より先に手を出すとか、暴力男って呼ぶからな」

ふたりが再びぎゃんぎゃんと言い合っていると、「おい」といきなり野太い声耳元で聞こえ、首根っこを掴まれた。

「?!」

驚いて声のした方をみると、目の前に甚五平の顔があった。

「飯だって言ってんだろイ!それとも何か?俺のつくった飯は食いたくねえってのかイ?」

「……すみません。いただきます」

「なら遊んでないで早くこイ」

2人は首根っこを掴まれたまま、子猫のように甚五平に運ばれていったのだった。
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